お経と憲法 文明の周辺に位置付けられている日本においては、お経とは「な んだか意味がよくわからないもの」、「あえて意味を問わないもの 」の代名詞であった。 海外からもたらされてものは、なんだかわからないけれどありが たいと神棚に飾っておく。あえてそこに書かれていることの中味は 確かめない。日本国憲法もそのような扱われ方をしてきたのではな いか。 1 色即是空 10月に中国・寧波の天童寺を訪れたとき、お経は中国人にとっ ては母国語で書かれた文章であるということに気づいた。お経が チンプンカンプンなのは日本人にとってだけであって、中国人に とってはそれほど縁遠いものではないのかもしれない。 昨年、道元の著作をいつくか読み(「正法眼蔵随聞記」、「寺田 透訳 道元和尚広録」)、福井の永平寺、横浜の総持寺で参禅する 経験を得た。 そのときに、般若心経の「色即是空」にいう空とは、時間、ある いは時間の最小変化量冲ではないかと思った。 「色即是空、空即 是色」は、「空間は時間であり、時間は空間となる。」といった意 味になる。 一般の般若心経の解説書においては、「空とは存在しないこと」 といった説明が多い。色即是空空即是色を「存在するものは、存在 しない。存在しないものが存在する」と説明されても、いまひとつ ピンとこないと思っていた。どうしてみんなこんな説明を受け入れ ることができるのだろうかと不思議な思いでいたのだ。 今年になって、西原克成先生の「内臓が生みだす心」、「生物は 重力が進化させた」などの一連の著作を読んだところ、そこでは「 空とはエネルギー(生命エネルギー)」であると説明されていた。 色即是空空即是色は、物質はエネルギーになり、エネルギーは物 質を生む、というエネルギー保存の法則になるのだという。大栗道 栄「願いがかなう般若心経」(講談社+α新書)でも、同じ説明が されている。現役の和尚さんも西原説に従っているところがすごい。 実際に空を生命エネルギーとしてとらえるこちらの説明のほうが 、すっきりとしていていい説明だと思う。私はこの明快な説明に出 会えたこと自体がうれしかったが、それ以上に、お経に具体的な意 味を求める人たちに出会ったことが、うれしかった。 日本は、中国語のお経を海の向こうから輸入していたので、深く 意味を求めない体質ができているのではないか。それは現代におい て、海外の思想の流行を表面的にだけ受け入れる体質として引き継 がれている。 「まるでお経だ」とは、「なんだかさっぱり意味がわからない」 という意味で使われる。私たちは日々生活をしているときも、契約 書や請求書の中味を吟味することなく、めくら判を押すことが多い 。社会が安定しているときには、それで実害は多くないかもしれな いが、社会構造や経済システムが変革しているときには、大きな 混乱を招きかねない。 2 日本国憲法を生きることはできるか 輸入ものの思想や哲学が、しばしば流行り言葉や記号としての言 葉だけの流通にとどまり、それぞれの思想の中味や日本における その思想の適用可能性といった具体論に立ち入らないのも、私たち の海外の思想や哲学の受容の仕方が、お経にならっているからでは ないか。日本国憲法をめぐる議論が、しばしば混迷し、不毛に終わ ることのひとつの原因もこのあたりにある。 日本国憲法を改憲する立場の人たちも、護憲する立場の人たちも 、そもそも日本国憲法とは何をせよと言っているのか、約100条 の条文には具体的にどんなことが書かれていて、それらのどこが妥 当で、どこが不適切なのかといった議論が行われてこなかったよう に思う。 護憲派であろうと改憲派であろうと、実際は似たような生活をし ているわけで、日常生活のレベルに落とし込めば、考え方の違いは ほとんどない。思想の違いを議論すること自体、意味がないのかも しれない。 たとえば日本国憲法を、具体的な日々の生活のレベルに落とし込 んで説明することはできるのだろうか。日本国憲法というコード( 法)を、抽象概念を排してできるだけ具体的な言葉で書き直すこと はできるのだろうか。 憲法条文の言葉にこだわるとか溺れるにも至らない。内容以前の 問題として、条文の言葉の意味を探らない、意味を求めないという 日本人の体質が、今日の憲法論議の不毛さ、政界や思想界の混迷を いっそう深刻にしている気がする。 (得丸久文、2002.12.07) ============================== 夢ひろがるまち大宮 市報おおみや No.1 得丸@東京です。 昨日、大宮のソニックシティーで開かれた「ヨハネスブルグサミッ ト報告会イン埼玉」に参加するために大宮に行きました。 報告会は、参加者30名のうち主催者側が6,7人、主催者のひと りが講義をしている日本工業大学の学生が「試験に出るから」と なかば強制で参加していたのが15,6人、ほかに別の主催者の学 生・院生が2,3人と、一般の参加者は3,4人というさびしいも のでした。 ヨハネスブルグサミットが惨憺たる結果であったこと、それに参加 したNGOが会計報告もまともにできないほどのひどい状況であること も問題ですが、一般市民が地球環境問題に無関心であることも問題 かもしれません。 ソニックシティーの前でチラシを配っていたのでもらったら、浅山 さんが問題にしていた旧大宮市の区名問題でした。「夢ひろがるま ち大宮 市報おおみやNo.1」というのを市民がばらまくのは何か変 だなと感じたのですが、そうか市名は「さいたま」だから市報おお みやを市民が使っても問題にはならないのかと、後で納得。 「私たちの故郷はやっぱり大宮! 新しい「ふるさと」のおしつけ はゴメンです」 「許せません! 住民無視の大宮4分割 旧大宮市はすべての地域 を『大宮区』に!」 というスローガン。 http://geocities.co.jp/WallStreet-Stock/9297/ 市の名前なんて単なる概念。もっと大切なのは、そこがやすらぎを 与えてくれるか、緑豊かか、人々が助け合って生きているか、とい ったことだと思うのですが。 大宮の区名問題を超えた、市民生活や環境に関する話に発展したり すると面白いのだけど。 サミット報告会への参加者が3,4人というこだわりのない数字と 、区名へのこだわりのアンバランスをどう受け止めればいいのかな と、思いました。