![]() |
先日、劇場で「きみに読む物語」(2004)という作品を見ていた時、その時は気が付きませんでしたが、パターン的に似た映画をどこかで見たような気がして仕方がありませんでした。今になって、それはこの「ロビンとマリアン」であることにハタと気が付きました。勿論、「ロビンとマリアン」は中世が舞台であるのに対し、「きみに読む物語」は現代が舞台であるなど、様々な違いは当然ありますが、いわゆる世間一般に言うところの「愛と死」というテーマに「老い」というテーマがミックスされている点が非常に似ています。「老い」というテーマに関しては、「若さ」との対比によって語られることが普通であり、「きみに読む物語」の場合には、その対比がフラッシュバック手法を利用して行われているのに対し、「ロビンとマリアン」の凄いところは作品上では「若さ」に対応する部分は描写されていないところです。描写されていないというよりも、主人公がロビン・フッドなのでその必要が全くなく、その点に関してはオーディエンスの想像力に一存されていると見なす方が正しいかもしれません。要するに、誰でもロビン・フッドが誰であるかは知っていることが前提になっており、「ロビンとマリアン」という作品では、オーディエンスの持つ既存の知識及び想像力に訴えかけることによって、作品中に明示的に語られていない物語が、作品中に語られる物語のニュアンスを絶妙に左右するような構成が取られているのです。そのような構成があったればこそ、描写されている額面上のストーリーを遥かに越えた得も言われぬノスタルジックな寂寥感が感じられるのです。「ロビンとマリアン」は、単なる老いた英雄の後日たんとして見ると作品の良さが雲散霧消しかねないタイプの作品であり、常に作品の範囲内では語られていない若き頃のロビン・フッドに対する見えないリファレンスが存在し、それによって実際に語られるストーリーが逆照射され、作品の有するニュアンスが虹のように多彩化されるのです。ロビン・フッド(ショーン・コネリー)と代官(ロバート・ショー)のクライマックスの一騎打ちなど、現在のアクション映画を見慣れたオーディエンスの目からすれば、信じられないほど鈍重で不細工に見えるはずですが、なぜこのシーンがかくもチョーカッコ悪いかというと、チョーカッコ悪くなければならないからです。すなわち、クライマックスシーンのカッコ悪さは、作品中では語られていない颯爽とした若き日のロビン・フッドの姿との対比をオーディエンスの心の中に必然的に呼び覚ますが故に、得も言わぬノスタルジーが喚起されるのです。、このような目には見えないリファレンスが巧妙に張り巡らされているのが、「ロビンとマリアン」という作品なのです。「きみに読む物語」では、このような対比を行う為に延々とフラッシュバックシーンを組み込まざるを得なかったのに対し、「ロビンとマリアン」ではその必要が全くなく、後の仕事はオーディエンスの想像力に全うさせるというクレバーな構成が取られているのです。このように言うと、「きみに読む物語」の場合は、上映時間上では遥かに長いフラッシュバックシーンの方がメインではないかと思われるかもしれませんが、少なくとも個人的には、「きみに読む物語」の核心は、老いた主人公(ジェームズ・ガーナー)が昔話を痴呆症に陥った年老いた妻(ジーナ・ローランズ)に聞かせる部分にあり、そうでないと作品の意味自体が雲散霧消してしまうはずだと考えています。話は180度変わりますが、オードリー・ヘプバーンは、「ロビンとマリアン」によって「暗くなるまで待って」(1967)以来ほぼ10年振りにカムバックします。ではこの間の10年間、なぜ彼女は映画に全く出演しなかったかという疑問が湧きますが、実際の理由がどうであったかは別として、女優としての年齢の問題よりも彼女が体現する様式と時代が要請する様式が大きくズレたことが原因ではないかと個人的には考えています。イメージのズレに関しては、彼女がキャリア中断前に最後に出演した2作、すなわち「いつも二人で」(1967)と「暗くなるまで待って」を見ても良く分かります。というのも、この2作は彼女がそれまでに出演してきた作品とは傾向がかなり異なり、彼女の本来のイメージにはなかった役をこの2作では演じているからです。それでは、なぜ10年経った70年代後半にカムバックしたかという疑問が湧くはずですが、今度は逆に彼女が年を取ったからではないかと考えられます。それは何も、彼女が中年オバタリアンになったので外見などどうでも良くなったという意味ではなく、そのような様式を問題にせずとも良い年齢に彼女が達したからではないかということです。すなわち、50才に近づきつつあった当時の彼女は、コンテンポラリーな価値を体現しているか否かによって評価が大きく左右される年齢を越えたということです。翻って考えて見るとマリリン・モンローが60年代初頭若くして亡くなったのは、もし彼女が生きていた場合に彼女が出演したであろう作品をないものねだりして、大きな損失であったと考えるとすると、それは違うと少なくとも個人的には考えています。なぜならば、60年代の初頭までは良いとして、60年代中盤以降になると彼女が体現するイメージと時代が要請するイメージは大きくズレていたはずであり、すなわちもし彼女が生きていたとして、またそれ以上に有り得ない仮定として彼女がまったく同じ若さを保っていたとしても、彼女が活躍出来たのはせいぜい長くてその後数年であっただろうと予想されるからです。モンローファンに怒られることを覚悟して敢えて言えば、ズバリ女優としては非常に良いタイミングで亡くなったという方がむしろ正解ではないかとすら考えています。要するに彼女がいつまでも変わらずに存在したとしても、時代の方が変わるのは避けられないということです。ということで、話が「ロビンとマリアン」から大きく外れましたが、緑が素晴らしいことを最後に付け加えておきましょう。これ程、自然の緑を見事に捉えた作品はなかなかなく、その点だけ取り上げても評価できる作品です。