神の手の足跡 一覧表作成に至る経緯とその後の経過

(Last update: 2007/10/24)  「協会会報について」を追加

神の手事件(旧石器遺跡広域大量捏造事件)の主犯である藤村氏が
踏査または発掘に関与した「遺跡」の一覧表を作成するまでの経緯
および、関与遺跡について一般に流布された集計の誤りを説明する

表本体   ・表の凡例・解説


作成の経緯

2003年5月24日の考古学協会総会における検証報告の直前および直後に、捏造遺跡の総数に言及する報道があふれた。

05/24 13:24 時事 159遺跡でねつ造
05/24 18:02 時事 162遺跡でねつ造
05/24 20:13 共同 関与遺跡最大186カ所、178カ所で検証が終った。162カ所は遺跡そのものがねつ造で、それ以外でも何らかのねつ造があった。
05/24 20:55 毎日 関与の遺跡は約180だが、調査が可能だった178遺跡の石器などを調査し、159遺跡と3遺跡の一部でねつ造があったと断定。残り16遺跡は「ねつ造はなかった」
05/24 23:40 朝日 180以上の遺跡のうち178遺跡調査。前・中期すべてを含む162遺跡で捏造が確認された。これ以外の後期旧石器遺跡については「遺跡であることは間違いない」とされた
05/24 河北新報 最大186カ所あり、このうち178カ所で検証が終わった。159カ所は遺跡そのものがねつ造で、3カ所は何らかのねつ造があった。残りは明白なねつ造は確認されなかった。

記事ごとに少しずつ表現が異なるものの、大筋では一致しており、なんらかの共通する情報源が有ると思われた。それにしても明らかに宮城県教委の検証の意味を誤解しているようだし、根拠とする数字もただちには分らなかった。そもそも、協会の報告書には「遺跡」の一覧表が欠けており、事件及び検証の全体像が見えない。そこで関連の資料を突き合わせながら自らの手で「関与遺跡」数の集計を始めた(もっとも、協会の検証報告では、あきれていやになるほどの、捏造当初からの周囲の研究者のずさんさを証する材料が含まれていたため、総会後数日間は具体的な作業をする意欲がわかなかった)。報道された数字の根拠とそれがずさんな誤りであることなどは容易に見えてきたが(後述)、なおも不明な点があった。一覧表の作成をいよいよ始めようとした頃、週刊新潮に関連記事が掲載された。

  無署名,「これが正しい「日本の古代史」 「遺跡捏造」事件後の最新研究」,『週刊新潮』,6月5日号,pp.139-141,2003.05.29発売
によると日本考古学協会前・中期旧石器問題調査研究特別委員会委員長の小林達雄氏はこう語ったという

「藤村氏が発掘に携わった遺跡は全国に186カ所あり、そのうち178カ所の検証を行った結果、162カ所が捏造だと判断しました。しかし、残りが捏造でないというわけではない。検討資料が不十分だったりして、線引きが難しいので(捏造の)断定を避けただけに過ぎません。」

「発掘に携わった遺跡」という表現のように記者の誤りもあろうが、全体として、流布した数字が協会側から流れたものとの推定が裏付けられたようであり、そうでなくとも、検証委員会の委員長も公認する数字となったといえる。

6月初めまでに、手元の資料で判明するかぎりの一覧表(暫定版)はできあがり、そのhtml化及び解説の作成を開始した。6月10日未明にアップロードし、公表した。

流布された集計の誤り

数字の由来

186箇所とは、発覚直後の文化庁の集計による。178箇所とは、日本考古学協会の検証報告書において、5頁の地図および第2・3部(石器・遺跡の検証)に登場する遺跡である。159箇所とは、178箇所から19箇所を引いた算術上の数字である。19箇所とは、宮城県教育委員会の検証において、旧石器時代の遺跡であると判定された数であり、そのうち3箇所が一部を捏造として、19-3=16箇所、178-16=162箇所という数字も出てくる。

総数の誤り

186箇所 2000.11.10付けの文化庁の集計による。通常、この手の集計は文化庁から都道府県・市町村へと調査表が配布され、回収されてまとめられるという手順を踏む。発覚から集計結果の公表まで短日数であり、その時点で地元自治体が把握している遺跡のみを慌てて回答した、暫定的な数値にすぎない。たとえば、文化庁集計の時点では埼玉県内の関与遺跡は7箇所とされているが、のちに9箇所とされるようになった。さらに「告白」で登場した「遺跡」や、それ以外の資料・検証報告に登場する遺跡も存在する。現在205箇所(うち遺跡名不詳1)を一覧表に掲載しており、その他に加えるべき遺跡2箇所と掲載済み遺跡の異称の可能性があり保留中の遺跡十数カ所を抱えている。さらに縄紋時代以降の関与遺跡も調べて付け加えるべきと考えている。

そのうち178箇所 協会報告に登場する埼玉県9箇所のうち2箇所は186箇所の中に含まれていない。

分類の誤り

178箇所を検証 検証報告で名前が登場する(「告白」のみをのぞく)178箇所のうち、群馬県内の4箇所が地図にのみ登場する。検証の有無・結果については記述が無く、ニュースでもそれらについての検証結果を見たことがない。さらに宮城県教委による「148箇所」の意味を理解していない。宮城県教委による検討の目的は、埋蔵文化財保護行政を進める上で、旧石器時代の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)としての取り扱いを維持するか判断するためのものである(文化庁集計に比べて3箇所少ないのは、それらが埋蔵文化財包蔵地として未登録だから)。すなわち、捏造の有無の検証は目的としていない。したがって、藤村活動開始以前に旧石器時代の遺跡と登録された13箇所の検証作業を省略している。さらに23箇所は石器が所在不明で検証できなかった。以上より、協会報告のみを資料としても、掲載178箇所のうち石器を検証したのは138箇所にとどまる。他の資料も照らし合わせると、協会の前週に発表された宮城県考古学会の検証で、宮城県教委が検証を省略したうち7箇所と「富谷」を検証しており協会時点で146箇所、協会の翌週に群馬で4箇所の検証が明らかとなり、現時点で150箇所

162箇所が捏造 宮城県以外では26箇所の検証対象全てで捏造があったと判断できたが、宮城県の場合は事情が異なる。旧石器時代遺跡であると判断された19遺跡(うち4箇所は一部または大部分が捏造)を除く129箇所は、旧石器時代の埋蔵文化財包蔵地としての登録が解除されたが、これはそのすべてを捏造と判断したからではない。捏造の疑いが否定できない資料のみでは、埋蔵文化財包蔵地としての規制を維持できないという行政的判断である。石器所在不明の23箇所の他、25箇所が石器が表面採集資料のみのため捏造の有無の判定が不可能だった。したがって宮城県内で石器検証によって捏造が有ったと判定されたのは、129-23-25+4=85箇所となる。県外と合わせて111箇所が捏造と判断されたことになる。以上は協会報告の範囲だが、宮城県考古学会の検証で、8箇所の石器に異常を発見、群馬で3箇所の捏造が明らかとなっており、協会時点で122箇所、現時点で125箇所の捏造が判明している

16箇所+3箇所 宮城県内で旧石器時代遺跡と判断された19箇所のうち、発掘調査による出土資料の大部分または一部が捏造と判断されたのが3遺跡(座散乱木、山田上ノ台、富沢)。名生館官衙遺跡は、発掘調査(藤村不参加)による出土品には異常は無かったが、断面採取資料は異常であり、一部で捏造が有った遺跡となる。他の15箇所のうちわけは、石器検証を省略が13箇所、藤村不参加の発掘資料と表面採集品のみを検証したため捏造の有無について判定不可能な遺跡が2箇所。県外でも山形県上ミ野A遺跡は一部のみ捏造なので、一部捏造は5箇所ということになる。

適切な表現

協会時点 関与遺跡は最大200箇所を越え、そのうち146箇所の石器を検証。資料が不十分だった27遺跡を除く122遺跡全てで捏造が有ったことを確認した。検証を省略した遺跡を含め旧石器時代遺跡と再確認されたのは20箇所のみだった。

現時点 関与遺跡は最大200箇所を越え、そのうち150箇所の石器を検証。資料が不十分だった27遺跡を除く125遺跡全てで捏造が有ったことを確認した。検証を省略した遺跡を含め旧石器時代遺跡と再確認されたのは20箇所のみだった。

作成後の経過

データの修訂

表の作成時に、不明の点が多々あり、関係者・関係機関に順次問い合わせる予定であったが、進んでいない。唯一、長崎氏より、北海道の諸地点の遺跡登録の有無について御教示いただいた。

協会会報について

2003年8月8日、日本考古学協会会報が届いた。先の総会の報告が主たる内容であり、特別委員会の報告も含まれている。それに付随して、総会時には頒布されなかった「捏造遺跡一覧」という表が掲載されている。一見して、このページをパクったか(^_^;) それならついでにデータの修訂もしてくれてたら嬉しいなあ、と思った。が、詳細に見ると、作成の経緯は記されていないものの、このページを参考にするどころか、協会の検証報告書のまとめとして見ても粗雑な代物であることがわかった。はじめに、協会報告と不整合な点を列記する(以下、会報の表で捏造が有った遺跡の表をA表、おそらく捏造の遺跡の表をB表とする)

  1. 表に入れるべき次の3遺跡を欠く         北海道天狗鼻・小野田町鹿原C・群馬県入ノ沢
  2. A表に入れるべきをB表に入れたもの2箇所    小野田町小梨沢A・同薬莱山29
  3. 逆にB表に入れるべきをA表に入れたもの2箇所  古川市浦越北・小野田町薬莱原15
  4. A・B両表に入るもの(正しいのはA)1箇所   古川市成田A
  5. 加美町内所在で唯一、旧町名で表記のもの1箇所  宮崎町"うごけ・たごけ"

上記は粗雑なミスであるが、さらに問題なのは、日本考古学協会総会の直前に公表された宮城県考古学会の検証結果を無視していることである。協会が転載する宮城県教育委員会の検証は、藤村以前から旧石器遺跡として登録されていた遺跡についての検証を省略しているが、宮城県考古学会の検証作業ではそのうち村山・三太郎山・安沢・新堤上・大森西・丸山・北馬場壇の断面採取資料に捏造があったことを明らかにしている。会報の表の末尾には“7月1日現在”との注記があり、時系列的に余裕で盛り込めるはずである。無知ならば恥ずかしく無視ならば怪しからぬ。当サイトに対しても、同様である(協会の検証報告書には当サイトから2つの表が転載されており、検証委員がそんなサイトは知らないとはいえない(ちなみに表を一方的に転載しただけで報告書は送付してこなかった))

文献

  1. 藤村新一(1992.12),「記念講演 旧石器研究二十年の歩み」『第6回東北日本の旧石器文化を語る会』,,東北日本の旧石器文化を語る会
  2. 文化庁(2000.11.10),「東北旧石器文化研究所等が発掘調査又は踏査に関与した遺跡について(概報)」,http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/information/kamitakamori/bunkatyou01.htm
  3. 文化庁(2000.11.17),「東北旧石器文化研究所等が実施した発掘調査の状況について」,http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/information/kamitakamori/bunkatyou02.htm
  4. 宮城県教育委員会(2000.11),「宮城県内の関連遺跡一覧」,http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/information/kamitakamori/iseki-itiran.htm & http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/information/kamitakamori/iseki-list/fujimura-bunpu.htm
  5. 宮城県教育委員会(2003.03),「旧石器発掘ねつ造関係遺跡の検証調査結果とその取扱い」,http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/kyusekki/houkoku/honbun.htm
  6. 宮城県考古学会旧石器発掘ねつ造問題特別委員会(2003.05),「旧石器発掘ねつ造問題特別委員会最終報告」,『宮城考古学』,第5号,宮城県考古学会
  7. 日本考古学協会前・中期旧石器問題調査研究特別委員会(2003.05),『前・中期旧石器問題の検証』,日本考古学協会 (目次 http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/kenshoMokuji.htm
  8. 作者不明(2003.08.01),「捏造遺跡一覧」,『日本考古学協会会報』149,日本考古学協会

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