スクリーニングという視点 -2007.01.07Up 「スクリーニング」という言葉がある。 自然科学の世界では、多くの化合物の中から生理活性物質(生物に何らかの作用を示す物質)を何らかの基準で選別して探し出す行為をいう。インターネットの検索にかけてみると、先ずは株式投資に関わる言葉としてヒットする。例えば、以下のような具合である。
なるほどね〜、世の中ではこういう使い方もされているのか〜と思った。 「スクリーニング」とは「篩(ふるい)にかけること」を意味する。最近の人は「篩」自体が??かもしれないが、広辞苑から引用すると、
と、ある。 私は、この「スクリーニング」という言葉にとっても興味をもっている。好きな言葉といっても良いだろう。その心は?だが、以前に、とあるメールマガジンから何か書いてくれと依頼されて書いた原稿があるので、先ずはその中から関連する一節を紹介しよう。『なんでもスクリーニング!』と題したものだ。 |
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なんでもスクリーニング! 「スクリーニング」という言葉は「篩い分け」とか「選別」と辞書に書いてあるが、医薬開発研究の世界では、主に多くの化合物資源の中から医薬のヒントとなる化合物を探す行為をいう。最近ではHTS(ハイスループットスクリーニング)という極めて多くの化合物試料を短時間にスクリーニングする方法が発展し、一定の成果を上げてきた。 しかし、考えてみるとこのスクリーニングという概念はあらゆるところにある。例えば、化合物ライブラリーとして購入する化合物を選ぶ、活性が認められた多くのヒットから真のリードを探す(ヒットtoリード)、化合物の薬理評価を実施する際に使うべき実験モデルの選択、ある現象が何故起こるかを解明しようとする際に使うべき実験系の採用、等々これらの行為もある種のスクリーニングをしているといって良い。もっと言うなら、とある案件に対して意見を聞こうとする時に誰に聞くのが良いのかも、聞くべき相手をある種のスクリーニングにかけて選抜していることになる。つまり、選択肢が唯一で無い限りは自ずとスクリーニングをしていることになる。 こうしてみると、人生そのものがスクリーニングの連続である。受験は何処にしようか?就職試験はどこを受けようか?などもスクリーニングである。もっとも、入りたいと思っている学校や会社も、逆にこちらをスクリーニングにかけてくるわけだが。。。う〜ん、となると結婚相手を決めるのも凄いスクリーニングということになるし、双方がスクリーニングをしあった結果ということか〜〜。ハイコンテンツスクリーニングの最たるものだ! スクリーニング結果を良いものにするには、?適切なスクリーニング系をつくること、?スクリーニングする対象を良いものすること、が重要であることがすぐ分かる。そして、何をもって良いものとするかがとっても難しいし、また理想を追いすぎてもダメなこともすぐ分かる。実際には不確定な要素が多々あるので、常に良い結果が得られる保証は無いのだが、できる限り可能な努力をすることが大切である。不確定な要素が多いほど我々は英知を出し合わねばならない。そして、スクリーニング結果を生かすも殺すもその後の行動次第である。逆に言えば、「その後の行動」に依存してスクリーニング対象を考えないとならない。この辺り、さしずめ「ヒットtoリード」への取り組み方かな〜とか思っちゃったりする。 −略−』 |
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と言うわけで、森羅万象いたるところでスクリーニングが行われており、今この世に存在するあらゆる生命は、当然ボクらヒトも、宇宙誕生以来137億年(または地球での生命誕生以来38億年)の歳月をかけたスクリーニングの結果であると言える。 |
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スクリーニングという視点で物事を捉えるととっても面白い。 例えばヒトの性格だ。当然千差万別色々あるが、少なくとも自然環境・人間社会様々な意味で過去の過酷な環境を少なくとも現在まで生き抜いてきた人間の子孫である。生きて子孫をつくるために個人として何が必要だったのか、つまりスクリーニングに合格した性格・資質とは何だったのか?という見方である。 生き残るために必要な性格や資質を考えて列挙してみよう。
ふむふむ・・・。今を生きる現代人は、皆さん、こうして生き残ってきた性格や資質を受け継いでいるのだ。 個々人の性格も様々だが、民族や国、または文化圏などでそれぞれ一定の傾向があるように思う。S社T氏より、インターナショナルジョークとしてこんな話を聞いた。
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なるほど、お国柄を良く捉えていると思った。ところで、フランス人やロシア人、はたまた中国人ならどうなのだろうか?とも思った。四の五の言って、または必ずやるからと言っておいて、・・・・・・。これは偏見だろうか?いずれにしても民族や国柄による人々の資質や性格の傾向は、人間社会が形成されて以来ここ数千年のスクリーニング結果なのである。 日本では、農耕一筋数千年の歴史がその根源なのだろうと思う。島国として大陸から隔離され、数千年の間培われた米作り一筋の遺伝子は、数十年程度の環境変化でそうたやすく変化するはずがない。 農耕の歴史数千年の中でスクリーニングされてきた人間とは、
という人々である。 良いとか悪いとか言う問題ではない。ボクらはこうした特性の遺伝子を抱えているということを理解し、また意識したうえで、ことにあたるのが良いということだ。 |
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さて、以下は蛇足気味だが、ついでなので書いておこう。 戦後教育の過程で、個性を伸ばし創造的発想力を育成しようとの考えのもと、または受験教育の弊害を是正するために、(または教師が楽するために、??)いわゆる「ゆとり教育」が実施されてきた。私は、この「ゆとり教育」はものごとの本質を完全に見誤った典型例であると思っている。つまり、こういった遺伝子集団の皆々を創造的な人間に育てあげようとしたのだからうまくいくはずがない。結果は、「わがまま」を個性と勘違い、より画一的な言動、学力超低下、失われた真面目さ、社会性の欠如、見て見ぬ振り社会の助長、という惨憺たるものだ。これら全て学校教育だけの問題と言うわけではないだろうが、かなり大きな役割を担ってきたと思う。 学校教育で先ず大切なことは、大多数のグレーゾーンの人間をどこへ導くのか・・ということである。問題は、大多数のグレーゾーンの人間は、どこへなら導きうるのか?ということだ。そもそも持ち合わせていなかった創造的・独創的な発想を伸ばそうとするよりは、その基本特性を活かして真面目に一生懸命働く人間に育てることが大切だった。それが日本人の良いところであり、世界に誇れる資質だったのに。希に発生する優れた創造的・独創的な資質をもつ人間に対しては、それを見逃さずに暖かく迎えてあげれば(これが難しいのかもしれないが)、自ずと育っていくのではないだろうか。大多数のグレーゾーンの中から、無理に教育やゆとりによって作り上げられる訳ではないだろう。 最近は見直そうという動きがでてきたので、是非思い切って路線変更をして、日本人の良いところや特性を伸ばす方向へ向かっていってほしいものだ。 −以上 |
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【解答】
というものだ。 |
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