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小生は高いところが嫌いなのでそんなことはそもそも夢見たことすらありませんが、冒頭のクリップでレッド・スケルトンがコミカルなパフォーマンスによっていみじくも披露しているように、空を飛ぶことはかつて人類の壮大な夢でした。「素晴らしきヒコーキ野郎」は、そのような夢が始めて実現した頃、すなわち空を飛ぶことがまだアドベンチャーであった頃(個人的には、21世紀の現在でも飛行機に乗ることは全くのアドベンチャーですが)の熱気が、コメディパフォーマンスを通して伝わってくる作品です。様々な国の飛行機乗り達が参加するロンドン−パリ間飛行機レースを題材とし、確かにストーリーは至って単純です。とはいえ、まだ黎明期の頃だけに様々な形状の飛行機が登場し、まずそれを見ているだけでも楽しく、DVDの特典解説によれば、作品に登場する飛行機はかつて実際に製作されたことがあるモデルに従ったものばかりだそうです。いわば、飛行機の形状そのものが現代の目から見れば既にコメディそのものであり、「素晴らしきヒコーキ野郎」がコメディ作品であるのも或る意味で必然と言えるでしょう。他の目立つ要素として、主催者の娘(サラ・マイルズ)を巡るロマンスも若干見られるとはいえ、監督のケン・アナキンはどちらかというと純粋なコメディにしたかったようであり、ロマンス要素の追加はプロデューサーの意向であったようです。個人的には、「素晴らしきヒコーキ野郎」は飛行機がロマンスそのものである時代が舞台であることを考えればなおさら、それ以上のロマンス要素の追加はむしろ焦点をぼかす結果になったような印象があります。いずれにしても、「素晴らしきヒコーキ野郎」は、半端なロマンスなど吹っ飛ばしてしまうスラップスティックコメディにむしろ近く、見ていていつも思い出すのがハンナ=バーベラプロダクションのスラップスティックコメディアニメーション「チキチキマシン猛レース」です。確かに、飛行機レースとカーレースの違いはありますが、ノリは近いものがあります。殊にテリー−トーマス演ずるワルが、あの手この手を使って他の競技者の邪魔をしながら結局自ら墓穴を掘ってしまうのは、チキチキマシンのブラック魔王を彷彿とし実に傑作です。とすると、エリック・サイクス演ずる相棒はさしずめケンケンということになるでしょうね。また、愉快なのが、各国の競技参加者がお国のクリーシェ的なパーソナリティで味付けされている点であり、いわばお国柄がジョークのネタに使われていることです。たとえば、アメリカ代表(スチュワート・ホイットマン)はアメリカ的にイージーゴイングなキャラクターを、ドイツ代表(ゲルト・フレーベ)はドイツ的にいつも規則に従って事を行うby the bookキャラクターを(マニュアルを見ながら飛行機を操縦しているキャラクターが可笑しい)、フランス代表(ジャン・ピエール・カッセル)はフランス的にいつも女の子の尻を追いかけているドンファン的キャラクターを(その女の子をイリナ・デミックが1人6役で演じています)、イタリア代表(アルベルト・ソルディ)は、イタリア的に陽気で饒舌なキャラクターを演じています。日本代表としてかのデカ長も参加していますが、DVDのケン・アナキンの音声解説によれば、日本のキャラクターは真似っ子キャラクターだそうであり、各国の飛行機をリアセンブルして堂々と日本の飛行機として乗り込んでくるところにそのような皮肉が込められています。オリジナリティーの欠如を皮肉られているわけですが、必ずしも完全に的はずれでないところが我々日本人としては頭が痛いところです。因みに我らがデカ長演ずる日本代表は、テリー−トーマス演ずるブラック魔王のサボタージュにあってあえなく離陸直後にダウンしてしまいます。石原裕次郎が出演していることもあってか、「素晴らしきヒコーキ野郎」は、その昔TVでしばしば放映されていましたが、あまりにもあっけなく脱落してしまうので最初に見た時ガッカリしたのを覚えています。このようにクリーシェキャラクターを続々と登場させると、場合によっては極めてくだらないジョークのオンパレードに終わる危険性もあります。しかしながら、たとえ各キャラクターが発するセリフがくだらないジョークであったとしても、全体的にはクリーシェキャラクター達の可笑しなインタラクションを通じて飛行機で空を飛ぶことがまだロマンスであった頃の熱気が伝わってきます。飛行機レースの主催者を演じているロバート・モーリーが相変わらず彼らしい独特なパフォーマンスを見せていることと、戦争映画音楽の巨匠ロン・グッドウインの音楽が作品の雰囲気に見事にマッチしていることを最後に付け加えておきます。