黄昏 ★★☆
(On Golden Pond)

1981 US
監督:マーク・ライデル
出演:キャサリン・ヘップバーン、ヘンリー・フォンダ、ジェーン・フォンダ、ダブニー・コールマン



<一口プロット解説>
ヘンリー・フォンダとキャサリン・ヘップバーンという老夫婦が、ある美しい池のほとりに居を構え隠棲生活を始める。
<雷小僧のコメント>
この映画によって、キャサリン・ヘップバーンとヘンリー・フォンダの両名は、オスカー(主演賞)を獲得します。ヘップバーンの受賞は、これで4回目ということになり驚くべきことに「勝利の朝」(1933)で最初にオスカーを獲得してから50年も経ってまた受賞していることになるわけですから驚くべき人ですね。これが男優であるとそんなに不思議はないのかもしれないのですが、通常は活躍期間が短い女優さんとなると驚異的です。それから、これも驚くべきことにヘンリー・フォンダのオスカー受賞というのはこれが初めてで、この映画が彼の最後の出演作となりますから、70年代に入るとほとんどパニック映画やモンスター映画等のBクラス映画のしかもカメオ出演しかしなくなってしまった彼にしてみれば起死回生の逆転サヨナラ満塁ホームランだったのかもしれませんね。
「黄昏」はこれにジェーン・フォンダを加えていわば芸達者を揃えた映画であるということが出来ますが、実はまず最初に注意を引くのはそういうことよりも風景の美しさが実に素晴らしいという点です。冒頭の湖面(というかpondなので池の表面)に夕陽が照り映えるシーンから、実に何というか鎮静効果があるというか涅槃の境地に達したような(これはあまりにもオーバーでした)雰囲気がこの映画全体を覆っています(ルーンと呼ばれる水鳥の鳴き声も素晴らしい)。たとえばロッキー山脈だとか何とか砂漠とかアラスカとか、そういうどうだ参ったかというような威圧的な風景ではなくて、言ってみればどちらかというと箱庭的な人当たりのよい風景なのです。まあ、老夫婦が住むような場所なので、何とかファミリーが活躍するような熊がうじゃうじゃ出現するような秘境だと少し具合が悪いには違いないのでしょうが、こういうある意味で日本的な風景を見ていると妙に浄化されたような気分に浸れるものです(なんかじいさんみたいな言い草ですねこれは)。しかもさすがに1980年を過ぎた映画なので、撮影機材の改善ということも含めて画面が非常に美しいのですね。この風景を見る為だけにこの映画を見たとしても損はないかもしれません。
ところで、この映画の主題は老いと死それに親子関係問題というようなところになると思います。まず、親子関係についてですが、これに関しては「ジブラルタル号の出帆」でも書いたのでここでは繰り返しては述べないことにします。けれどもこの「黄昏」で1つ面白いのは、この親子関係をヘンリー・フォンダとジェーン・フォンダという実の親子が演じていることです。しかしまあ、実の親子でよくこういった親子の疎遠=>和解というよくあるストーリーを眉一つ動かさずに演じることが出来ますねーーーーー。さすが、プロなんでしょうね。実際ジェーン・フォンダは、ヘンリー・フォンダによく似ているので(私目などジェーン・フォンダを見るといつもこのお父っつあんが2重写しに見えてくるので困ったものです)、この映画を見ていると、ひょっとして本当の家庭問題をマジに持込んでやっているのではないかというあらぬ疑いが時々頭をもたげてきたとしても不思議のないところです。実際ヘンリー・フォンダという人は取り付きにくい人であったというようなことを、息子のピーター・フォンダだったかがどこかで言っていたような気がしますし、何といってもおやじの方は、50年近く俳優をやっても1つもオスカーを頂戴していなかったのに(この映画でようやく取りましたが)、娘の方が先にあっさりと2つも取ってしまったので、親父の心中穏やかではなかったはずです。
それから老いと死に関してですが、殊に前者の老いというものが映画のテーマになるようになったのは比較的最近でこの映画の頃からなのではないでしょうか。確か近年のジャック・レモン等もこういうのを得意なレパートリーにしているように思いますが、70年代以前には余り老いそのものが主題となるようなことはなかったような気がします。勿論、70年代以前の映画を全て見たわけではないのでこれには反証があるのかもしれませんが、ただ世間から身を引いた老夫婦が、人里離れた遠隔の地に隠棲するのがメインの描写であるような映画はまずないように思います(少なくとも私目の知る限りでは)。たとえば「老人と海」なども老人が主人公なのですが、これは「黄昏」とは全然違うのです。というのも、老人が主人公であっても老いそのものが主題ではないからです。それでは、現代の方が昔に比べて老いというものに対しヒューマニスティックな見方がよりよく出来るようになったからそういうことが映画の主題になるようになったのでしょうか。私目は、これは決定的に違うように思います。それはどういうことかというと、昔は老人とか子供とかを含めて社会自体が共同体的な全体として機能していたわけであり、そういう側面から色々な事象が見られることが多かったのだと思います。この故に老いというテーマに関しても、それだけを切離して見るというよりも共同体的な諸事象の1つとして統合的に見られることの方が多かったように思われます。従って、世間から隔離された老夫婦の隠棲生活などというのはテーマにはなり得なかったのではないでしょうか。これに対して実生活的にも所謂核家族化が進み社会全体の構造が分極化してきた現代になって始めて、たとえば老人なら老人というカテゴリーを1つの独立した単位として扱うような視点が発生してきたのではないかと思います。実はまさにこういう分極化の中にこそ老いの問題というのは発生するわけであり、共同体的に老人の居場所があった時代には、死は問題になり得ても老いは今日のような形態では問題として存在していなかったのではないでしょうか。またもう1つの主題である親子関係の問題もある意味でこの分極化の問題の反映であると言っても差し支えないように思います。このように、映画というのはある意味で社会の形態を写す鏡でもあると私目は大袈裟に考えているのですが、この映画にもそういう面がよく現れているような気がします。

2000/09/17 by 雷小僧
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