教育産業の荒廃が叫ばれている。この解決は江戸時代の寺子屋や私 塾に見るしかない。 Fより 寺子屋のできた時代背景がある。江戸時代は兵農分離で、武士が城 下町に住んで、農村には居なかった。このため、村は自治的な能力 を求められるし、村は藩から年貢村請制で、村の庄屋などの村役人 が、年貢の割付や上からのご法度の伝達、気候不順時の年貢割引な どの交渉などを行う必要が出て、高度な文書処理や計算能力を必要 としていた。 また、江戸時代の中ごろになると、商品経済が発展して商品作物を 耕作することになるが、その経営には計算能力が必要になる。 町の商人は村以上に文書能力や計算能力を必要にしていたために、 自然発生的に読み、書き、そろばんを教える寺子屋がでてきた。 江戸時代の最盛期には全国で1万5千以上も存在した。就学率は江 戸府内で、70%から80%とこの当時英国ロンドンの就学率20 %と比べるとかなり高率になっている。明治初期に英国人が来て、 驚いたのは、この識字率であったようだ。 就学年齢は8・9歳で2年半程度で卒業したが、個人教育でそれぞ れにあった教科書を利用した。商家の子供には「商家往来」という 教科書で商人の心得を教材に使って文字や文章を教えたし、農家の 子供には「百姓往来」という教科書で、農民に必要な知識を教材に 使っていた。一人一人にあったカリキュラムが組まれた。教える内 容も“知識”ではなく、必要な“智恵”を授けることに主眼を置い ていたことも、現代と違う。 レベルの違う子供たちが自分に必要と思うことを主に、子ども自身 が学んだようである。このため、寺子屋の図を見ると、机の向きは バラバラになっている。 現在でも良い教師とは、子供自身に考えさせる教育だと言われてい る。この最初の実践者は江戸の寺子屋の師匠なのでしょうね。 この寺子屋が終わると、10人に1人は私塾に通ったようである。 私塾にもいろいろある。江戸時代は朱子学が盛んであるが、商人た ちから出た思想である石田心学などは、全国に普及した。この心学 は禁欲的・合理的な労働が神に通じる道であり、道徳原理を経済原 理の実践に結びつけた。この教えから二ノ宮尊徳の「仕法」が出て くる。 この心学が農村、商人に大受けし、日本の資本主義を裏で支えた。 この心学の精神が現在、衰えてライフドラなどの事件を起こしてい ると思う。神道精神から出てくる心学のような精神をもう一度、取 り戻す必要があるのでしょうね。 そして、このような精神を基にした学校が新しいビジネスとして浮 かぶ上がるのです。既存宗教は破綻しているし、学校は荒廃してい る。チャンスがある。