我思う故に我過つ ー 地球環境問題と自我の滅却 得丸久文 ・ 地球環境問題は人口問題 地球環境問題とは、人口問題である。 というだけで、すぐに反発がくる。「それは先進国の言い分であ って、発展途上国の立場を考えていない。先進国の高い生活水準と 資源消費こそが問題であり、発展途上国はまだまだ貧しいから、ひ とまず豊かにならなければならないのだ」と。 この論法は、先進国の物質あふれる生活にあこがれる発展途上国 の人間というよりも、むしろ、今自分が手にしている物質あふれる 生活を手放したくないという先進国の人間のこずるい考えといえる のではないだろうか。 地球環境問題が、人口問題であるということへの反発は根強い。 「私はそうは思わない。地球上は、90億人まで養う能力がある」と 言ったのは、ある著名な第三世界派の女性エコノミストだった。 90億人を養うときには、地球上のすべての資源は人類が独り占め することになるだろう。今もすでにそうなりつつある。野生生物は 生息地を奪われ、環境汚染によって子供が生まれなくなり、絶滅し ている。地球上に億単位で住む動物は、人間と、人間のえさになる ウシやブタやニワトリ、ヒツジくらいしかいない。 「人口爆弾」という本を書いたスタンフォード大学のポール・エ ーリック教授は、I=PATという式を提示した。環境破壊インパクト (Impact)は、人口(Population)、豊かさ(Affluence)、技術(Technology) のそれぞれに正比例する。 100年前にくらべると、人口は4倍、豊かさは5倍くらいか。それに 石油化学製品や遺伝子組替え生物や、自動車や航空機、ブルドーザ ーやパワーショベルなどなどが登場した。 おそらく人類の環境破壊インパクトは、100年前の100倍を下らな いと思われる。 この式を見れば、地球環境問題は、人口問題(と豊かさと技術の問 題)であることは一目瞭然のはずだ。 この単純な式から目を背けるのか。 そう、背けているのである。 「私は、そうは思わない」と目を背けて、安逸な生活に戻るのだ。 ・ とてつもなく小さな縮尺のもたらす錯覚 なにごとにつけても、「私はそうは思わない」という人がいる。 地球温暖化でも、化学洗剤の使用でも、原子力発電所の環境に与 える悪影響でも、、、。 自分の安逸な生活を改めることを求められたり、何か具体的な行 動を求められたりすると、「私はそうは思いませんから」と逃げる。 あなたがそう思おうと思うまいと、現実は変わらないのに。そう 思わないあなたが間違っているのに。 この30年、環境が悪くなってきていることに気づかないのか。 地球環境問題が人類に自覚されないのは、ひとりひとりの人間に とっては、地球はとてつもなく大きく広いことだ。そして、同時に 、60億人という数の重さが実感し難しいことだ。6に0が9個ついてい る。0が9個並ぶという指数的なインパクトは、実感しづらい。 だから、あなたがそう思わないのは、しかたない。 だが、あなたはそう思わないとしても、地球環境問題は深刻であ り、人類はその生活のあり方を今すぐにでも改めなければならない ところに来ているのだということは理解してほしい。 近代的自我というものに毒されて、人類は破滅への道を一直線に 進んでいる。 このやっかいな自我というものの害毒から逃れるには、いったい どうすればいいのだろうか。 (2003.01.23) ============================== そして、問題は、ひとりひとりの人間にとっては、地球は無限に 大きいため、60億人が起こしている地球環境問題の深刻さを、生 身の人間が認識できないところにある。地球環境問題をわがことと して実感するためには、1:6,000,000,000 という対比を実感する 想像力が必要とされる。一人と10人、100人の違いくらいなら 、ある程度の想像力でまにあうだろうが、それがさらに100万倍 以上の60億のインパクトを想像するとなると、ほとんど不可能で ある。 1対60億・・・・・想像ちょっと出来ません。申し訳ありません。 1人の人間は、地球全体、宇宙を背負っていると言われたら分かる かもしれません。 人間は、無垢な状態で生まれてくるのであり、地球環境問題とい う状況に対応する文化をもっていないことが問題なのだ。地球環境 問題は、生身の人間には実感できないところが問題なのだ。我欲が 無垢で生まれて来るのでしょうか。勿論、心は無垢でしょう。 しかし、身体は、公害、薬害によって、先天性の異常で生まれる赤 ちゃんが少なからずいるのじゃないでしょうか。臓器移植で対応し ていますが、環境問題としての公害(食品汚染、添加物も含む)、 薬害を人類が自身の問題として、対応すべきではないでしょうか。 地球環境の危機を教育や宣伝によって無理やりにでもわからせる こと。わからない人間がいても、絶対に環境悪化につながる行動を 取らせないために、厳重に処罰するシステムを作りだすこと。宗教 的規範に類した絶対的な規範によって、有無を言わせず、有害な行 動を抑制すること。 厳罰も1手段かもしれませんが、やはり個人が自覚できること、 環境教育が大事です。今の教育は、環境問題に真剣に取り組んでい ません。そして大人にも環境教育を施される方法を考えて行くべき です。 今の政治家は、存在そのものが環境破壊です。 雲水は環境について、自覚しなくても、存在そのものが自然環境保 護なのでしょう。 國井明子