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白鬚橋

(2013年6月7日更新)



白髭(しらひげ)の名は、天暦5年(951年)創建の縁起のある向島白髭神社に
由来している。
古来、梅若伝説で知られる渡船場もこの辺りにあり、のちに舟の浮橋などもかけられ
たという説もある。
 



 ここを「橋場の渡し」といったのは、このゆかりの名であり交通の要地であったことを
 示している。
 大正3年(1914年)には、地元住民によって会社が設立され、有料の木橋がかけら
 れた。



関東大震災(1923年)を経て、復興事業の一環として、昭和6年(1931年)に重量
感あふれるアーチ橋としてかけられた。



その後、東京大空襲などにも他の橋とともに多くの人々を救う役割を果たした。
現在も、荒川、墨田、台東三区を結ぶ重要な橋である。
 (東京都の案内板より)









白鬚橋西詰め白鬚橋の西 詰めから撮影しました。
従来の写真に比べると色がよく出ていますね。
(2013年6月7日追加

















白鬚橋全景西岸より
西詰めより全体を撮影しました。
中央部分の曲線が美しい。
(2013年6月7日追加















白鬚橋上部アップ上部の照明部分が洒落ていますね。
(2013年6月7日追加)



















白鬚橋上部骨格

中央上部のアーチの梁が複雑ですが美しいと思います。
(2013年6月7日追加

















白鬚橋遠景にスカイツリー橋の中央のアーチの向こうにスカイツ リーが見えます。
(2013年6月7日追加)

















対鴎荘跡

  (台東区橋場二丁目一番)
  隅田川畔の橋場一帯は、風光明媚な地であり、かつては著名人の屋敷が軒を連ねて
  いたという。
  対鴎荘もそのひとつで、明治時代の政治家三条実美(さんじょうさねとみ,1837〜
  91)の別邸であった。
  「征韓論」をめぐって、政府内に対立が続いていた明治6年(1873年)の十月、太政
  大臣の要職にあった実美は心労のあまり病に倒れ、この別邸で静養していたが

  同年十二月十九日明治天皇は病床の実美を気使い、この邸を訪れている。
  対鴎荘は、昭和3年(1928年)、白髭橋架橋工事に伴い、多摩聖蹟記念館(多摩市
  連光寺)に移築された。
  (台東区教育委員会の案内板より)





明治天皇が行幸なされたとのことです。対鴎荘、西詰めに有ります。



















案内板



梅若伝説


  白髭橋東詰を、北へ進むと、左側が白髭防災拠点の高層住宅が立ち並んでいる。
  その8、9号棟の間のゲート上に「梅若門」の文字が大きくしるされている。
  ここを入って隅田川の方に進むと、梅若塚の木母寺(もくぼじ)がある。
  日本の芸能に大きな影響を与えた梅若伝説発祥の地にほかならない。

  平安の昔、人買いにさらわれた吉田少将の一子梅若丸は隅田川のほとりで重い
  病気にかかって捨てられた。 彼は里人の看病もむなしく、
  「たづね来て問はばこたえよ都鳥墨田川原の露と消えぬと」
  の一首を残して、寂しく十二年の生涯を閉じた。
  一年後の三月十五日、里人が柳の植えられた梅若丸の塚で供養していると、一人
  の狂女が現れた。彼女は、我が子を探し求めてはるばる都から下ってきた梅若丸の
  母だった。
  梅若伝説のあらましで、この話は能「隅田川」を始め、歌舞伎や舞踊など我が国の
  さまざまな芸能に取り入れられてきた。
  木母寺は梅若塚を守るために建立された。「江戸名所図会」には、貞元(じょうげん)
  年間(976〜978)の草創とある。
  初めは梅若山梅若寺といったが、後に梅柳山木母寺と改められた。「木母」は梅の
  異名といわれる。
  江戸時代には文人墨客の散策地として大いに名を高めた。特に梅若丸の命日には
  大変なにぎわいだった。
  「例年三月十五日忌日たる故に、大念仏興行あり。この日都下の貴賎群参せり」
  「図会」は「梅若忌」のにぎわいをこう記している。また、この日降る雨を「梅若丸」
  の涙雨」といった。
  繁盛した木母寺も、明治維新で一時廃寺となったが再興され、梅若忌は新暦で四月
  十五日になった。 大念仏も戦前まで行われていた。
  昭和五十一年には、防災拠点の建設で、寺は梅若塚や多くの石碑共々、隅田川寄り
  の現在地に移転させられたのである。 その結果、旧梅若塚は九号棟前の梅若公園
  内に痕跡をとどめている。
  今、梅若忌には謡曲「隅田川」の奉納や、寺宝である江戸初期の絵巻「梅若権現
  縁起」の複製の公開が行われている。
  防災のためガラスにすっぽり覆われた梅若塚ではあるが、それだけ貴重な文化遺産
  といえる。近くには隅田川の総鎮守で「水神」の名で親しまれている隅田川神社も
  鎮座しており、隅田川畔屈指の名所である。

(「ぶらっと東京」 羽鳥昇平著、読売新聞社 より)



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