山之下城

概説 宇賀神社境内に備え付けられていた山田町教育委員会のリーフレットには「この巨樹のある場所は、府馬城址の一角に当たる。府馬城は単郭方形で、面積は約20アールとあるがそれは本丸居館址で、実際はこのあたり一帯の地域が府馬城の址ではないかと思われる。」と書かれている。余湖さんによれば、宇賀神社周辺は府馬城の出城である山之下城で、府間城はその西側約300m付近にあるそうだ。
 城を構えたのは千葉一族の府馬氏で、正中元年(1324---鎌倉執権北条高時・後醍醐天皇の頃)三代胤時の時といわれている。府馬氏はその後、永禄8年(1565---川中島の戦いの頃)に当主11代府馬左衛門時持が近隣の豪族との戦いで戦死したことにより、庶流に移った。
 府馬の大クス:国指定天然記念物。官報でクスと明示されているが、 タブノキの誤りであることが明らかになっている。指定当時、俗にイヌグスと呼ぶことから種目を違え告示されたものと思われる。樹高20m、根回り約27.5m、幹囲12m、樹齢は1300〜1500年といわれる。[『府馬の大クス』リーフレット(山田町教育委員会)]
宇賀神社の大クス
その他の写真
  1. 大クス東側の台地辺縁の土塁
訪問記[2004/03/29]府馬の大クスを目当てに行ってみたところ、現地にあったリーフレットで府馬城の城域であることが分かった。宇賀神社北側の畑には縄文土器片や坏の破片が散乱していた。
所在地千葉県香取郡山田町府馬。宇賀神社にある府馬の大クスが目印。
参考書『府馬の大クス』リーフレット(山田町教育委員会)