金華山 極楽寺 観音院 (岡山市撫川157)

本尊 聖観世音菩薩

開基 神亀〜天平年間

中興 文明年間数田政則

兵火焼失から見事に再建

 岡山市の西部、倉敷市と接する辺りに撫川と呼ばれる町が広がる。この撫川の町を南北に流れる足守川と、旧国道2号線が交差する所から南東に約400メートル程歩いたところに金花山極楽寺観音院がある。
 観音院のある撫川付近は、かつて倉敷市庄地区と並ぶ、イ草の栽培地帯として知られてきた。現在は都市化の影響を受け、イ草栽培は少なくなってきたが、イ草加工業、御座、捺染などが盛んに行われている。また、元禄時代に作られ始め、”すかし張り”などの高度な技法を用いて描かれているその繊細優美な絵柄の美しさと、しなやかさで知られる「撫川うちわ」の生産地である。この撫川に位置する観音院の創建は古く、奈良時代までさかのぼる。神亀年間から天平年間にかけての七二四年から七四九年頃と伝えられている。
 その後、約七百年を経て室町時代後期の文明年間(1469〜87)に、数田政則が加夜郡中田村(現在の岡山市庭瀬辺り)に一宇を建立し、観音院を中興したと伝えられている。
 しかし、安土桃山時代の天正二年(1574)から三年(1575)に備中松山城主三村元親と、安芸(現在の広島)の毛利輝元が戦った備中兵乱が起き、その兵火は、備中松山城にとどまらず備中全体に広がり、観音院もその兵火に巻き込まれ、伽藍を焼失している。
 観音院が現在の場所に移ったのは、江戸時代の寛永六年(1629)。宥賢和尚によって再建されている。現在の本堂は、先代の密運大和尚によって昭和五十九年に新築されたものである。
 観音院の本尊は聖観世音菩薩。行基菩薩の作と伝えられている。また、観音院は備中西国三十三観音霊場の第三十一番霊場にもなっている。

年中行事

正月 大般若祈祷会 毎月17日 本尊講
8月 施餓鬼会    

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より