韓国のハンセン病回復者定着村について



 日本のハンセン病に対する施策は「隔離撲滅」でした。それ故、菌陰性となった今も、社会的な偏見とあいまって、ほとんどの元患者さん達は療養所での生活を強いられています。
 韓国のハンセン病患者も戦前の日本統治下では強制隔離されていました。戦後の南北分断後も隔離は続き、全土に5ヶ所の療養所がありました。しかし、治療法確立と共に外来治療主義に変わり、1963年3月に強制隔離は廃止されました。それ以後は国立療養所は南海岸の小鹿島1ヶ所となり、他はなくなりました。現在、韓国のハンセン病患者は、潜在患者を含めて約5万人位といわれています。
 ところが、強制隔離はなくなったものの、韓国でも元患者への偏見は強く、なかなか一般社会の中にスムーズに受け入れられませんでした。そこで、集団である土地に入植し、農業や畜産をするという政策が1962年からすすめられてきました。そのような村を「定着村」と呼びます。現在、全土に約 100ヶ所以上あり、回復者約1万2千人が家族1万3千人ほどと暮らしています。村には、大は2千人を越えるところから、小は30人ほどのところまであり、地形的には、成立の事情からして山間の僻地や河川敷など人口過疎地が多くなっています。
 村への入植当時は周辺の村からの差別やトラブルも多くあったようです。そういう中で、手足が不自由な人が多い患者さんはきつい農作業もできないので、養鶏、養豚を中心に村づくりをすすめてきました。畜産物は価格が不安定で経営が苦しい村もあるようですが、一方地域経済の中で発展を続けている村もあります。ただ、村の発展につれて内部では貧富の差も生じています。
 村人のほとんどはキリスト教徒で、中心部に大きな教会を持つ村がほとんどです。定着村はキリスト教を中心に精神的にまとまっているといえます。また、日本の療養所と違い、定着村では子供たちが歓声をあげて走り回る姿が印象的です。子供への期待は大きく、村人たちは教育熱心です。
 定着村も古いところではほぼ30年の歴史を持ち、子供たちも就職、結婚の年齢を迎えつつあります。昔に比べて露骨な差別は少なくなったとはいえ(例えば昔は乗れなかったバスに今は平気で乗れます)、やはり偏見が残る中で、子供たちがどういう未来を築いてゆくか(村を支えるか、都市へ出るか等)が今後の問題といえるでしょう。

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作成: K. Sakaguchi
Last updated, Jun.13.'98