■□■□■ ツュンベリーの記録――江戸参府随行記(オロモルフ)■□■□■


◎ツュンベリー
 この人物はスウェーデンの医学や植物学の学者で、1743年生まれ。リンネなどに師事して医学博士となりました。
 オランダ船の船医となって世界一周旅行をし、1775年8月に長崎に着いて、その翌年オランダ商館長フェイトの侍医という名目で江戸参府旅行に随行し、その年の3月4日(日本暦の一月)に江戸に向け出発し、6月30日に長崎に戻りました。
 品川着が4月27日で、江戸発が5月25日ですから、ほぼ一ヶ月江戸に滞在したことになります。
 また、往路に二ヶ月近く、帰路は一月強かかっていたことがわかります。
 ツュンベリーはその年の12月に長崎を離れ、のちに旅行記を書いて出版しました。
 この旅行記の中では、日本に関する部分がいちばん資料的に充実しているといわれます。
 それは、日本人が提供する資料がそれだけ多く、きちんとしていた事を意味しています。
 そのため、江戸中期の日本人の様子が、じつによくわかるのです。

 その日本篇の翻訳が、

◎ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』平凡社東洋文庫(1994)

 ――です。
 有名な本なので、ご存じの方が多いと思いますが、オロモルフにとって参考になる記述がたくさんありますので、【日本人の長所】を述べている部分をピックアップしてみます。
 

◎記述1
「地球上の三大部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。・・・その国民性の随所にみられる堅実さ、法の執行や職務の遂行にみられる不変性、有益さを追求しかつ促進しようという国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。・・・また法の執行は力に訴えることなく、かつその人物の身上に関係なく行われるということ、政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、・・・飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの(ヨーロッパの)人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。私は日本国民について、あるがままを記述するようにつとめ、おおげさにその長所をほめたり、ことさらその欠点をあげつらったりはしなかった。」

◎記述2
「このように極端な検査(長崎での持ち物検査)が行われるようになった原因は、オランダ人自身にある。・・・原因にはその上に、数人の愚かな士官が軽率にも日本人に示した無礼な反発、軽蔑、笑いや蔑みといった高慢な態度があげられよう。それによって、日本人はオランダ人に対して憎悪と軽蔑の念を抱くようになり・・・その検閲はより入念により厳格になってきた」
(長崎のオランダ人は、奴隷をたくさん連れてきてこき使っていて素行が悪く、密輸などやりたい放題で、そのため日本側は反感を持ち、必死で検査をしていたという話です)

◎記述3
「日本は一夫一婦制である。また中国のように夫人を家に閉じこめておくようなことはなく、男性と同席したり自由に外出することができるので、路上や家のなかでこの国の女性を観察することは、私にとって難しいことではなかった」
(これは長崎から江戸までどの地方でも同じだったらしいです。江戸時代から明治初期に日本に来た外国人は、日本の女性がシナや朝鮮の女性とはまったく違う扱い――つまり奴隷ではない扱い――を受けていることに驚いた記録を残しています。とくに朝鮮との違いに驚いたらしいです)

◎記述4
「そこでは宿の主人から、かつて私が世界のいくつかの場所で遇されてきたより以上に、親切で慇懃なあつかいを受けた」

◎記述5
「この国の道路は一年中良好な状態であり、広く、かつ排水の溝をそなえている。・・・上りの旅をする者は左側を、下りの旅をする者は(上りから見て)右側を行く。つまり旅人がすれ違うさいに、一方がもう一方を不安がらせたり、邪魔したり、または害を与えたりすることがないよう、配慮が及んでいるのである。このような状況は、本来は開化されているヨーロッパでより必要なものであろう。ヨーロッパでは道を旅する人は行儀をわきまえず、気配りを欠くことがしばしばある。・・・さらに道路をもっと快適にするために、道の両側に灌木がよく植えられている」
(これが、最初に出てくる、江戸への往路での交通規則の記録です。左側通行が明記されています。この習慣または制度は、いつごろからのものなのでしょうか)

◎記述6
「里程を示す杭が至る所に立てられ、どれほどの距離を旅したかを示すのみならず、道がどのように続いているかを記している。この種の杭は道路の分岐点にも立っており、旅する者がそう道に迷うようなことはない。
 このような状況に、私は驚嘆の眼を瞠った。野蛮とは言わぬまでも、少なくとも洗練されてはいないと我々が考えている国民が、ことごとく理にかなった考えや、すぐれた規則に従っている様子を見せてくれるのである。一方、開化されているヨーロッパでは、旅人の移動や便宜をはかるほとんどの施設が、まだ多くの場所においてまったく不十分なのである。ここでは、自慢も無駄も華美もなく、すべてが有益な目標をめざしている。それはどの里程標にも、それを立てさせたその地方の領主の名前がないことからもわかる。そんなものは旅人にとって何の役にも立たない」

◎記述7
「(瀬戸内を船で通ったときの描写)投錨するとかならず、日本人はしきりに陸に上がって入浴したがった。この国民は絶えず清潔を心がけており、家でも旅先でも自分の体を洗わずに過ごす日はない」

◎記述8
「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。まったく嘆かわしいことに、もっと教養があって洗練されているはずの民族に、そうした行為がよく見られる。学校では子供たち全員が、非常に高い声で一緒に本を読む。・・・」

◎記述9
「海岸に臨みかつ国のほぼ中央に位置した大阪は、地の利を得て国の最大の貿易都市の一つになっている。国中のあらゆる地方からあらゆる物が信じ難いほど大量に供給されるので、ここでは食料品類が安く購入でき、また富裕な画家や商人が当地に住みついている」

◎記述10
「その国のきれいさと快適さにおいて、かつてこんなにも気持ち良い旅ができたのはオランダ以外にはなかった。また人口の豊かさ、よく開墾された土地の様子は、言葉では言い尽くせないほどである。国中見渡す限り、道の両側には肥沃な田畑以外の何物もない」

◎記述11
「(大阪から京都への道の感想)私はここで、ほとんど種蒔きを終えていた耕地に一本の雑草すら見つけることができなかった。それはどの地方でも同様であった。・・・農夫がすべての雑草を入念に摘みとっているのである。雑草と同様に柵もまたこの国ではほとんど見られず、この点では名状し難いほどに幸運なる国である」
(ツュンベリーは植物学者でもあるので、雑草の種類に注意を払っており、こういう感想が出たらしい。また柵云々とは、ヨーロッパではその地その地の領主たちが、防衛のために柵で農地や領地を囲うために、農民を苦役する伝統があり、それとの比較をしたらしい。話は飛びますが、幕末から明治にかけて来日した欧米人は、日本の家屋にカギらしいカギが無いのに泥棒などの事件がほとんど起こっていない事に驚く記事をたくさん書いています。飛脚がたった一人で現金を運んでいても、事故はほとんど起こらなかったらしいです)

◎記述12
「天皇は町なかに自分の宮廷と城を有し、特別な一区画のように濠と石壁をめぐらし、そこだけでも立派な町をなしている。・・・軍の大将である将軍は、最高権力を奪取した後もなお、天皇には最大の敬意を表していた」

◎記述13
「そして国のアカデミーのように、印刷物はすべて天皇の宮廷にだけ保管されるので、すべての本はまた当地の印刷機で印刷されるのである」
(これは京都での印象で、すこし誤解があるのだろう)

◎記述14
「(江戸について二人の医師と接触して)二人とも言い表せないほどにうちとけ、進んで協力し、学ぶことに熱中した。そして前任者にはなかった知識を私が持っていたことから、次々と質問を浴びせてきた。・・・彼らの熱心さに疲れ切ってしまうことがよくあったが、彼らと一緒に楽しくかつ有益な多くの時を過ごしたことは否めない」
(これらの日本人から、植物の標本などを入手したらしい)

◎記述15
「日本のすべての町には、火災やその他の事故に備えて行き届いた配慮がなされている。寝ずの番をする十分な数の確かな見張り番が、あらゆる地点に置かれており、暗くなると夕方早々から外を廻りはじめる」

◎記述16
「江戸の家屋はその他の点では、他の町と同じく屋根瓦で覆われた二階屋であり、その二階に住むことはほとんどない」

◎記述17
「私はまた、日本の魚類についての彩色図を載せた、大きな四つ折りの二巻からなる印刷本も買うことができた。これは、この国で出版された最高に美しい本の一つであり、その図はヨーロッパで素晴らしい賛辞を得るに違いないと思えるほどに、うまく彫版で印刷され、かつきれいに彩色されている」

◎記述18
「(一行のなかの)日本人は自分たちの通常の食事様式を守っていた。一日三回食事をし、そしてたいていは魚と葱を入れて煮た味噌汁を食べる」

◎記述19
「鳥通りという通りにいる多数の鳥類を見た。あらゆる地域からここへ集められたものであり、有料で見せたり、また販売したりしている。
 町中にはまた、かなり上手に造られた庭園があり、温室はないがいろいろな種類の植物、樹木、そして灌木がある。それらは他からここへ運ばれ、手入れされ、栽培され、そしてまた販売もされている。ここで私は使えるかぎりの金で、鉢植えのごく珍しい灌木や樹木を選んで購入することにした」
(この購入植物は、アムステルダムの植物園にまで送られたらしい)

 以下は、『日本および日本人』という巻にある記述です。

◎記述20
「(日本人の)国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公正、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である」

◎記述21
「日本人を野蛮と称する民族のなかに入れることはできない。いや、むしろ最も礼儀をわきまえた民族といえよう」

◎記述22
「自由は日本人の生命である。それは、我儘や放縦へと流れることなく、法律に準拠した自由である」

◎記述23
「日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られており・・・」
(日本人が自由だという事と、法律の適用が身分によらず公正という事がよほど印象的だったらしく、数回記されている)

◎記述24
「この国民の好奇心の強さは、他の多くの民族と同様に旺盛である。彼らはヨーロッパ人が持ってきた物や所有している物ならなんでも、じっくりと熟視する。そしてあらゆる事柄について知りたがり、オランダ人に尋ねる。それはしばしば苦痛を覚えるほどである」

◎記述25
「この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族に群を抜いている。彼らの銅や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい」

◎記述26
「節約は日本では最も尊重されることである。それは将軍の宮殿だろうと粗末な小屋のなかだろうと、変わらず愛すべき美徳なのである」

◎記述27
「またこんなにも人口の多い国でありながら、どこにも生活困窮者や乞食はほとんどいない。一般大衆は富に対して貪欲でも強欲でもなく、また常に大食いや大酒飲みに対して嫌悪を抱く」

◎記述28
「清潔さは、彼らの身体や衣服、家、飲食物、容器等から一目瞭然である。彼らが風呂に入って身体を洗うのは、週一回などというものではなく、毎日熱い湯に入るのである」
(この清潔好きと風呂好きも、相当印象的だったらしい)

◎記述29
「日本人の親切なことと善良なる気質については、私はいろいろな例について驚きをもって見ることがしばしばあった」

◎記述30
「国民は大変に寛容でしかも善良である。やさしさや親切をもってすれば、国民を指導し動かすことができるが、脅迫や頑固さをもって彼らを動かすことはまったくできない」

◎記述31
「正義は広く国中で遵守されている。・・・裁判所ではいつも正義が守られ、訴えは迅速にかつ策略なしに裁決される。有罪については、どこにも釈明の余地はないし、人物によって左右されることもない。また慈悲を願い出る者はいない」
(他の国々を知っている当時のヨーロッパ人にとって、身分の上下によらない日本の裁判の公正さは驚くべきものだったらしい)

◎記述32
「(外国人に対しても)・・・いったん契約が結ばれれば、ヨーロッパ人自身がその原因をつくらない限り、取り消されたり、一字といえども変更されたりすることはない」

◎記述33
「正直と忠実は、国中に見られる。そしてこの国ほど盗みの少ない国はほとんどないであろう。強奪はまったくない。窃盗はごく稀に耳にするだけである。それでヨーロッパ人は幕府への旅の間も、まったく安心して自分が携帯している荷物にほとんど注意を払わない」
(その後の二百数十年の間に、外国人が激増し、それとともに、凶悪な犯罪が増えてしまったようです)

◎記述34
「国民の内裏に対する尊敬の念は、神そのものに対する崇敬の念に近い」

◎記述35
「道路は広く、かつ極めて保存状態が良い。そしてこの国では、旅人は通常、駕籠にのるか徒歩なので、道路が車輪で傷つくことはない。そのさい、旅人や通行人は常に道の左側を行くという良くできた規則がつくられている。その結果、大小の旅の集団が出会っても、一方がもう一方を邪魔することなく互いにうまく通り過ぎるのである。この規則は、他に身勝手な国々にとって大いに注目に値する。なにせそれらの国では、地方のみならず都市の公道においても、毎年、年齢性別を問わず――とくに老人や子供は――軽率なる平和破壊者の乗り物にひかれたり、ぶつけられてひっくり返り、身体に損害を負うのが珍しいことではないのだから」
(これが二度目の左側通行の説明です。歩く人全員が左側通行を守っているようです。ここでは「規則」という言葉を使っています。何らかの文章になった規則があったのか、それともそのように奨励されていたのでしょうか)

◎記述36
「刃は比類ないほどに良質で、特に古いものは値打ちがある。それはヨーロッパで有名なスペインの刃を、遙かに凌ぐものである」

◎記述37
「私は、神道信奉者らが祭日や他の日にどのような心境でこの社にやってくるかということが漸次わかってきたが、そのさい非常に驚くことが多かった。彼らは何かの汚れがある時は、決して己れの神社に近付かない」

◎記述38
「なかでもこの国の二、三の寺社は特に注目されており、あたかもイスラム教徒がいつもメッカを訪ねるように、国のあらゆる地方からそこへ向けて遍路の旅が行われる。特に伊勢神宮はその一つであり、この国最古の神、すなわち天の最高の神天照大神を祭っている、社は国中で最も古くかつ最もみすぼらしく、今ではいろいろ手を尽くしても修復できないほどに古びて朽ちている。なかには鏡が一つあるだけであり、まわりの壁には白い紙片がかけられている。・・・老若男女を問わずすべての信者は、少なくとも一生に一度はここへの旅をする義務があり、そして多くの信者は毎年ここに来る」
(ツュンベリーの旅は式年遷宮の六年後なので、それほど古くなっていたとは思えない。伝聞による記述かもしれない。白い紙片とは紙垂のこと)

◎記述39
「寺社の聖職者以外にも二、三の異なる聖職がある。なかでも盲目の聖職は最も特殊なものの一つと言えよう。それは盲人だけからなっており、他には類を見ないものであるが、国中にある」
(盲人がどくとくの権利をもっていたことも江戸時代の特色で、だからこそ塙保己一のような盲目の大学者も出たわけです)

◎記述40
「この国の男性が娶れる婦人は一人だけで、何人も娶ることはない。夫人は自由に外出できるし、人々の仲間にはいることもできる。隣国のように隔離された部屋に閉じこめられていることはない」
(隣国とはシナのことらしい)

◎記述41
「国史は、他のほとんどの国より確かなものであろうとされ、家政学とともに誰彼の区別なくあらゆる人々によって学ばれる」
(いまの教育よりずっと良かったですね)

◎記述42
「法学についても広範囲な研究はなされていない。こんなにも法令集が薄っぺらで、裁判官の数が少ない国はない。法解釈や弁護士といった概念はまったくない。それにもかかわらず、法が人の身分によって左右されず、一方的な意図や権力によることなく、確実に遂行されている国は他にない。法律は厳しいが手続きは簡潔である」
(おそらくツュンベリーは、江戸の警察組織については知らなかったのでしょう。もし調べていたら、人口に対してあまりにも警察官の数が少なく、にもかかわらず犯罪の少ないことに驚いたでしょう)

◎記述43
「測量術については、かなり詳しい。したがって一般的な国とそれぞれの町に関する正確な地図を持っている。一般的な国の地図の他に、私は江戸、都、大阪、長崎の地図を見た。さらにたいへんな危険をおかして、禁制品であるそれらを国外へ持ち出すこともできた」

◎記述44
「子供たちに読み書きを教える公の学校が、何か所かに設けられている」
(江戸時代の日本人の識字率は世界最高だったと言われています。今も最高です)

◎記述45
「工芸は国をあげて非常に盛んである。工芸品のいくつかは完璧なまでに仕上がっており、ヨーロッパの芸術品を凌駕している」

◎記述46
「紙は国中で大量に製造される。書くという目的の他、印刷、壁紙、ちり紙、衣服、包装用等々であり、その大きさや紙質はまちまちである」

◎記述47
「日本で製造される漆器製品は、中国やシャム、その他世界のどの製品をも凌駕する」

◎記述48
「日本人が家で使う家具は、台所や食事のさいに使う物を除けば、他は極めて少ない。しかし衣服その他の必需品は、どの町や村でも、信じられないほど多数の物が商店で売られている」
(村でも同様であることを記しています。江戸時代の町人農民の貧しさを強調する人たちに読んでほしい)

◎記述49
「日本の法律は厳しいものである。そして警察がそれに見合った厳重な警戒をしており、秩序や習慣も十分に守られている。その結果は大いに注目すべきであり、重要なことである。なぜなら日本ほど放埒なことが少ない国は、他にほとんどないからである。さらに人物の如何を問わない。また法律は古くから変わっていない。説明や解釈などなくても、国民は幼時から何をなし何をなさざるかについて、確かな知識を身に付ける。そればかりでなく、高齢者の見本や正しい行動を見ながら成長する」
(現在の高齢者よ、昔の高齢者を見習いなさい!)

◎記述50
「ここでは金銭をもって償う罰金は、正義にも道理にも反するものと見なされる。罰金を支払うことで、金持ちがすべての罰から解放されるのは、あまりにも不合理だと考えているのである」
(たしかに!)

◎記述51
「日中は、寺男が寺院の鐘をついて時刻を知らせる。また、茶屋や宿屋はどこも非常になごやかな雰囲気で、喧嘩や酔っぱらいには滅多にお目にかからない。それに比べて北欧の西部地方は、それらがあまりにも日常的で、まったく恥ずべきことである」

◎記述52
「当地では犯罪の発生もその処罰も、人口の多い他の国に比して確かにずっと少ないといえよう」
(日本の犯罪もついに外国に追い付いてしまいました!)

◎記述53
「日本では農民が最も有益なる市民とみなされている。このような国では農作物についての報酬や奨励は必要ない。そして日本の農民は、他の国々で農業の発達を今も昔も妨げているさまざまな強制に苦しめられるようなことはない。農民が作物で納める年貢は、たしかに非常大きい。しかしとにかく彼らはスウェーデンの荘園主に比べれば、自由に自分の土地を使える。(スウェーデンの農民が農業以外の苦役に従事しなければならない例をいくつかひいて)日本の農民は、こうしたこと一切から解放されている。彼らは騎兵や兵隊の生活と装備のために生じる障害や困難については、まったく知らない。そんなことを心配する必要は一切ないのだ」

◎記述54
「農民の根気よい草むしりによって、畑にはまったく雑草がはびこる余地はなく、炯眼なる植物学者ですら農作物の間に未知の草を一本たりとも発見できないのである」

◎記述55
「日本には外国人が有するその他の物――食物やら衣服やら便利さゆえに必要な他のすべての物――はあり余るほどにあるということは、既に述べたことから十分にお分かりいただけよう。そして他のほとんどの国々において、しばしば多かれ少なかれ、その年の凶作や深刻な飢饉が嘆かれている時でも、人口の多いのにもかかわらず、日本で同じようなことがあったという話はほとんど聞かない」
(それでも何回かは飢饉があった――という話がこのあとにありますが、江戸時代の飢饉についての戦後の教育は、あまりにも大げさです。たしかに飢饉の記録はありますが、それは当時の人にとっても異常だったからこそ記録に残されているのであって、その記録の無い期間や無い地方は、ずっと食物は豊富で平穏だったわけです。そういう眼で見ますと、江戸時代は世界の水準に比べて、じつに飢饉が少なかったと言える――と、石川英輔さんはじめ、正統史観の研究者が述べています。板倉聖宣氏は、江戸時代の農民が飢えてなどいなかった事を「物理学の保存則」を使って論理的に証明した有名な学者ですが、その講演を聴いた左翼教師が「お前は江戸時代の農民が可哀想だとは思わないのか」とじつに非科学的な反論をしたそうです)

◎記述56
「商業は、国内のさまざまな町や港で営まれており、また外国人との間にも営まれる。国内の商取引は繁栄をきわめている。そして関税により制限されたり、多くの特殊な地域間での輸送が断絶されるようなことはなく、すべての点で自由に行われている。どの港も大小の船舶で埋まり、街道は旅人や商品の運搬でひしめき、どの商店も国の隅々から集まる商品でいっぱいである」
(ツュンベリーにとって印象的だった江戸中期日本人の実態を表すキーワードには、「身分差別がない」「女性が奴隷ではない」「清潔」「正直」「公正」「勤勉」「節約」「巧みな工芸」「商品が豊富」「犯罪の少なさ」などいろいろありますが、「自由」という言葉も頻繁に出てきます。おそらく、来る前に聞いていたことと反対の自由な日本人の姿を見たのでしょう。下層の農民や上役に仕える武士にすら自由がある、と述べています。この点についても、戦後の教育はおかしいです。たとえば二宮尊徳は農民の出ですが、頼まれて武士階級の指導者になっています。オロモルフの曾祖父は旗本でしたが、家系図を見ますと、一家の婚姻相手は、農村・商人・学者などいろいろです。江戸に日本初の私立図書館をつくった小山田与清は、農家の生まれです)

『ツュンベリーの記録10』

◎解説者の感想
 巻末に木村陽二郎という人が解説を書いていますが、そのなかで、次のように言っています。
「・・・ツュンベリーのこの書を読むと、自分の小学生時代の日本を思い出す。ツュンベリーの時代と私の小学生のころの日本との差は、小学生のころと現在の日本との差よりずっと少ないような気がして、やはり昔がなつかしくなるのである」

 まったく同感です。
 この本には、日本人の欠点とか、日本の原始的な面とかもいくつかは書かれていますが、それらもすべて含めても、上と同じ感想を持ちます。

 オロモルフの少年時代は、ツュンベリーの時代と170年の差がありますが、その170年の変化よりも、オロモルフの少年時代と現在との60年の変化の方が、ずっと大きいと感じます。
 もちろんそれは、悪い方への変化です。

 ツュンベリーは、日本人の一部に見られる素行の悪さが、悪いオランダ人の影響だとしていますが、この60年間に日本人が受けた外国人の悪行は、天文学的な数にのぼります。
 国内に住む不良外国人も激増してしまいました。
 自信を失った日本人が悪い影響を受けるのは当然です。

◎江戸から明治初期にかけての日本人の記録
 欧米人が当時の日本人をどのように見ていたかの記録を丁寧に調べた本として、

渡辺京二『逝きし世の面影(日本近代素描I)』葦書房(1998)

 ――があります。
 この本は、たしか和辻哲郎賞を受賞したはずです。
 この本の著者は、第一章で述べています。
「実は一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。それは江戸文明とか徳川文明とか俗称されるもので、十八世紀初頭に確立し、十九世紀を通じて存続した古い日本の生活様式である。明治期の高名なジャパノロジスト、チェンバレンに「あのころ――1750年から1850年ごろ――の社会はなんと風変わりな、絵のような社会であったことか」と嘆声を発せしめた特異な文明である」

 江戸時代の日本人に自由が無かったと錯覚している人は、ぜひこの本を読んでほしいと思います。当時のヨーロッパや他のアジア諸国の実情をよく知っているツュンベリーにとって、とても印象的だった江戸中期の日本人の「自由」を再確認することができます。


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