阿倍仲麻呂の生きていた時代は、観月や七夕の風習が宮中で行われるようになった唐の時代、 玄宗皇帝や楊貴妃の時代でありました。
仲麻呂は奈良時代の遣唐使で、吉備真備らとともに唐に留学します。 玄宗皇帝に秘書監(正式な名称ではありません)として仕え、 「李白」「王維」などと交際がありました。 仲麻呂は何度か玄宗皇帝に帰国をしたいと願い出ましたがその度断られてしまいました。ようやくその帰国の許可が出て揚州の黄泗浦(こうしほ)の港から出航しようとしたのが 天保12年11月15日でした。しかし1羽の雉が第1船の前を飛んだことを理由に、 翌16日に日本へ向けて出航しました。この時に折から海上に昇った月を見て
天の原ふりさけみれば春日なる
三笠の山にいでし月かもの歌を詠んだのだそうです。
天宝12年11月16日は、日本では天平勝宝5年11月16日、西暦では753年 12月15日(土)に相当します。
この日は月齢15.4で 十六夜 であったのですね。
双子座のポルックスの腕の部分に月が浮かんでおりました。
黄泗浦から日本へ向けて4船が出航しました。第二船には鑑真和上が乗っていました。 4船は沖縄あたりまで行ったのですが暴風に遭遇します。第2船から第4船までは無事日本までたどり着けましたが、 仲麻呂の乗っていた第1船は安南まで漂流してしまいます。
仲麻呂は窮地の中なんとか唐の都まで帰りますが、 安禄山の変が起きたため日本へ向けての船は70年も出ませんでした。 仲麻呂は唐で生涯を閉じました。
NIFTY-Serve FSPACEの16番会議室の皆様に調査・計算を手伝って戴きました。注)西暦753年12月15日(土)はユリウス暦表記でユリウス通日では1996439.5日です。 以前月齢を15.3と表示して満月と判定していましたが、計算精度を上げましたら15.4となりました。 当時の暦からしても十六日であるので、十六夜に変更いたしました(2000.8/22)
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