イソップの宙返り・96
         
蝙蝠と鼬
コウモリが地面に落ちて、イタチに捕まってしまいました。
イタチは、鳥と戦争をしているので殺すと言いました。
コウモリは、私は鳥ではない鼠だと言うと、放してくれました。
次に、イタチに捕まったときには、イタチは鼠と戦争をしているので殺すと言いました。
コウモリは、鼠ではないコウモリだと言うと、放してくれましたとサ。
寓意・状況にあわせて豹変すると危険から逃れることがある。
☆     ☆
極東の凡俗といたしましては・・・
豹変( ひょうへん)って、よく使いますねぇ。
「君子豹変す」って無節操なヤツのことをね。
あれは、まあ言葉の様子から中国古典の諺らしいことはわかります。
もとは、「易経」革卦篇の「君子豹変、小人革面」ってのがあるそうで、物の本によると、
「豹の毛が季節によって抜け変わり、斑文も美しくなるように、君子は時代に適応して自己を変革する」
って書いてある。
で、下の句の「小人革面」は、「つまらんヤツは、表面だけをあらため(革)る」って意味なんでしょうねぇ。
              
「君子は時代に適応して自己を変革する」ってのは、もっと露骨に言うと、内面まで変革することらしい。
時代が変わって、キリスト教の流行が終わり、迫害されると、コロっと「転びバテレン」になるのを君子って呼ぶのかなぁ。
             
何か、ボクらの感覚では、キリスト教が迫害されると表面は転んだように見せても、心の中ではマリア様を信仰してきた、隠れキリシタンの信仰の方が尊いように思えるんですがね。あの人達は「小人」ってことになるのかなぁ。
              
ボクらの世代、1945年の終戦。ええ戦争に負けたことを敗戦って言いますが、太平洋戦争だけは、終戦って唱えます。
あの終戦を小学生で迎えた、ボクらの世代は、昨日までの軍国主義者が、突然平和主義者に豹変するのをガキのころに見ましてね。
まあ、それからは権威とか、立派なことをのたまう人は信用できないってことを知りました。
立派な道徳教育をうけたでしょう?
          
教育勅語なんてのがありまして、道徳の時間には暗記させられましてね。
そのうちに気がついたんだけど、あれで言っていた倫理には、節操を守るとか、奉仕(サービス)とかパブリックってことはどこにも書いてなかったですねぇ。
         
あの倫理では、日本の国のこととか、自分のことばかりでした。
いま、自分の会社の目先のことばかり考えて行動する食品会社の人とか、銀行家って、あの教育勅語の後遺症のような気がするんですがね。
           
ボクらの周りには、本質は教育勅語。表面だけは民主主義・平和主義の小人が沢山いますよね。
先日、戦中派のゴタク(ご託)を聞いていたら「(太平洋)戦争は、石油を封鎖したアメリカが悪いんヤ。日本はやむをえず戦争したんヤ」ってのたまうから、「へえー、重慶に油田があったんですか?」ってとぼけたら、黙りこんだけどね。
             
さすが、戦中派。石油封鎖が、日本の中国侵略を阻止しようとした連合軍の対抗策として起こったことぐらいは憶えていたんでしょうねぇ。
       
まあ、正月そうそうから、ややこしい話題を書いてしまいましたが、最近、アメリカが日本に無理難題を押しつけたから、「日本はやむをえず戦争した」って主張する人が増えたから、思い出してもらおうってこと。
まあ、最近のイラクより非常識なことを日本は60年前にはやってたんですよ。