<「村社会」とは、何なのか>、ということで、この論をはじめた い。 例えば、「原子力村」などという言葉がキーワールドになる。 このとき「村」という概念は、利益共同体と運命共同体の複合とし て認識されている。政治家が自分の 派閥(おしゃれにグループとい ったりもするが)を「ムラ」と呼ぶ。 それ以上に、省庁は自分の縄張りを「ムラ」と認識する。 そう、「ムラ」こそが、日本の根底的な<秩序共同体>の名前であ るんじゃな。経団連もまた、<業界秩序の維持>という意味で、村 の典型であろう。 「ムラ」は、良き煮付け(ぷぷぷ)悪しき煮付け(うーん?0?)日 本の社会構造の根底にある。(そういう社会学者の主張はちゃんと してあるが名前は忘れた。。。。はは、もうボケまで再短距離かな^?^) 「政治とは正義をなす」なんて、思っている人がいたら、それは間 違いである。と言っておこうかなぉ。 「政治」とは、<利害>関係の調整(ぶちゃけて言えば闘争)であ り、その<決定権>=権力を巡る争いであるというのがその正体で あり、それ以上でもそれ以下でもない。 ある意味で、弱く貧しい人への分配が多いいか、自由に強い人が多 く受け取るかに明確な基準はない。どちらかに{正義}があるとい うものでもない。(米共和党がいうようにタックスペーヤーとイタ ーの分配のもんだいは、哲学的な違いであるが、同時に立場の違い でもある。) それらを選択するのは、政治上では、<力学>であり、もしくは、 <倫理学>の問題である。 経済学では資本主義を根底におけば、強いモノがより受け取るモノ が多いというのが正しい。(また導かれる帰結は弱肉強食でこれを 受けいれられないのは歴史的に変であろう。 しかし、ある秩序を維持することができれば、殲滅よりもつごうが いい。下位からのエネルギーを吸収できるからじゃ。しかし、自己 の秩序=支配権を脅かすものについては、つねにおこたりはない。 歴史的には物理的暴力=戦力が支配したが、それを物理性から、 金(かね)に転換したのが、資本主義である。 物理性の世界では、常に生命に直結していた<ちから>は、情報( 金=かね)にその力を譲っていく・ さて、「村」の話しに帰ろう。 ムラというものも、いい面がたくさんある、相互に互助的であるし 、どこかの水路が壊れれば、ムラ全体に及ぶから、協力=共同とい うメンタリチィが働くからの。つまり人と人との関わり方が濃密で 、そこにコミュニケーション上の価値観が生まれ、同時にそれは閉 鎖的充足を夢見る。 (ただし、ワシをはじめ都市型生活者では、何十年隣りにいる人で も、何も知らないし、知りたいとも思わないこともあるじゃろう。 それより、ネットの中で、心や、意見を述べている人のほうが、分 かる気がしたりする。ウーム(~_~)そうい気になるのは、ただ別のモ ノにはまっているせいか。) そういう意味で「ムラ」というのは、今や、現実の空間的な世界で はなくなっている。 一時期は、「会社」が「ムラ」の役割を果たし、いまでも、その一 部や、官公庁では「ムラ」=<天下りを含めた官僚達の利権と権限 と命令が繋がっていくシステムのままかもしれない。 あるいは、ネットの同じような意見があつまる場所では、気持ちの 「ムラ」が生じているのかもしれない。しかしそこでは利益や運命 は共同しないが、コムニケーションが重んじられ、そこからはじか れた人間が敵意を抱いたりし(昔のところばらいのような)するか もしれない。つまり利害でなく<感情>で自身をたてている。 で、要論はこれからなのじゅが、日本というのは、基本的に「ムラ 」という社会構造をなしておる。(良し悪しではなく現実のおちつ きようとして) それは人間組織を選択にするにあたって、ごちゃごちゃとフルイに かけたすえに、、日本という風土において、それが安定した秩序に なっており、生き延びてきた理由でもあるともいえる。(こういえ ば、論理や理性や工学的な識観からは、合理的でないと思われるで あろう) しかし、人間は決して理性的でもなく合理的でもない。「情動」が 根底にある。大地のように、ワシには理性はその上に建てられた建 造物のようにしかおもえない。 友人と論議になるが、彼は、人は理性的であるという、。。。。 ムーーーーン、まさに近代主義の教科書のような見方じゃ。 で、「ムラ」にとって、一大事なのは、<開国>である。 自分達の価値観や秩序利益共同体が効かなくなる。 歴史的にみれば、おもしろい。 国内秩序は守りたいだけど外の大きな潮流には逆らえない。だから {出島}があって、「ムラ=国の秩序」への影響を最小限にしたか った。 しかし、潮流は世界(の社会)を運動させる。 今でも、ムラを出て、成功した人々を「世界で通用した」と褒め称 える。(大リーグのイチローとか)しかし、同時に日本でブイブイ いわせても、世界では通用してないことも実は知っている。(いろ んな条件とか、特に語学とかのハンデがあって) では、生きていく道を示そう。 「ムラ」の枠にこだわる限り、日本人はおくれをとってしまうじゃ ろう。地球上すべてを視野にいれなくてはなるまい。 そのうえで、日本という、地理的、歴史的、風土的、社会的な強み と弱さを勘案しながら生きるべきじゃろう。 そこから、どんな個人が生まれるのか、そして、どんな日本が再生 するのか。。。 今地が、プルートーに覆われる時、その闇の中から、再生の鳥がコ コの歌声を上げる。 秘学は常に<死と再生>のはざまの秘密に関して述べてきた。 まさに、死(という灰)が覆う時、それを苗床にして、再生可能エ ネルギーが生まれようとしていると思えるのじゃ。 虚風老