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AK News -黒澤監督:追悼版-<その2> |
●テレビ・ラジオの特別番組: ●葬儀・告別式は、まず身内だけで7日に通夜。8日に密葬が世田谷の自宅にてとりおこなわれる。また、ファンらの弔問を受け付ける「お別れの会」が13日午後2時より横浜市緑区霧が丘3-2-1の黒澤フィルムスタジオにてとりおこなわれる。喪主は長男久雄氏。祭壇は『乱』の天守閣を模したデザインになる予定。また、はっきりはしていないが、アメリカからジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラ、スティーブン・スピルバーグら「黒澤監督の弟子」を自称する各監督の参列も噂されている。 ●「黒澤明記念館」の建設発表が7日予定されていた。 ●イタリアのヴェネチアで開催中の第55回ベネチア国際映画祭は6日、急遽黒澤明監督の業績を偲ぶ特別行事の開催を決定した。映画祭のフェリチェ・ラウダディオ事務局長は記者会見で同監督の死去を発表、監督が国際的に知られるきっかけが同映画祭での受賞だったことを指摘し「遠くの(東洋)文化の代表でなく、われわれにもっと近しい映画人を失った感じだ」と語った。また同映画祭を訪れていたジャック・ラング前仏文化相は「華麗さ、豪華さ、美しさで彼は比類のない巨匠だった」と称賛し、「世界の映画の巨人が失われた。彼の名前は、その素晴らしい作品によって世界の映画の宝として語り継がれるだろう」と語った。 ●フランスのシラク大統領は6日、黒澤明監督の死去について談話を発表し「スケールの大きさ、繊細な感覚、社会の現実に対する観察眼などに秀でた黒澤監督は映画界の巨匠であった」と哀悼の意を表明した。大統領は『羅生門』『デルス・ウザーラ』『乱』などの作品を挙げ、「数々の彼の作品は世界の映画史に偉大な足跡を残すだろう」と業績をたたえた。知日派のシラク大統領は黒澤監督が1992年度の高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した当時の国際顧問(現名誉顧問)であり、黒澤作品のファンとしても知られ、訪日した際などに黒澤監督と数回会っている。黒澤監督はフランスとはカンヌ国際映画祭で『影武者』がグランプリを獲得したり、またその次の作品の『乱』がフランスの資本で製作されるなどのつながりがあり、同監督の作品はフランスでもよく知られている。ニュース専門テレビLCIは、黒澤監督死去のニュースをトップで伝え、『羅生門』の撮影風景や、最後の作品となった『まあだだよ』の映像などを放映した。 ●中国の国営通信、新華社は6日、東京発で「日本の著名な映画監督」として黒澤明監督の死去を伝えた。その中で同電は黒澤監督が1950年の『羅生門』で翌年のヴェネチア国際映画祭グランプリを獲得するなど、国際的な賞を幾つも受けたと紹介している。また香港公共ラジオは6日、「日本で最も有名な映画監督であるアキラ・クロサワが死去した」と伝えた。同ラジオは1951年に『羅生門』がヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲得したことや、黒澤監督自身が1990年、米アカデミー名誉賞を受賞したことを紹介した。また香港のテレビも、黒澤監督の死去を大きく伝え、撮影を指揮する黒澤監督の資料映像を放映した。 ●東京発のロシア国営タス通信は6日、黒澤明監督の死去を至急報で伝えた。また、民間テレビ、NTVは同日午後4時(日本時間同9時)のニュースで、黒澤監督死去をトップ・ニュースで伝えるなど、ロシアにおける同監督への関心の高さがうかがえる。国営ロシア・テレビの夜のニュース番組「ゼルクロ」のキャスター、スワニッゼ氏は「世界の映画ファンにとって、非常に残念なニュースがあります」と述べ、映画ファンを魅了してきた巨匠の死を悼んだ。黒澤監督は、ソ連時代の1975年、日本国内での映画製作に行き詰まっていた頃、『デルス・ウザーラ』をソ連資本で製作。加えて『七人の侍』などの監督として、ロシアでも知られる。 タス通信は黒澤監督について「世界的に有名な映画監督」などと紹介。『デルス・ウザーラ』に出演したロシアの俳優、ユーリー・サローミン氏は同通信に対し「私はこの映画の仕事に非常に満足している。この仕事は、私に多くのことを教えてくれた」と黒澤監督を懐かしんだ。また、ロシアの著名な映画監督、アンドレイ・コンチャロフスキー氏は「(自分が)映画の撮影で、うまくいかない時は、黒澤の映画を見る」と述べ、「力強さ、明確さ、世界に対する勇気ある視点」において、黒澤監督をシェークスピアにたとえた。 |
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