道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 児玉・塙保己一旧宅  ◆◆◆◆◆◆

児玉町の市街地を北へ進んだ旧街道は、現在の国道254号線と市街地を通る旧国道の交わる交差点に出ます。この交差点の手前から西に折れる道がありその道が旧街道の続きと伝えています。しばらく行くと大きな道路橋が現れます。近年出来たJR八高線をまたぐ道路橋です。その道路橋を潜る手前に女掘川があり、下の写真の雀の宮橋が架かっています。

追記・・・
雀の宮橋は平成29年には通行できなくなっていました。橋その物は残っているようです。

児玉町の街道跡の女堀川に架かる雀の宮橋

雀の宮橋は簡素な姿の古そうな橋です。幅は乗用車一台がやっと通れるかどうかで、車が乗ると落ちてしまいそうな危なっかしい感じがします。この辺りは天気の良い日には、西に児玉丘陵から秩父山地が間近に見えのどかな風景が続きます。橋を渡り道路橋を潜ると神川町に入ります。しばらくすると道は田圃の中に消えていました。そこでJR八高線と平行して北西に向かう道を行くことになります。

女堀川と雀の宮橋

JR八高線と平行して北西へ向かう道を進みます。神川町に入って最初の踏切(第二八日市踏切)のところの少し手前に東に折れる道があり、そこを曲がったところに下の写真の石柱2基があります。ひとつは道標でもうひとつは塙保己一旧宅の案内碑になっています。この石柱の先にJR八高線と同じ方向に向っている小道が民家の間にあり、その道が先に雀の宮橋付近の道路橋を潜り田圃に消えた道の続きであるかのようにも思えます。

神川町八日市にある道標と塙保己一旧宅の案内碑

下の写真は神川町の八日市にある庚申塔などの石塔群です。第二八日市踏切から東に150メートルほと行った付近に写真の石塔群があります。そしてこの石塔群から斜めに南へ向かう道が旧街道へと繋がるのかも知れないと想像してみます。神川町にはこのような石塔群が道端にあるのをよく見かけます。このような石塔群は道路の拡張工事などで一箇所に集められてきたものと思われます。

神川町八日市の庚申塔類

塙保己一旧宅

先のJR八高線の踏切を渡り西に向かうと児玉町俣木野で国指定史跡「塙保己一旧宅」があります。江戸時代の盲学者塙保己一は鎌倉街道上道とは直接関係はありませんが少し触れておきます。

ここで生まれた塙保己一は江戸後期の国学者、総検校です。7歳の時に失明し15歳で江戸に出て雨富検校の弟子になります。その後賀茂馬淵らの指導を受け国学を研究し、寛政5年(1790)に幕府に願って和学講談書を設けました。日本の古典文献を集大成した『群書類従』670巻きの編纂と刊行、その続編である『続群書類従』の編纂にも着手しました。 児玉町内の雉岡城跡公園内には塙記念館があり、貴重な資料を見ることができます。

塙保己一旧宅

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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