■ウォーラスティンさんの訃報に思う(19年9月8日

昨夜、新聞のまとめ読みをしていたら、数日遅れでイマニュエル・ウォーラスティンさんの訃報に接しました。88歳だったそうです。昨年の同月に86歳で亡くなったサミール・アミンさんとともに、日本でも影響を受けた人が多く出た、世界を中心・周辺、あるいは中核と半周辺と周辺からなるひとつのシステムとして理解しようとした論者が、相次いで世を去ったわけです。資本のグローバリゼイションが、いよいよ末期症状を呈しているこのときだからこそ、もっと仕事をして欲しかったなと思います。私も、せめて、おふたりと同じ歳くらいまでは生きたいな。

次も新聞の話し。なんでも、日銀が、マイナス金利の深掘りを考えているのだそうです。黒田総裁が言うには、日本経済自身はさほど問題ではないが、米国経済が深刻な景気後退に陥るかも知れない、中国も欧州もおかしくなり始めている、だから短期金利の一層の引き下げも必要になるかも知れないという事です。いつもいつも、日本は大丈夫だけれど、問題は海外からやってくるという、官僚や政治家の言葉の繰り返しです。

それはともかく、短期金利をマイナス誘導するとなると、これまでのマイナス金利は銀行に設定する当座預金に課せられた「罰金」でしたが、いよいよ企業や個人が銀行に預ける預金にも手数料(罰金)をかけるぞということになるのかも知れません。しかし、だからと言って、企業や個人が金を使い始めるなどということは起きず、経済は一層冷え込んでしまうに違いありません。

今日の長期停滞、資本が資本として成り立つだけの利潤を上げられなくなったという趨勢は、生産関係そのもの、つまり資本による賃労働の搾取を土台にした経済システムそのものの限界を嫌が応にも浮き彫りにしています。だというのに、それを小手先の金融政策(や財政政策)で解決しようなどという発想自体が、この体制に固有の、この体制がそこから絶対に抜けられない、矮小で貧相で、根本的に間違った謬見なのです。その点では、一部で流行のMMT理論もその例外ではありません。

こんなくだらない政策論議には、ホント、付き合っていらない。労働者・市民は、自らの団結と闘いを強め、資本と政府に譲歩を強制することで、自身の労働と暮らしの困難を打開し、そしてこの体制の行き詰まりを越えていく以外に、資本やその政府との共倒れを避ける方途はありません。

さて、昨日の午後は、「エナガの会」と「原発止めよう! 東葛の会」の共同で、東海第2原発の再稼働に関する説明会を東葛の地域でも開いて欲しいという主旨の署名活動を行いました。東葛の6自治体の首長は、日本原電株式会社や原子力規制庁に対して説明会開催を求めよという内容の署名です。1時間半の活動で、50数筆の署名を頂きました。

この署名は、もちろん、原発再稼働の露払いのための説明会を求めたものではありません。そうではなく、再稼働の必要性や合理性を説明できるものならしてみろ、原発とその再稼働についての住民の声をちゃんと聞け、という主旨の署名です。これからも、引き続き、東葛の地域などで取り組んでいく予定です。署名活動の姿など見かけましたなら、是非ご賛同をお願いいたします。

■安倍政権の韓国バッシングには潜在的なコンプレックスが反映(19年9月7日

今朝の駅頭活動は東武野田線の「江戸川台駅」西口。暑さが戻ってきた朝でした。駅前ロータリーのケヤキは、いつもと変わらず元気に枝葉を伸ばしています。

駅頭から帰って、燃えないゴミをたくさんゴミステーションに出して、新聞を読んで、いま小休止でTVを横目にパソコンに向かっています。

TVは相変わらず、韓国の話しで盛りだくさん。隣国とは言え、他国の国内政治を熱心に取り上げることに少し驚いています。韓国において果たして、安倍政治のスキャンダルがこんなにも根掘り葉掘り報道されることはあるのでしょうか。もちろん私は、メディアが大きく、継続して、取り上げること自体には反対ではありません。その方向や内容が適切なものである限りはという条件つきですが。

最近つくづく思うのですが、日本の保守政治家は、朝鮮(や中国)に対するコンプレックスを未だに克服し切れていないのではないでしょうか。

日本列島がまだ旧石器時代の頃に中国では殷や周の古代国家が栄え、日本列島がまだ卑弥呼の呪術で多くの部族集団を緩く繋いでいた頃に朝鮮では立派な王都と官制を備えた高句麗が東アジアで力を振るっていました。官僚制度も漢字も儒教など古代の先進思想も全て、有為の人材も含めて中国や朝鮮から日本にもたらされました。

当時の東アジアで日本が経済や文化の発達において最もナイーブであったことには、歴史的な背景や根拠があるのであって、決して引け目に感じるべき事ではありません。また当時の先進国・先進地域であった中国や朝鮮の文化や政治が全て素晴らしいものであったわけではなく、真似をしなくても良い多くの暗黒面があります。

だがしかし、日本の保守政治家たちの少なくない部分は、中国や朝鮮に対するコンプレックスを拭い切れないのです。最近の韓国に対する安倍政権の激しいバッシングは、このコンプレックスが反映されているような気がしてなりません。

中国に対しても劣等感の裏返しとしての上から目線は続いてはいますが、近年の中国の経済発展と大国化の動かしがたい現実を目の当たりにして、少し事情が変わってきています。この中国には日本だけでは対抗できないので米国の威を借りる、あるいは経済面では実利を求めていっそ低頭するかの動きが見られます。

だが韓国に対しては、米国の思惑に関係なく日本だけの感情で上から目線に固執し、それにさらに拍車をかけ、激しくバッシングをすることを厭いません。そして、韓国に対して続く居丈高な姿勢は、実は韓国の経済力が次第に増しており、政治や文化のレベルではすでに日本を乗り越えてしまっているのではないかという不安感が、日本支配層の潜在的な劣等感を刺激して、新たに火をつけて、このかん見られるようなみっともない、度を超した、韓国バッシングを生じさせているのではないかと思います。

ご存じのように、英国の『エコノミスト』誌の民主主義指数で日本は韓国より下位に甘んじています。国境なき記者団が公表している報道の自由のレベルでは、45位の台湾、63位の韓国に遙かに引き離されて73位、中国による報道規制が問題にされている香港の72位と競り合っている始末です。

劣等感、その裏返しの上から目線。強い者には迎合、弱いものには居丈高な態度(韓国は実際には弱くはないのですが)。こんなくだらない感情で隣国との関係を、現実の政治を、動かされてはたまりません。歴史修正主義、侵略と植民地主義への開き直り。戦前体制賛美の安倍政権を民衆の力で一刻も早く打ち倒しましょう。

■慰安婦・徴用工問題は日韓協定で解決しているというのはウソ(19年9月5日)

今朝の駅頭活動は、つくばエクスプレス線の「セントラルパーク駅」。少しジメジメはしているけれど、涼し〜い朝。今日一日、こんなお天気でありますように。

駅頭活動を終えて、家に帰って少し仕事をして、10時からの議会広報広聴特別委員会に出席。今日は、次号の『議会だより』の記事内容や割り付け、そして11月に開催予定の「議会報告会」についての協議でした。

帰宅して、TVをつけたら、またまた日韓関係についての話しです。なんでも、日韓議連の日本側会長の河村建夫が、韓国の李洛淵首相から「GSOMIAとホワイト国外しをセットで戻す」案を提案されたという話し。これに対して安倍首相は、「根幹にある徴用工問題の解決が最優先だ」の一言に尽きると答えたと言います。

「語るに落ちる」とはこの事。何のことはない、当初からそう見られていたように、安倍首相による輸出管理強化やホワイト国外しは、徴用工問題への報復だったのです。今朝のTV番組でも、バカなコメンテーターは 安倍首相擁護のつもりで「ホワイト国外しと徴用工問題は次元の違う話」などと繰り返していましたが、この言葉は安倍首相を撃つものだということさえ分かっていようです。

問題の「根幹」にあるのは、むしろ、朝鮮に対する植民地支配の罪を認めようとせず、罪の事実とその反省を国民に語ろうとせず、本気の謝罪、十分な補償をしようとしない日本政府の態度です。あまつさえ、逆ギレしたかの如く、かさにかかって韓国攻撃を繰り返している日本政府の態度です。この日本政府の態度は、かつて「国際女性戦犯法廷」のTV番組に圧力をかけて潰そうとした、安倍晋三氏の、戦前賛美の、明治国家羨望の、暗く、反動的な衝動から生じてきているのは間違いないでしょう。そして、安倍政権の中には、その同類が蝟集しているのです。

日本政府は1965年の日韓協定を引き合いに出して解決済みと言いますが、この協定は軍事クーデターで権力を握った朴正熙大統領と日本の佐藤内閣の間で結ばれたもの。韓国国民の意思の表明という点では、歴史的な限界を持つことは明らかです。だからこそ、その後の日本の外務省ですらが「個人の損害賠償請求権は消滅していない」と言わざるを得ず、今の河野外相もそれを追認せざるを得ず、軍隊慰安婦問題や徴用工問題で国連からもILOからも幾度もの勧告を受けざるを得なくなっているのです。

しかも、日韓協定締結の後のこの半世紀の間にも、植民地支配の違法性や、侵略や植民地支配の中で行われた非人道的行為や残虐行為の違法性や犯罪性を問う国際世論、人権についての法思想や法理論、国際関係のあり方に関する理論や法思想は進歩し続けています。この観点からも、日本政府が「日韓協定」を金科玉条の如く振り回し、これにしがみつくことは、もはや不可能事なっていることを知るべきなのです。

写真のひとつは、鳩たちのアパートのようになっているセントラルパーク駅の駅舎。

■関東大震災下の朝鮮人虐殺は隠さず語り継がれなければならない(19年9月1日)

今日は関東地方で巨大地震が起きた年から96年目。この出来事は今も「関東大震災」と呼ばれ続けています。本来なら、「震災」という言葉は、地震がもたらした災害について用いられる言葉。日常の言葉では、「地震」と「震災」はごっちゃになって使用されています。

96年前の出来事は、やはり「大地震」ではなく「大震災」と呼ばれ続けて良いと考える、私の中での理由は、その被害が今も清算されずに、継続されていると考えるが故です。町や村や都市のインフラはとっくに復旧し、地震当時を遙かに凌駕する姿を見せています。しかしあのときに奪われた人間の尊厳、日本人による朝鮮人に対する大虐殺がもたらした傷は、まったく回復されていないのです。

それどころか、歴史修正主義、日本会議のメンバーが多くを占める安倍政権の登場とともに、軍隊慰安婦問題、徴用工問題を限りなく過小に扱おう、出来れば無かったことにしようという動きと連動して、この関東大震災下での朝鮮人虐殺の蛮行も歴史の闇に葬り去ろうという動きが強まっています。

もう一度、あるいは何度でも、記憶を呼び覚ますために記しておく必要があります。69年前の関東大地震の直後、東京を始め関東地方の各地で、多くの朝鮮人が日本の軍、警察、市民によって虐殺されました。千葉県下でも、多くの町や村で、同様のことが起きました。事実解明が比較的進んでいるのは、船橋で起きた北総鉄道(現東武鉄道)の建設に従事させられていた朝鮮人労働者の虐殺、陸軍習志野支鮮人収容所における軍による虐殺、軍が近隣の村に収容者を引き渡して殺させた事件等々。

関東各地で起きた朝鮮人殺害は、竹槍で突き刺す、ツルハシで殴り殺す、鳶口で傷つけて殺す、棒で殴り殺すなど、虐殺という以外に呼びようがない凄惨極まりないものだったと言われています。その一端は、最近日本各地で上映された映画「金子文子と朴烈」でも描かれているとおりです。

ですから、今日9月1日、小宮清子県議始め千葉県下の社民党自治体議員や党員も、船橋の馬込霊園で行われた「関東大震災96周年朝鮮人犠牲者追悼式」に参加しました。

安倍政権とそれを支持する勢力、これに平伏、迎合するメディアなどは、競って反韓・嫌韓の世論を煽り立てています。関東大地震下の朝鮮人虐殺、軍隊慰安婦や徴用工の事実を歴史から抹消せんとするだけでは飽き足らず、更に増長して、韓国・朝鮮への憎悪感情を新たにかき立てようとする動きがこんなにも強まっている今だからこそ、私たちは断固として、声を大にして、96年前に起きた事実、それを生み出した権力構造、社会構造、精神構造を厳しく問うていく必要があります。

とりわけ、私たち市民の1人ひとりにとっては、国やメディアの言うことをそのまま鵜呑みにしないこと、信頼出来る情報を自らの力で探り当てること、合理的に考えて本当に成り立つ話しなのかどうかをちゃんと見極めること、その事を通して、多くの日本人が数百年にわたって骨身に染み込ませてきた、そして今も続いている“情報も是非の判断もお上にお任せ”の体質を克服していく必要があります。それを為し得ないならば、再び三度、日本人は、他国の人々に多大の犠牲を強いると同時に、自らもひどい辛酸を味わうことになるに違いありません。

写真は「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」と虐殺の事実を記録に留めようとする書籍。

■GSOMIAは日本の労働者市民の立場から見ても要らない!(19年8月30日)

今朝の駅頭活動は、「南流山駅」の南口。曇り空が怪しいなと思いつつ、旗と看板とハンドマイクを設置した6時半、雨が降り始めました。昨日は雨雲レーダーの予想が外れて降らなかったので、今日もと期待していたのですが、だめでした。それでも、悔しいので駅ひさしの下に入ってビラを撒いていましたが、通勤客の反応は超がつく低調さ。雨の日は仕方がありません。小宮県議にも連絡をし、濡れた旗などを終い、引き上げてきました。

せっかくなので、今日は午前中の早くに、第3回定例市議会に向けての一般質問の通告を行ってこようと思います。通告書はもう出来上がっています。今回のテーマは2つ。ひとつは公務員にマイナンバー取得を事実上強要する国の方針について。もうひとつは、子どもの通学路の安全対策について。

2年前までは、一般質問の議員側持ち時間が40分保証されていましたが、議会の多数の力によって今は30分に縮められてしまいました。なので、質問項目もせいぜい2つがやっとです。時間を気にしながら、時には質問をはしょりながらの一般質問を余儀なくされています。

通告が終わると、午後からは社民党千葉県連の議員団の勉強会です。今日と明日の2日間にわたって行われます。働く者と市民の立場に揺るぎなく立った議員活動を目指し、しっかりと情報交換、意見交換を行いたいと思います。

TVでは相変わらず偏った内容の韓国報道。この2日間くらいは、文在寅氏の側近のスキャンダルと米国がGSOMIAを維持しろと韓国に迫っているという、どちらにしても日本自身の問題からは目を背ける報道。それにしても、GSOMIAに関して、これを問題視し批判する声はまったく聞かれません。GSOMIAは、韓国側がこれを破棄した背景や理由の問題とは別に、私たち日本国民の側から見てのその是非の議論があって良いはずです。なのにメディアのこの偏り、一面性。こんな形で、有無を言わさず、異論を唱えさせず、世論形成が謀られていくのです。

少なくとも私たちは、日米韓の軍事的協力関係の強化、軍事一体化を進める1つの梃子であるとして、GSOMIAには反対してきました。中国や北朝鮮を仮想敵と見立てて、軍事的対応力を一層強化しようというGSOMIAは、北東アジアの緊張緩和と和平の環境醸成には逆行し、軍拡競争に更なる拍車をかけるものです。こうした声や意見は、国民の中にも多く存在します。それがまったく反映されないどころか、意図的に排除されているかのようなメディアの報道姿勢と報道内容。しっかりとチェックと抗議を行っていく必要があります。

TVのコメンテーターの多くは、韓国に対して相変わらずの冷笑姿勢、侮蔑的態度、そしてあからさまな暴言。それでもって自らのちっぽけな自尊感情を満たしている風情です。何という貧相で情けない心性か。「その時代の支配的な思想は支配階級の思想である」との名言の通り、これは日本の政治家や官僚や資本家たちの意識なのでしょう。ブルジョアたちの心理と意識は、教育を通じて、メディアを通して、様々な伝道路と水路を通って、人々の意識の中に侵入してきます。これらとの意識的な闘いに取組み、偏らない広い情報と知識、明晰で深い知性と理性、本来の人間性を見失わずそれをさらに豊かにしていくための努力を怠るならば、誰であれ引きずり込まれてしまう危険性のある頽廃と暗愚のブルジョア意識です。心理や意識や思想上の闘いにおいても、労を厭わずしっかり取り組んでいきたいと思います。

■TVで韓国バッシングをしているコメンテーターの素性(19年8月28日)

現在の日韓関係のこじれ、対立激化の直接の原因は、安倍政権が日本の朝鮮半島への植民地支配を正当化し、それどころか植民地化に意義があったとさえ考えていることにあるのだと思います。軍隊慰安婦問題を矮小化し、あるいは無かったことにしようという試み。徴用工問題での韓国民と韓国司法の当然の要求に対して、加害企業の応諾姿勢に圧力をかけてさえごり押しされる拒絶的姿勢。こうした態度の出所は、やはり植民地支配への居直り、合理化の目論見以外の何ものでもないでしょう。

こうした安倍政権の態度は、人権や国際関係のあり方についての、世界における理念や思想の到達レベルとは大きく隔たっており、それを後ろに引き戻そうとする試み以外の何ものでもありません。もちろん、世界には、未だに力が全て、力こそ正義とうそぶく国々や政治勢力がはびこっており、その中からかりそめの友人を得ることは可能かも知れません。しかし、この流れは、決して歴史の趨勢ではないし、私たちが目指す方向とは真逆です。

安倍政権ならずとも、日本の政権がこうした姿勢を改めることをしないならば、日本は世界の流れ、歴史の流れに背いて、やがて破滅せざるを得ないでしょう。孤立し始めているのは、韓国ではなくて、日本です。安倍政権のおかげで、日本はまずはアジアで鼻つまみ者になり、やがては世界からも孤立していく以外にありません。

私たちは、安倍政権の道連れになって、歴史の置き去り者にされるわけにはいきません。私たちも、安倍政権や日本会議や歴史修正主義者たちに抗する「歴史戦」をしっかりと闘っていく必要があります。

それにしても、TVに登場して放言を繰り返す細川雅彦や武藤正敏らの破廉恥ぶりはどうでしょう。細川は、皆さんの中にも聞いた人がいると思いますが、日本による韓国に対する輸出規制強化の最初の報道がなされたときには、これを参院選を有利に運ぶための安倍政権の勇み足であるかに評論しました。しかし、直後に、自らの発言からこのニュアンスを全て消し去り、以後は一貫して専門家ぶって「輸出管理の常識」などと言い募っています。また武藤は、自らが徴用工訴訟の当事者である三菱重工業の顧問の身分であることは語らぬまま、あたかも外交専門家であるかに装って、大法院と文在寅政権を口角泡を飛ばして非難しています。こうした人々の末路は、きっと哀れであるに違いありません。

■文在寅政権は左派政権?(19年8月27日

今朝の駅頭活動は「南流山駅」の北口。北口方面は、私が住む鰭ヶ崎から来る通勤客が多く、また私が日頃からよく歩いている地域なので、ビラの受け取りはまずまずです。家を出る前に雨雲レーダーで確認した限りでは、雨を覚悟しなければならない様子でしたが、有り難いことに降ってきませんでした。

これを書いている合間に、TVを見ていると、韓国の文在寅大統領の側近のスキャンダルを懇切丁寧に解説しています。重要な隣国、しかも日本との間で対立が激化している国の出来事ですから、報道するのは当然でしょう。しかし、文在寅政権を、革新政権であるかに見立てて、それ故の問題であるかに語るコメンテーターがいることに、私は驚いています。

私の友人で、日韓連帯の運動に熱心に取り組んでいる、かなりラジカルな左派の人は、文在寅政権は中道右派の政権だと、一貫して主張しています。右派かどうかは別にして、文在寅政権が左翼でも革新でもないことは、常識です。確かに、かつての軍部独裁政権に繋がる保守勢力と比べれば、遙かに進歩的な勢力であり政権であることは間違いありませんが、左派だとか革新だとかの評価は行き過ぎでしょう。

386世代に支えられた文在寅政権も、いまの韓国資本主義の利益代弁者としての枠から大きく踏み出す政策は打ち出し得ていません。私は、8月23日のこのFBへの投稿で、文在寅政権は「…東アジアにおいて押しも押されぬ強力な国家として登場することを大戦略に据えて行動している」と書きましたが、この「強力な国家」は紛れもなく資本主義国家です。文在寅政権は、周辺の大国に従属したり翻弄されることのない、強い半島国家をめざしているのです。

もちろん私は、今回のスキャンダルは、革新政権ではなく中道政権レベルだから起きるのだなどという愚かしいことを言いたいのではありません。こうしたスキャンダル、民衆の利益を裏切る政治家の振る舞いは、右派でも中道でも、それどころか革新政権や革命政権においてだって生じうるものでしょう。

だから、むしろ問題は、民衆の側の成熟度、民衆の運動の政治的思想的レベルです。時の政治を動かしている勢力や政権とは一線を画し、それから独立した、民衆自身の運動の質やレベルが問われているのです。

その観点から見たときに、韓国の労働運動や民衆運動には、学ぶべき点がたくさんあります。彼らの運動は、思想的政治的に、日本のそれがまだ追いついていない優れた到達点を示しています。それは、韓国の労働運動や民衆運動が歩んできた苦難の歴史も関係しているでしょう。私たちが、日韓の連帯を口にするとき、この点にこそ留意すべきだと思います。

日韓連帯、日朝連帯、日中連帯は、決して韓国、朝鮮、中国のときの政権に寛容であったり、それを持ち上げたり、おべっかを使ったりすることではありません。むしろ、時の政治権力に対する姿勢は、私たちが日本の安倍政権に対してとっているのと同じように、唯一、道理と合理を基準にしたものでなければなりません。

日韓の民衆の連帯、お互いの運動を相互にシビアに検証しあうという関係を組み込んだ、民衆同士の切磋琢磨の上での連帯を、おおいに追求し、発展させていきたいと思います。

■文在寅政権の戦略(19年8月23日)

今朝6時の段階で東葛地域はすでに雨。少し小降りになったので、駅頭活動を予定していた南柏駅東口に行く。しかし、雨脚は家を出るときより強くなる。雨雲レーダーを見ても止みそうにない。なので、しばらく『市政報告』を配布した後、撤収。おかげで、少し丁寧に新聞に目を通すことが出来ました。

昨夜からのTVは、韓国によるGSOMIA破棄の決定を大きく伝えています。経済問題での対立を安全保障の問題まで拡大するのはけしからん等々との批判が目立ちます。しかし、安倍政権による韓国への輸出規制の強化は、当初彼ら自身が口にしていたようにもともとが徴用工問題への報復であり、さらには韓国の輸出管理が安全保障上問題があるということを口実にしたものだったのであり、韓国のGSOMIA破棄という決定は決して筋が通っていないわけではありません。

GSOMIAは朴槿恵大統領の時に締結されましたが、韓国の中では歴史の清算が済んでいない中での締結は反対だという厳しい批判が巻き起こりました。そんな批判の中、朴政権が協定締結の場の写真を撮らせなかったことに対してメディアが一斉にカメラを置いて抗議する事件も起きました。

しかし、慰安婦、徴用工、輸出規制強化、GSOMIA破棄など、この間の日韓の一連の対立には、もっと大きな、深い、両国間に生じつつある溝が原因になっていると見るべきでしょう。それは、韓国と日本の、東アジア戦略の齟齬であり、これにはもちろん中国や北朝鮮の動きも関わっています。

中国の超大国としての台頭の必然性、軍事国家化に生き残りの望みを託そうとする北朝鮮、これらに対して相変わらずの冷戦思考、米国頼りで対抗しようとする日本政府の「戦略」。

中国はすでに日本をライバルとは見なしておらず、米国と経済・政治・軍事の覇権を競っています。北朝鮮も日本を相手にしておらず、米国から核保有国としての承認を得ることを、生き残りの最大の拠り所としようとしています。

そして韓国は、日本ほど米国べったりではなく、経済関係も日本より中国との結びつきの方が太くなり、何よりも北朝鮮との間では積年の鋭い緊張関係の緩和、経済的結びつきの強化にこそ利益を見いだしています。そしていずれは、何らかの形での南北の統一を果たすことで、東アジアにおいて押しも押されぬ強力な国家として登場することを大戦略に据えて行動しているのです。

韓国と日本の、こうした戦略の違いに加えて、次のような事情も合わさって、今回の事態が生じています。

韓国は、かつて日本に植民地支配された国としてその十全な清算を求めざるを得ません。そして、残虐な独裁政権との闘いを通して自ら民主主義を勝ち取ってきた韓国国民は、軍隊慰安婦や徴用工問題においても、国際的な人権思想の到達のレベルでの解決を求めています。

片や日本は、未だに侵略戦争や植民地支配の総括や反省が出来ず、それどころかそれを誤魔化し、否定し、セカンドレイプに等しい発言さえ繰り返し、戦前の国家体制を賛美する政治家たちが政権の要職を固めています。またこの政権は、近隣国の中から新たな敵を人為的につくり出して、その敵愾心を政権の求心力に利用しようという動きさえ見せています。そして過半の日本国民は、この時代錯誤の政権の世論操作に対し免疫を持つに至っていない状況です。

こういう事態の中で、私たち労働者市民の側からの対抗戦略はどうあるべきか。韓国側からはすでに明確に発せられている、時の政府や国家の思惑からは独立した、民主主義と人権を求める民衆自身の行動の強化こそ重要です。遅ればせながらではあるけれども、私たち日本の労働者市民も、韓国の民衆と連帯し、また反省できない日本国家に異議を唱えている東アジアの、そして世界の民衆と手を繋いで闘う必要があります。冷戦思考にしがみつき、近隣国への敵愾心を煽り、不和と不協和音の発生源となっている安倍政権の愚行を封じ込める闘いを強化していきましょう。そのためにも、私たち自身も含め日本国民の中に根強く巣くっている歴史への無知と無反省の蒙を啓くための粘り強い活動を押し進めていきましょう。

■大恐慌はおそらく避けられない(19年8月22日)

今朝の駅頭活動は、JR「南柏駅」の西口。いつもより、かなり涼しい朝。7時45分頃からは、雨も降ってきました。

今日はこれから、9時開始の流山市議会の次期総合計画特別委員会の傍聴です。自治体の総合計画も、本当なら、現下の、そして今後数年は続くことが確実な、シビアな経済状況を考慮に入れなければなりません。しかし、流山市にはそういう問題意識はまったくないようです。

現下の経済状況についていえば、鈍感なメディアの中でも、さすがに最近は、深刻な長期不況、あるいは恐慌がやってくるのではないかという論調が強まっています。

各国の中央銀行、とりわけ主要国の中央銀行は、企業活動にテコ入れをしようと、金融緩和策にいそしみ、量的金融緩和を続けてきました。しかしそれでも企業は生産的投資には向かわず、市場にだぶつくマネーはとりあえずはと国債などを買い増しています。国債価格は維持され、高値をさえ招き、そのために利回りと長期金利は低下し、短期金利より下回る事態をもたらしています。この「逆イールド」と呼ばれる現象は、恐慌の前兆ではないかとして、世界の金持ちたちを震え上がらせているのです。

各国の政府は、国債を増発し、財政を膨張させ、大企業への減税策との合わせ技で企業への救済策を続けています。日本の財政当局などはお目出度いMMT論者から我が理論の良き見本だなどと見当違いの評価も受けながら、財政大盤振る舞いにふけってきましたが、それでも経済の低迷、景気の不振には歯止めはかかりません。

背景にあり、根っこになっているのが、資本の利潤率の低下の趨勢、つまり資本の本性であるより大なる利潤の獲得を目的とした投資が困難になった状況です。資本として成り立つだけの利潤を得られなくなった富が無駄に積み上がった、過剰生産と過剰資本という現実です。

このままでは、そう遠くない将来に、リーマンショックのような恐慌が、しかもリーマンショックを遙かに上回る規模の恐慌が発生する可能性が高いのではないかとの、不安が高まっています。誰もはっきりとは口には出さないどころか、未だに史上最長の好景気が続いているなどとの譫言を繰り返している者さえいますが、世界経済はもう地獄の入り口の寸前まで来てしまっているのではないかと信じる者たちが確実に増えてきているのです。

恐慌は、おそらく「世界同時不況」などというお上品な言葉に置き換えられてしまうのでしょうが、しかしその本質は資本主義に不可避の現象としての恐慌以外の何ものでもありません。急激なパニックか、長く続く深刻な不況かは別にして、過剰生産、過剰資本という現状がもたらす結果です。

資本の政府にとっては、これは万事休すの状況です。恐慌を避けようとして繰り出してきた、常軌を逸した金融緩和や財政膨張政策の果てに生じてきている事態であるが故に、この恐慌に対処する金融緩和策の余地はとうに無く、財政膨張策の余裕も既に無いのです。

この事態を受けて、英国では労働党のコービンも、利潤目的の生産のあり方への統制、「経済民主化」を積極的に検討せざるを得なくなっています。米国でも民主党のウォーレンやサンダースなどが、英国のコービンほどには硬派の社民政策ではないけれど、労働者・勤労者の立場からトランプの首根っこを押さえにかかろうとしています。

翻って、日本ではどうでしょう。自民党は、自らの貧相な政権の求心力回復の手段として、近隣諸国への攻撃を強めています。労働者民衆の行動への新たな抑圧手段を手に入れるための憲法の改悪にあくまでも執着しようとしています。

そして経済政策では、与党も野党も、財政政策が頼りだ、財政でテコ入れをして経済を活性化させようと唱えています。その場合には、企業へのテコ入れを重視するべきだ、いや国民のふところを直接温める政策を重視すべきだ、とやり合っています。国民のふところを暖めるべきという主張は、私たちのように、だから労働者民衆の闘いが重要だと強調するのでなければ、企業へのテコ入れ強調と同じく、日本の政治がこの数十年間試み、繰り返してきた政策を大きく出るものとはなり得ません。

大恐慌の足音が近づいてきているというのに、この政治的鈍感さは何と言えば良いのでしょう。彼らは、本当に日本の国民の暮らしのことを心配してくれているのでしょうか。労働者・勤労市民の現在の困難と、近い将来の一層の窮状を真剣に救済しようと考えているでしょうか。

私たちは、遅かれ早かれ避けられないであろう恐慌への突入に際して、これまでの失策のツケまで含めて、その犠牲が労働者民衆に押しつけられることを許さないための闘いを準備しなければなりません。恐慌下でも生産され続けはする社会の富を、労働者と庶民の生活防衛に優先的に分配させるための真剣な闘いを組織しなければなりません。それと同時に、英国のコービン労働党にならって、労働者民衆をそんな状況に追い込むことしか出来ない現在の経済システムの変革の課題を、臆さずためらわず提起しなければならなくなってきています。