7月28日(日)
朝7時にアンドレイが迎えに来るというので、6時に起きて用意をする。朝、起きて窓を開けると雨が降っている。雨音が聞こえるほどなのでかなり降っている。7時10分くらい前に1階に下りていき精算をする。電話をかけたかと聞くので「かけていない」と言うが、調べてみると107ルーブルかけているというので払う。何回か日本にかけようとしたが、結局つながらなかったにもかかわらず、料金がかかったようである。7時10分頃にアンドレイがやってきた。彼の家に行って朝食を食べた。昨日の夜ユーリヤの家でたくさん食べたので、そんなに入らない。ゆで卵を二つに切ってマヨネーズをかけたものと、トマト、キュウリ、パンを食べ、コーヒーを飲んで出発。スヴェータは声がかれていた。昨日靴下をはかずに行って、足を冷やしたからだと言っていた。朝の4時にアーニャからの電話で起こされ、友達の家に泊まってくるから私を送っていけないがよろしく伝えておいてほしいと電話があったそうだ。スヴェータは8時20分にモスクワからペトロパヴロフスク・カムチャツキーに着く教授を迎えに行って、それから私たちを見送ってくれるという。モスクワからの教授の顔を知らないので彼の名前を書いた紙を用意していた。空港まで行く途中、深い霧が出てきて飛行機が飛ぶだろうかと心配になってアンドレイに聞いて見ると、空港に電話したら飛ぶという回答だったそうで安心した。8時10分くらいに空港に着いたがまだ早いので車の中で待っていた。雨が降ると寒く、みんな薄手のコートを着ている。アンドレイも革ジャンを着ている。8時半頃にスヴェータが教授を連れて戻ってきたので、交代で私たちは空港ビルに入った。最初にセキュリティーチェックがあり、そこでアンドレイやスヴェータと別れる。チェックインを済ませ待合室へ。チェックインの列に並んでいると前にいた女の子がこちらを興味深げにちらちらと見て、目が合うと恥ずかしそうに顔を隠していた。そのしぐさが可愛くて話しかけたら、やはり恥ずかしがってお姉さんのオーリャが代わりに答えてくれた。恥ずかしがり屋の女の子は4歳でカーチャといい、姉のオーリャは8歳でお母さんとウラジオストクへ行くといっていた。カーチャは初めて飛行機に乗るのがうれしくてしかたがないという様子だった。
オーリャ(8歳)とカーチャ(4歳)
空港ビルは外観と違って内部は改装されているらしく、とてもきれいになっていた。お茶でも飲もうかとおもったが、細かいお金がなく500ルーブル札しかなかったのであきらめた。空港内は禁煙で、トイレには行ったらロシア人が中で2人もたばこを吸っていたのには驚いた。空港内のトイレはどこもきれいになっている。9時15分に飛行機への案内が始まり早々と飛行機に乗せてくれたが、動き出したのは定刻(9時50分)よりもすこし遅れていた。機内食はメインが鮭ご飯だった。私は丸いパンを1個残しただけで、全部食べてしまった。予定通り11時にウラジオストクに着いた。飛行機がウラジオストク空港に着陸するとき、スチュワーデスが間違えて「ようこそペトロパヴロフスク・カムチャツキーへ」と間違えて放送し、機内は爆笑の渦に包まれた。もう一度言い直そうとしたが、自分でも自分の失敗が笑えて次の言葉が出ず、3回目にようやく「ようこそウラジオストクへ」と言えた。
飛行機を降りると暑い。気温20度と言っていたが、日なたでは30度近くの暑さに感じる。いつものように空港ビルにはは入れてもらえず、横の門から外に出される。「タクシー?」と言って客引きが寄ってくる。今回はトランスファーを頼まなかったので、自分でタクシーを探した。最初に声をかけてきた若い男にいくらだと聞くがよく聞き取れない。こちらから二人で500ルーブルだと言ったら、町まで遠くて40キロあるからと渋っていたが、500ルーブルでOKした。しかし、私たちだけでなく他の客も捕まえて一緒に乗せて更に儲けようとしていたがなかなか見つからないようだった。手荷物が出てくるまで30分以上も炎天下で待っていたが最初、物乞いのおばあさんやジプシーがやって来て、ロシア人の体格の良い坊主頭の人がジプシーの女の人たちに囲まれて何か言われていた。しばらくして警察がやって来るとジプシーも物乞いのおばあさんもさっといなくなった。ジプシーの人たちはオープンカフェの所に座って次の獲物を待っているようだった。手荷物が出てきて、車に運んだが、運転手はまだ客を捜しているようで、ようやく親子連れ(父親と若い娘?)を捕まえ私たちと同乗させて出発。空港を出てすぐのガソリンスタンドで、後から乗ってきた人に20ルーブルガソリン代を出してくれと言って、もらってガソリンを入れていた。20ルーブル分入れてもガソリンメータはほとんどEのところで、とりあえず町までのガソリンを入れたという感じだ。車はクラウンのバンだが非常に古く、フロントガラスにはひびが入っているし、サスペンションがいかれていた。ウラジオストクの町が近づくと渋滞がひどかった。今日は海軍記念日で、それを見に来た人たちが路上駐車しているので車線が一つふさがってしまっていて渋滞していた。何とか渋滞を抜けもうすぐという所で警官にここから先は通行止めだと言われた。思いスーツケースを持ってホテルまで歩くのは大変だからと運転手に言うと、もう一度警官に交渉に行ってくれたが、やはりダメだと言われ、仕方なく車を降り500ルーブル渡してスーツケースを押していくことにした。幸い通行止めで車がいないので、車道をスーツケースを押して200mくらい歩いてホテルまで行った。途中2,3台車が通っていったがどういう車なのか?賄賂を渡せば通してくれたのか?よくわからない。
丁度ホテルの海側から見える海上に軍艦や潜水艦がたくさん並んで大砲を撃っていた。空では飛行機が曲芸飛行をしていた。そんな時にチェックインをしに行ったものだから、4階のエレベーター前の席にフロントの女性がおらず、掃除の人が「ターニャ!」と叫んで呼んでくれた。まだ若い、ちょっと軽そうな女の子が出てきてチェックインをしてくれたが、早くアトラクションを見たいので、気もそぞろだった。バウチャーはあいらない、パスポートだけで良いと言って返してくれた。私たちも見に行きたいので早々に半袖に着替えて見に行った。大砲が発射された時は、地震かと思われるほどの振動があった。その後も機関銃のような音が聞こえた。
軍艦のパレード 軍艦のパレードを見る人達
道路沿いにはすごい人だかりで、とても見えなかったのであきらめて、広場の方へ行った。暑かったのでとりあえずロシアに昔からあるアイスクリームを1個5ルーブルで買って食べた。広場では特に何かをやっているという様子でもなく、いつものように露天が数軒と観光用の馬が2、3頭いた。潜水艦の中にもは入れる、ユニークな博物館を見に行ったが、中国人団体旅行者がたくさん入ったところだったのでやめて、4番の電車に乗り買い物に行った。
潜水艦の博物館
最初に量り売りのお菓子を買い、ホテルで食べようと鮭の薫製を50ルーブル(200円)で買い、木イチゴを大きなコップ1杯買った(25ルーブル)。妻はピロシキのような揚げパン(前に来たときに人が食べているのを見て、買おうとしたら売り切れていたもの)を10ルーブルで買って食べていた。私は食べるとトイレに行きたくなりそうで(しかもどこにトイレがあるか判らない状況なので)、やめた。そしてちょっと高めの黒パン(15ルーブル=60円、普通のは5ルーブル=20円)を家へのお土産に買った。黒パンにバターを塗っていくらをのせて食べると最高に美味しい。普通のビニール袋に入ったレーズン入りのクッキーも27ルーブルで買った。カムチャッカから持ってきた洋なしの皮をむくのにナイフがなくて、ナイフを買おうとしたが、さや付きのナイフがなく、しかもあまり切れそうもないナイフを10ルーブルで買った。500ml入りのビールバルチカ3(ロシア製)を6本も買い、すっかり重くなったリュックを抱え電車に乗って広場まで戻った。ケーキを売っている屋台で若い女の子達が買っている丸いボールのようなケーキを2個買って食べたが、結構ボリュームがあり、しかも甘かった。口直しにホテルへの帰り道にある、美味しいジュースを売っている店で桃ジュースとトマトジュース(どちらも9ルーブル)を飲んだ。そこでスヴェータが飲んでいた平たい瓶に入ったコニャックを見つけ、欲しくなったがリュックはもう重くて限界なので、改めて買いに来ることにした。
ホテルに戻りちょっと一眠りして、6時頃ホテルを出て海の方へ行くと遊園地があり、縁日の屋台のような店がずらっと並んでいた。シャシリークを売っている店が多かった。
シャシリーク売り 体重と身長測定器
天気が良く歩いている人はみんな半袖だ。噴水のそばで冷蔵庫に入った瓶入りファンタを買い、歩いているとあちこちから歌声が聞こえてくる。見てみるとカラオケだった。テレビ画面の歌詞を見ながら上手い、下手の関係なく歌っていた。上手い人の周りにはやはり人が集まっていた。10歳くらいの男の子が歌っていて、そのそばで5歳くらいの女の子が音楽に合わせて踊っているのが可愛かった。
カラオケで歌う子ども 映画館「オケアン」 ウラジオストクホテル(右側)
みんなビールやジュースを片手に歩いている。今日は日曜日ということもあり、たくさんの家族連れも来ていた。遊園地があり、入り口にたくさんのロバやポニーがいてまるで置物のようにじっと動かないで立っていた。トナカイも2頭いた。子どもを乗せていくらかお金をもらうらしい。遊園地の2人乗りジェットコースターやゴーカートなどはかなり古い遊具だが並んで待っていた。
遊園地の乗り物 あまり怖くなさそうなジェットコースター
遊園地を出て更に海岸づたいに行くと豚肉のかたまりを長い串に刺して立ててそれを回しながら焼いて、ナイフで焼けた外側の肉を削って野菜と一緒に刻んで何のようなパンに包んで売っている店もたくさんあった。海岸通の突き当たりに魚市場があってゆでエビ、ゆでカニ、薫製の鮭などが売っていた。薫製の鮭の真空パックが売っていたので350グラム栗のを買った。ツアーできている中国人達はみんなエビやカニを買ってビールを飲んでいたが、お腹に自信のない私は買わなかった。戻る途中に大きな釜でチャーハンみたいなものを作って売っていたので写真を撮り、1皿買った(20ルーブル)。1皿でも山盛りくれるので二人で食べて丁度良かった。
肉をそぎ落としているところ 大鍋のチャーハン 噴水で遊ぶ子ども達
浮浪者がゴミを拾って集めていた。1本5カペイカ(20銭)になるそうだ。海岸沿いの縁日のような店はきっと夏中やっていることだろう。海岸ではビキニの女性や家族連れの人たちが泳いだり、日光浴をしていた。夕方仕事を終わってからでも、日没まで(10時頃)の時間が長いのでたくさんの人が散歩に来ているようだ。帰りに先ほどジュースを飲んだ店に寄って345ml入りのコニャックを2本買ってホテルに戻った。ホテルの売店でアザラシの牙で作ったペリケン(チュクチ人の幸せを呼ぶというひょうきんな顔をした人形)を2個子ども達に買った(1個850ルーブル)。ホテルに戻ってフロントのターニャに明日の朝8時にタクシーを頼んだ。お礼にハンカチを渡すと、とても喜んで、「他に何かご用はありませんか?」と尋ねる現金さだった。夜10時過ぎに海軍記念日の花火が上がっていた。
7月29日(月)
あさ6時に目を覚まし、外を見ると霧が出ていた。海の方から風が吹いて、霧が流れていた。昨日の天気の良さとは裏腹に今日は曇ってこぬか雨が降り、霧におおわれた天気だった。7時半にターニャから電話があり、8時丁度にタクシーを呼んであるので下に下りていてください、車のナンバーは504ですと言う。荷物をまとめ7時50分くらいにターニャの所に鍵を返しに行くと、部屋を調べてくるからちょっと待ってと言われ、見に行って戻ってくると何かのお金を70ルーブル払ってくれと言う。何の代金か判らないけど払っておいたが、後でよくよく考えてみると、インスタントコーヒーと紅茶のティーバッグの代金のようだ。日本のホテルの感覚でただだろうと思っていたが、どうも有料だったようだ。パスポートは1階のウラジオストクホテルのフロントにあるからと、一緒に1階まで行き、そこでパスポートを返してもらった。1階のフロントにはタクシーの運転手の若い青年が来ていて、車まで案内してくれた。今日も車はクラウンだが、昨日のよりはずっと新しいし、運転もおとなしい。空港に着いたのは8時44分で国際線ターミナルには2、3人の乗客しかいなかった。以前ウラジオストク空港では約20ドルという高い空港使用料が取られていたが、それを取られると手持ちのルーブルでは足りないかもしれないと心配していたが、空港使用料はなくなっていた。9時前に新潟行きのチェックインが始まったが、あまり早く行くと荷物をしっかり調べられ、あれこれ因縁をつけられそうで、団体客が来るのを待っていたが一向に来ず、9時半頃先ず税関検査を受けた。イクラの缶詰が10個もあるとか、アルコール類をいくつ持っているかと言われるのを心配していたが、何も言われずに通過できた。チェックインを済ませ、出国審査の窓口ではなくいかめしい制服を着た人ではなく、白いブラウスを着た女性が愛想良く迎えてくれた。そして「Здравстувуйте!(こんにちわ)は日本語でなんと言いますか」と聞いてきたので驚いた。こんな質問をされると思ってなかったので、思わず聞き返してしまった。ロシアの出入国審査がどこでもこんな風になればいいのだが。出国審査も無事終わり、ホッとして2階待合室に行ったがお客はロシア人二人と日本人5人だけ。まさかこれだけで新潟へ飛ぶはずはないと思っていたら、案の定カムチャッカからの飛行機を待っているので飛行機の出発が遅れるとの放送があった。カムチャッカからの飛行機が着くと、手荷物は国際線の手荷物受け取りへ出すという放送があり、荷物を受け取った年輩の日本人ツアー客がどんどんやって来た。ウラジオストクでは国際線と国内線ではターミナルビルが別になっていて、100mくらい離れている。新潟行きのお客さんは飛行機へ案内しますとの放送があり、私たちが下りていくと、まだ出国審査を受けている人達がいた。予定時刻10時半に飛び立てば、ひょっとして名古屋行きの午前便に乗れるかもしれないという希望は消えてしまった。飛行機は11時40分予定より1時間10分遅れて出発。
新潟行きウラジオストク航空のツポレフ154
飲み物のサービス(ワイン、ビール、ジュース)の後、機内食(温かいものはなく、丸パン、チーズ2枚、ハム3枚、クルミ、ロールケーキ、チョコレート、コーヒー又は紅茶)が出た。13時10分に新潟空港に着いたが、税関が混んでいるのでしばらく機内で待つようにとの放送があり、15分ほど待たされた。日本の税関、入国審査は簡単に終わり、荷物をコインロッカーに預け、12時05分発のバスで新潟の町へ行った。新聞を買ったが、なんと映画館情報が載っていない。万代シティバスセンター横の三越でスパゲティを食べ、コーヒーを飲みながら新潟日報をくまなく調べたがやっぱり映画館情報はなかった。再び万代シティバスセンターへ行き、違う新聞を買ってみたがやはり載っていない。仕方なく、一昨年、古町のカミーノ新潟で映画を見たのを思い出し、とりあえず古町までバスに乗っていった。しかし、ビルはあったがつぶれたらしく、ビルの入り口が閉鎖されていた。次に3年前に古町でピカデリー1という映画館に入ったのを思い出し、おぼろげな記憶を元に探して、やっと見つけたが、やはり映画館はなくなって、他の店になっていた。どうしようもなく空港に戻り、19時40分まで待つことにした。3時に空港に戻り、買った二つの新聞を丹念に読み、書き残していた旅行記を書き、その間にビールを飲み長い待ち時間をつぶした。新潟空港の2階のホールに100円で10分間インターネットができる機械がが3台置いてあり(1台は故障中だった)、旅行中にたまったメールをここで確認した。50通以上たまっていたメールを確認し、不要なものは削除しておいた。家に帰って山のようなメール(そのほとんどがメールマガジンやダイレクトメールのようなもの)を見る手間が飛行機の待ち時間にできて良かった。19時40分発名古屋行きの飛行機に乗り、名古屋空港に着いたのは20時35分だった。そしてタクシーで一路我が家へ。