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1.わたしたちに許された特別な時間の終わり 2.ブロッコリー・レボリューション |
●「わたしたちに許された特別な時間の終わり」● ★☆ |
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2010年01月
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よくは判らなかったけれど、不思議な感じの残る2篇を収録。 「三月の5日間」は、夜の六本木でたまたま知り合った男女2人がそのまま渋谷のラブホテルへ入り、途中1度だけ食事するために外へ出たものの後はこもりっきりでセックス、合間に取りとめのない会話を繰り返すというストーリィ。時はちょうど米軍がイラク戦争に踏み切った日。 「わたしの場所の複数」は、家に残っている妻が、バイトとバイトとの合間の早朝にベッカーズでうつぶせになって仮眠をとっている夫のことに思い巡らせるというストーリィ。 三月の5日間/わたしの場所の複数 |
2. | |
「ブロッコリー・レボリューション」 ★★ 三島由紀夫賞 |
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2025年02月
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小説は普通、三人称か、あるいは一人称。二人称もありますが割と珍しい。 冒頭の「楽観的な方のケース」は一人称で語り出されているのですが、すぐ奇妙なことに気づきます。一人称のまま、自分の恋人である相手の、近所のパン屋に関わる行動まで語られているのです。 本来三人称で語られるべきことが、一人称で語られているということ。 するとこの一人称は、神の目線なのでしょうか。そしてその神とは作者なのでしょうか。 小説とは結局、作者が創り出したものに過ぎない、という諧謔を感じてしまう次第。 表題作「ブロッコリー・レボリューション」は二人称で語られます。主人公と同居していた<きみ>は黙って2人の部屋から出ていき、行き先を告げないままタイのバンコクへ。 その<きみ>のバンコクでの日々が、バンコクにいるとは知らない筈の主人公によって二人称で語られる・・・。 これって、妄想なのでしょうか、小説の中での事実なのでしょうか。 本作の面白さは、一人称・二人称・三人称という小説の構造への挑戦にあるように感じられます。 ※二人称で語られるストーリィは少ないのですが、私が忘れられない作品に北村薫「ターン」があります。これは時間の歪みに囚われた主人公に親近感を覚えるための工夫で、本作のような試みとは全く異なるものですが。 楽観的な方のケース/ショッピングモールで過ごせなかった休日/ブレックファスト/黄金期/ブロッコリー・レボリューション |