概説 | 西から東に向かって本郭・二郭・三郭の順で連なっている。それぞれ長方形で、四周に堀が設けられ、いまも土塁の跡が認められる。本郭と二郭の間に用水堰があるほかは堀の跡地は現在、水田となっている。[『日本城郭体系2』より] 築城年代は不詳。大光寺城南備の砦で、元亀(1570〜)の頃は平岡惣右衛門盛景が城主であったが、乳井大隅建清に攻略された。その後、南部勢が大挙してこの城を攻撃したが、遂に落城しなかった。この城は、3郭から成っていたという説もあるが判然とせず、今は北方の堀跡に面影を留めるのみである。[現地標柱説明文より] |
神明宮と堀跡![]() |
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訪問記 | [2003/06/13]神明宮の西側に用水路が流れている。ということは神明宮が二郭ということになろうか。水路は本殿西側から北では暗渠になっているがマンホールの位置から推測すると水路に折れが付けられており虎口が設けられていたと思われる。 |
所在地 | 青森県南津軽郡平賀町吹上。 |
参考書 | 『日本城郭体系2』 |