1月26日記


訪問先リスト
  1. 千葉県酪農のさと(嶺岡乳牛試験場)
  2. 安房中央ダム
  3. 小野次郎右衛門忠明生誕の地記念公園
  4. 古墳
  5. 莫越山神社
  6. 加茂遺跡
  7. 安房国分寺跡

千葉県酪農のさと(嶺岡乳牛試験場)
場所は、安房郡丸山町大井686で、県道鴨川富山線と国道410号線の交わる地点の近く、千葉県最高峰の愛宕山の南側斜面に あります。ここは、日本酪農発祥の地ということです。昔、安房里見氏の軍馬生産の牧場で、のちに徳川8代将軍吉宗が白牛を輸 入して、牛乳を利用した乳製品を作ったことから、”日本酪農発祥の地”として「千葉県史跡」に指定したとのことです。 千葉県乳牛試験場そばに酪農資料館、酪農の広場があります。資料館は洋風の建物で、内部では酪農の現在過去(未来)が理解で きるよう展示解説されています。 広場では、2匹の牛と6匹ぐらいの羊がつながれており、触ることが出来ます。山の斜面になっており上まで登っても、眺めは最 高ですが、何もありませんでした。 駐車場は広いスペースがあります。 ただ、資料館しかなく、散歩には向かないしあまり長時間遊べるとは思いません。小さい子を連れた家族ならそれなりに楽しめそ うですが、あまり勧められないかな。もし関心があるのなら、試験場に申し込めば乳牛試験場を見学できるそうですので試してく ださい。 さとの北側後方には、愛宕山の頂上一帯の航空自衛隊嶺岡基地のレーダーサイトがあり、よく見えます。ある本によれば、頂上は 普通立入禁止で、許可を受け自衛隊隊員のお供が無いといけないそうです。確かに情報収集には最適と推測は出来ますが、自然は 誰のものなのでしょうかね。
安房中央ダム
国道410号線をさらに南に進むと、看板が目に入ると思いますが、注意していないと見落とします。 細い道を進んでいくと、Y字路にぶつかり、右に管理棟への道、左にトンネルがあり、右は関係者以外立入禁止のようです。左の トンネルを進むと、ダム湖を周回し最終的に国道410号に戻ってくるようです。410のどこに出てくるかは、看板がないので 見過ごしましたが、看板があるのは、鍛冶畑バス停付近、無いのは犬切バス停付近ですから地図で調べてみてください。 今回は、水量がほとんどなかったようで、渇水状態のようでした。 全体的に、高滝ダム、亀岡ダムと比べ見るところもなく史跡には当てはまりませんが紹介しておきます。
小野次郎右衛門忠明生誕の地記念公園
安房ダムからすぐです。公園は岡の上にあり、国道沿いには木製の階段があるのでそこを登ってください。登ってすぐ目立つのは、 刀を模してできた日時計です。 江戸時代前期、徳川2代将軍に仕えた剣術指南役小野派一刀流流祖小野次郎右衛門忠明の生家があったところとのことです。
永野台古墳
原型はとどめてはいません、畑になっており、石碑があります。 国道410号線を南に進と、すぐに指示看板が見えますので、右折し田んぼの中の一車線やっとの道をまっすぐ進み、一つ目の 十字路を右に曲がり、突当たり道なりに右に進むと、十字路にぶつかります。そこを直進します。上り坂で車1台がやっと通れ る道で心配になると思いますが直進してください。駐車場はなく、坂の途中に待機所があるのでそこで駐車しておくこと。 丸山町指定史跡で、調査の結果古墳二基が確認されており、一号墳は五世紀後期の古墳で、須恵器、円筒埴輪、女性埴輪、碧玉 製管玉、ガラス製小玉が出土しているそうです。二号墳は四世紀後期から五世紀前期の帆立貝式或は前方後円墳形の古墳だそう です。
莫越山神社
場所は、国道410号を南に下り、国道128号の交差する安馬谷交差点を右に曲がり、二つ目の右に入る田んぼ道を進むと前 に出ます。 祭神:手置帆負命(小置安の大神と称す)、彦狭知命(工匠祖神、家宅守護の神) 例祭日:七月九日 で駐車スペースは広くあります。本殿は丘の上にあり、階段を登ることになります。
加茂遺跡
安房郡丸山町加茂にあります。特筆すべきは、今から約5,000年前の丸木舟が日本出始めて掘り出された重要な遺跡であることです。 昭和13年に発見され、23年に本格調査されたものだそうです。 今、加茂遺跡縄文資料館、案内板と史跡碑があります。駐車場は無く道端に止めるしかありません。 資料館は、無人ですが100円で「見学のしおり」が置かれています。資料は豊富で、前期の土器類、黒曜石製石器多数が展示され ており、資料として価値は高いと思うのですが所有者の希望なのか、博物館や町の教育委員会の怠慢か所有者が手放さないのか盗難 防止措置や保存の処理は十分ではないようです。
安房国分寺跡
場所は、国道128号を館山に向かい、国分というところで看板があるのですぐ分かります。 現在真言宗系の国分寺があり、その敷地内にあり、金堂基壇跡が確認されているということで名称碑がありました。


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