一隅を照らす 國井 菅総理の「最小不幸社会」の言葉を耳にした時、最澄の「一隅を照らす」 の言葉が脳裏に蘇った。 「一隅」は、決して、社会の一部分ではなかろう。生きとし生きるものの生 活の場、生活基盤であろう。「一隅を照らす」、この言葉には、生きとし生き るものの営み、苦しみ、悲しみ、喜びを見て下さっているように思える。 それに比して、現代の政治家達は、票集めと金集め、利権あさりで終始 している。国民生活と遊離してしまっている。 そして、のたまう言葉が“国民目線”である。国民としては、最早、返す言 葉もない。 「最小不幸社会」とは、最大多数の人が幸せで暮らしている中で、不幸を 感じて、生きる人がいるということである。こんな悲しいことがあるだろうか。 あの秋葉原事件、この種の事件を起こす人には、多くの幸せな人々の中 で「最小不幸社会」の身の不遇を感じ、未来に希望をも見出すことが出来ず、 自暴自棄に陥るのではないだろうか。 自殺者にも、最小不幸者としての身の虚しさと苦しみ、悲しみを克服するこ との無力さがあるのではなかろうか。 今般の大震災では、全く、的確な対応がとれない。当に政治家としての本 分を営んでこなかった証左である。菅総理を責めるが、一体、今の政治家 に菅に替わり得るものがいるか。皆無である。ポスト菅など何処にも存在し ない。 有言実行内閣、本当に空しく聞こえる。パフォーマンスばかり、今までの パフォーマンス、硫黄島の集骨、お遍路等々、多少の効果は、あったかも しれないが、しかし、事業仕分け、今回の震災で、パフォーマンスはで化け の皮が外れた。有言不実行内閣とでも言っておくにしても、それでも尚、空 しさ、空虚感が満ちてくる。 国民を政治に