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釈迦堂口切通・・・・その2 |
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釈迦堂切通の上にあるやぐら群や切岸は崖の崩落の危険性があることから一般には公開されていません。作者は鎌倉市内に残る貴重な文化財や遺跡の紹介と保護を目的に、自己責任で写真撮影をしてきました。左の写真は釈迦堂切通の上部へ上る途中に見られたやぐらです。やぐら内には五輪塔が整然と並べられていて、これら石塔類が当初のやぐらにあったものなのかはわかりませんが、かなり古いものであることが感じられます。 |
右の写真のやぐらは上の写真のやぐらの手前にあるものです。上の写真のやぐら及び右の写真のやぐらともに下部は土に埋もれているようです。どちらのやぐらも開口部は大きく崩されているものと思われます。下の写真はもう少し近づき五輪塔類を撮影してみました。整然と並べられている五輪塔群ですが、かってはバラバラに散乱していたものかも知れません。よく見ると寄せ集めで並べられたと思われる、各層の石質の異なるものが幾つも見られるのです。 | ![]() |
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釈迦堂口周辺やぐら群 釈迦堂切通の周辺には多くのやぐら群が存在しています。それらは釈迦堂口周辺やぐら群と呼ばれ、代表的なものとしては、『唐糸草子』で語られている、源頼朝の命を狙おうとして失敗し捕られた唐糸を幽閉した土牢だという伝説の「唐糸やぐら」があります。また壁に日と月になぞらえた納骨穴がある「日月やぐら」などがあります。釈迦堂口周辺やぐら群を更に分類すると「釈迦堂口トンネル上尾根やぐら群」「釈迦堂口やぐら群」「釈迦堂東やぐら群」「釈迦堂谷奥やぐら群」「衣張山やぐら群」などがあります。 |
上の写真のやぐらの先(北側)には右写真のような、山斜面を削り落としたところに半壊したやぐらが見られます。この写真の左側には以前まで住宅の建物が数棟建っていましたが、今は建物は壊され空き地になっています。ここは谷の最奥部でやや広めの平坦地になっていて、この辺りが北条時政の名越山荘があったところといわれているようです。釈迦堂切通の北側と南側では陽当たりが全く違い、ここは南側で陽当たりも良く明るいところです。 | ![]() |
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平坦地から釈迦堂切通の上へ上るには、コンクリートの板を階段に並べたところを上っていきます。上りはじめると直に左の写真のような平場が現れます。そこには説明版があります。説明版には次のように書かれています。 北条時政山荘旧跡 |
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唐糸やぐら(土牢やぐらの左側部) |
唐糸やぐら |
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石仏像は風化が著しく、如来なのか菩薩なのかがはっきりしませんが、他の例では、やぐらには地蔵菩薩を本尊とすることが多いようなので、この石仏も地蔵菩薩の可能性が指摘できるのではないでしょうか。石仏像の胸部から上は、下部との岩質の違いからか、漆喰跡が良く残っています。 下の写真はやぐらの前面に建つ2つの五輪塔で、やぐらを表面から見て左側のものが左写真のもので、右側のものが右写真のものです。両五輪塔とも凝灰岩製のものでしょうか、梵字が刻まれているところなどはかなり古いもののようです。 |
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右の写真は唐糸やぐらの右側部にあるやぐらです。こちらが木曽義仲の家来であり平氏方の斎藤実盛を討ちとったという手塚太郎光盛の娘、唐糸が幽閉されていたと伝わる土牢です。こちらはやぐらの形態をよく残していて、羨道に扉が付けられていたと思われる穴と溝が見られます。 琵琶と琴の名手であったという唐糸は頼朝に仕え暗殺を企てていましたが発覚してこの土牢に幽閉されてしまうのです。唐糸の娘である万寿姫は今様の名手で信濃から鎌倉へやって来てやはり頼朝に仕えます。ある日、鶴岡八幡宮で奉納する舞の舞姫に選ばれ、その出来栄えを頼朝から気に入られ、褒美として、幽閉されている母を助けてほしいと願いました。頼朝は願いを聞き入れ唐糸と万寿姫は信濃へ帰って行ったという話が『御伽草子』の「唐糸草子」として語りつがれてきています。 |
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『唐糸草子』の中の、万寿姫と土牢に幽閉されている唐糸との再会の場面を紹介します。 あま吹きおろす松風の、岩が根騒ぎあたるをば、人やあるかと疑はれ、心を静めてあたりを見る。廿日いなかの雲はれて、月少し見え給ふ。松の一むらある中に、尋ね入りて見てあらば、石の籠こそ見えにけれ。万寿うれしさに、急ぎ立ち寄り、籠の扉に手をかけて、内の體(てい)を聞けるに、唐糸は、人音を聞つけて、「そもそも門におとづるるは、誰なるらん。變化(へんげ)のものか、又は唐糸が、討手にばし向く人か。御使にてましまさば、うき世のひまをあけたし」と、かきくどきてぞ泣きにけり。万寿は承り、いとどあはれはまさりけり。籠のすきより手を入れて、母の手をとり、「これは母の手にてましますか。わが身は万寿にてさふらふぞや。なつかしさよ」と泣きにける。涙は淵となる。唐糸聞きて「万寿は信濃にこそ置きつるが、今年は十二になるとおぼえたり、夢か現か幻か、夢ならば、とくさめよ、さめての後はうらめしや」と、かきくどきてぞ泣かれける。万寿「仰せの如く、信濃国にさふらふが、御籠者のよし、風のたよりに承り、御命に代らんと、これまで参りて候ぞ」。唐糸きこしめし、その時万寿が手をとり、うれし泣きにぞ泣き給ふ。…… 頃は三月、鎌倉山の花見で、御所には人がいなくなり、万寿姫は今宵に母の行方を尋ねてみようと、密かに御所から忍び出てゆき、上記のごとく母(唐糸)を探し見つけて再会の喜びを果たすのでした。その石籠がこのやぐらであったのか否かの真実はわかりませんが、物語の現場であったと想定して見ると、またひと味違った趣が感じられるものです。 |
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唐糸やぐらは『新編鎌倉志』
にも紹介されていて、その存在は古くから伝えられていたようです。しかし、『唐糸草子』の物語そのものは史実とは無関係だともいわれています。仮に史実だとすると、このやぐらは鎌倉時代初期のものということになります。それにしても非道な権力者として目立つ頼朝ですが、万寿姫の親孝行に折れて唐糸を許したというのは、頼朝自身、いがいにも親子の絆を重んじる人情は持ち得ていたのかも知れません。史実でない物語ならではの頼朝像と決めてかかるのでは面白くないものです。そして、このような親子の物語は、家庭崩壊が問題視される現代人にとって見習うべきヒントが隠されているものと思われるのです。
太鼓橋の架かる切通し |
北条時政邸裏門跡 この切通しは時政亭の裏門として釈迦口への間道に通じ、亭の防備も兼ねて造られたものと推定されます。切通しの両岸壁は風化により美しい縞模様をつくっていますが昔のままであることがこれにより良く立証されています。 このように説明版には書かれていますが、実査にどのくらい古いものなのかはわかっていなく、切通しは通路を目的に掘削されたものなのかも資料は無いようです。 |
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右の写真は切通し直下から南側を撮影したものです。説明版では時政邸から北側の釈迦堂口への間道と書かれていますが、現在では、この切通しを道と考えた場合にそれに相応しい道路痕跡は南側と北側共に見られないのです。南側には唐糸やぐらの前を下りる細い道がありますが、この切通しの道と考えると貧弱でその細道の上り口付近は現在コンクリート製の階段になっています。この南側、やぐら前の細道は近年に改築を受けているものと思われるのです。 |
一方切通しの北側には、切通しの底部よりも下がった位置に比較的大きな平場が存在します。その平場の東縁から釈迦堂口北側洞門前付近へ下りる細道があるそうなのですが、現在ではほとんど利用されておらず、藪状になっていてその細道を確認することはできません。道無き藪山へも入る作者ですが、その細道を探して下りる気にもならないほど危険な場所で、この切通しがそんな細道のために造られたものとは到底思えません。 右の写真は切通し北側の平場から見上げるように切通しの岸壁を撮影したものです。切通し底から上の太鼓橋までの高さはどのくらいあるのでしょうか、目検討でも6メートル以上はあるものと思われます。ホームページ作者が気にするところは、岸壁の風化の激しさのわりには、岩を掘削した垂直性が意外と保たれていることです。仮に鎌倉時代初めに造られた切通しだとすると800年以上の間には地震や台風などの災害に何度も遭遇していることでしょうから、崩れや傾きが生じていることが予想され、実際に名越切通では岸壁の傾きから造成当時の通路より狭くなっていることが確認されています。 |
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果たしてこの切通しは北条時政が山荘を構えた当時まで遡れる古いものなのでしょうか? 左の写真は岸壁の風化を近づいて撮影したものです。この写真を見るかぎりでは確かに凄く古いものにみえます。一方で鎌倉の山の岩は砂岩質で風化の進行も早いのではないかと考えられます。 近年「古都鎌倉を取り巻く山稜部の調査」で、太鼓橋の架かる切通しの直下底及び北側の平場で発掘調査が行われています。切通しの直下底部では特別なものは確認されていないようです。一方、北側の平場のトレンチは、釈迦堂切通洞門の北側口を見下ろす位置にあり、平場の南側は高低差約10メートルの切岸となっていて、トレンチは切岸に直交する形で設定されています。現地表の下80〜150センチで岩盤面に達し、岩盤面の北側には約40センチの落ち込みも確認されています。調査地点の岩盤面には全体的に細かな凹凸が残っていることから近年まで石切が行われていたものと推定されています。出土遺物は覆土より17世紀代のかわらけが出土していますが、平場や切岸の構築何代を測定できるものではないと報告書にありました。 |
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