sceen:1

天気のいい日曜日の午後。
それは、那美さんと二人で買い物などしていた時のこと。

「あ、蝶がありますね」
「蝶、ですか」
那美さんが唐突に足を止めて、露天で売っているアクセサリーの一つを見つめていた。
商店街を少し外れ、公園に向かう脇道でのこと。
俺は少々疑問を感じながらも那美さんにならってその場にしゃがみこんだ。
「恭也さん、知ってます? 蝶って『渡り』をする生き物の中で、一番小さい生き物なんですよ」
那美さんが指差した先で、銀細工の蝶がキラキラと陽光を反射している。
「そう言えば、父さんも昔そんな話をしたことがあります」
「そうなんですか?」
あれはいつの事だったか。
「それで確か、『もし人生になにか目標を見つけたなら、例えその果てが見えなくとも、
海の、水平線の向こうにそれがあることを信じて、歩けるような男になれ』と」

……。
もしかすると父さんもそのころ何か壁を感じるような事があったのかもしれない。
なんとなく、父さんにしては余裕のない台詞な気がする。
「そうですか。立派なお父さんですね」
那美さんは笑う。
そんな事を感じられるようになったのは、たぶんこの人のおかげ。
「すいません、これ、二ついただけますか」
かなり意匠化された、蝶のデザイン。シルエットのような平面的な構成だけど、
シンプルで不思議と品がある。
「あの、那美さん。これ、よかったら」
二つ買ったうちの一つを那美さんに渡す。
「ああ、いいんですか? ありがとうございます!」
そう言って微笑む那美さんを見ながら、俺は、空を渡る蝶のように
この人と一緒に生きていきたい、そう思った。


sceen:2

例のプロポーズの日から数日後……
どういうルートで話が伝わったのか。那美さんのお姉さん、薫さんが海鳴にやってきた。
「恭也くん、うちの那美をもらってくれるそうで
 これの相手は大変だとは思うがよろしく頼むよ」
「か、薫ちゃん?!」
(まあ、ルートに関しては大体予測がつく……)
「恭也くんみたいな青年なら安心して那美をまかせられるし、恭也くんと親戚になれて
うちも嬉しい」
「あ、いえ」
家族との会話というのは、照れるというか、恥ずかしいというか。
まあ、この場合、那美さんの方が俺以上に恥ずかしいだろうから
これくらいは我慢するとしよう……
「まあ、なんというか」
笑顔の薫さんが、こちらの目を見て、続ける。
「那美の事、よろしくたのむ」
「はい」
薫さんが差し出した手を握り返して、俺は答えた。

「あらー、そんな。うちの恭也こそ、こんな無愛想な子を好きになってくれる女の子が
いただけでびっくりですよー」

……もちろん、その後に続いて催された「家族同士」の会話は
もっと、はずかしいものだったのは言うまでもない。


sceen:3

──夜
神社の境内は蒼く月に照らされている。
風で、社の障子がかたかたと鳴る。
同じふとんの、隣に那美さんのぬくもり。
俺は家族で住んでいる上に、自分の部屋は和室だし、
那美さんの部屋は寮なので──
こういう時はどうしてもここになる。
神聖な神社に申し訳ない気持ちがないわけではないが。
「最近はなにかあまり会う事ができなくて……すいません」
那美さんの仕事はもう最近忙しくて。何日も会えない日が少しずつ増えていた。
「仕方ありませんよ。それにそれは那美さんの力ががそれだけ必要とされている訳ですから」
一本のろうそくの灯がふたりを照らす。
今日はだから、何回も抱き合って、たくさん話をして。
それは確かに、会えない間は寂しいけど。
「その分、会えた時が嬉しいですから」
「そうですね……私もそう思うことにします」
この人と一緒に行くことができて、本当によかった。
「そうだ、恭也さん!」
「? どうしました? 那美さん」
もぞもぞと那美さんが足元の方へ布団の中を移動する。
「久しぶりに右膝のおまじないしましょう」
俺の右膝に那美さんの手が触れる。
少しなでるような感触がした。
十年前に砕いた膝。でもこれは、今はもう、完治している。
「いえ、でもこれはもう治ってますから……」
そう。今、自分を縛っている物は何もなかった。
「えーと。治療のことだけじゃなくて、なんか好きなんですよ。こう、恭也さんが身を
まかせてくれるのが」
「……」
多少、どぎまぎしながらも。俺は膝に伝わってくる暖かい感触に、『身をまかせて』いった。


sceen:4

as an "epilogue"

「高町隊長、警備員の配置、完了しました」
「ご苦労。じゃあ予定通りに警備を始めてくれ。定時報告と休憩のローテーションを
忘れないように。可能な限り見回りに行く」
「はい!」

今回の警護での副長格のスタッフが走り去る。那美さんの仕事で俺が何か手伝えることは
たまにならあるが、その逆は、ない。
こういう仕事が俺に入る時は、いつも那美さんに心配をかけることになる。
そして、会えない日も続く。
……。
俺は携帯電話を取り出し、ストラップに付けた銀のアクセサリーを見る。
本来なら重なる部分などなかった二つの人生の、奇妙な巡り逢わせ。
だけどそれでも、不思議と冷静でいられる。
離れている時でも。海の向こうにわたる蝶の様に、気持ちは地球を巡ってつながると
信じているから。


<了>

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後書き。

那美SSをお届けしました。
……これも、いづみのときと同じで、“Bullet”に収まらなかった
エピソードの切り出しだったりします。よりはっきりしてますね(笑)
私が本を作り始めると、どうも「ぽこぽこおいしいシーンを生み出す回路」と「短く、かつ
スムースにライジングカーブをまとめようとする美意識」が頭の中で激しく主導権争いを
繰り広げます。
で、いくつかのボツシーンとともに、「テレビサイズ」というか「プロダクトカット」が
決定されるんですねー……。

いっそ「ディレクターズ・カット」を作ってしまえって話だったりするんですけど。