今朝、富山に帰ってきました。9月はほとんど富山にいませんでし た。そのためにお返事が遅れてすみません。 私の記憶はあまり信頼できるものではないのですが、Kenさんとお 目にかかったのは、中村雄二郎先生の哲学アゴラの場だったでしょ うか。 私の提案した「概念を使わない議論」に賛同してくださった方では なかったでしょうか。 私は概念というものを、危ないものだと思っています。だから、 できるだけ使わないようにしていますし、使うときも定義をきちん としてから使いたいと思っています。 でも、なかなか思うようにはいかないものですね。 得丸久文 ============================== 岩波書店のHPを覗いてみましたが、すでに中村雄二郎先生のインタ ーネット哲学アゴラは閉じているのですね。 私がインターネットに興味をもったのは、毎日新聞で哲学アゴラを 紹介した記事を読んだからでした。 私なりに礼を尽くして、中村先生に質問を差し上げたのですが、と うとう一度もお返事をいただくことなく終わってしまいました。 ちょっと物足りなかったです。出版された本の中で、「宗教」と「 哲学」には、たしか私のお送りしたコメントも掲載されています。 それは対話にはなっていませんし、中村先生のコメントもいただけ ませんでした。 でもこの国際戦略コラムが、さまざまな方との討論の場として機能 しているので、やはりインターネットをしていてよかったと思いま す。 で、哲学アゴラの時に思ったのは、いかにして概念を使わないで議 論をするかということです。 アゴタ・クリストフの「悪童日記」に出てくる真実のルールにした がって(5は私なりの解釈ですが)、 1 自分が見たこと 2 自分が聞いたこと 3 自分がしたこと 4 そこにあるもの 5 自分が感動したこと に限って語る、というのが私の原則です。(つねにそれが守られて いるわけではないのは、お恥ずかしいかぎりですが) これからもできるだけこの原則にしたがっていこうと思います。 よろしくお願いします。 得丸久文 ============================== 得丸です。 福岡からお送りしたメールの要点だけ整理しました。 要するに、魏志倭人伝であろうと史記であろうと司馬遼太郎であろ うと国際戦略コラムのMLだろうと掲示板だろうと、「書いたもの」 という点においては、等価ではないかということです。 書くという行為は、鉛筆なり筆なり筆記用具さえあれば(あるいは パソコン)、誰にでもできるものです。 こうやってできあがった「書かれた」もののうち、何を信じて何を 信じないのか、どうして一部を信じて一部は信じないのか、その基 準は私たちの意識の中にあるのです。 その基準を疑え、ということをSHUNさんに言いたかったのです。 別の言葉を使えば、書いたものはすべて概念です。その実在性につ いては、保証のかぎりではありません。 もちろん、これは私が書くことであっても同じです。 で、私たちは、何を信じて、コミュニケーションをするのか、とい うことが問われるのです。 得丸久文(思想道場 鷹揚の会、立山止観の会)