回天特別攻撃隊 顕彰
旅館松政
回天の母 お重さん
回天特別攻撃隊の訓練基地・大津島で猛訓練に励む若い隊員たちが休暇を楽しみ、また出撃前の
別離の宴席が設けられたのが、徳山市糀町の高級割烹旅館「松政」だった。
後に「回天の母」と呼ばれた倉重朝子さんは、大正15年から「松政」で奉公を始め、結婚して一度は
辞めたものの夫の病死により、昭和15年から再び「松政」に戻った。
戦中の物資の乏しい時代にも係わらず、宴席の時には七輪や炭をかき集め、出撃隊員には白い絹
のマフラーを贈り続けた。
戦後になっても、住み込んでいた「松政」の居間に戦没隊員の位牌を祀って毎日手を合わせていた。
昭和32年、出光興産徳山製油所が完成した時に「松政」で祝宴が開かれ、出光佐三社長(当時)は
朝子さんから回天との因縁を聞いて感銘を受け、大津島の回天碑・回天記念館の建設に協力した。
昭和42年「松政」は店を閉め朝子さんは故郷へ帰ったが、大津島の追悼式には毎年欠かさず参列
したと云う。
昭和60年 2月22日、持病の悪化で息を引き取られた(享年78才)。
昭和30年11月 8日 第一回回天戦死者慰霊祭 後列左から4人目・倉重朝子さん
昭和33年11月28日 発掘された初代回天碑の供養/大津島 右端・倉重朝子さん
レコード「回天の母 お重さん」ジャケット 歌・市川昭介
旅館松政 絵はがき
旅館松政 玄関
旅館松政 ロビー
旅館松政 大広間
旅館松政 客間
旅館松政 庭園
更新日:2009/12/09