re:次の産業革命と覇権の移行。土井からです。 ■政治と経済の結び付き、「ゲイン(P利益=L損失」の考え方について 明治維新の行政府の当初の運営資金が「毛利藩」の資金で賄われたのだ、と古川 古松軒の『東遊雑記』で発見して唸りました(宮本常一(著)『旅人たちの歴史3 :古川古松軒、イザベラ・バード』(未来社:復刻本シリーズ)。また、山口銀行 ホールディングが、広島の「もみじ現行」などを合併できたのかを、教えてくれた のは融資案件の時でした。山口銀行の利益構造は「東京」です、の一言で「長州閥 健在なり、官僚健在なり」、と思いました。(しかし、その裏集団の「統一教会」 「創価学会」も資金が減ってきたようですので、自壊現象が現れているのが、次の 総選挙ではないでしょうか?)。 ---上記の「古川古松軒」の本は、人類最古の職業「娼婦」の目の覚めるような事 実の記録、畿内から西日本では、すでに明治維新の100年前から、身分の固定化が 崩れていた政治・学問の担い手たちの逸話が面白いものでした。 今は「明治維新」以後の「官僚体制」の問題は、上記の「長州」という視点(マッ プ)を見ていないと、分からないことがあります。政治と経済は貸借をとってバラン スする」(副島隆彦)論も、「真実を暴く」と言いながら、批判に終われば、20世 紀的な損得思想(合理主義)に終わるでしょう。いくら、穏健な「合理主義(富永仲 基→小林一三→松下幸之助)と言い換えるだけではなく、アイディア(理念)と実践 論が不足しています。いままのままでは「副島教」です。 21世紀的(超・拝金主義)価値観とは、下記の「メモ」のように「精神病」を癒 すには、地球、人類が滅びることが前提ですが、いかに「延命」させうるかの「産業」 のあり方を描き、マップにして実践するかだと思います。 20世紀的な損得至上主義の「合理主義」がもたらした、昨今の「心の病」による 事件の多発を、懸念されておられることと存じます。産業革命が引き起こした「結核」 にも対比できるのが、時代の速度や報われない仕事などのスピードや、複雑さの混乱度 と、安心な社会の喪失が「こころの病」の原因だと考えています。 現在の社会は、おそらく21世紀の「新しい産業革命」への移行(産業の在り方、安 心・安全な社会の在り方など)が、問われている時だと、私は考えています。その視点 をクリアーにするのは何か?それは『いのち自衛』(自費出版:山田容子)という「理 念」だと思います。 ■「神話の作者」と「気・血(食)・動」とのつながり 神話にはひとつのかたちがあります。第一に、神話を必要としている人物がいるという こと。第二は、そうした人物の近くにいて、神話的人物のことをよく知っている人がいる ということ。この第二の人が神話の作者になります。 第二の人物は、神話の主がどういう人物であり、どういう意向をもっているかというこ とをわりによく知っている。彼は神話の主と同時代の知識的人間であり---宗教性の強い 日本の場合であれば---宗教的人物である。昔でいえば、朝廷つきのエリート知識人です。 そういう人が神話の主のそばにいた。そして神話の主の意向を汲み、さらには自分の考え 方で神話にふさわしい歌謡を選んで、そうして神話をつくってきた。そういうふうにして 神話をつくってきたと思います。(吉本隆明「日本語のゆくえ」) ---(土井注):吉本の言うことは、折口信夫の考えの集約的な発言です。このように、 こういう作者がいて、神話が作られてきた。だが問題は、現在のこの日本には、こうした 神話を作る人物もいないし、そもそもその神話を必要としている人も、もう誰もいないの ではないかという指摘だと思えます。だから現在には、神話は無用のものと考える人ばか りなように思えるのです。しかし、例えば「アイヌ語」や「アイヌ物語(これも一つの神 話)」などの先住民をも視野にいれた「新しい神話」の必要性を感じます。なぜなら、下 記の理由「こころの病」を癒すために、これから必要になってくると思っているからです。 余談ですが、「現代思想」の近刊「吉本隆明特集」のインタビューで、「吉本が霊能者 である」ことを「それとなく」述べていました。驚愕とともに、それなら「彼の思想」が 繋がるし、栗本慎一郎の『シルクロードの経済人類学』で言う、草原の道の「北のシルク ロード」が、北海道、東北を経てきた「日本文化」の基礎をなし「南方ルート」と混ざっ た説にも繋がると、思いました。栗本も「霊能者」の独りです。 吉本隆明は、現在を第2の敗戦=第2次産業革命としてとらえています。 第1次産業革命は、「蒸気機関」の裏には「劣悪な労働環境」による「結核」という問題 ・課題に対して、マルクス・エンゲルスの「人間力=理想」としてのマルクシズムの思想が 生まれたことを位置づけています。(ユダヤ陰謀論だという指摘だけで済ませられないこと、 と考えます)。また、「食」の面での大量生産できた「ジャガイモ」の生産が「第1次産業 革命」を支えたのは有名です。 さらに、第2次産業革命は、高度な産業資本=通信交通の高度化に対応して発生している 「こころの病」を、誰も指摘していないことを上げています。---この問題・課題に対して、 米国は「損得という合理主義」しか対応できないし、中国などの人口大国はやっと「産業資 本」への向いあった状況である。 そのために、「理想」を追える立場にいるものは、日本しかいないこと。その方法論や産 業主義をどのようにして、どこまでの産業化がいいのか、それを「こころの病」の課題解決 に結びつけられる国は、国民国家の枠を超えて世界に貢献しえるのは日本だけであろう・・・ 、と述べています。これは、吉本隆明の遺言とも言えるでしょう。そして、今、ぼくらに必要 な「食」とは何かが問われています。 これらへの、現時点での実践的なアプローチは、「里山PJ」の取組みでもあり、栗本経済人 類学による上記の「日本文化形成のFS」への試みが進行中ですので、これらを含めて、これ からは「こころの病」=「気・血(食)・動の調和」こそが、「新しい神話形成」を踏まえた 「理念形成」における重要な挑戦だと確信できるようになりました。 -------------------------------------------------------- (注:知人からの「日本文化形成のFS」への指摘: 栗本慎一郎が現在進めている「神話作り」は、「FS(フィクティシャス・サイエンス)」で あり、必ずしも「SF(サイエンス・フィクション)」ではない、ということです。 このFSという言葉は、先生が半村良(妖星伝3巻)について批評文を書かれたときに提出され た「用語」で、半村良は一般的に「SF作家」という範疇で語られているが、自分はそうは考え ていない、できるだけ科学的事実を踏まえたうえで、それでもまだ、科学が立証できていないこ とを、こうなるはずという仮説を、文学的に表現されたサイエンスである」、という趣旨のこと です。 確か「反文学」(90年代末に発表)という表題の評論だったと記憶しておりますが、当時、一般 的に「SF」といえば科学的想像で十分な裏づけも取らず、勝手に面白おかしく書かれたもの、 という認識があったなかで、栗本はそういう表現で半村の作品を他のSF一般と区別して高く評 したわけです。 <了>