週報バックナンバー1999年


週報(1999年12月26日)

   一九九九年を省みて
                                              朝位真士
 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(Tテサ五・一六〜一八)
 今年はこの聖句によって始まった。年度としては数ヶ月あるが、この年度(四月)を省みていろんな事があった。
 三月三一日に八四歳で瀕良順介兄が召天、続いて四月三日牛山俊子姉が二八歳で召天。二月二五日工藤健一
郎さん(工藤姉のご主人)召天、五六歳。一一月二九日高水謙三兄が六九歳で召天。次々と召天者が続出した。そ
の他に病気の方々も出てきたりした。本当に私はこの出来事を見て、何故神様はこの桜ヶ丘教会にこのような試
練を与えなさるのであろうかと思った。神が愛ならば、神が祝福の神、恵みの神ならば、何故何故と神に対する
疑問も湧いてこないでもない。しかしある日祈っていた時に、もう一度最初の御言葉が浮かんできた。どんな状
態であっても喜び、祈り、感謝せよ、これが勝利の秘訣だということを示された。洗礼者は与えられなかったが、
五人の方々(川口昌子姉、工藤久美子姉、近藤君代姉、近藤信夫兄、原田かつ姉)を新会員として桜ヶ丘教会に迎
えた。そしてまた、長年の祈りの課題であった旧会堂のパールハイツ一階を一〇月二九日に伸西フラワーに売却
することができて、東海銀行の短期借と会堂融資組合の短期借と教会債の一部返済が実現した。勿論、高齢者が
増加し、病気の方々やリストラで失業された方々もおられて、決して楽観はゆるされないが、信仰をもって全能
の神を信じ、万事を益としたもう主イエス・キリストの父なる神を信じて前進するとき、主は二〇〇〇年を桜ヶ
丘教会のリバイバル(再生)の年として下さることを期待したいものである。

週報(1999年12月19日)

  クリスマス特別礼拝に想う
                                             朝位真士
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」
                                           (ルカ二・一一)
 今年もクリスマス礼拝を迎えることが出来て感謝申し上げます。今年のメッセージは、ペアンテ・ボーマン先
生(東京交響楽団首席チェロ奏者、神学博士、牧師)です。先生は一九五一年スウェーデンで誕生され、一二歳か
らチェロを始め、王立音楽大学・卒業後、西ドイツのフォルクヴァンク音楽大学院、ヘルシンキ市のシベリウス・
アカデミー大学院で学び、一九八〇年より首席チェロ奏者として東京交響楽団に入団されました。フィンランド
で聖書を学び、神学校にて旧約釈義を教えておられる神学博士でもあります。その先生が御夫人のルリ子先生(武
蔵野音楽大学ピアノ科卒業、西ドイツの国立フォルクヴァンク大学、シベリクス・アカデミーの各マスタークラ
スで学ばれた)と共に私共の馬小屋をイメージした教会にクリスマスの音楽とメッセージを携えて来られました。
これこそビッグニュースです。超多忙な御二人で、日本全国各地に手弁当でも時間があれば喜んで行かれる、ま
さしく神の福音と音楽の使者ですし私共の教会は特に音響に力を注いだ会堂であり、なんとかしてこの小ホール
ながら響きの良い会堂に主の福音を響かせたいと、役員、信徒一同かねがね願い祈っていました。このことが今
日のクリスマス礼拝に実現したことは、神の深い恵みと摂理であると思います。今日ここにお集まりの皆様方は
勿論ですが、今日ここに来られなかった方々にも是非このクリスマスの素晴らしいメロディーとメッセージをお
伝えしたいものです。神に栄光、地に平和があるように祈りたいものです。やがて、会堂にいっばいの人々が集
い、救われることを切に祈るものです。

週報(1999年12月12日)

   初めの愛
                                      朝位真士
アドベント(降臨節)の第二主日を迎えています。降臨節は待望と憧憬の期節である。この意味は「来る(降臨)」
ということである。それは、世界があげて救い主を待つ時節である。この時にヨハネ黙示二章一〜七節を通して、
「初めの愛」と題してメッセージを語る。この手紙はエペソの教会に書き送った内容である。エベソは、小アジ
アにあるローマの勢力圏の中心地として、政治的に重要な都市であったばかりでなく、商業的にも東西を結ぶ交
通の要路となっていて、そこには壮大なアルテミスの神殿があった(使徒一九章)。この神殿は不道徳の震源地と
なっていた。けれどもまた、このような土地であるだけに福音の宣べ伝えられる必要も大きかった。パウロはこ
の地に二年以上も滞在して、み言の宣教につとめた。そしてこの地は、教会にとってエルサレム、アンテオケに
次ぐ東方における中心地となったのである。
 このエペソにある教会に向かって、その愛のわざ、労苦と忍耐とを認めている。又、ニセ使徒を見破る正統的
な信仰をもっていた。しかし「あなたは初めのころの愛から離れてしまった」と語っている。エペソの教会は異
端の排撃に急なるあまり、兄弟愛を忘れてしまったか、あるいはその忍耐が単に機械的なものになってしまって
神の愛から離れてしまったと語られている。
 これは、エペソの教会の人々に語られているだけでなく、私達にも語られているのではないだろうか。いや私
自身に語られている。私も救われた三八年前(一九六一年)は、純粋に神の愛に生き、素直な信仰を持ち、各集会
(礼拝、祈祷会、伝道会)にも熱心であり、十分一献金に励み、伝道を純粋に神の愛に迫られてしていた。ところ
が今はその純粋な神の愛はあるだろうか、強く私にチャレンジを与えられている箇所である。

週報(1999年12月5日)

  高水謙三兄の召天に想う
                                              朝位真士
 過ぐる一一月二九日(月)午前八時四十分、お茶の水日大病院で六九歳の生涯を終えた彼のことを語ってみたい。
 彼は一九三〇(昭和五)年二月一一日東京で誕生され、小学校五年の時父上が急死され、梅ヶ丘小学校高等科を
卒業後一九四三年旧国鉄品川機関区に就職。その後靴修理工として桜上水の千歳靴店にて働き、京王電鉄の中に
靴店を開き、現在パラレル(株)代表取締役社長をされていた。その間、一九六三年和合谷君子姉(現在の奥様)と
結婚され、一男一女に恵まれた。
 信仰略歴は、一九五二年日本同盟キリスト教団中野教会でバーナード・E・ホーリック師より受洗、一九七〇
年東京カペナント教会より桜ヶ丘教会に転会され、長く責任役員として忠実な奉仕をされ、特に新会堂建設に当
たっては他の役員と共に土地探し、会堂建築、銀行借入、旧会堂(パールハイツ桜上水)売却等において時間も財
も労力も惜しまないで一生懸命奉仕して下さった。今年十月二五日(月)脇腹の痛みが激しいので入院され、一一
月二九日に、一ヶ月余の入院生活で天国へ旅立たれた。彼は大変明るい人で単純率直な方であり、信仰に於いて
も一途の人であった故に人々に誤解を与える面もありました。そして人のお世話をよくする方であり、好き嫌い
がはっきりしておられたので良い面と悪い面がすぐ出た人であった。長く教会に於いて率先して奉仕をされ、特
に教会の清掃は毎週来てよくしてくれました。集会にも積極的に出席し、献金もいつも十分一献金を実行され、
祈祷会での祈りは確信のある力強い祈りであった。
「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」(ヘブル一一・四)
 ご遺族、近親の上に神の慰めを祈ります。

週報(1999年11月28日)

   秋期特別礼拝を迎えて
                                              朝位真士
 今回講師としてお迎えする御二人の先生方は、三谷康人先生、三谷君子先生ご夫妻です。康人先生は一九二九
(昭和四)年一一月八日広島県で誕生されて、慶応大学卒業後鐘紡(株)に入社、昭和三七年一〇月五日受洗、昭和
四〇年二月化粧品部門へ、四六年九月薬品部門へ、五三年三月カネボウ薬品(株)取締役就任、五四年四月薬専事
業部長、八味地黄丸キャンペーン「顧客創造」の意義を悟られ、平成六年六月鐘紡専務取蹄役、カネボウ薬品社
長に就任、同七年六月退任、同会長就任、同九年六月カネボウ薬品会長退任、日本漢方生薬製剤協会会長退任、
同九年一〇月三一日伝道師として按手礼を受け、現在鐘紡顧問、日本漢方生薬製剤協会顧問、関東学院大学経済
学部非常勤講師、日本マーケティンググループ企画委員をされて、全国のビジネスマンの方々や教会関係から多
数の講演依頼が来ておられる方です。
 三谷君子先生(神木教会牧師)は一九三〇(昭和五)年二月一日広島で誕生され、昭和二九年三谷康人先生とご結
婚、子供四人に恵まれる。昭和三二年七月七日バプテスマを受けられ、この時から家族、親族、友人、隣人が次
々と救われ出す。一麦教会の故松原和人牧師を迎え、毎月定期集会をもつ。三四年八月四日故松原牧師の司式に
よる按手礼を受ける。三六年よりご主人の転勤により「家の教会」が出来て、次々に救われる方々が起こされる。
神戸・高岡・大垣・大阪・東京。昭和四九年四月一四日新築移転して開拓伝道。五九年九月教会堂献堂され、
「神木イエス・キリスト教会、家の教会」として三谷康人先生、次男の和司先生と共に牧会され、現在に至る。

週報(1999年11月21日)

   イエス・キリストの黙示
                                             朝位真士
 先週は、「イエス・キリストの黙示」というテーマで、ヨハネ黙示一・一〜八節を通して語った。まず序論に
て、「黙示」ということばの説明をした。このことばは、ギリシャ語で「アポカリプシス」と呼ばれる。アポ
(・・・から)とカリプシス(かくす、おおいをする)という二つの部分から成っている。そこで「隠したもの
をみせる」「おおいを取り除く」「あらわす」という意味になる。そこで「隠されたもの、秘義なものがあらわ
に示される」という事を語った。
 次にこの箇所は三重の祝福をもっている。
 @この預言のことば(神のことば)を朗読する者はさいわいである。
 Aこの預言のことばを聞く者はさいわいである。
 Bこの預言のことばを守る者はさいわいである。
 次にヨハネからアジア州にある七つの教会(エフェソ・スミルナ・ペルガモン・ティアティラ・サルディス・
フィラデルフィア・ラオディキア) へ書かれた。これは、ローマの管轄下にあるアジア地方のことである。
 次に、一章四〜六節に「祝福の源」を語り、この「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき方」から祝福を送
ると語っている。
 八節に「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこういわれる。『わたしはアル
ファであり、オメガである。』」
 この「黙示」とは真理を伝える意味で啓示ではあるが、究極的な諸現実に関する幻をもって明らかにするとい
う意味からそのように呼ばれた。二〇世紀の終わりに、このヨハネ黙示録は私達に何を語っているか、素直な気
持ちで神のメッセージに耳を傾けてみましょう。

週報(1999年11月14日)

   信仰の偉人達
                                              朝位真士
 先週の礼拝は「召天者記念礼拝」で、ヘブライ一一章一三〜一七節を通して「信仰の偉人達」というテーマで
語った。
 「この人達は皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て
喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」
 この一一章全体は、信仰偉人伝といわれる章で、旧約の信仰者達が多く名を連ねている箇所である。まず始め
に信仰とは何かという信仰定義が語られている。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認す
ることです。」と語っている。
 次に「昔の人たちはこの信仰のゆえに神に認められました。」と語っている。
 救世箪の山室軍平は、「信仰とは、四方八方がふさがっていても上が開くことだ。」と語った。この一三〜一
六節では「信仰者の死」が語られている。これらの人たちは、アブラハム、イサク、ヤコプをさしている。彼ら
は「死んだ」のに、エノクは死を見なかった。また九節、一〇節と、この一三〜一一六節とにある「約束」「他
国に宿る」「都」などから、彼らは信仰によって生き、「信仰を抱いて死んだ」とは「信仰のうちに」「信仰に
従って」「信仰どおり」である。その信仰は一節に定義しているように「望んでいる事柄を確信し、まだ見てい
ない事実を確認することである。」まだ見えない神の都を、あたかも、はるかに見える幻のように望みつつ、喜
びをもって人生の旅を続けていく姿こそが信仰者の生活である。さらに、わたしたちにとって喜ばしいことは、
キリストのあがないの死によって、わたしたちがその一員となっていることである。新しく生まれかわって、こ
の都の住民となり、国籍が天国にあることである。

週報(1999年11月7日)

  召天者記念礼拝
                                              朝位真士
 日本キリスト教団では、十一月の第一聖日が「聖徒の日」となっている。この日は、信仰の先輩たちのことを
想起しながら、お互いが担っている使命を自覚することが必要である。この「召天者記念礼拝」に特別な基準は
ないが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後三日目、九日目、四十日目など、主の復活の告知を表す三また
はそれをさらに三倍した九、それに聖書的に象徴的な四十に基づいた日数、年数などによる考え方があったよう
である。教会の暦に関連して死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念
会に「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるであろうからである。教団の教会とし
て、公同の記念礼拝をもつのは聖徒の日、復活節、あるいは地方によっては日本のお盆の頃に関係者を集めて行
う所もある。
 今年も、安東幸雄兄の配慮によつて、召天者の写真をパネルにして、合同で記念礼拝をもつことができ、神と
皆様方に感謝したい。今年この写真のお仲間に入られた方は、瀬良順介兄、八四歳、今年の三月三一日に召天さ
れた。二人目は、牛山俊子柿である。四月三日に二八歳で召天された。あと二週間で二九歳になる予定であった。
三人目は、川口昌子柿のご主人の川口正秋兄。一九九八年三月四日に召天された。八三歳であった。
 ここにお集まりの一同の方々に神の慰めと祝福を祈る次第である。
「『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである。』と。」霊も言う。「然り、彼らは労苦を解かれて、安らぎ
を得る。その行いが報いられるからである。」(ヨハネ黙示録一四・一三)

週報(1999年10月31日)

  志木教会の秋期特伝に招かれて
                                           朝位真士
私は十月二三日(土)二四日(日)の二日間埼玉県志木にある日本キリスト教団志木教会で御用致しました。
神の愛に生きる人生」という総主題のもと、盲目は「人生の重荷を主に」といぅ題で夜七時から聖書マタイ
二章二八〜三〇節を通して語らせていただきました。大体四○〜五〇名位の出席だったと思います。夜六時頃
東上線志木駅に到着しますと、北口で伝道委員が特伝のポスターをサンドイッチの形に前後につりさげてチラシ
を配布しておられました。聞くところによると、四時頃から配布、案内をしておられたそぅで、目頭が熱くなる
思いがしました。その兄弟と約一五分位徒歩で教会迄行きました。吉仲先生ご夫妻や役員信徒の方に迎えられて、
二階で祈って、階下の礼拝堂で秋期特伝が開かれました。私は、特伝や他の集会で他教会へ行った事がありまし
たが、なにかしらその日はやたらにのどが渇き、あがっていました。しかし、集会に出席された方々は夜の貴重
な時間をさいて出席された方々で、良く話を聞いて下さいました。集会が終わり、役員の車で志木駅まで送って
下さり、十時近くには教会に着き食事(夕食)をして風呂に入り、すぐ寝床に就きました。翌朝二四日(日)は、四
時半に目が覚めて、祈って、桜ヶ丘教会の集会の諸準備をして、八時二〇分頃桜ヶ丘教会を出発しました。九時
四〇分頃志木教会に到着し、「神の愛に生きる」というテーマでTヨハネ四章七〜二一節の所より語らせていた
だきました。大体八〇名位の集会者だと思しました。
 祈られて準備された集会であったということが、語る者の内にひしひしと感じられました。私の願いは、トラ
クトを受け取った方が教会へ導かれ、求道者や教会から遠のいている方々がもう一度信仰の決断をされて信仰生
活に復帰されることです。留守を守って下さった方々に感謝します。

週報(1999年10月24日)

管理人の不注意でデーターを削除してしまいました。ごめんなさい。


週報(1999年10月17日)

   キリストに結ばれた者
                                             朝位真士
 Uコリ一二章一一〜二一節を通して「キリストに結ばれた者」というテーマで語った。
 パウロは、今、三度日のコリント行きを計画している。一度目は、コリント教会設立の際のもの。二度目は、
悲しみを抱いて行った「中間訪問」。三度目を通知するパウロは、またしても金銭問題についての釈明に走る。
一四節「わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。わ
たしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。」と語っている。このテキ
ストの中でのキーワードは一九節「あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、
これまでずっと思ってきたのです。わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。」
 この手紙で読み進んできて、コリント人は、パウロはただ自己弁解につとめているのだと思い続けてきたかも
しれない。彼は、弁明をし釈明を試みてきたが、それは決して自己弁解をしたのではなく、「神の前で」「キリ
ストにおいて」コリント人の「建徳のために」語っているものだということを断言する。コリント人のパウロに
対する不信は、パウロの宣べる福音への不信となり、教会の崩壊を意味するようなものであった。バウロは、そ
のことを憂えてこの手紙を書いたのであった。
 二〇〜二一節に、訪問を前にして、今、パウロにとって非常に気がかりなことがあると語っている。しかしパ
ウロは、キリストに結ばれた者として、コリント教会との間に、信頼と和らぎが回復され、信仰による真の一致
の確立されることを一途の願いとしているのである。パウロは神を信じ神に依り頼むものは決して神に辱められ
ることはないと確信している。

週報(1999年10月10日)

   弱さを誇ろう
                                              朝位真士
 Uコリ一二章一〜一一節を通して「弱さを誇ろう」というテーマで語った。
 パウロは、一〜四節で彼の受けた主の顕現と啓示を語り、五〜一〇節で彼の受けた大きな試練と、弱いところ
に表れるキリストの力を語っている。
 最初に彼は「わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天に
まで引き上げられたのです。」(二節)と語っている。ユダヤ人は天を三つに区分した。空気や雲があり鳥の飛ぶ
空中が第一の天、日月星がある大空が第二の天、神や天使のいる所が第三の天と信じていた。彼はこの第三の天
に携え上げられて、神秘的な言葉を聞いた。彼がこのような異常な啓示を受けたことは、使徒であることの十分
な証拠として誇るに足る事であるが、彼個人としてそのために高ぶることのないために、一つのとげが与えられ
た。このとげを取り除いてくださる様に、神に三度祈った。すると主は「わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」と言われた。
「だからキリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましよう。…なぜなら、
わたしは弱いときにこそ強いからです。」(八〜一〇節)
 逆境の上に弱さ、欠乏、困難を感ずる時にも、かえってそれに満足した。肉体上の苦痛や、境遇上の困難の大
きな試練の中にも、満ち足りた恵みはありうる。祈が答えられない時にも、恵みの主を見上げる者には感謝と満
足感が湧き出てくる。神が許されたものならば、恵みを受けるのに妨げにはならない。そのために真剣に祈るの
で、かえってそれが祝福となる。だから、わたしたちは大いに「自分の弱さを誇ろう」。自分の弱さの中に神の
力があらわされるのである。

週報(1999年10月3日)

   パウロの苦難
                                              朝位真士
 Uコリ一一章一六節〜三三節を通して、「パウロの苦難」というテーマで語った。
 パウロが苦しみ忍んだ数々の事柄の一覧表を読んで痛切に感ずることは、わたしたちがパウロについていかに
無知であるかということである。パウロの苦薙が一一章二三節から二七節にこう記されている。「苦労したこと
はずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭った
ことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投
げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の
難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労
し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え乾き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともあり
ました。」このようなパウロの苦難を通して、私共も、キリスト者になっていろいろな苦難や迫害や試練がある
ことに気づく。それは決して神からの裁きではなく、この苦難は、「主は愛する者を鍛え、子として受け入れる
者を皆、鞭打たれるからである。」(ヘブライ一二章六節〉とあるように、神から愛されている証拠であるという
ことである。旧約のヨブという人も、パウロと同じような生死に関わる大きな苦難を与えられたが、ヨプ記四二
章一〇節に「ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨプを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた。」と
ある。聖書の目的は、特定のある人がしたことをたたえることではなく、ただひとりの主にのみ栄えを帰すこと
である。「耐えられないような試練に遭わせることはなさらず・・・逃れる道をも備えてくださいます。」(Tコリン
ト一〇・一三)

週報(1999年9月26日)

   神による熱愛
                                              朝位真士
 先過はUコリ一一・一〜一五節より「神による熱愛」というテーマで語った。
 神学者米田豊先生は、今日の一五節までを三つに分類している。
 一〜四節 コリント人に対するパウロの熱心と心配
 五〜一二節 無報酬で伝道した彼の誇り
 一三〜一五節 にせ使徒について
さて、パウロは「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。・・・」(三節)口語
訳では「わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。」神は出エジプト二〇章五番「わたしは主、
あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わた
しを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」六節。神は、相手のすべての愛を得
なければやまない濃厚、熱烈な愛を言う。彼らがこの愛を裏切って他に走るのを忍ぶことができなかったのであ
る。私たちは、キリストの花嫁として、主の再臨までは婚約者である。キリストの花嫁として、私共は三つの事
をしたいものである。@お祈りをする事。A聖書を読む事。Bキリストに対して奉仕をする事。私たちは、婚約
時代には、純潔をもって心ひとすじに主を慕い、愛さなければならない。又、注意しなければならない事がある。
サタンの誘惑に日を覚まし注意する。
 聖書を読む事、祈る事、教会の事について拒絶反応を起こす時、よく注意しなければならない。霊的チェック
を怠らないようにしていかねばならない。サタンは「光の天使を装うのです。」と語っている。
 キリストの花嫁として自覚しましょう。

週報(1999年9月19日)

  高齢者の祝福
                                             朝位真士
 詩九二篇一三〜一六節を通して「高齢者の祝福」というテーマで語った。まず全体の分解を語った。
 一〜六節 主はそのなし給えるみわざのゆえにほめたたえるべき方である。
 七〜一二節 悪しき者はついに滅びる
 一三〜一六節 正しい者の繁栄
その中で特に一三〜一六節までを中心に語った。「神に従う人はなつめやしのように茂り」とあるように、神様
を信じて老人になると、なつめやしの木のように、成長が早くて強く盛んで、レバノンの杉のように力と永続性
を持つことが出来る。一五節に「白髪になってもなお実を結び、命に溢れ、いきいきとし」とある。
 次に「老い」の生活の中心はキリストである。このキリストに従いキリストを見上げて生きることが「老い」
を支えてゆくのである。又、老人の総合的な判断力、豊富な経験は多くの人々の励ましとなる。さまざまな角度
から総合的に判断するといった能力は老人に与えられている大きな恵みである。そして教会での交わりは孤独を
いやすのである。教会の中で主にある者としてのお互いの交わりが深められるだけでなく、祈りを通して神との
交わりが与えられてゆくとき、一人の生活であっても孤独に耐えられないということはないように思える。又、
多年の間さまざまな経験を通して与えられた知識、長い年月の間与えられた多くの人達との交わりを通して自分
の人格を造りあげた知恵は、若い人達のもたない尊い宝である。
 最後にイザヤ四〇章三一節「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱るこ
となく、歩いても疲れない。」これは老人のみならず、若者にも言える事である。

週報(1999年9月12日)

   パウロの誇り
                                              朝位真士
 先週のメッセージはUコリ一〇章を通して、「パウロの誇り」というテーマで語った。
 パウロは一節で「このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって・・・」と語っている。「優
しさ」ということばはおもしろいことばである。アリストテレスはこれを、過度に怒ることと全然怒らないこと
とのちょうど中間、というふうに定義している。それは、怒りが完全に支配・抑制されていて、怒るべき時にの
み怒り、しからざるときは決して怒らないという人間の特質を指している。もう一つは「心の広さ」と語ってい
る。これは、「公正にして公正以上のもの」と定義している。法や規則を厳格に適用することが、現実にはかえ
って不正となる場合がある。厳格・公平な正義が、現実には不義を結果する時もある。真の正義は、法規の文字
に固執することではなく、われわれの決定にあたってより高次の要因を考慮に入れることである。結局、正義で
はなく、愛である。パウロは自分の権利を主張したり、法の文字に固執したり、規則、規定を押しつけたりしな
いで、キリストの愛をもって、処理しようとしている。
 次にこの一〇節に「誇り」という語が、七回出てくるが、パウロは一七節に「誇る者は主を誇れ」と語ってい
る。パウロは高い誇りに生きた人であるといった。だが、彼は、どんな時でも決して自分自身に誉れを帰そうと
はしなかった。彼はキリストの僕であつた。キリストを主と仰ぐ彼には、ただひとつの満足の基があり、唯一の
法則があった。それは、自己があがめられるかわりに、あらゆる成功の奥にある神の恵みが讃美されることであ
った。主を誇るのがパウロが誇った誇りであり、全てのキリスト者が誇らねばならない誇りはこの誇りである。
そしてパウロは常に神に栄光を帰した生き方であった。

週報(1999年9月5日)

  「日本伝道の幻を語る会」に出席して
                                            朝位真士
 八月三〇日(月)〜九月一日(水)迄、千葉県市川のサンシティーホテルで「日本伝道の幻を語る会」に出席した。
 主講師は山北宣久先生(聖ヶ丘教会牧師、教団副議長)と中川健一先生(ハーベストタイム・ミニストリーズ主
幹)。讃美は西村信子女史(ゴスペルシンガー)。山北先生は二回のメッセージ。マタイ二五・一四〜三〇から、
「伝道は、聖書知織や神学を伝えるのではない。十字架に死に、復活されて天におられる御子イエス・キリスト
の事実を証言するのである。すなわち聖霊によってキリストの十字架と復活を確信し、その事実を証言せずには
おられない必然性に迫られて行うのが伝道である。」「日本基督教団信徒必携」を語られ、キリスト教の七つの
特色@贖罪A和解B再生C信仰復興D啓示E新生F復活を語られ、主が期待しておられる働き人、a.主と同じ
ビジョンを持つ働き人、b.主と同じ愛の心を持つ働き人、c.恥じるところのない働き人、について語られ、
働き人の三要素、@宗教的要求に応える内容、A自らその確信(信仰的・福音的)に生きる熱情、Bそれを持続的
に伝える組織、を語り、先生の牧会する聖ヶ丘教会におけるセブンを語られた。@入り口は広く出口は狭く、A
熱くしてから打つ、B一人が一人をと共にみんなで一人を、C「自分がいなくても」から「自分がいなくては」
と意識を変える、D気やすく声をかけ、気を抜かず配慮する、Eマネをして取り入れ、マメにやり抜く、F救わ
んがために、救われている。
 先生は、ユーモアを交えながら、わかりやすく、福音の真理を語って下さった。超多忙な教団の副責任者であ
り、超教派的に御用しておられる山北先生に祝福された。
 中川健一先生は二回のメッセージであった。「今はどういう時代なのか」という時代認識を語られ、マスメデ
ィアに於ける、伝道の多様性について語られた。

週報(1999年8月29日)

  信徒のための献金
                                          朝位真士
 先週はUコリ九章を通して「信徒のための献金」というテーマで語った。
 一〜五節 施しのために使者をつかわした理由。
 六〜一〇節 施しの心得。施しをする人に対する祝福の約束。
 一一〜一五節 施しの結果、神の栄えが現れること。
 ウイリアム・パークレーは一〜五節を、喜んで与える人と語り、人に物を与えるその与え方に少なくとも四つ
ある、としている。@義務として与えることもある。Aひたすら自己満足のために与えることがある。B特権意
識から与えることもある。C唯一の真の与え方は、愛に迫られて与える。キリストはわれわれのために死んでく
ださったのである(ローマ五・一〇)。神はわれわれの祈りを、われわれが祈る前に聞いていてくださったように、
われわれもまた同朋のためにするべきではないか。
 六〜一五節で、寛大さの諸原理を語っている。いまだかつて、寛大に与えることによって損をした人間は一人
もいない、と彼は主張する。それでは、寛大な人間は何を期待することができるのか。@彼は愛において富める
者となる。A彼は友に富める者となる。B彼は助けに富める者となる。C彼は神に対して富める者となる。
 最後に八節「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれる
ように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」
 わずかの物で満足し、何物も欲せず、物がなくてもやっていけることを学んだ人は、幸いである。

週報(1999年8月22日)

  諸教会からの使者
                                            朝位真士
 先週はUコリ八章一六〜二四節を通して「諸教会からの使者」というテーマで語った。この箇所は、献金推進
者として派遣する三人の兄弟を推薦する。まずテトスを推薦する。テトスは、コリント教会に献金という神の恵
みを与えたい熱心から、この任務を喜んで引き受けた(一六〜一七)。次にテトスに同行する一人の兄弟を推薦す
る。この兄弟は伝道活動で評判の人だった(一八)。彼はこの献金に参加している諸教会から選ばれ、パウロに同
行した。それは、パウロの募金活動を通し、神の栄光が示され、パウロの誠実が人々に明らかになるためであっ
た(一九)。二三節でパウロはテトス、2人の兄弟の順で推薦を要約し、二四節で、コリント教会が諸教会の代表
である彼らを迎えて豊かな献金を推進し、諸教会の前で面目を施すように勧める。一九節「彼はわたしたちの同
伴者として諸教会から任命されたのです。それは、主御自身の栄光と自分たちの熱意を現わすようにわたしたち
が奉仕している、この慈善の業に加わるためでした。」今日教会で献金の管理という重大な奉仕をしている役員
の方々に対する気持ちでもある。一九〜二一節をみると、金銭を扱うに際しては、「主の御前」と「人の前」で
「公明正大」であること、「非難されることがないように心がけ」ることが大切であると言われている。そのた
めに、「諸教会の任命を受けた」評判の良い一人の兄弟がテトスと共にコリント教会に遣わされることになって
いた。
 また献金に対してパウロは、@献金の自発性、A分相応にささげること(一二)、B愛の真実のあかしとしての
献金(八章八・一九・二四)、C神の栄光のための献金(一九)、D主体的判断(九・七)という点が大切である。
 私たちの献金もこのような気持ちで神に感謝をささげたい。

週報(1999年8月15日) お休み


週報(1999年8月8日)

  慰めと喜び
                                              朝位真士
 先週はUコリ七章二節〜一六節を通して、「慰めと喜び」というテーマで語った。
 パウロは二〜四節で「心を開いて下さい。」と語って、まず二節で、三つの点をあげて、自分の側に手落ちが
なかったことを弁明している。「わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし
取ったりはしませんでした。」パウロはそれらに関して自分にはやましいところがないと言っている。
 次に五節〜一六節でパウロの慰めと喜びを語っている。パウロは、コリントの人たちを、一度はひどくしかっ
た。それにもかかわらず、結果は自分の願っていたとおりになって、非常に慰められた。最後に、彼は、自分と
コリント教会の人々との間にある相互信頼の確信を述べようとしている。
 神は種々な手段を用いて、人々を慰め励ましたもう。サウロはダビデの竪琴によって慰められ、エリヤはから
すが運んだパンによって力づけられ、ルーテルは木の枝に翼をおさめて眠る小鳥によって、励みを得た。格別に
神は人を用いて、人を慰められる場合がしばしばである。モーセはエテロによって、ハンナはエリによって、ダ
ビデはヨナタンによって、大きな慰めを得たような例が多い。ここにパウロが、マケドニアで様々ななやみの中
に身をおきながら、テトスの来訪を迎え、ことに彼からコリントの信者たちの様子を聞いて、大きな慰めを得た
というのは、また同じ種類の体験を語ったものと見て良いであろう。「自分の子供たちが真理に歩んでいると聞
くほど、うれしいことはありません。」(ヨハネの手紙三章四節)彼らはあの手紙を受け取って衝撃をうけ、おお
いに反省し、教会員のつまずきとなるような事件が起こった場合には、断固として行動したのであった。その結
果すべてのことにおいて、パウロの申し分が受け入れられたのであった。パウロが喜んだのはそのためであった。

週報(1999年8月1日)

   生ける神の神殿
                                              朝位真士
先週はUコリ六章一四節〜七章一節を通して「生ける神の神殿」というテーマで語った。
パウロは「あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません」(一四節)と言
って、「光と闇とに何のつながりがありますか。キリストとベリアルにどんな調和がありますか。信仰と不信仰
に何の関係がありますか。神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです」
(一五〜一六節)
パウロはここに五つの問をあげて議論をすすめ、自分の警告を強めて、不信仰とつり合わないくぴきをともに
することが、キリスト者にとってどんなに不自然なことであり、またどんなに危険なことであるかを考えさせよ
うとしている。信仰がよいことを生み出す器であれば、不信仰はすべてのまちがいの源である。本質的なかかわ
りがあってはならないはずである。「神の神殿と偶像にどんな一致がありますか」ということである。神の宮は
聖なるところである。そこに不潔な偶像が祭られるとしたら、これほどふつりあいなことがあろうか。「私たち
は生ける神の神殿なのです」(一六節)
 神者の一人一人が神の宮である。その心の奥に、神の住まわれる聖所を持っておらねばならない。だから偶像
などをそこに入れることは断じてできないはずである。信者の集合体である教会がまた神の宮なのである。その
教会という信徒の交わりの中に神は住まわれるのである。だから教会はこの神の約束を信じ、神の住まわれると
ころにふさわしく、自らを清め、常に神への忠誠に励んでおらねばならない。「『父となり、あなた方は私の息
子、娘となる。』全能の主はこう仰せられる。(一八節)「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿って
くださる。」(Tコリ六・一九)聖霊の宮でもある。

週報(1999年7月25日)

  神の協力者
                                              朝位真士
 先週はUコリ六章一〜一三節を通して「神の協力者」というテーマで語った。パウロは和解の務めをするにあ
たって、「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい」(五・二〇)と語って、神との協
力者であると述べた。私たちは「神の協力者」として恵みを無駄にしてはいけない。なぜなら「恵みの時に、わ
たしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた。」といっている。
 六・二〜一〇節は、和解の務めに当たる者はどうあるべきかという、使徒のあるべき姿や態度について書いて
ある。まず四〜八節前半までは、さまざまな情況におけるパウロの働き人としての姿が語られている。「大いな
る忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、異動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、
寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、
栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです」
(四〜八節}
 神の力を受けて神の協力者(同労者)として、迫害や、苦雑の中にも、神の力、聖霊の力、真理の言葉により、
信仰の武器により(エフェソ六・一〇節〜二〇節)、信仰のもろもろの徳により、神の僕らしく行動する。
 次に六章一一節〜一三節で、心を広くあるように語っている。心が広くなっていたからこそ、口が開けて、真
情がひれきできたわけである。広い心とは、喜んで人を受け入れる開かれた心である。 少しのわだかまりもない
寛容の心であり、愛の心である。私共の教会もいろんな方々を広い心で受け入れたいものである。合同教会の特
色を生かして。

週報(1999年7月18日)

   和解の務め
                                            朝位真士
 先週はUコリ五章一一〜二一節を通して「和解の務め」というテーマで語った。
 一三節を見ると「正気でないとするなら」と言っているが、これはどういう事情によるものであろうか。パウ
ロの反対者たちがそのように言ってパウロを非難したが、実際にパウロは精神に異常をきたしたわけではない。
彼の福音宣教への熱心に元来の性格の激しさも加わって傍目にそういう印象を与えたのである。たとえパウロ
が常軌を逸して正気の状態から外へ出てしまっていたとしても、また正気で心が確かな状態でいるにしても、パ
ウロの主張ははっきりとしていた。「神のため」、またコリント人たちのため(一三)。これにすべてがかかって
いたのである。
 次に一六〜一七節「私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリス
トを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」かつてのパウロのキリストを見る目、判断
の仕方、それはうわべの人間的標準に基づいていた。しかし、復活の主に会い、回心してからのパウロのキリス
トを見る目は変わった。人々を見る目も変わった。
 さて一八〜二二節迄に「和解」という言葉が数回出ている。「和解」それは仲直りすることである。そしてこ
こで取り上げられているのは神と人間の関係である。この「和解」をイエス・キリストの十字架によって神の側
の一方的な恵みとして下さった。その「和解の務め」を私達にゆだねられている。この「使命」を「キリストの
使者として」与えられている。「和解の務め」と「和解のことば」そして、私たちは、キリストの全権大使とし
ての使命を与えられているのである。「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」
(二〇)。和解の務めを神に感謝しましょう。

週報(1999年7月11日)

  信仰に生きる
                                                         朝位真士
 先週はUコリ四章一六〜五章一〇節を通して「信仰に生きる」というテーマで語った。
 四章一六〜一八節を通して、二つの対比がある。一つは、外なる人−滅びる−しばらくの軽い艱難−見ゆるも
の−一時的である。二つは、内なる人−新しくされ−永遠の重い栄光−見えないもの−永遠である。「外なる
人」というのは、土の器であるもろい肉体のことである。それはますます衰え、ついに死滅にいたるものである。
しかし「内なる人」は、キリストによって新しく生まれた霊なる私達で、絶えず更新され、常に強められていく。
一八節「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見え
ないものは永遠に存続するからです。」と言っている。つまり信仰によって生きることを語っている。
 次に五章一〜一〇節に「地上の幕屋」と「天にある永遠の家」が対比されている。この対比は地上の死んでい
く体と復活の体の対比であると思う。天にある永遠の家、それは主イエスが手ずから備えてくださるものである。
そして、私たちが天の祝福にあずかれるようにしてくださったのは神であり、その保証も御霊がしてくださる。
その保証の中で私たちがどう生きるかという、神の恵みに対する私たちの応答の姿勢が問われる。それは「主に
喜ばれる」ことと「最後の審判に備えて生きること」(一〇)である。ヘブライ一一・六節には、「信仰がなけれ
ば、神に喜ばれることはできません。」とあり、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認す
る」(一一・一)ことである。
 主に喜ばれる生き方は、「信仰に生きる」生き方である。私たちは「キリストの裁きの座の前に立つ」備えを
させて頂き、永遠の生命を感謝しよう。

週報(1999年7月4日)


  土の器の中に
                                              朝位真士
 先週はUコリ四章一〜一五節を通して「土の器の中に」というテーマでメッセージを語った。私たちは「土の
器」のようにもろく壊れやすい器である。しかしこの土の器の中に「イエス・キリスト」という宝をもっている
のである。
 「土の器」というのは粘土で造られたそまつな土器で、大変もろいものであった。「宝」というのは「キリス
トの顔に輝く神の栄光の知織」をさしている。つまり福音を伝える力である。昔、この地方ではよく土製のつぽ
に金や銀を入れてしまっておく風習があつた。人間が地上でもっているこのからだは、ちょうど土の器と同じで
ある。いろんな弱さにまつわられている。そして、そまつでこわれやすい。人間の存在そのものがもろいもので
あり、不完全なものである。しかし、その人間がキリストの栄光のために用いられるのである。この弱く、もろ
く、すでにこわれてしまっていたような土の器を用いて、驚くべきみ業をすすめられる。
 この宝の中に、イエス・キリストの死と命(十字架と復活)を内蔵している。この偉大な神の力を頂いているの
で、わたしたちが四方から苦難や途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぽさ
れない。
 この「土の器」である自分と、福音の輝きとしての「宝」との間の対比は実に鮮やかである。創世記一章二七
節「神は御自分にかたどって人を創造された。」また同二章七節「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を
形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」
 「土の器」は、神の御手に握られると、つくりかえられる。(エレミヤ一八章一〜四節)
 主に用いられる「土の器」となりましよう。
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    

週報(1999年6月27日)

  新約の奉仕者
                                              朝位真士
 Uコリント三・一〜一八節を通して、「新約の奉仕者」について学んだ。
 まず一〜三節、文字によらず霊によって、石の板ではなく人の心の板にしるされたキリストの手紙
 四〜六節、文字(律法〉に仕える者と、聖霊に仕える者
 七〜一一節、文字(律法)による死の務と、栄光ある聖霊の務
 一二〜一六節、モーセの顔のおおいと、聖霊の自由−新約が旧約にまさること
 一七〜一八節、主を信ずる者の顔おおいを除いた生涯
 ここにパウロはまず、推薦状を必要としない理由(一〜三)、神によって新しい契約に仕える者とされたとの信
仰(四〜六)を語り、新約すなわち福音と、旧約すなわち律法とを比較対照して、新約が旧約にまさること(七〜一
八)を示す。
 私たちを新しい契約に仕えるにふさわしい者とされるのは神である。「新しい契約に仕える者」とは、儀式や
文字の律法に仕える者ではなく、霊に仕える者」すなわち神禅の聖霊によって奉仕する者である。律法は人を罪
に定めるが、福音による霊の力は人を生かす。「石に刻まれた文字」の律法は「死の務」また「罪を宣告する
務」であるが、福音は「霊に仕える務」また「義を宣告する務」で、なおさら「栄光に満ちたもの」である。私
たち信者は、福音の本体である主のご栄光を直接に見ることができる。その結果、聖霊の感化により、私たちの
品性が彼に似て栄化する。
 私たちは皆、顔の覆いが除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に
造りかえられていく。これは主の霊の働きによることである。(Uコリ三・一八)

週報(1999年6月20日)

   パウロの不安と安心
                                          朝 位 真 士
 払たちはみな「不安」という感情を待っていると思います。「不安」は「将来への不安」というように「ある
ぼんやりした恐れ」なのです。
 心理学者や哲学者も色々な面から「不安」という感情の原因を考えますが、結局動物は自分の出来る範囲の中
に安住しているが、人間は自分の出来る範囲の外側に、自分には出来ないこと、知り得ないことがあることを知
り、それによって不安を感じるのだというのです。
 先週はUコリ二・一二〜一七節を通して、「パウロの不安と安心」を学びました。
 パウロかエペソ伝道を切り上げてトロアスに行った直接の原因はアルテミス神殿にまつわる騒動(使徒一九・二
三〜四一でしたが、もう一つの理由はコリントに使いに出したテトスのことが気になって、その帰り道に当たる
トロアスで彼を待ち受けるためでした。パウロはマケドニアでついにテトスに合い、しかもすばらしい吉報に接
することが出来ました。それはコリント人たちが悔い改めたという知らせでした。まるで凱旋行列の中にでもい
るような気持ちでした。今までは苦しみがあリ、不安がありました。しかし今、テトスの報告によってそれらは
吹き飛んでしまったのです。そして今パウロは、これまでの不安に対するキリストの勝利を高々と歌い上げるの
です。神は慰めの神であるだけでなく、勝利の神です。一四節「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキ
リストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせ
てくださいます。」聴利の行列の先頭に立って堂々と行進するのは凱旋将軍キリストです。キリストの後にパウ
ロも私たちもキリストの兵士として従います。私たちはキリストと共に聴利を喜びます。これがクリスチャンの
特権です。

週報(1999年6月13日)

   桜ヶ丘教会開拓七六周年を迎えて
                                           朝 位 真 士
 桜ヶ丘教会は一九二三年六月一日板井康裕牧師が世田谷区桜新町の自宅で伝道開始されて、今年で七六年目で
ある。
 一九六八(昭和四三)年西海静雄牧師が就任して、一九七五年に杉並区下高井戸四丁目パールハイツ一階を購入
して会堂兼牧師館とする。一九七七年に五楷五〇二号室を購入し牧師館とする。一九八七年四階を購入して教育
館とする。一九九一年一一月二四日、日本基督教団の第一種教会となる。一九九四年四月一日、朝位真士、フミ
子両教師が就任する。一九九七年一二月一一日新会堂に移転。一九九八年二月一日、献堂式を行う。
 私共は、右の歴史を毎年六月一日過ぎには思い起こさなければならいと思う。
 この教会は、教団の中におけるホーリネスの群として、新生、聖化、神癒、再臨という四つの福音の特色教理
を強調する。源流はホーリネスの指導者中田重治師にさかのぼる。もっとさかのぼれば、ジョン・ウェスレー(メ
ソジストの開祖)である。
 最近新しい方々か教会に来られているので、是非中田重治、ジョン・ウェスレーの主張した神学教理を知って
頂きたい。その為には、近々開催される弾圧記念整会やホ群首都圏夏期聖会(七月二六日(月)〜二八日(水)軽井沢
南ヶ丘クラブ)等に積極的に参加して、ホ群の交わりを深めて頂きたい。
 最後に、今まで桜ヶ丘教会には二○名近くの牧師、伝道師が赴任され、多くの聖徒方がこの教会の為に労し、
献げ、天国に旅立った事を忘れてはならない。なによりも、王の王、主の主である、主イエス・キリストに最大
の感謝を捧げたい。

週報(1999年6月6日)

   「西東京教区創立総会」に出席して
                                               朝位真士
 過ぐる五月三〇日(日)〜三一日(月)迄、日本基督教団吉祥寺教会で「西東京教区創立総会」が行われ、横田姉
と出席した。この教区設立の願いは、一九七六年三月の第九回東京教区西支区総会において「西支区を教区とす
る件」か可決されて以来の念願であった。そして、九八年の第五六回東京教区総会で「東京教区再編に関する件
−東京教区を、東京教区と西東京教区(旧西支区)に再編する」ことが決裁された。そして同年一一月の第三一回
日本基督教団総会では、大多数の賛成によって可決された。それを受けて西支区は一二月一三日に総会を開き、
教区創立総会準備委員会(委員長渡辺正男牧師、後に大宮溥牧師選任)設置と、教区事務所建設を決定し、今回
の創立総会となった。
 西東京教区の基本像として三つが掲げられた。@積極的に福音伝道をする教区。A諸教会が互助につとめ、連
携する教区。B社会の課題と取り組み、地域に奉仕する教区。このヴィジョンに向かって、教区内の全教会の教
職と信徒が祈りを合わせ力を合わせて共に進みたいという目標が与えられた。
 次に、教区三役並びに常置委員は次の通り。
議長=大官溥先生(阿佐ヶ谷教会)、副議長=久山庫平先生(南三鷹教会)、書記=藤崎義宣先生(武蔵野扶桑教会)
常置委員=内藤留章師、真壁厳師、横山章夫師、原田謙師、愛澤豊重師、小海基師(以上教職六名)、尾能文子
姉、小中乃美子柿、高橋豊兄、平松進兄、中谷誠兄、福田和子柿(以上信徒六名)
 私はこの創立総会に出席して、身の引き締まる思いと同時に、宣教と牧会の新たな使命を与えられた。新西東
京教区、九九の教会に神の祝福を祈ります。

週報(1999年5月30日)

   聖霊の恵み
                                          朝 位 真 士
 新しい備えを全うして、ひたすら主の約束を待った弟子たちの小さい群は、ペンテコステの日に約束の聖霊が
与えられた。旧約以来語られてきた神の約束が、聖霊の降臨というかたちで成就されたのである。
 聖霊の降臨は新しい時代の実現、すなわち、地上の神の国である新しい教会を生み出し、福音の宣教の基礎を
築く原動力であった。そして、このペンテコステの日の大事件が、キリスト教の世界的発展の出発点となったの
である。
 ペンテコステとは「第五十日目」を意味し、この日は旧約では「七週の祭り」と呼ばれ、週越祭の第二日から
数えて五十日目にあたり、麦の収穫が終わる感謝祭の日である。この日はまた、キリストが十字架につかれてか
らちょうど五十日目にあたるが、偶然の一致ではなく旧約以来の預言の約束が神によって実現された意義深い日
である。この日から聖霊は初代教会を支配する実在の原動力となった。そしてこの日が教会の誕生日である。
 このみ霊は(一)神の指導力の原泉であった。初代教会は、み霊の導きを受けずに大切な決定をしたことは一度
もなかったし、重要な段階に踏み出したこともなかった。
 (二)教会の指導者たちは、み霊に満ちた人であった(使徒六・三、七・五五、一一・二四、二〇・二八)。初
代教会の会員はみな、空気を呼吸して生きているように、み霊のうちに生きていた。
 (三)み霊は、その日その日の勇気と力の源であった。キリスト者が危険に遭遇したときの勇気、十二分に人生
を処理する力、雄弁が要求される時の雄弁、状況に左右されることのない喜び−これらはすべて、み霊の働きに
よるのである。

週報(1999年5月23日)

   神は真実な方
                                             朝位真士

 コリントU・一・一二〜二四節を通して、「神は真実な方」というテーマで語った。
 まず、使徒の弁明でパウロが誤解され、かつ、非難された。そして、それには三つの理屈がつけられていた。
その第一は、彼が先に約束したのとは違った道を経て、コリントに来つつあるということであった。第二は、コ
リントをすぐにも訪れると言明しておきながら、いっこうにやってこないというのであった。第三は、彼がある
人々を強く処罰せよと、主張したかと思うと、次には寛大にあしらえと忠告する。彼は真実でなく、うそつきで、
おくびょう者で、そのいうところは少しもあてにならないというのであった。
 パウロは一・一二〜二二で計画の変更について語っている。「わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに
対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。
・・・」(一・一二)パウロは「人間の知恵によって」決して技巧をろうしていなかったのである。否すすんで「神
の恵みによって」いたからである。この神の恵みこそ、人をあらゆる不真実から救い出し、その上「神の聖霊と
真実」に導かねばならない能動的な力である。こうして、後の動機は純真であり、その行動には少しの曇りもな
かった。彼はその語りの中に「神は真実な方」であるという「アァメン」(しかり、真実の意味)を心からとなえ
ねばならない。ただ口でとなえるだけでなく、全生活をとおして、そのアァメンを告白せねばならない。キリス
ト者がそのようにするならば、彼らは「神に栄光を」帰することができる.この真実の源なるキリストを説き、
生かされているのである。

週報(1999年5月16日)

   イエスの母
                                               朝位真士

 「母の日」(五月第二日噂日)はアメリカ合衆国の一女性アンナ・ジャービスから始まりました。アンナの母親
はバージニア州ウェブスターのメソジスト教会の教会学校で献身的に奉仕をして召されました。その遺徳を慕う
人々は、一九〇八年に記念会を持ち、娘のアンナは席上、母をしのんでカーネーションの一束をささげてお互い
に毎年一度は母親への感謝をあらわすことから始まったことです。
 さて、聖書マルコ三・三一〜三四節で、「イエスの母」について学びました。イエスの母マリヤのことについ
ては聖書の中に諸処かしこに出てきます。「カナでの婚礼の場面」(ヨハネ二・一〜一一)「十字架の場面」(ヨハ
ネ一九・二五〜二七)。それにマタイ、マルコ、ルカの共観福音書では、イエスの兄弟と共にイエスのいるところ
に来たイエスの母の記事(マルコ三・三一〜三五、マタイ一二・四六〜五○、ルカ八・一九〜二一)があります。
三つの福音書の比較をすると、マルコ福音書三章三二節「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」、マタイ福音書一二章四六〜五〇節「見なさい。こ
こにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、ま
た母である。」、ルカ福音書八章一九〜二一節「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たち
のことである。」ここで「神の御心」とは何でしょうか。一言で申しますと、「神の愛」であります。神は愛の
神、十字架の赦しの神です。私達の互いの関係も愛し合う関係で、兄弟、姉妹、母の関係であると言っています。

週報(1999年5月9日)

   苦難と感謝

                                             朝位真士
 先週はUコリ一章一〜一一節より「苦難と感謝」というテーマで学んだ。
 今日のところは二つに分類することができる。@あいさつ一章一〜二節、A苦難と感謝一章三〜一一節。まず
一〜二節で、パウロはコリントの教会へ語っている中で「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパ
ウロ・・・」と言っている。彼はここに自分がイエス・キリストの「使徒」であることを主張している。使徒とは、
つかわされた者、という意味である。それは誰からつかわされた者であるかというならば、「神の御心による」
と答えている。私共もクリスト者とされたのは神の御心によるのである。次に「神の教会」という言葉を語って
いる。コリント教会はトラブルに悩まされ、問題を山ほど抱えている教会だった。しかしそのような教会を「神
の教会」と呼んでいる。私共の教会も「神の教会」である。一、聖書が語られ、二、礼典(バプテスマや聖餐式)
が守られ、三、信徒訓練が行われているかぎり、神の教会と云えるのである。
 三節から七節まで「苦難」と「慰め」という言葉が多く出ている。コリントの人たちはパウロの苦難を知ると
同時に、パウロが体験した神からの慰めをもいただくことかできるとパウロは確信している。「キリストの苦し
みが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ち
あふれているからです。」(五節)その苦しみを通して神か自分たちをどのように慰め励まし、助けてくださった
かを語る時にだけ、神に恵みを感謝し、賛美をささげることができるのである。
 神からの慰めに心から感謝をささげましょう。

週報(1999年5月2日)

  実践的計画
                                            朝位真士

 先週はTコリ一六章全節より「実践的計画」というテーマで学んだ。
 この章の内容は、献金のことについて(一〜四)、自分の旅行計画について(五〜一二)、最後のあいさつ(一三〜
二○)、そして結語(二一〜二四)である。
 一、献金について(一〜四)。エルサレムの貧しい教会員を助ける義金であった。ユダヤ全土に大きな飢饉があ
って、このために、エルサレム教会の貧しい信徒は生活に窮していた。パウロは、これを助けることは全教会の
貴任であると感じた。具体的に献金について、毎日曜日ごとに自分の収入に応じて別途にとりわけておく。これ
は一般の献金の心得にも通じることである。献金は神への感謝、献身を意味している。金額の如何に関わらず、
神への心からの感謝の発露でなければならない。
 二、訪問の計画(五〜一二)。マケドニアを経てコリントを訪問するという計画であり、使徒言行録二〇章では、
実現したことか分かる。
 三、最後の奨励とあいさつ(一三〜二四)。四つのことが勧められている。@目を覚ましていなさい。コリント
のような誘惑の多い町に住んでいる人には、また現代人も堕落と誘惑の多いこの世には、「目を覚ましている」
ことの大切さを思う。A信仰に基づいてしっかり立ちなさい。キリストに対する忠誠を傾けることである。B雄
々しく強く生さなさい。確信をもって堂々と生きることで動揺しないことである。C何事も愛をもって行いなさ
い。愛があって、はじめて一致かあり、団結がある。愛は結ぷ帯である。愛がなくてはすべてが無に等しい。

週報(1999年4月25日)

  復活の体                 朝位真士
 Tコリ一五・三五〜五八を通して「復活の体」というテーマで語った。
 @復活の体(三五〜四九)。復活の体は想像出来ないという反対論を取
り扱う(三五)。パウロはこれに答えて、第一に、種の発芽の例を挙げて
いる。それは死が新しい命への必然的過程であること(三六)、今の体と
復活の体との相違(三七)と連続性(三八)、神の創造の力(三八)を教えて
いる。種は今の体に、芽生える草は復活体に当たる。第二に、パウロは
被造界における様々な動物の肉(体の組成物)の相違(三九)、天の体(天
体)と地的体の栄光の相違、天の体相互の栄光の相違を指摘する(四〇〜
四一)。このような現存の体の多様な相違から、今の体と相違する復活
体の存在を認めるべきである。従って復活においては、信徒は価値の低
い今の体でまかれて(死んで)素晴らしい復活体によみがえる(四二〜四
三)。すなわち、血肉の体は、地上的原理にまかれて、御霊の体によみ
がえるのである(四四)。四五〜四九節は、御霊の体が存在することをア
ダムーキリスト論で説明する。最初のアダムは「地から出」たものであるのに対して、最後のアダムであるキリ
ストは,復活により天的復活体を持つ者となられた(四五、四七)。そして人類(土で造られた者)がアダムに似た
体をとるように、信徒(天からの者)はキリストの復活体に似た体をやがて与えられる(四八)。
 A世の終わりの復活(五〇〜五八)。最後に、復活の日が勝利の日であることを示す。パウロは、復活信仰によ
って信徒の生活を希望ある労苦へと促して結びとする。「わたしの愛する兄弟たち‥‥‥主の業に常に励みなさい。
主に結ばれているならば自分たちの労苦が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」
(五八)

週報(1999年4月18日)

   死者の復活
                              朝 位 真 士
 先週はTコリ一五・一二〜三四節を通して「死者の復活」というテー
マで学んだ。
 まず一五章を分解した。T基本的信仰の確認(一〜一一)、U復活否定
とキリスト信仰(一二〜一九)、Vキリストの復活と信徒の復活(二○〜
二八)、W復活否定と信徒の生活(二九〜三四)、X復活の体(三五〜四
九)、Y世の終わりの復活(五○〜五八)。まず今日の箇所一五・一二〜
三四節を中心に学んだ。
 @復活否定とキリスト信仰(一二〜一九)。もしキリストの復活がなか
ったとしたら、どんな重大事になるかをパウロは蛮る。その場合、宣教
も信仰も虚構であり、信徒は神に背く偽証人てある。またキリストの復
活と贖罪死とは固く結びついているのだから、キリストの復活がなけれ
ば信徒はなお罪の中にいるのであり、死んだ信徒は罪赦されぬまま滅び
たことになる。ゆえに死人の復活否定がこれほど重大問題であることを
パウロは語っている。
 Aキリストの復活と信徒の復活(二〇〜二八)。キリストは新しい人間の第一号かつ代表者として、復活の命を
信徒に招来するからである。しかし終末までには順序がある。キリストの復活→キリストの再臨の際の信徒の復
活→終末という順序てある。二五〜二八節はキリストの終末の時の働きを説明する。
 B復活否定と信徒の生活(二九〜三四)。死人の復活がなければ、第一に死人の故のバプテスマは無意味である。
第二に、パウロの命をかけた献身はむなしい。第三に、最善の生き方は享楽的な生き方である。しかし実際はそ
うではないのだから、神と会う終末を自覚した正しい生活が勧められる。

週報(1999年4月11日)

   最近の出来事                  朝位真士

 イースター礼拝が四月四日終わったが、その前に二人の方の召天の報
に接し、わたしは大変厳粛に受け止めている。
 一人の方は瀬良順介兄、八四才、三月三一日に召天された。彼は大変
な働き人で、特にご婦人の瀬良姉のために身の回りの世話から一切をな
さっておられた。家庭では子供達には厳格な父親だったそうだが、夫人
には大変細かな配慮をして、お世話をされておられたようである。私は
納棺から、前夜式、告別式一切の司式をさせて頂き、本当に何故突然大
事な方を神はお召しになったのかということをいまだ判明しない。
 二人目の方は牛山俊子柿である。四月一七日の二九才の誕生日を前に
しての急逝である。四月三日午前五時一六分のことであった。彼女は大
変な頑張り屋さんで、二回のアメリカ留学を終えて昨年帰国し、イスラ
エル大使館に就職が内定しつつあった矢先であった。教会生活も大変忠
実で、特に教会学校教師や青年会の諸活動には積極的であった。物事を
なんでもハッキリさせるご性格であったので、人々に誤解される面もあ
ったが、個人的には大変きめ細やかな、配慮の行さ届いた姉であった。
最後の最後まで生きることに大変強い意欲を持っておられた。
 私は御二人の教会員を天に送り、「人の心には多くの計らいがある。
主の御旨のみが実現する。」(箴言一九・二一)という御言葉が心に浮か
んでいる。
 御二人のご遺族、近親者の方々に天父の慰めを切に祈る次第である。

週報(1999年4月4日)

   復活祭(イースター)を迎えて
                              朝位真士
 イースターは今年は四月四日てす。イエス・キリストは私共全人類の
罪の為に身代わりとなり、十字架で死に、三日目に復活されました。
(金曜日の午後三時に死に、三日目の日曜日早朝よみがえられた。)その
キリストの復活を記念する日であり、AD(紀元)三二五年にニカヤ会議
にて、春分後第一の満月後の日曜日と定められました。ですから、毎年
イースター礼拝の日は変化します。二〇〇〇年は四月二三日(日)となっ
ています。
 今年のイースター礼拝には、腹話術の春風みやこさん(工藤洛子姉)を
迎えることかできました。姉は札幌メノナイト・キリスト教会の会員で
一九七三年ロゴス腹話術研究会(主導者春風イチロー先生)入門。教会学
校、幼稚園、小学校、老人ホームなどでボランティアをされています。
このイースターに姉を当教会に招待できたことを深く神に感謝いたします。

週報(1999年3月28日)

十字架につけられる                          朝位真士
 先週はルカ二三・二六〜四三を通して「十字架につけられる」というテーマで語った。
 まず二六節「人々はイエスを引いて行く途中、田舎からててきたシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を
背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。」の聖書より、無理に十字架を背負わされたキレネ人シモンという人物
について学び、又その家族も伝説によると祝福を受けたということを学び、私共も自分の意志に反して主の十字
架を背負わなければならないことがあるが、信仰をもってそれを背負う時に神の約束を受け取ることかできると
はなんと幸いであろうかということを学んだ。
 第二に十字架の意味について学ぷことかできた。それは十字架の死を通しての主イエスとの贖いの新しい契約
であり、神の前に犯している人類の罪のために自らその重荷を感じ、仲介者としてのとりなしをされている、こ
こに聖なる神と罪ある人間との和解の道がある。
 第三に、イエス様が十字架上において語り、祈られた七言について考察した。
 (一)「父よ、彼らをお赦しください。自分か何をしているのか知らないのです。」(ルカ二三・三四)
 (二)「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ二三・四三)
 (三)「婦人よ御覧なさい。あなたの子です」「見なさい。あなたの母です」(ヨハネ一九・二六、二七)
 (四)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」「わが神、わか神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
 (五)「渇く」(ヨハネ一九・二八)                        (マルコ一五・三四)
 (六)「成し遂げられた」(ヨハネ一九・三〇)
 (七)「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ二三・四六)
 十字架上の七言をじっくり味わいましょう。

週報(1999年3月21日)

   主の謙遜                                  朝位真士
 「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければ
ならない」(ヨハネ一三・一四).
 私はレント(受難節)の時期にいつもこの御言葉を思い起こす。今年は二月一七日(水)から四月二日(金)迄、受
難節を迎えて主の御受難と主の謙遜を学ぷ良き時だと思う。ヨハネ一三章一〜二○節を通して「主の謙遜」を学
ぷことができる。
 第一に、偉大なイエスの洗足の出来事は、身をもって奴隷の立場にたたれて謙遜の徳を示された。イエスは世
界の主である。そのイエスが弟子の足を洗いたもうた。そこには常識を越えた倫理と実践がある。
 第二に、この事件は深い霊的な意味を持っている。洗足の出来事は十字架の死による罪の洗いを示している。
もし十字架の死がなかったら、イエスと弟子の関係はなくなってしまう。この洗足の記事を通して、イエス様は
第一に、弟子たちは互いに足を洗い合うことを学ばなければならない、第二に、イエスの愛を示している。「イ
エスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し
抜かれた」(一三・一)。イエスは御自分を裏切ろうとしていたユダの前にもひざをついて彼の足を洗われたので
ある。しもべとなって仕えたイエスの愛がここに描き出されている。
私はこの記事を通して「主の謙遜」を学ぷことかできる。その模範を身をもって私共に教えて下さった。イエ
スの謙遜こそが、私達がクリスチャンとして信仰生活を全うする秘訣である。

週報(1999年3月14日)

   実際的な勧告 朝位真士

 Tコリ一四・二〇〜四〇節を通して、「実際的な勧告」と題して学んだ。
序論においてTコリ一四章全体の概論について治り,本論において二○節から各節にわたり説明をした。最初
に「物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人にな
つてください」二○節については「子供は無邪気で何も知らない。だから悪事については子供であってよい。し
かし、物の考え方では、そうあってはならない。すなわち、何が教会を益することに役立つかを、十分よく考え
て行動をとりなさい」とパウロは語っている。
 次に一四・二○〜二五には預言の特徴が語られている。一四・二六〜三三a、集会のための指図。一四・三三
b〜四〇、集会での婦人のあり方について注意を促している。
結論として、集会の中における異言と預言の事について具体的な勧告を与えている。特に大事な御言葉を二つ
引用すると、
「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです」一四・三三)
秩序をなくして喧騒を極めるような集会であるならば,決して教会の徳を高めない。一切の集会は秩序を維持
せねばならない。
「すべてを適切に、秩序正しく行いなさい」(一四・四○).
「異言も御霊の賜物である以上、それを排斥すべきではない。ただし礼拝の秩序を乱さないように『つつまし
く』『品位を保ち』適宜に秩序正しく行いなさい」といっている。それが礼拝における愛の原則なのである。だ
から「愛を追い求めなさい」(一四・一)に語っているのである。

週報(1999年3月7日)

   九八年度教会総会を終えて                                              朝位真士
 桜ヶ丘教会において出席者三四名、委任状九名、現住陪餐会員五七名のうち五分の一以上の出席を得て、定期総会が終了した。特に、役員を始め皆様方のご協力に心より感謝申し上げたい。議事は以下の通り。
一、一九九九年度宣教方針(牧師より)
(一)教会をPRすること。具体的には、教会案内のパンフレットを作成する。
(二)積極的に教会を地域に知らせる。年間の特別集会を計画している。@四月四日イースター、腹話術の春風みや子先生(信徒)に教会学校の時間と礼拝の中で証しをしていただく。A十一月二八日秋期特伝、三谷康人先生(カネポウ顧問、日本漢方生薬製剤顧問、牧師)並びに三谷君子先生(牧師)B十二月一九日クリスマス特別礼拝、ポーマン・ペアンテ先生(東京交響楽団首席チェロ奏者、神学博士、牧師)Cその他にホ群の問安礼拝を予定している。
(三)一九九九年度に救われる方目標三名、転入会者目標二名、計五名増加できるよう祈って下さい。
二、一九九九年度予算審議
 一般会計、会堂会計の審議可決
三、新年度役員改選、七名選出
 当選者、安東努兄、安東幸雄兄、杉浦洋子姉、松下慶夫兄、横田たみ子姉、榊原紀恵子姉、中本達之助兄。
どうぞ新年度もこの議事が実行されるようにお祈り下さい。

週報(1999年2月28日)

   愛の讃歌                  朝位真士 
一コリ一三章全体よりメッセージを語った。序論、一〜三節は愛の総論、四〜七節は愛の各論、八〜一三節は結論を語っている。本論、この一三章は有名な愛の讃歌である。パウロは、信者の求むべき最もすぐれた道として愛を推奨する。コリント人は知識の賜物を特に重んじた。しかしそれは、ややもすると人を高慢にするきらいがある。そしてそこから紛争が起こる。しかし愛はそうではない。すべてを結びつける。そして愛だけはだれでも持ち得る。そしてすべての賜物によい方向づけをなし、いっさいの働きに動機づけをするという意味において、他のどの賜物よりも偉大であり、また永遠的である。愛のみが価値があると語られている。一〜三節において、いろいろな賜物が語られているが、愛がなければすべてが空しいと語っている。四節から七節に愛の特質を語っているが、そこに、つまり愛という言葉の代わりに自分の名前を入れて読むと、とてもその愛の実践者にふさわしくない自分を発見し、代わりにキリストを入れて読むと、真にふさわしい愛の実践者、実行者である主イエス・キリストを発見してアーメンと告白せざるを得ない。八〜一三節で、今の知識は部分的だが、終末には神と真 理を知ることが出来る。こうして確認された賜物の一時性と比べて、信仰と希望と愛とは永遠である。そしてそのうちで最も優れているのは愛である。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(一コリ一三・一三)

週報(1999年2月21日)

   教会の主イエス・キリスト                            朝位真士
 Tコリ一二〜三一をを通してメッセージを話った。 序論として、賜物の多様性と一致を人間の体のたとえで教える。教会はキリストの体であり、教会の首は主イエス・キリストである。パウロは教会をキリストと生命的に結ばれた霊的な真のキリストの体であるとしている。教会はキリストと結ばれ、現実にキリストの体なのである。
 本論として、Tコリ一二・一二〜三一節で教会はキリストの体の部分として様々な働きかある。パウロはキリストの体なる教会の中に存在すべきいくつかの事柄を語っている。第一に、われわれはお互いを必要とすることをまず知らねばならない。教会が一個の健康体であるためにはすべての人がその能力に応じてやるすべての仕事が必要なのである。第二に、われわれはお互いに尊敬し合うべきである。「どんな奉仕も神の目からはみな同じ。」という事である。第三に、われわれはお互いに同情し合うべきである。体の一部が冒されるとき、他のすべての部分もこれを感ずる。そして一緒に苦しむ。そうせざるをえないのである。教会は一つの全体である。
 結論としては、「あなたかたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です。」(Tコリ一二〜二七)そして教会の主はイエス・キリストである。この主イエス・キリスト様のために、愛の共同体として私達は生かされているのである。

週報(1999年2月14日)

    霊的な賜物                            朝位真士 
Tコリ一二・一〜一一より「霊的な賜物」というテーマで語った。
 まずコリント教会は種々の賜物を与えられた教会であるけれども、中でも「霊の賜物」について特別の関心をもっていた。特に教会の一致(一二章)愛(一三章)秩序(一四章)などが霊の賜物として最も重んぜられねばならないことを教えている。最初に一〜三節で御霊の本質について語り、コリント教会のキリスト者の注意を促したパウロは、二つの点を強調している。第一、人は生まれながらの状態では偶像礼拝に走らざるを得ないこと。第二に、その人が偶像を捨てて生ける神を拝するようになるのは、御霊の力によるのである。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(三節)といっている。これは原始教会の基本的信仰告白である。次に四〜一一節ではキリスト教信仰の御霊の賜物について語っている。三つに分類できる。第一部類、知恵の言、知識の言、第二部類、信仰、いやしの賜物、力あるわざ、預言、霊を見わける力、第三部類、異言、異言を解く力等である。結論としては、「この一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」(七節)といっている。
 賜物はキリストの体を建て上げるのに大事なものですが、それは、全体の益のため、神の栄光のためにもちいられる事か大切である。私たちはこの為に、各自賜物が与えられていることを神に感謝しましょう。

週報(1999年2月7日)

  ゴスペル教室で想うこと          朝位真士

 毎週火曜日の午後七時半よりプロのゴスペルシンガーのラニー・ラッカー先生を迎え、若者達が三十数名集まってゴスペル「福音」ソングを練習している。
 私はラッカー先生のゴスペル教室に大体毎週出席しているが(勿論見学者)、その練習風景の一部を皆様にご紹介しましょう。まず七時半より十分〜十五分、お祈りとラッカー先生のデポションを受ける。聖書を開いて説明をして、お祈りをする。それが終わると若者の中からリーダーが出て準備体操を十分間位して、それから発声練習か十分間位あり、新曲(勿論英語)もしくは練習曲をラッカー先生の指導でキーボードを弾きながら、各パートで練習指導をする。時には、宿題、ゴスペルの内容(英語を日本語にする)を皆に発表させる。内容は主に聖書のことばそのものであることが多い。そして徹底して各パートのゴスペルソングを練習する。手をたたき、足をならし、踊りながら(何か外国に来た様な雰囲気)練習か約二時間は続く。それが終わるとお祈りをして、後は新しい方の紹介。毎回三〜十人は来ている。後片づけはすべて若者かやっている。先生との会話は英語が多い(勿論日本語も上手ですが)。こういう練習か昨年十二月から始まった。教会に大変活気が出てきた。皆様も時間があれば是非、見学、入会自由です。元気が出ると思います。

週報(1999年1月31日)


  主の晩餐                 朝位真士
 Tコリ一一章一七〜三四節を通して語った。序論において一七節〜三
四節は三つに分類されていることを語った。一、主の晩餐についての指
示(一七〜二二節)。二、主の晩餐の制定(二三〜二六節)。三、主の晩餐
にあずかるには(二七〜三四節)。本論においてはこの記事の旧約的記事
について引用した。それは出エジプト一二章の過越祭の起源に端を発す
るとしてこの聖書箇所を引用。今日の記事は晩餐と聖餐式について語っ
ている。しかしコリント教会では集会が益ではなく害になっている。特
に問題なのは、集まるときに教会の一致ではなく分裂が現れるというこ
とであった。具体的には、コリント教会の聖餐は乱れていて本当の聖餐
が守られているとはいえない状態だったといっている。パウロはこのよ
うな過ちを正すために、聖餐式の本来の意義を主から教会に与えられた
聖餐制定の言葉を思い起こさせる。(二三〜二五節)。聖餐は主の死を告げ
知らせる宣教の言葉を伴う礼典であるという点と、主の再臨(終末)を待
ちつつ行われるという点である。「わたしの記念として」といわれてい
る如く、これはただ単に思い出すことだけでなく、生きるカ、キリスト
のカにあずかることなのである。私はこの箇所を引用しながら、私共の
毎月行わわている聖餐式のあり方を反省させられた。マンネリ化した聖
餐式でなかったのか、本当に主の犠牲の上に立っている聖餐式であるの
かという意識を再認識させられ、神の前に悔い改めたことである。
    
    
    
    
    
    
    

週報(1999年1月24日)


   礼拝における秩序
                          朝 位 真 士
 Tコリント一一章ニ〜一六節を通して語った。
 序論において、一一章は具体的な教会生活や教会の秩序について語ら
れていることを話した。
 本論において、「礼拝における秩序」について、特にコリント教会の
集会の乱れに対する勧告について語った。当時の教会の集会では女性は
頭にかぷり物を着けるのが習慣であったが、コリント教会ではその習慣
を破る女姓が出てきた。その一つの原因は集会での熱狂であり、二つめ
は救われた者は男女の別を超越しているという思想であったろう。パウ
ロはこれに反対して、女性がその分を守り、集会でかぷり物と着けるよ
うに説得する。具体的な事として、第一に男女の間に序列があることを
指摘する(神−キリスト−男−女という序列、三節)。これは創造の秩序で
ある。この中には当時の風習があったことは否めない。パウロは男は神
の似姿(創一・二七)として神の栄光の現れであり、女は男の助け手とし
て男から造られた者〈創二・二二)であって男の栄光の現れであるとして
いる。第二にパウロは常識に訴える(一三〜一六節)。議論の眼目は女性
の独自性を破棄し常識を無視しようとするコリント教会の行き過ぎを制
止して、神が与えておられる秩序に服しめることにある。基本的には、
「男芳も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一
つだからです。」(ガラ三・二八)といっている。      
    
    
    
    
    
    
    

週報(1999年1月17日)

 

  「神の栄光のために」
                                            朝位真士
 コリントT・一〇章二三節〜一一章一節を通して語った。
序論にて一〇章一四〜二三節のところを簡単に説明した。「偶像礼拝を避けなさい」として、偶像礼拝は悪霊
に献げていることを語り、本論において三つの事を語った。   
 第一に、すべての事は許されている。しかしすべてのことが人の徳を高めるのではない。キリスト者は由由で
ある。しかし教会生活を正しく行うために、その由由を制限せねばならない。他人の益を考えて生きるキリスト
者精神に立つべきである。
 第二に、「何事をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(一〇章三一節)ウェストミンスター信
仰告白の中に「人生の第一なる目的は、神の栄光を現すこと、永遠に神を喜ぶことである」と書かれてある。パ
ウロはクリスチャン生活全般の原則を示している。「食べるにも飲むにも神の栄光のために、すべきである。」
(三一節)パウロ自身の生きざまを語っている。私共も私共の存在そのものが神の栄光を現すようになりたいもの
である。                                         
 第三に、「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。(一一
章一節)と言っている。「わたしがキリストに倣う者であるように」というところに彼の深い謙遜が示されている
キリストは「ご自身を喜ばせることなく」(ローマ一五・三)「おのれをむなしうして僕のかたちをとり」(ピリ二
・七)「ご自身をいけにえとしてささげ」(エペソ五・二)られた。パウロはこの主に倣った。自分の利益ではなく
人々を救うことを第一として行動している。私共もこのパウロの模範を通して、キリストの模範に倣うべきなの
である。                                         ・
 この一年「神の栄光のために」生き、死ぬことが出来ますように。
    
    
    
    
    
    
    

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