仏教は、人間が仏になるための宗教であり、ブッダも元は人間であ った。このブッタに続けという宗教で、ブッダの教えに従うと人間 が仏になると教える。 これに対して、キリスト教は、キリスト自身は人間であるが、キリ ストは元々と神であり、人間界に来ていただけで、人間と神は、ま るで違うのであるから、人間は神の教えに従い、死んだら天国に行 けるように、神を慕いなさいという教えで、人間が修行しても神に なることは、できない。 神と人間は、もともと違う。このため、キリスト教の文化では、人 間の心理を極めることはできない。このため、人間復活のルネサン ス以降にしか、心理学が出てこない。 弟子丸禅師は、フランスのキリスト教の修道院で禅を広めたが、こ の禅の目的は、神を近くに感じるために必要とした。それまでは、 修道院でも修行方法が明確化されていなかったのである。 仏教とキリスト教を比較すると、その違いは明確である。 キリスト教では、人間は神から与えられた運命を変えることができ ない。このため、「神の御意のままに」とか「気にしない」とか 「しょうがない」とか、神の絶対的な世界からの指令を、人間はた だ、受けるだけとなる。人間は「相対の世界」に生きているのであ るから、神の向こうの世界のことを、あまりあくせくと気にしない ということになる。 仏教は人が仏になれるということは、全てを自分で責任を持って仏 になることが重要で、自分の責任が重大になる。全ての責任は自分 にある。このため、最善を尽くすことが求められている。 このために修行が必要であり、八正道が必要であり、縁起で物事が 起こるから、縁起の原則を知って、生きていかなければならないと なる。 この際立つのが日本人ということのようである。