安養寺(美作市林野48)

 林野はもと倉敷村とよばれ、吉井川中流の物資集散の中心的河港として栄え、倉が川に面して建ち並んでいた。その林野の町並のなかに、真言宗の間山(はしたやま)仁王院安養寺はある。

本堂

 この寺は、用命天皇元年(587)、法相宗高福寺が勅願寺として創建され、七堂伽藍を有し、一里四方の境内をもち、東西南北に山門をもっていた名刹と伝えられる。推古天皇十一年(603)、性空上人が天台宗に改宗した。天正元年(1573)兵火により堂宇を焼失し、慶長元年(1596)宥慶上人が現地に寺を移した。福寿山安養寺と称した。寛文三年(1663)空真上人が真言宗にした。津山藩主森忠政が仁和寺に行き、院号をもらった。
 本堂木造十一面観音立像(国指定重文)は鎌倉初期の恵心僧都の作といわれ、会陽(はだか祭り)でも名高い。


市川俊介著『岡山の神社仏閣』より