松家仁之
(まついえ・まさし)作品のページ


1958年東京都生、早稲田大学第一文学部卒。編集者を経て2012年06月長篇小説「火山のふもとにて」を「新潮」に発表し作家デビュー、同作にて第64回読売文学賞、2018年「光の犬」にて第68回芸術選奨文部科学大臣賞・第6回河合隼雄物語賞を受賞。


1.
火山のふもとで

2.沈むフランシス

3.優雅なのかどうか、わからない

4.光の犬

5. 

6.天使も踏むを畏れるところ 

  


     

1.
「火山のふもとで」 ★★★       読売文学賞


火山のふもとで画像

2012年09月
新潮社

(1900円+税)

2025年02月
新潮文庫



2012/10/25



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地味な作風だが評価の高い建築家=村井俊輔(70代半ば)の事務所に運よく入ることができた新人建築士の坂西徹
その村井建築設計事務所では夏になると、留守番役を都内の事務所に残し、浅間山のふもとにある青栗村の山荘に移って仕事をするのが常だった。
折しも事務所は国立現代図書館のコンペ参加を決め、例年にない忙しさ。
主人公にとって何もかも清新なひと夏が、先生の姪である麻里子とのひそかな恋愛と共に静かに進んでいく、というストーリィ。

何よりも魅力なのは、小説を読む喜び、そのストーリィの中に浸る楽しさが豊かに味わえること。
エンターテイメント性もトピック性も一切なく、ただひと夏の仕事を中心とした日々が淡々と書き綴られるだけなのですが、背後の情景、山荘の雰囲気といい、ディテールの全てに程よく神経が巡らされているといった確かな心地良さがあります。
その点では最近の小説にあまり感じられない、古典的小説技法のような良さを感じますが、そこには小説を読むという行為そのものを楽しむに足る味わいがあります。

また、本ストーリィは建築設計事務所を舞台にしているだけあって作品そのものにも、彼らが設計する建物のようなきめ細かさ、確かな設計があり、ちょうど建物の周りをぐるっと回って初めてその建物の美しさを実感するような素晴らしさを感じます。
なお、麻里子との恋愛も程よく抑制が効いていて快い。

本作品がデビュー作というのは全くの驚き。小説を読む楽しさをじっくり味わいたいという方に、是非お薦めしたい逸品です。

    

2.
「沈むフランシス」 ★★


沈むフランシス画像

2013年09月
新潮社
(1400円+税)

2025年03月
新潮文庫



2013/10/30



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北海道を舞台にした男女の恋愛ストーリィ。
主人公の
撫養(むよう)桂子は35歳、東京の会社を辞めこの北海道の安地内村にやってきた。仕事は非正規雇用の郵便局配達員。
その桂子が配達先として出会い恋仲(?)となったのは、川のほとりに立つ木造小屋で一人暮らす
寺富野和彦
寺富野は桂子に、自分がこれまで録音してきた世界中の様々な音を聴かせます。
そして幾度となく登場人物をして、この安地内村の太古時代の風景、森が生い茂った景色へと思いを馳せられます。

桂子の配達先のひとつである老女は、他所からこの地にやってきた桂子のことを旅人といい、旅人であるからこそ好きなように行動することができると語ります。
桂子も寺富野もこの地では所詮、他所から一時的にやってきた旅人に過ぎないとも言えますし、太古から連なる悠久の時間から見れば、また広い世界の中の一部として見れば、桂子と寺富野など些細な存在に過ぎないと見えます。
そんな時間軸、空間軸の中での、北海道の大地を舞台に一時出会った男女の恋物語。そう思えば、他人の噂話など些少のことに過ぎないでしょう。

どうというストーリィとも言えないながら、ストーリィ全体を通じてかもし出される空気が快く、北海道の自然を噛みしめるような味わいがあります。そんなところは火山のふもとでに共通しています。
※表題の「フランシス」とは何か。表紙の犬の写真と関係があるのか。それは読んでのお楽しみ、
意外や意外です。

         

3.
「優雅なのかどうか、わからない」 ★★☆


優雅なのかどうか、わからない画像

2014年08月
マガジンハウス
(1600円+税)



2014/10/29



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主人公の岡田匡は40代後半、出版社勤務。妻と離婚し、井の頭公園近くの一軒家を借りて一人暮らしを始めます。
持ち主は米国に住む息子の元に引っ越したため鷹揚、さっそく主人公は自分にとって居心地の良い住まいへと改修を始めます。
会社の上司曰く、独身、収入面に不安なく、息子も米国で独り立ちしていて何の心配もいらない、
「これを優雅と言わずしてなんと言う」と言われますが、果たしてそうなのかどうか。

奇しくも主人公、一年前に別れた元恋人の
菅原佳奈と偶然に再会します。何と佳奈、主人公が住む借家から僅か5分程度の距離のところに、故郷から呼び寄せた父親と借家住まいを始めたばかりという。
しかし、その佳奈に父親の痴呆、介護問題が発生。佳奈は何かと主人公を頼るようになるのですが・・・・。

気遣う同居人もおらず、キッチン、書棚と住まいは自分の好みに合わせて居心地の良い家に整いつつある、そんな整然とした暮らしが語られる辺り、とても心地良いものがあります。
元恋人との関係も元通りになれば言うことはないのでしょうけれど、それは中々進まない。そう何もかもうまくいったらいくら小説といっても鼻白むところですが、どろどろした雰囲気は一切なく、この先どうなるのか、少々ミステリアスなところがむしろ楽しいくらいです。

端正な文章が何よりも魅力的。この文章に触れているだけで楽しい、嬉しい気分に浸ることができます。
主人公の生活は、題名にあるとおり「優雅なのかどうか」? 
最初こそ意味が判らないと思った題名も、その問い掛けを紐解いていくような展開に、最後はその意味が得心できます。
<読書>という遊びを心から楽しめる味わいをもった一冊、お薦めです。

            

4.

「光の犬 ★★☆         河合隼雄物語賞


光の犬

2017年10月
新潮社

(2000円+税)

2025年04月
新潮文庫



2017/11/25



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北海道の田舎町=枝留(えだる)町に住むある家族を、三代 100年に亘って描いた物語。
ストーリィは50代になった
添島始が、老いた両親と三人の叔母たちの面倒を見るため、大学を退職し妻と別居して、ひとり故郷に帰ろうとするところから始まります。
そこから回想と、家族一人一人の人生ドラマを以て描かれる力作長編。

・信州の追分に生まれ、助産婦となり枝留にやって来て助産院を開き、孫の歩を取り上げる最後まで現役だった
祖母=よね
・戦前に隆盛を極めた薄荷工場の役員だった
祖父=眞蔵
・渓流釣りと北海道犬が趣味、生真面目だった
父=眞二郎
・義姉妹に見下されつつ専業主婦として生きた
母=登代子
・幼馴染の牧師の息子=一惟(いちい)と高校時代に恋仲となりながらも枝留を出て広い世界へと乗り出し、研究者の道を歩んだ
長女=歩
・レコードから音楽に没頭したまま成長しながらも、結局は大学で研究者の道を進んだ
長男=始
・夫婦に隣接する一軒家に住み続けた
三人の叔母たち=一枝・恵美子・智世
・親が押し付ける牧師の道に反抗し家をでたものの、最後はそこへ戻る
工藤一惟

ストーリィは時代を追って順次描かれるのではなく、家族ひとりひとりの人生ドラマを不規則に描いていきます。
しかし、それがかえって一人一人の人生と、その生きた重みを感じさせる作りになっています。
題名は「光の犬」で、さも犬が重要な役割を果たすように思われますが、本書に登場する、添島家の飼い犬で四代に亘る
北海道犬(初代イヨ、二代目エス、三代目ジロ、四代目ハル)は、ただそこにいる、というだけの存在。でもその北海道犬たちが添島一家に何かしらの安定を与えているのは紛れもない事実。

広大な北海道という土地、その土地で生きる家族の傍らに北海道犬が寄り添う姿は、至極当然の光景のように思えます。

※本作からは、スコットランドから移住したカナダで生きる人々の姿を多く描いた
アリステア・マクラウド作品を思い起こさせられます。「生きる」という重みを描いた点で、両者の作品には共通するところがあると思います。

     

5.

「 泡(あわ)  ★★


泡

2021年04月
集英社

(1500円+税)



2021/04/28



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高校2年になって学校へ行けなくなった
夏休み、その薫が選んだのは、東京から遠く離れた
砂里浜でジャズ喫茶を営む大叔父=佐内兼定の下で過ごすこと。
(※薫の両親は共に教師。砂里浜は温泉と海水浴の町)

その兼定は、薫の祖父を長兄とする9人兄弟の六男で末っ子。敗戦後シベリアで5年に亘る虜囚生活を送った後ようやく帰国し得たものの、長兄たちに受け入れを拒絶されたという傷を持つ。
兼定の店で働く
岡田重和は、ふらりと現れて居着いた人物、どのような過去が持つのかは全く不明。

そんな3人が一つ所に集まり、ひと夏を過ごす、青春風景。
薫だけでなく、兼定、そして岡田がそれぞれ抱えているものも、それとなく語られます。

人によって違いはあるのでしょうけれど、薫が学校で感じた息苦しさには共感できるところがあります。
自分を一つ形に押し込めようとする圧力から解放されたひと夏。
薫からは、息苦しさから逃れ、伸び伸びと息をすることができるようになった解放感を感じます。

夏が終わり帰京する薫の背に対し、短いながらもここ砂里浜の日々で見つけた自身の力を信じ、薫が新たな道に踏み出すことを祈る思いです。

        

6.

「天使も踏むを畏れるところ Where angels fear to tread ★★★   


天使も踏むを畏れるところ

2025年03月
新潮社

上下
(各2700円+税)



2025/04/28



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戦災で焼失した<明治宮殿>、それをそのまま放置しておく訳にはいかないと戦後、宮内庁を中心として皇居に<新宮殿>造営の計画が進みます。
本作は、その新宮殿造営に関わった多くの人々、そして戦後「国民統合の象徴」となった天皇家、戦後の歩み、有り様まで、さらに戦後日本社会の変遷までを含んだ、新宮殿造営を巡る物語。

事象的には新宮殿造営を巡る物語ですが、その真髄としては、国民と天皇家の関係はどうあるべきか、という問題を語った物語と言えます。
新宮殿はどうあるべきか。それはそのまま、天皇が国民に対してあろうとする姿を反映するものでなければならない。

それを実現しようとするのが、宮内庁から設計の委嘱を受けた
建築家の村井俊輔。デビュー作火山のふもとでに登場する建築家です。
松家さん曰く、元々はひとつの物語として構想したのだそうですが、それぞれ単独の作品となった由。村井俊輔という共通の登場人物から、本作は「火山のふもと」の前日譚とのこと。

昭和天皇、香淳皇后、明仁皇太子、美智子妃殿下(共に当時)等々の皇族が実名で登場する他、入江相政侍従、小泉信三、東山魁夷という実在の人物だろうと思われる西尾、小山内、山口を始めとして、実に数多くの多彩な人物が登場します。
また、 面白さを出そうと思えば憎まれ役も当然ながら登場してくる訳で、自意識過剰で独裁的に振る舞い、権力欲と出世欲を露骨に表す
官吏=牧野脩一という問題人物も登場。
その点から本作は群像劇ともなっています。なお、登場人物の言動はあくまでフィクション、とのこと。

ストーリーは、建築家の
村井俊輔、侍従の西尾滋成、新宮殿造営のため建設省から宮内庁に出向した杉浦恭彦、園芸家の藤沢衣子という4人の視点から語られます。
それにしても、新宮殿だけのことでなく、皇居内に残る武蔵野の自然のことや、当時の社会情勢、歴史的な出来事、そして美智子妃殿下の辛苦についても多く語られます。

最後まで読み終えて浮かび上がって来るものは、変えようとする人々と、変えさせまいとする人々との対立です。
変えられないと思い込むこと程愚かなことはない。それは、私自身、会社員として何度も味わってきた思いです。
その対立は新宮殿の造営において鮮明となって行きますし、美智子妃殿下の辛苦も要はそこに同じ原因があったと思われます。
前向きな変化が必要と考える側と、何も変えるべきではないと固執する側の対立、それは現在でも選択的夫婦別姓制度、同性婚問題、さらには女性宮家創設、女系天皇容認問題にも通じること。

新宮殿造営に留まらず、それをひとつの象徴事象として描いた歴史巨篇と言うに相応しい、深い読み応えを備えた逸品。
是非お薦めです。

※なお、新宮殿の映像を見ると、玄関ホールのシャンデリアはそれ単独で存在を誇張し過ぎではないかと感じます。
村井俊輔が構想した、シャンデリアの無い、日本的な奥深い景色を見てみたかった、と思います。

     


  

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