ウイーン
Wien
冒頭にも触れたように、私にとってウィーンはちょっと取っ付きにくい町でした。クラシカルミュージックはそれなりに好きだけれど、外国での音楽はロンドンでロックを毎日聴き、ニューヨークで今は亡きジョンケージをソーホーで、ラヴィシャンカールをカーネギーホールで聴く時が、私にとっての経験なもので。でも冒頭で触れたように音楽以外にも見所は一杯あるのです。余り毛嫌いしないで、世紀末のウィーンを楽しみましょう。 構成は次のようになっています。 |
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1790年頃のウィーンの地図。城壁と稜堡も凄いけれど、その外側の無人地帯の広がりにびっくりします。1529年のトルコ軍による第1回包囲、1683年の第2回、その度にそこに城壁の外にあった人家はどんどん壊され、無人地帯になってしまった。そしてようやく1699年の条約締結により戦争は終結。それから100年を経ても、まだ遠距離大砲に備えるための無人地帯、城壁、稜堡を守っていたのです。この呪縛から解き放たれるのが1850年代ですから、この地図からまだ50年は城壁の中の生活が続いたのでした。そして、これだけの無人地帯があったからこそ、リングの建設、それに付随した都市の大改造は、旧市内を痛めることなく実施する事ができたのです。
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現在のウィーンの地図。一見普通の都市の地図ですが、やっぱりリンクがとても目立ちます。環状道路という発想は、あんまり昔はないのではないでしょうか。トラムに乗ってそこに面した様々な建物を見ながら一回りというのが実によかった。 | |||||||||||||||
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うって変わって、リングを疾走(?)する観光馬車。結構観光しちゃいました。ルートはリング中央にあるペーター教会前からスタートして、サンシュテファン、アンカー時計、エンゲル薬局、ロースハウスから王宮内を抜け、ブルク門から、リングに出る。そこから北上して、ブルク劇場、ウィーン大学を抜けてから再びリング内に戻ってくる。そんなコースで約40分、50ユーロだったと思います。トラムとは追い抜かされては信号で一緒になり、また離されては追いつきを繰り返していました。
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市内中心部で行われている共同自転車利用システム。中古(多分)自転車に派手な色を付け、指定駐輪場(スタンド)に置く。利用者はキーを有料で借り、スタンドにある自転車を好きなスタンドまで利用する。そんなシステムです。日本の新聞には3割位が行方不明とか。3割なら十分だと思いますが。ホテルの裏にスタンドがあり、ちょうど学生(?)が戻しに来たところでした。トラムの周回路線が見えます
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ナッシュマルクト。セセッションの向かいに見えてきたので、そのまま覗いているうちに、そのままマヨルカハウスまで行ってしまった。要はその間ずっと続いているのです。こういう所、本当楽しいです。キッチン付きではなかったので、お菓子しか買いませんでしたが。 | |||||||||||||||
王宮庭園にあるモーツアルト像。ここも観光しました。
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