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1.おしかくさま 2.四月は少しつめたくて 3.私が誰かわかりますか 4.愛という名の切り札 5.その朝は、あっさりと |
1. | |
「おしかくさま」 ★★ 文藝賞 | |
2014年12月
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離婚でもめたことをきっかけにウツ病、ヒキコモリ。多少良くはなってきたとはいうものの、もう10年間も病院通いが続いているという、ミナミ49歳が主人公。 妹のアサミからの連絡および母親からの依頼で、ある女性宅に入り浸っているらしい元校長の父親の後をつけ、事情を確かめることになります。 しかし、その家にいたのは60〜70代の女性4人。何とその女性たち、“おしかくさま”という神様を信じる集まりなのだとか。父親はどうも彼女たちから“おしかくさまのお遣い”と信じ込まれたらしい。 “おしかくさま”とはお金の神様。彼女たちに言わせると、すべてのお金におしかくさまの霊が宿っているのだという。そしてそのお社は何と銀行のATM。 お金に惑わされては勿論いけませんが、現代社会においてお金が無視できない大事なものであることもこれまた事実。 |
2. | |
「四月は少しつめたくて」 ★★ | |
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大手出版社の女性誌編集部から「月刊現代詩」を刊行する零細出版社に転職した今泉桜子、40歳?。 入院した社長に代わり、もう13年間新しい詩を作っていない大物詩人の藤堂孝雄の元に通いますが、その藤堂は桜子から金を借りてはパチンコ、競馬、キャバクラ通いとのらりくらりとするばかり。果たして桜子は藤堂に詩を書かせることができるのか。それ以前に、藤堂は何故詩を書こうとしないのか。 一方、平凡な専業主婦の清水まひろ。自殺未遂を図った同級生からその原因と名指しされて以来、明るく闊達だった娘のクルミは口を噤んでしまったまま。どうしたら娘と気持ちを通わせることができるのかと、まひろは藤堂が講師を務める詩の作成講座に通い始めます。 詩に関しては素人同然の編集者である今泉桜子、長く詩を書いていない詩人の藤堂孝雄、平凡な主婦の清水まひろ、その3人を主人公にした詩にまつわるストーリィ。 まず桜子が直面する問題は、“詩”とは何なのかということ。その一方、藤堂はまひろを始め講座聴講者たちに対し、“言葉”とは何なのか、と問い掛けます。 現在の若者たちが頻繁に使う「かわいい」「いい感じ」「スゲー」「ヤバイ」といった表面的な言葉に対し、宮沢賢治がその詩で使った言葉には何と深いメッセージや思いが込められていることでしょう。 詩とは何なのか、詩を構成する言葉とは何なのか。言葉は本来、人と人を繋ぐためのものではなかったか。 いろいろ考えさせられますし、哀しい部分があることも否定できないストーリィですが、読後は何故か心洗われたような、すっきりした気分です。 |
「私が誰かわかりますか」 ★★ | |
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「長男の嫁」だからと、実の息子や娘も手を差し伸べようとしない義父母の介護を押し付けられる。 そんな長男の嫁たちの、介護奮闘を巡る群像ストーリィ。 身につまされるなぁ。 介護、他人事ではありません。そして、自分もまたいずれ・・・という思いを常に呼び起こされずにはいられません。 本書の舞台は、九州の片田舎、鳩ノ巣。 田舎だから「長男の嫁」というセリフが腑に落ちます。 自分たちもそうだったから次の世代も、というがんじがらめの閉鎖社会特有の考え方がそこにあるのでしょう。 流石に今、都会生活において「長男の嫁」と言っても、だから何なの?と言われそうです。 でも、都会暮らしであっても親の介護が大きな問題であることは変わりません。 むしろ、子供は都会暮らし、介護が必要になりつつある親は故郷である地方暮らし、というパターンの方が問題は難しいのかもしれません。 結局、できることはする、でも他人の力を借りられることは極力利用する、ということに尽きますが、それでも・・・・。 本作に登場する女性たちは、次のとおり。 ・木暮桃子、53歳。隆行と結婚して東京から鳩ノ巣へ。義母から義父の介護を委ねられます。 ・沢田恭子、美大時からの桃子の友人。義父母の介護中。 ・山崎瞳、地元信組勤め。39歳にて高齢出産したばかり。子育てもままならないのに認知症の義母が同居することに。 ・中村静子、夫は死去したというのに、義父母を介護中。 桃子の姑である涼世の「長男の嫁としての覚悟が足りない」という一言は、強烈です。 でも「長男の嫁の覚悟」っていったい何?と思う処。 読了後思うことは、どうしたら私自身は子供たちに迷惑をかけずにすむだろうか、ということに尽きます。 1.言い出しかねて/2.長男の嫁だから?/3.悪口を言われて/4.わかってないのは誰?/5.それぞれの世間/6.高齢出産のわな/7.やっかいな患者/8.私を呼ばないで/9.付き添いさん/10.延命治療の是非/11.幼な子は天使じゃない/12.貧乏くじ/13.私が誰かわかりますか |
「愛という名の切り札」 ★★ | |
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愛とは何か、結婚とは何か。 2人の対照的な女性を主軸に据えて、その問題を突き詰め続け、止むことがない。容赦なく深く切り込んでいくストーリィは、凄いと言う他ありません。 主人公の一人は影山梓・40歳。作曲家の夫=一輝・50歳を世に出すため、子供を持たない選択をして奮闘、ようやくTV音楽番組のMCとして人気が出て来たところで、夫から離婚を切り出され動揺。一輝を愛しているのに何故?と愛にこだわり続ける。 もう一人の主人公である飯田百合子は、50代後半の専業主婦。定年退職して無職となった夫の秀人を持て余している一方、恋人がいても結婚するつもりはないと主張する娘の香奈の考えが理解できずに戸惑っている。 結婚がすべて愛の正しい形かというと、そうではない筈で、梓の固執には頷けないものがあります。 しかし、納得ができない故に離婚に応じない、という梓の心の動きもまた分かる気がします。 百合子の娘である香奈の結婚観は私にはよく理解できますし、梓と作曲家を目指す大学院生の河野理比人の関わり方も面白い。 新しい家族の形として受け容れて良いものではないかと思うのですが、一方、少子化問題への懸念も抱きます。 最後は決着がつかないまま終わりますが、無理に是非を結論づけないその有り様が、むしろ快く感じられます。 1.おかあさんさあ、結婚してなにかいいことあった? 2.どうして結婚するとしあわせになれると信じていたのだろう、なんの根拠もなく 3.いちばんきれいだったとき、なにをしていましたか? 4.もう一度生き直したいんだ、と彼は言った 5.多く愛した方が負ける。それが結婚というゲームのルールです 6.一人で生きる。それもいい。二人で生きる。それもいい。その二つをかなえるのが新しい結婚になるはずだ |
「その朝は、あっさりと」 ★★ | |
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出版社紹介文に「老衰介護看取り小説」とありましたが、まさに言い得て妙。そのとおりの内容です。 今や親が年取っていけば心配になるのが介護問題。 そして、自分もまた年取っていけば、気にならざるを得ないのが被介護問題。 人間誰しも避けられないのが“死”ですが、今やその前に立ちはだかるのが介護問題といって過言ではないでしょう。 沢田家、父親の恭輔は96歳、10年前に認知症を発し 4年前に転倒して骨折し、自宅での介護。 そのサポートをしてくれるのが“看護小規模多機能型居宅介護(略称:かんたき)”の看護師や介護士たち。 介護となれば必然的な問題がシモの世話。まあ、当然のことなのでしょう。 この沢田家でもそれが一番の難題で、愚痴・ボヤキが絶えませんが、それでも妻=志麻・85歳が一人で介護している訳でなく、独身で同居している長女=洋子もいれば、結婚して千葉在住の次女=素子も神戸の実家まで駆けつけてくれます。しかもこの素子、義父の介護で経験済。 勿論介護は大変ですが、一般的に見てまだ余裕がある方、と感じます。 ストーリーの所々で、小林一茶の句が引用され、一茶の老後も語られますが、それが息抜きともなり、家族の和気藹々とした雰囲気を醸し出していることに、ホッとさせられます。 私たちの今後を予想させる内容であり、その点がお勧めです。 ※なお、私が初めて読んだ介護小説は佐江衆一「黄落」。 同作は本当に老々介護で、壮絶でした。 1.三度目の危篤/2.トイレ地獄/3.先生と呼ばれて/4.みんな先に死んでいく/5.何もできない/6.ついのすみか/7.思い出の中の人/8.この世とのつながり/9.死ぬのにもってこいの日/10.その朝は、あっさりと |