96年5月19日記
訪問先リスト
1:豊田城(石下町地域交流センター)〜
2:将門公苑〜
3:石下町民族資料館〜
4:長塚節生家〜
5:下総国亭(庁)跡〜
6:六所塚(平将門公一族墳墓之地)〜
7:平将門公赦免供養之碑〜
8:富士見の馬場〜
9:一言主神社
ページの一番下に、1、2、3、4、5、6、7の略地図を示します。ただし、あまりわかりやすくありませんので、お持ちの地図で御確認下さるか、地元の人に聞いてください。
豊田城(石下町地域交流センター)
場所:茨城県結城郡石下町新石下2010(見づらいですが、略地図を示します。)
いつもと同じに、自動車でのアクセスですが、国道294号線バイパスを走行していれば余程濃いきりが出ていないかぎり、すぐに分かります。
また、バイパスに面して、の第三陣の建物があります。近くに、八幡神社がありました。 観覧料がかかり、一般400円、中学以下200円でした。印象として、展示内容からみれば少し高めと感じた。救いは、7階展望室からの眺めです。晴れていれば筑波山が見え(当日は見えました)、場合によれば富士山も見えるとのことでした。
次に、将門公苑ですが、少し探すのに苦労すると思います。ここは、向石下城跡、平将門公本據豊田館跡の2つの史跡となっていました。
道路(県道42号土浦境線)には面しておらず、車は通りに置くか、河原の土手に駐車して、散歩がてらに歩いて探して下さい。
石下町民族資料館
石下町民族資料館は、豊田城から5分ほどで到着します。通りに面しており、すぐ分かります。展示内容は、民族史料、20年以上前の一般の生活で使われていた生活用具が数多く展示されていました。 農具が中心でした。豊田城に展示されていた資料の原資料のようなものがいっぱいありました。一部考古学資料があり、縄文前期からの土器などがほとんど保存処置されていない状態でガラスケースに入っており、 ちゃんと収蔵した方がいいと感じるほどでした。その最たるものは、1200年ほど前の木船の資料です。普通の博物館なら、溶液に漬けて空気に触れないよう保存されているものが、無造作に箱に入れられておいてありました。
長塚節生家
長塚節生家は、現在も生活の場としているとのことで、中には入れません。門に、長塚節の銅像と案内板があります。
下総国亭(庁)跡
長岡節生家の道の反対側に進み、田んぼを越えて丘を上がり一つ目のY字路にあります。
平将門公赦免供養之碑
(左)史跡鎮守府将軍平良持公菩提供養之碑 (中央)平将門公赦免供養之碑 (右)平将門公赦免菩提供養之碑
ここも分かりづらい。蔵持或は蔵持新田という地名で、
六所塚(平将門公一族墳墓之地)
埋葬者に関してはいろいろ説があるようです。現地のこの案内板で御確認を。場所は、供養之碑より簡単で
台地から田んぼ道へ下り、視界が開けるとすぐの、広めのあぜ道に入っていくとたどり着きます。やはり道は少し分かりづらいですが、道路からも白く案内版が見えるので、場所自体はすぐ分かると思います。
富士見の馬場〜
場所は、正確には覚えていないのですが、岩井市市役所の近くの結城岩井線と国道354号線の合流地点の近くです。(余計分かりづらいですが。)
一言主神社
水海道市大塚戸町にあります。いろんなところに案内板がありますので、間違えないと思います。どの看板にも書いてあるようですが、結婚式場があるところでもあるので、神社だからといって山奥にある訳ではないので御注意を。
この地図は、交流センター(豊田城)で入手した、石下町観光協会発行の、
「歴史と文化のまち石下町」という案内の一部をスキャニングしたものです。
この略地図は、同じく交流センターで入手した、
長塚節生家案内図(おそらく交流センターの職員の手に
よるものでしょう。)に、私が、文字を追加修正したものです。
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