ヘチマたわしで体を洗った事がありますか?これはとっても心地よいものです。試したことの無い人は是非一回は使ってみて下さい。ホームセンターなどで300円ぐらいで売ってます。最初は少々堅いかもしれませんが、すぐ良くなります。
さて、我家の家庭農園で数年間瓢箪を作ってましたが、今年は趣向を変えて「ヘチマ」にしてみました。自作のヘチマたわしを作ってみようと考えたわけです。4月に苗を植えて、8月末ごろから実ができてきました。9月に入ってからも黄色の花が咲いて更に実ができてます。一本は実が地面に着いて腐ってしまい、早めにできた3本を収穫しても、まだ6本も実が付いてます。早めにできた3本は、ぶら下がったまま黄色ぽくまた黒っぽくなって、水分も抜けて重量を感じなくなってきてました。最初の一本は9月23日に、あと2本は9/29に取って、早速ヘチマたわしを作ってみました。
ヘチマ(糸瓜)科名:Cucurbitaceae(ウリ科)学名:Luffa cylindrica Roem.
イロハニホヘトチリヌル。。。。
@熟れたヘチマを収穫する。もう水分が抜けている。
A風呂場でバケツに水を張ってヘチマを浸ける。が、水の上にプカプカ浮いている。ので、思いついたらシャワーをあててなるべく湿らせるよう心がける。
B3日ぐらい経つと中が腐ってきて、表面の皮がズルムケしやすくなってくる。表面は腐ってこないので、匂いはしないのでご安心を!。
Cズルムケ状態になったら、手早く皮をむいてスーパーポリ袋などに速やかにしまう。(この時はちょっとくさいけど、少々は我慢)直ちにシャワーなどで速やかに臭い汁を洗い流す。
D鍋やバケツの内壁に打ち付けるようにして、ヘチマの中に入っている種をとる。時間がかかる。全部の種を取るのはなかなか難しい。(本当は適当な長さに切ってやれば良いのだろうが、原形のまま作りたかったので。。)Eこのあと食器用の漂白剤に浸けて漂白すると良いでしょう。
写真のヘチマたわしは長さ約40cmです。きれいにできたでしょ。
8/23撮影====>9/29収穫10/6ヘチマたわし
その後、食器用の漂白剤で適度に漂白して、よく洗ってから乾かして出来上がりです。予想以上にとてもきれいにできました。やや光沢を感じさせる淡い良い色に仕上がりました。それにしても、この繊維の複雑な緻密さは見事です。ランダムなのか何か法則があるのか分かりませんが、何かパズルを感じてしまいました。(01/10/11)
10月14日に食用にと収穫したヘチマ(長さ20cm程度)を調理して食しました。沖縄の料理屋さんで一回食べたことがあります。初挑戦は味噌風味の炒め物にしてみましたが、その食感は独特の柔らかさで、適度な青臭さとあいまって結構いけました。
=====>ヘチマの炒め物−辛味味噌風味
10月10日の深夜1:15AM〜NHKで「被爆治療83日間の記録」の再放送がありました。アフガンのニュースを見ながら、明日の仕事もあるしそろそろ寝なくちゃ。。と思っていると番組が始まりました。出だしを見てしまい、もう目が離せません。これは真に強烈な記録でした。
一昨年の1999 年 9 月 30 日、日本最大の原子力事故となった東海村の臨界事故を覚えていることと思います。ジェー・シー・オー社(JCO)東海事業所で起こったこの事故の原因は、よくもそこまでできたものだとも言うべきいい加減な極みの操作手順を指示されたことによる。世の中ミスはいろいろあるが、これほどひどいものは聞いたことがない。「絶対にない」ということは絶対ありえないという証のようなものだ。
犠牲になられた大内 久さん、篠原 理人さんの死に心から哀悼の意を表し、また御遺族の方々には慎んでお悔やみ申し上げます。「被爆治療83日間の記録」は、この事故で犠牲になられた大内さんの治療の記録である。御家族の意思によってこの記録(番組)ができたとのことであった。
大内さんは事故に遭った後、東大病院で治療を受けることになった。当時私は、ニュースなどで、大内さんが浴びた放射線量は必ず死亡するといわれるレベルを遥かに越える放射線量であったことを知ったが、現代の最高水準の医療ならば何とかなるのかもしれないと思った。末梢血の幹細胞移植が行われ、それなりに時間が経過してきた時には、うまく治療できているのかなーとも思っていた。しかし、当時私が思っていたことは全く違っていたことが、この番組を見て明らかになった。まさに絶望ともいえる状況下での戦いをしていた。現代医療を結集して、考えられるあらゆる治療を試みるもなんともならないという内容であった。
番組で、被爆後(治療開始初期)の体の細胞の染色体の写真が紹介された。ヒトの染色体は46本で、よく23対になっている写真があるが、被爆後の染色体は、バラバラまたは固まりになっていたりして、どれがどの染色体なのか全く分からない状態になっていた。私も科学者のはしくれとして、その意味するところは直ちに分かった。つまり、体中の細胞が新しく再生する(正常な細胞分裂)ことができないということである。通常我々の体は、神経細胞などの一部の細胞を除けば、一定期間(多くは数日から数週間)でその全ての細胞が新しい細胞として生まれ替わるのである。ということは、末梢血の幹細胞移植をして正常に血液細胞が再生されたとしても、その他の組織は時間と共に確実に駄目になって行くということである。問題は何%正常な細胞が残っているかということである。
実際、時間経過と共に、ガーゼを張ったテープとともに皮膚が剥がれるようになり、皮膚組織が破壊されてくると培養した皮膚を移植するものの全く正着しないという状態になってしまう。移植した皮膚がくっつくべき相手となる正常な組織が無いからなのだろう。その後、消化器内壁の粘膜組織が破壊されてきて出血が起きてくる。一日に10リッター程度の水分が体から出ていったという。また、一時は幹細胞移植によって回復した血液細胞も、その染色体に2次ダメージ(体に残っていた放射線によっておこる)が出てきたとのことである。
医療スタッフのインタビューで、「皆どうなるのかということは分かっていたはずだが、誰も口にするものはいなかった」という。「きっと、一回口にしてしまったら、今やっている治療行為を継続させることができなくなってしまうのを恐れていたのではないか」というような話があった。どのような医療手段をとるべきかの意見がだんだんと出なくなり、医療チームのリーダーの先生(名前を忘れた)が一人で決断していくようになったとのことであった。
まさに、絶望のなかでの医療行為であり、医師としてまた看護婦としてこれほどつらいことはないであろう。御家族もお見舞いの待機部屋で黙々と鶴を折っていたという。約一万羽ほどになったとのことであった。そうすることしかできなかったのではないかと思う。看護婦さんの一人は、(10/14、続く)大内さんがどう思っていたのか知りたいと。。治療期間が苦しくてつらかったと思っていたのかどうか、それとも。。というようなことを言っていた。それは、全力を尽くしながらも、回復させることができないという葛藤が言わせたのだと思った。
この記録がどのようにいかされるのか。。。少なくとも関与した人間には見て欲しいと思ったし、それ以上に、うまく言えないが「生命」を感じるために多くの人に見てもらいたいと思った。