■□■□■ 対馬を狙う韓国の野望(オロモルフ)■□■□■


 これは前に『国際通信の日本史(栄光出版社)』に書いたり、『桓武天皇の生母問題』の付録に書いたりしたことですが、韓国の筋違いの執念と日本の超呑気さを示す一つの実例ですので、再掲いたします。

◆20年ほど前、KDDのパンフレットを見ていて、不思議なことに気づきました。
 日本から周囲の国々への、光海底ケーブルのルート図なのですが、韓国へのルートがとても遠回りなのです。
 韓国への経路で最短なのは、もちろん、対馬と釜山近辺との間です。
 ところが光海底ケーブルの国際回線は、そういう至近距離を通らず、一つは、直江津〜ナホトカ間の対ロシアルートの中間地点から分岐して釜山に向かうルート、もうひとつは、千葉から太平洋側をぐるっとまわって済州島に行く超遠回りのルートです。

◆オロモルフはこの事に興味を持ったので、少し歴史を調べてみました。

◆明治時代の日韓ルートは、ロシア資本の入ったデンマークの企業『大北電信会社』が握っており、九州本島から壱岐や対馬に連絡するにも、外国の国際通信を使わねばならないという、屈辱を受けていました。
 これは後に、多額の金を払って、対馬まではなんとか日本の権限になりました。
 昭和に入りますと、東海大学創立者の松前重義さんが開発した無装荷海底ケーブルが、博多から釜山に敷設されました。
 終戦になりますと、これらのケーブルのうち残っていた二条とも米軍が使う事になり、日本はその修理だけを命じられました。
 日本が使えるのは、その一部と小容量の無線だけになりました。

◆やがて昭和27年に占領が終了しますと、二条の無装荷ケーブルの日韓の利用についての折衝が始まりました。
 しかしそれは難航し、何年たっても結論が出ずに、やがて消えてしまいました。
 消えた理由は、韓国の領土への執念だったとされています。

◆韓国は、昭和27年に李ラインを日本海に一方的にひいて領土権を主張し、多くの日本の漁船を拿捕し、3900人もの漁民を拉致し、そのうえ竹島を占領してしまいました。
 韓国政府の野望は、対馬の領有にもありました。
 もともと李承晩たちは、終戦後のどさくさまぎれに対馬を軍事侵略しようと狙っていたと言われますが、そういう領土的野心は朝鮮戦争が終わって日本の復興が始まってからも途絶えることはなく、ついに日韓海底ケーブルの折衝までもが、その野望の舞台になってしまったのです。
 日本の常識でも世界の常識でも、日韓の国際線は対馬と釜山の間に決まっておりますが、韓国側は、「福岡と釜山の間が国際線だ」と主張してやまず、会議は物別れに終わってしまったのです。
 日本側の委員には徒労感だけが残ったようです。

◆韓国のこの主張は、もちろん、対馬を自国の領土に組み入れるための作戦です。
 国際通信というのは、利益その他すべての権利を双方の国で折半するのが原則です。
 したがいまして、福岡と釜山の間を国際線だと認めてしまいますと、その折半を地図上に置き換えたとき、対馬のほとんどは韓国の領分に入ってしまうのです。

(地図に物差しを当てて計ってみてください!)

 竹島に続いて対馬まで韓国領土になったら大変ですから、日本側も必死で応戦し、ついに物別れになってしまったのです。

◆日韓の通信回線は、経済的に破綻状態だった韓国にとってきわめて重要なものだったのですが、そんな事より、対馬を領有したいという野望の方が、はるかに優先したのです。
(もうひとつ、国際通信が気軽にできると、外国の情報が国民に知られて政権が危なくなるということもあったらしいですが)

◆戦後の日本と諸外国との海底ケーブルは、アメリカ、ロシア、中国、フィリピン、台湾・・・と次々に出来てゆきましたが、韓国との間ではずっと不毛のままでした。一番近い国がいちばん遅れたのです。
 対馬問題が尾をひいたからです。

◆1980年になってようやく、当時世界最先端と言われたCS−36Mという日本の技術で日韓海底ケーブルができましたが、そのルートとは、山陰の浜田市と釜山をつなぐものでした。
 なぜ浜田を選んだかについては、この問題の責任者の出身地が浜田だったからだ――などと笑い話が伝えられてもいますが、技術上の必然性などまったくありません。
 要するに、対馬問題を避けた適当なルートを選んだということです。

 電線会社で活躍した技術者の自伝を読みますと、この回線の完成を祝う祝典が行われたとき、韓国側でつくった記念のパンフレットには、「日本の技術」という言葉は一つも無かったそうです。
(日本人はその場で猛然と抗議するような事はせず、引退した後に想い出談でぶつぶつ言うのが常ですね)

◆この浜田ルートも、今では役目を終えて、光海底ケーブルの時代になりましたが、その対韓国ルートが実に奇妙なものであることは、書き出しの部分のとおりです。
(この数年のことは知りませんが)

◆歴史のIFですが、日本側が焦らずデ〜ンとかまえていたら、困るのは主に韓国なのですから、大統領が替わった機会などに、対馬〜釜山を国際線とする回線が出来ていたかもしれません。
 それはすなわち、韓国が「対馬は日本領である」ことを公式に認めたことになった筈です。
 たぶん近隣国におもねる政治家がバタバタしてこういう変な事になってしまったのでしょう。
(話がとぶようですが、中曽根元総理ってほんとうにだらしのない人で、北京要人にゴマをすって靖国参拝を中止してしまったばかりか、A級戦犯分祀など、とんでもない事を言いだしております。また、無法なロシア潜水艦の暴虐を証明するための留萌港近くの沈没艦引き揚げを中止させたりもしております)

◆心配なのは、「日本が対馬を避けるルートを選んだ」ことを逆手にとった韓国が将来、「日本は対馬が韓国領である事を認めた」と世界に宣伝する事です。
 あらゆる事でそういう手を使っておりますから・・・。

◆一般大衆の気持ちは知りませんが、韓国要人たち(政府・マスコミ・反日学者など)の日本領土への執念は恐るべきものがあります。
 天照大神の生誕地は朝鮮半島である
 日本神話の高皇産靈尊は韓国の高霊市で生まれた
 九州から山陰にかけては元々朝鮮(韓国)の領土だった
 大和朝廷の先祖は朝鮮人(韓国人)である
 古代天皇のお嫁さんは朝鮮人
 日本人の先祖はすべて朝鮮から来た
 飛鳥奈良の文化はすべて朝鮮人がつくった
 さらにひどくなると奈良時代の日本に住んでいたのは九割以上が朝鮮人である
・・・などなど。

◆この対馬と国際通信の話は、韓国の日本領土への野望を示していますが、それに対して、日本の政治家・マスコミ・学者などは、ほんとうに情けないです。おまけに技術者も情けない!
 とくに何が情けないかと言いますと、
「明治以来ずっと国際通信には厳しい領土問題があった」
 という史実そのものを、日本の要人のほとんどが知らないのです。
 驚くべきことに、KDDや電線会社の人たちですら、多くは知らないのです。聞いてみて驚いた経験があります。
 竹島や尖閣諸島の歴史について、日韓併合の歴史について、はたまた南京問題について、大部分の国会議員が何も勉強していない――という悲惨さと同じ悲惨さです。

◆以上、近隣国の凄まじい領土への執念と、日本人の呑気さを示す現代史の一コマでした。
(竹島がどこにあるのかも、竹島問題とは何かも、まったく知らない日本人が大部分なのですから、対馬をどうのこうのと言われても、多くの日本人はキョトンとしていることでしょう)

◆参考書
 NTT編『海底線百年の歩み』電気通信協会/宮川岸雄『海底同軸ケーブルを世界に拡げた25年』アクセスニッポン社/KDD『宣伝用パンフレット』

◆補足
1.対馬が日本の領土であることを記した最古の文献は、三世紀に書かれた『魏志倭人伝』です。そこには、対馬の住民の様子や、役人の名前(日本特有の名)までが記されています。つまり卑弥呼の時代から、対馬は日本領土であることを、シナ王朝が明確に認識していたのです。

2.対馬を占領して暴虐をはたらいた事件として有名なのは、13世紀の元寇ですが、そのずっと前の11世紀初頭の平安時代に「刀伊の乱」があります。これは、現北朝鮮から満洲にかけての勢力が日本の対馬・壱岐・九州を侵略したもので、元寇より長期にわたって占領されてしまいました。平安時代なので日本側の防御力が弱かったのです。

3.対馬が古くから日本の領土で、その領主が大和朝廷の配下になっていたことは、『日本書紀』や『新撰姓氏録』など、多くの古文献から知られ、疑問の余地がありません。

4.日本の占領が終了した際のサンフランシスコ平和条約の付属文書の中に、それまで日本内部の通信とされていたがその後は国際通信となる海底ケーブルの一覧がありますが、その中に「対馬〜釜山」があります。つまり、サンフランシスコ平和条約において「対馬〜釜山」が国際線であることが明記されているのです。これは要するに、当時の世界が「対馬は日本の領土である」と認めていたことの証拠にほかなりません。


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