将軍沢の小川に架かる橋付近の里山の風景
将軍沢の橋付近の切通し
笛吹峠を北に下りた将軍沢の旧道
将軍沢集落の道沿いにある庚申塔
将軍沢にある日吉神社の境内には左の写真の将軍神社があります。日吉神社の参道の突き当たりに建つ将軍神社は征夷大将軍坂上田村麻呂を祀ったものといわれてます。坂上田村麻呂は奥州遠征の時にここで一夜を過ごし、その時陣営を示す旗を立てた塚にこの神社を祀ったと伝えられています。将軍沢の地名もそこから名付けられたものと思われます。この付近は田村麻呂に関連した伝説が多くあり、平安時代の初めに奥州に向かう幹線路がこの辺りを通っていたことをうかがわせます。日吉神社の入り口には小さな石碑があり、そこに「田村将軍入口」と書かれていました。
日吉神社内にある将軍神社
将軍沢の集落を過ぎ北へと坂を下りきると視界は開け大蔵へと入って行きます。坂を下りた所には左の写真の縁切橋の案内版があります。縁切橋自体は案内版の隣の簡素な欄干がそれであるようです。 将軍坂上田村麻呂が、軍勢を引き連れてこの地に滞在し、岩殿の悪龍退治の準備をしていると、そこへ将軍の奥方が京都から心配のあまり尋ねて来たといいます。しかし田村麻呂は「将軍として派遺されている我に妻女が尋ねるとは何事だ逢わぬぞ」と怒鳴ったといいます。家来がいくら取りなしてもお許しがなく、翌朝に奥方は京へ帰る為この地に来ました。将軍はこの坂下まで来て、「大命を受けて出陣しているのに追い来るとは何事だ、今より縁を切る、早々立ち去れ」と宣言したといいます。それからこの橋は縁切橋と呼ばれるようになったそうです。この話は実話とは思えませんが将軍ともあろう人の行為とは思いがたいものが感じられます。現代だったら女性に猛反発をくらいそうです。このような話が伝えられている真意には何があるのか考えさせられます。
嵐山町大蔵の縁切橋前の案内版