1989年の8月以来の 12年ぶりの富士山である。
日頃から、 富士山は登る山ではなく眺める山と言っている私が、 再び富士登山を行った理由については 山の雑記帳に書いた通りで、 永年 富士山の最高点である剣ヶ峯を踏まないでいたことが 気になって仕方なかったのであった。
前日聞いた天気予報ではこの日は晴れとなっており、中央自動車道に入るまで、そして入ってからも暫く続いた曇り空も いずれ青い空に変わるだろうという気持ちが強く、 今日の登山は何も心配していなかったのであったが、 途中、ラジオで秩父地方に雷雲がとか、 雨が という話が聞こえ始め、 少々心配になり出したのであった。
しかし、 大月ICの先で本道と分かれて河口湖IC方面への道に入ると、 目の前に大きな富士山の姿が見え始め、 雲一つない青空に映えるその姿に心配は吹き飛んだのであった。いつも冠雪している富士山を眺め慣れている私にとって、この日の茶色い山肌むき出しの富士山は新鮮に映り、甲斐駒ヶ岳が白崩山 (しろくずれやま) と言うのなら、 富士山は赤崩山だ などとつまらないことを考えながらクルマを進めたのであった。 そして、富士山を更に良く見ると、 山肌にジグザグと刻まれた登山道まで見えるではないか。 本日の炎天下における登山が想像されて、 ゾッとしたのは言うまでもない。
河口湖ICで中央自動車道を下り、順調にクルマを進めて、吉田登山道に入る。
前回登った際の出発点であった中ノ茶屋を通り過ぎ、 舗装道を馬返しまで進む。 古い記憶で定かではないが、 以前は中ノ茶屋から馬返しまでの間の道は舗装されていなかったような気がするが、 どうであろうか (あるいは、もう一本横の道を歩いたのかもしれない)。途中、廃屋となった大石茶屋を右に見て、林の中のドライブを続け、馬返しに着いたのが 6時18分。前回、中ノ茶屋を 8時半に出発したため、一番日差しが強い時に丸裸の登山道を登ることとなって 大変苦しい思いをしたことから、 この時間に出発できるのは大変理想的である。
馬返しには既に 8台ほどのクルマが止まっており、 五合目からではなくこの一合目からのルートをとる人達がいることに 少し嬉しくなったのであった。この馬返しの標高が 1,440m。既に結構な高さではあるが、それでもこれから 2,300mの高さを登らねばならないことを思うと、やはり少々身震いする。
身支度を整え、駐車場を出発したのが 6時22分。 すぐに立派な鳥居が現れ、「富士山禊所」 と書かれた石碑が建っている場所を通過した。 前はこのような立派な鳥居はなかったはずで、 鳥居や狛犬の新しさに比べ、 周辺の石碑の旧さが何かちぐはぐさを感じさせる。最初は、小型自動車なら通れそうな道をゆっくり登っていくことになったのだが、所々に砂利を敷き詰めて修復した跡が見られ、この道もまだまだ大事にされていることが分かる。 やがて、半分土に埋もれたようになっている鈴ガ原神社で、 その建物の前には一合目の標識が立っていた。 前回は中ノ茶屋から歩いたため、もうここで一休みしたのであった。
樹林の中をゆっくり登っていくと、左手に建物が現れた。 ここが二合目で、 建物は小室浅間神社であるが、中は荒廃している。12年前のこととは言え、一度通ったことがある道は結構覚えているもので、次々に現れる茶屋の跡や木々の様子、石畳の道、溶岩の道に懐かしさを覚える。 結構自分の記憶力の良さに感心したりしたが、 この道が昔とほとんど変わっていないということの証左でもあり、 嬉しい限りである。
次のポイントは三軒茶屋の標識も置かれていた三合目で、道の両側に廃屋が建っている。記憶ではここに、「三合目焼印所」 と書かれた白い看板が立っていたはずであったが、 今回はもう朽ちてしまったのか、 廃屋の中を探しても見つけることはできなかった。
道ばたにポツンとある四合目 (7時22分) の標識を過ぎると、 やがて見晴らしの良い場所に飛び出した。 ここには小屋が建っており、小屋上には 「五合目焼印所」 と書かれているが、 どうやら四合目半というのが正しいらしい。 また、小屋そばには見覚えある 「日本橋」 の字が刻まれた御座石もあり、 これも記憶通りである。 小屋の前は大きく開けており、 そこからは前回には全く見ることができなかった御坂山塊を うっすらではあるが見ることができたのであったが、 もうこの頃には雲がかなり出始めており、 山の上の方は霞んだようになっていたのであった。 あれほど明るかった空も曇りがちになってきており、 ちょっと先行きが心配である。細野尾橋を渡って樹林帯の中に聞こえる鳥のさえずりを楽しみながら登っていくと、突然、目の前に柵が現れ、その向こうに立派な舗装道が現れたのでビックリすることになった。 これは昔の滝沢林道で (のはず)、 この舗装道を暫く登ると、 小さな神社の所から再び山道に入ることとなり、 次に再び先ほどの舗装道と合流した所が五合目であった (7時52分)。
この五合目から少し登った所が佐藤小屋で、前回は小屋に入ってうどんを食べたのであったが、今回は小屋には寄らず、小屋の前で握り飯を食べて腹ごしらえを行った (7時56分)。
小屋の周囲を見渡すと、もうガスがかなり下り始めており、 これからの登山に対する不安がますます強くなる。
前回は、この佐藤小屋、さらに上の六合目付近まで完全に曇り空の下であり、 今回と同様にガスが迎えてくれたのであったが、 六合目以降は雲の上に飛び出したのか、 太陽がギラギラと照りつける炎天下の山登りとなったのであった。 今回は、前回とは逆にドンドン天候が悪くなってきているようで 気が気ではない。
それでも、六合目以降には再び青い空が待っているのでは との期待もある訳で、 天候の回復を祈りつつ先へと進んだのであった。ガスの中、六角堂や富士山安全指導センターの横を通り抜けて進んでいくと、やがてブルドーザによって削られた火山砂の登り道となり、すぐに河口湖五合目からの道と合流したのであった。
ここからの道はしっかり整備されており、 もはや登山道というよりは林道といった方が良く、 そしてその上を多くの人が歩いている。
特に目立つのは外人、それも白人で、 皆 一所懸命登っている。 彼らにとってこの富士山はどういう存在なのであろうか。 日本の最高峰 富士山に登ったということが、 何か大きな意味を持つのであろうか。 恐らく日本人が外国に行っても、 その国の最高峰に登りたいとは思わないであろうが (無論、高過ぎる山が多くて物理的に無理かもしれないが)、 日本の富士山はやはり特別なのであろうか。 一種の富士山信仰と言っても良いかも知れず、 その証拠に、外国人のほとんどはその手に金剛杖を持ち、 各山小屋で焼印を押してもらっている。 何か本当に不思議な気がする。この頃になると完全にガスの中で上方は何も見えない。 これはまずいかなと思っていると、 案の定、ポツリポツリと来始め、 ついには本格的な雨に変わってしまったのであった。
これはついていない。 折角のお鉢巡りもダメだろうという気がして、 途端に登高意欲が失せ始め、 やるせない、投げ出してしまいたいという気持ちが強くなり、 このまま頂上を踏まずに下山しようという 邪悪な考えが頭に強く湧いてきたのであった。とはいえ、道の途中でクルリと引き返すのも格好悪い訳で、次の山小屋で休んでから戻ろうと決め、雨具は着ずに傘をさしながら登り続けたのであったが、 意外に次の山小屋は遠い。 あまり意欲が湧かないまま登り続け、 ようやく辿り着いた山小屋の入り口を見ると、 「七合目」 と書いてあるではないか。 私はここはてっきり六合目と思っていたものだから (それにしては五合目との間隔が長いとは思ったのだが・・・) これは嬉しい誤算で、 何だか得をした気になり、 ここまで来たのなら、登り続けた方が良いかな という気持ちも頭をもたげて来始めたのであった (8時58分)。
それに回りを見ると、 老若男女が苦しい表情を見せながらも一所懸命登っており、 「雨だから気分が滅入ってしまったので途中で下山した」 ということがとても恥ずかしいことのように思えてきたのである。
こうなると、これは登り続けるしかないと思い直すしかない訳で、 傘をしまって雨具の上着だけ着、 再び登り続けることにしたのであった。道は周辺の景色も全く見えず、雨が横殴りに降りる中、岩場の道をただただ黙々と登り続けるだけで、前回のように山小屋毎にポカリスエットを飲むこともせず (涼しく、しかも財布を出すのが面倒な状態であったということもあったのだが・・・)、 山小屋の度に同じ 「合目」 が表示されている状況に結構イライラしながらも 足を進めていったのであった。
並ぶ山小屋に八合目の文字を初めて見たのが 9時55分。 それからもひたすら登り続けたものの、 九合目の文字は見落としたらしく記憶がない。 というよりは高山病の一種であろうか、 この頃になると歩いていながら眠くてたまらず、 足を進めながら 雨を顔に当てて眠気を覚ますという状態であった。そして大鳥居の下を潜り、階段を登りきると、目の前には懐かしい 「富士山頂上浅間大社奥宮」 と刻まれた石碑が現れ、思いの外簡単に頂上の一角に立つことになったのであった。
前回は、八合目からが大変キツく、 九合目の後に九合目半などがあって大変長い距離歩いた気がしたので、 まだまだ頂上は先と思っていたところ、 意外や意外、期待せずに階段を登り切ったら頂上だったという次第で、 これは大変ビックリであった。時刻は 12時ジャスト。 神社前は大勢の人でごった返しており、皆登頂の喜びに浸っている。
本当に途中で引き返さなくて良かった。さて、頂上の一角を踏んだものの、ここで引き返しては前回と同じな訳で、ここからガスと雨の中とは言え、お鉢巡りをせねばならない (12時10分発)。
まずは神社前の人混みを抜け、 ガスの中にうっすらと見えた高みに登ってみた。
高みの頂上には木の鳥居と その下には賽銭箱が置かれていたものの、 ここがどこかは書かれていない。 恐らく大日岳と思われるが、 昔の地図では朝日岳とも書いてあり、 何とも判断がつかない。岩場を下ってお鉢巡りのルートに入り込み、ガスの中を進む。ガスは濃く、雨も横殴り状態で、どこを歩いているのか、また、お鉢の状態がどうなっているのか 全く分からない。
そのうち、先の方に建物らしきものが見えてきた と思ったら、 そこは御殿場口登山道の終着点である銀明水で、 建物は銀明館。 そしてそこから少し進んだところが浅間大社奥宮 (先ほどのは久須志神社) で、 ここには郵便局も設置されていた。 しかし、残念ながら雨も強かったため、 写真を撮ることもままならず、 先へと進むしかないのであった。軽い登りの後、馬の背と呼ばれる緩やかな道が続き、その後短いが結構厳しい登りが待っていた。
急な傾斜に加えて、雨で砂礫の道はぬかるんでいるため滑りやすく、 しかもゆっくり登っているのだが結構息が切れる。 これも3,700mを越えているからであろうか。登り着いた所が富士測候所で、見覚えある白いドームがガスの中にぼんやり浮かんでいた。
富士山の最高点、剣ヶ峯はこの測候所の前にあるはずである。 測候所の階段を登っていくと、 「日本最高峰富士山剣ヶ峯」 と書かれた石柱と、 白ペンキを塗られた石に囲まれた二等三角点、 そしてその横には 『二等三角点「富士山」』 と書かれた石碑が置かれていたのであった (12時44分)。三角点を足で踏み、これでようやく念願達成である。
生憎、雨とガスという悪コンディションであったのは残念であったが、 日本でこれ以上高い所はない場所に今立っている訳で、 これで真の富士登山も終了という訳である。
イヤイヤ、下山するまでは安心してはいけない訳で、 残りのお鉢巡りをガスで全く状況が分からないまま終え、 お鉢巡りの出発点である久須志神社には 13時15分に戻り着いたのであった。後は、一気に下るだけである。
駆けるように山道を下り、途中、調子に乗り過ぎてスピードを出し過ぎ、 八合目手前で足を滑らせて手に擦り傷を負ってしまったものの、 八合目までは順調であった。
ところがここからが失敗で、 八合目からは下山専用道に入り、 ブルドーザ道を下るべき所を、 そのまま登ってきた道に入ってしまったのである。
それでも途中までは問題がなかったものの、 七合目付近からは登りの団体に遭遇し始め、 狭い道ではかなり待たされることとなって 時間をかなりロスしたのであった。これは私の大失敗であったが、それにしてもこの富士山に登ってくる人の多いこと多いこと。 それも先ほど述べたように老いも若きも、そして人種もまちまちで、 これは本当に驚くべきことである。 彼らは、 私が思い描き、そして実践している登山とはやはりどこか異質な感じを受ける訳で、 今回富士山に登った人のうち何人が他の山にも登っているのだろう。 恐らく、富士山だけという人も多いはずで、 それだけ富士の持つ魅力、 富士山に登ったという事実が その人にとって大きな意味を持つことになるのであろう。 富士山を百名山の 1つに過ぎないと思っている私とは 大違いである。
七合目も過ぎるとようやく道も広くなり、またもとのスピードで下れるようになった。それでも団体客が道をかなり占領していて大変である。この時刻では 皆 小屋泊まりであろうが、 全員を収容できるのであろうか などとつい余計なことまで考えてしまう。
もうこの頃になると雨も止み、所々では眼下に山中湖や御正体山、大室山などを見ることができるようになり、少し悔しい思いをする。しかし、上を見るとまだ山頂方面は雲の中、 何故かホッとした気分になるのであった。
登りの際に見過ごした六合目の小屋を過ぎると、すぐに佐藤小屋の方へと道を取らねばならない。
ここで私はまたまたミスをして、 ブルドーザが切り崩した道をドンドン下ってしまったのであった。 本来なら途中から山道に入り、 富士山安全指標センターの前を通るようにしなければいけなかったのであるが、 やはり頭がボーッとしていたのであろうか、 火山砂の道を下り続けたのであった。 それでも途中でおかしいことに気づき、戻ろうとは思ったのだが、 振り返ると砂の登り道は急で登り返す気力が湧かない。
もしかしたらこの道でも良いのではと、 都合の良い考えを持ちながら進むと、 ありがたいことに目の前に佐藤小屋が現れたのであった (15時10分)。 どうやら新しい道を造ろうとしていたようなのであるが、 後から考えるとこのような行為は大変危険である。 反省。佐藤小屋からはもう迷うことなく一気に下る。
滑りやすい石畳を下り、赤土の道も駆け下り、 三合目を通過したのが 15時44分。 クルマを止めてある馬返しに戻り着いたのは 16時6分であった。最高点を踏むという念願は果たしたものの、 雨とガスに祟られ、やや残念な登山であった。 しかし、こういう形もまた登山なり。 これで良しとしたいが、 帰りに山中湖畔を通っていると 湖の向こうに綺麗に富士山のシルエットが見えたのであった。 行きと帰りの車中では完璧な富士山の姿を拝むことができたのに、 登山中は悪コンディションを余儀なくされた訳で、 やや悔しさが残ると言わざるを得ない。
上記登山のデータ | 登山日:2001.07.21 | 天候:晴れ後曇り後雨 | 単独行 | 日帰り |
登山路:馬返し−三合目−佐藤小屋−七合目−八合目−久須志神社−銀明水−浅間大社奥宮−剣ヶ峯−西安河原−久須志神社−八合目−七合目− 六合目−佐藤小屋−三合目−馬返し | ||||
交通往路:瀬谷−八王子IC−(中央高速道)−河口湖IC−中ノ茶屋−馬返し (車にて) | ||||
交通復路馬返し−中ノ茶屋−山中湖−平野−(道志みち)−半原−厚木−(国道246号線)−瀬谷 (車にて) |