Last Updated 2016/6/28
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1700冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
待ち望んだ時が訪れた。サイバーコミュニティバトルコミックの傑作にしてバーチャルワールドアクションの最高作、内田美奈子の『BOOM TOWN』が、ネットで漫画を無料公開している『マンガ図書館Z』に登場した。読めば分かる先進性と革新性。それでいて楽しく可愛いキャラクターたち。堪能せよ。そして叫べ。復刊を。連載再開を。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【6月28日】 クイズ番組の収録に参加して、人相鑑定みたいなことを競い合う内容でそれでちゃんと最後まで残っていたにもかかわらず、番組を見たら途中で脱落したことにされて、画面からも姿がただひとり消されてしまって人相鑑定みたいな課題で1番ヘボだと思われかねない状況を突きつけられて、それで起こらない人相鑑定を生業にしている人はいないだろう。明らかに営業妨害だし、人間性に対する誹謗ですらある。それなのに、そうした細工をしたテレビ局は単なる演出であって、捏造ではないと言って罪を認めようとせず、態度を改めようとしない。

 演出はもちろんあっては悪いものではないけれど、それは了解の上で本筋を変えない範囲で行われること。途中を変えて存在した人間を消したものは演出とは言わず捏造としか言い様がないにも関わらず、それを認めない上にそれで逃げ切れると思っているところが不思議というか、頭がどうかしてるんじゃないかとしか思えない。そんなポン酢っぷりが日本のテレビへの信頼を削り、結果として真剣から醸し出される面白さも削って衰退を招いているんだろう。これは収まる話ではなく、消された人から提訴され、大問題化されていくこと必定。そういう予測すら立てられない赤坂のテレビ局に絶望を覚える。せっかくお台場を抜いたにもかかわらずここで躓き湿気っていくんだろうか。夜のニュースも仏頂面のおっさんを出して視聴率下げて、テコ入れに懐かしい元人気女子アナを引っ張りだそうとしているくらいだしなあ。やれやれ。

 凄まじい本が出ていたのでこれはもしかしたらJリーグから発禁処分を受けるかもしれないと思い慌てて確保する。ドラガン・ストイコビッチの人生を描いた「悪者伝説」に始まり、イビチャ・オシムの足跡を追った「オシムの言葉」や、世界と日本で活躍する様々なサッカー関係者に取材した「蹴る群れ」といったノンフィクションで、上から目線ではない市井の視線からサッカーに関わる諸々を書き綴ってきた木村元彦さんによる最新作「徳は弧ならず 日本サッカーの育将 今西和男」(集英社)。

 サッカーの元日本代表であり、サンフレッチェ広島を東洋工業の時代から作り上げてきた今西和男さんについて書かれた本だけれど、その後半生、FC岐阜に関わる部分でJリーグという組織が持っている、あるいは持っていた官僚的で居丈高な言動を取り上げ告発している。それは「Jリーグによるクラブへの人事介入」。具体的にはFC岐阜の運営会社で社長を務めていた今西さんと、GMだった服部順一さんを引きずり下ろしたことで、理由は運営が巧くいっていない上にその改善に「消極的」だったとライセンス発行を担当するJリーグの部署が判断したから。それで運営元の岐阜県に働きかけて知事を動かし解任に持っていった。

 本当に経営がヤバくて、そして今西さんや服部さんにチームとしての体制整備とはまた違ったスキルが求められる経営といったスキルが足りていなかったのなら分かるけれど、どうやら徐々に改善は進んでいたらしい。今西さんが来る前のチーム設立の経緯から、大垣市にある西濃運輸を蔑ろにして西濃財界からの協力が得られにくいようになっていて、そしてチーム事態のガバナンスも酷くて、選手はダラけファンサービスをまるでせず、地域にいっても貢献へのスタンスをカケラも見せない不遜な態度を見せていたことから、チームは瀬戸際へと追い込まれていた。それを今西さんが解きほぐし、服部さんも走り回って地域の理解も得て、そして最大の懸案だった西濃運輸との関係改善も果たして田口義嘉壽会長と話が出来るまでになった。

 間に入ったのは、今西さんが大学時代に同じ研究室で学んだ後輩で、岐阜県の体育協会にいた人物だからモロに今西さんの人徳と人脈が結びつけた縁。そして服部さんが言葉を尽くし礼を尽くして田口さんに窮状を語りビジョンを語ったからこその理解。それが実を結ぶかもしれないと思われた時期に、Jリーグは、なぜか執拗に今西さんと服部さんの解任を勧めていった。いったい何があったのか。今西さんの人脈としてJリーグなり日本サッカー協会の誰かに怨みを買っている、といったことはなさそう。だからもっと機械的で独善的に、Jリーグのライセンス発行という権限を握った部署の誰かが、その存在感を示して権威を誇示しようと蠢いた結果で、その生け贄に今西さんと服部さんが挙げられた。そんな印象が漂う。

 非道なのは、そうやって今西さん服部さんの解任をプッシュしたJリーグの事務局にいる人間が、即座に今西さんのパスを取り上げスタジアムの選手たち関係者たちがいる場所に入れなくしたこと。チームのために貢献して体裁を整え人脈も作り大勢から尊敬もされた人物だけに、解任されてもしばらくは引き継ぎのために止まらせておくのが普通のやり方。それなのにJリーグでは「社長、GMのAD証回収」を「必ず実施してください。必ずです!!忘れてはいけません!!」とメールに書いてバラまいた。人情のカケラもないどころか、チームのアイデンティティを踏みにじる行為を、本来ならチームの発展を支えるべき立場の人間がやってのける。なおかつそうした行為の責任を部下に押しつけ自身は認めず、逃れたまま他の団体へと横滑りして地位を保つ人間もいたりする。人として許されるものではない。

 そんな仕打ちを食らいながらも、今までいっさいの愚痴も非難も今西さんは口にしていないというから芯が強いというか、男気があるというか。だからこそ過去、東洋工業時代から名前を変えたマツダ時代、プロ化したサンフレッチェ広島時代、そしてFC岐阜の時代も含めて大勢の若い選手たちと出逢い、育て導いて送り出し、たとえクビにしても恨まれずに慕われ続けているんだろう。そんなエピソードも満載。グッときたのは桐山周也くんというU−13に所属していた少年が、遠征先で海水浴に言って亡くなってしまったという、それこそチームの存続に関わる事件があっても今西さんとそして服部さんは誠心誠意、礼を尽くして良心に謝り続けたこと。その心根は今も続いて13番は全カテゴリーで永久欠番となり、命日には追討の行事も組まれそれに良心が怨みや憤りも示さず参加しているという。

 憎悪の連鎖は何も生まない。木村元彦さんが旧ユーゴスラヴィアでの取材を通じて感じ、オシムとの対話からも感じただろう真理がそこでは実践されている。その根っこにいる今西和男さんという人物がいたということを、この本が改めて教えてくれる。そんな本を木村さんが書くことになったきかっけが、訪ねてきた電通のスポーツ局にいた部長さんによる口説き落としだったとうことが面白い。電通といえばどちらかといえば体制側で、サッカー協会なりと結託して官僚めいた組織運営をしていそうな雰囲気だけれど、その部長さんは岐阜県人として、FC岐阜で今西さん服部さんに対して行われたことが許せないといった義憤から、木村さんに今西さんのことを書いてと頼んだ。

 結果、こういう本ができあがってそして、電通がJリーグのマーケティングパートナーになってしまった今、部長さんの立場はどうなるんだろうと思うけれど、2020年の東京五輪に向けて重要な仕事をしているみたいだから、Jリーグがどうこうできるものでもないだろう。むしろJリーグをどうこうして欲しいもの。そんな礎にこの本がなっていくか。なっていくべきだけれど。それのしてもこれだけの功績を残しながらも今西和男さんが、日本サッカー協会の要職に就かずむしろ虐げられているところに、実力や人望とは違ったベクトルが組織というものにはあるんだと思い知らされる。そうしたギャップを無くすことこそが今、ちょっとずつ下がり気味の日本のサッカーを盛り上げるために必要なんだけれど。変わるか。変えられるか。変えてくれるか。見ていきたい。

 1970年代の後半という一時期を、たぶん一生懸命に読んでいた漫画雑誌は「週刊少年チャンピオン」で、「ブラック・ジャック」を筆頭にして「花のよたろう」やら「750ライダー」やら「マーズ」やら「魔太郎がくる」やら「ブラック商会変奇郎」やら「ローティーンブルース」やら「夕陽が丘の総理大臣」やら「るんるんカンパニー」やら「百億の昼と千億の夜」といった作品なんかを従兄弟が買っていた週刊誌を読ませてもらって愉しんでいた。近隣の本屋なんてまだなく立ち読みも出来なかったから、漫画雑誌は誰かが買っているものか床屋に置いてあるものを読んでいた。

 あとは町内会で行われていた廃品回収で集められたものが中心。1976年とか77年あたりの「週刊少年ジャンプ」はそうやって集まった束から抜いて読んでいたっけ。ちょうと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が始まった頃だった。「週刊少年チャンピオン」に浸っていたのはそれよりちょっと前、「がきデカ」が始まって一世を風靡した頃で、そのあふれかえるようなギャグの束に小学生高学年だった頭は完全にヤられたことを何となしに記憶している。以後、「マカロニほうれん荘」で鴨川つばめさんが出てきて「すすめ!!パイレーツ」で江口寿史さんが出てきてギャグ漫画が少年漫画のメーンストリームを突っ走るようになった、その中心に「ガキでか」はあったと思える。

 けれども一方で、「がきデカ」以降の山上たつひこさんの足跡といったものをあまり追っていないのは、中学生になってSFに興味が向いたりラブコメが隆盛を誇ったりしてギャグ漫画への関心が薄れたから、なのかもしれない。その後も「週刊少年チャンピオン」は読んでいても読むのは「すくらっぷブック」だったり、ギャグでもパロディがメインとなった「るんるんカンパニー」だったり。そして「週刊少年サンデー」へと興味がうつって「うる星やつら」や「タッチ」といった作品に流れていく。以後は少女漫画に青年漫画とめまぐるしく覇権も移り変わって現在へと至る。

 そんな漫画少年時代を思い出させてくれた「文藝別冊 総特集 山上たつひこ」には、幻と化して幾年月の鴨川つばめさんが言葉を寄せ、とり・みきさんが出逢いを振り返る漫画を寄せ、あの萩尾望都さんまで「こまわり君」を描いて山止たつひこさん、すなわち「こち亀」の秋本治さんについて触れつつ「こまわり君」の凄さを讃える漫画を寄せていたりして、改めて山上たつひこさんという漫画化のすごみが浮かんで来る。圧巻が高橋留美子さんによる高校時代の思い出漫画。昂揚がふっと冷めると陥る気分が良く出ていた。そこに出てきたそれらは今、どこにあるのだろう。オークションに出れば高値が付きそうだなあ。


【6月27日】 櫻井翔さんのお父さんで前の総務省事務次官だった櫻井俊さんが出れば当選確実とも言われていた東京都知事選挙だけれど、当人に出馬の意向はなさそうで自由民主党的に誰を推すべきかって辺りで三々五々の四分五裂した議論が行われているようだけれど、そこに飛び込んできたのが石原慎太郎さんが都知事をやっていた時代に副知事として活動していた竹花豊さんが出馬するとかしないとかいったニュース。副知事時代には青少年健全育成条例だっけ、そんな感じで表現規制を推し進めて出版業界なんかを戦々恐々とさせた人だったりする。

 あからおもしも都知事に就いたら今度こそ本格的に表現規制を進めて東京都から出版社が裸足で逃げ出す事態も起こるんじゃないか、なんて話も今後出てくることになるかもしれない。ただ一方で、東京ビッグサイトの社長に就任をしてそれでコミックマーケットが厳しい制限を受けたかというとむしろ逆で、クールジャパンの顔として持ち上げられもてはやされる傾向が強まる中でコミケ開催に向けていろいろと手を尽くしていた感じ。東京オリンピックに向けた改装なんかも進められるだろう中でコミケなり他の展示会との共存光栄を模索していた節がある。

 というか施設の社長なんだから国がどうとか言うより先に施設として最大限の利益を追求する義務がある。そうした立場にあって行うべきはコミケとの対立ではなく協調で、だから問題も起きず無理もなかった。おそらくは。それも今の立場だからであって、これが東京都知事という立場になった時に今度は別のプレッシャーを受けて表現に対する規制へと向かいかねないのは、当人の主義主張というよりはよって立つ基盤の違いによるものか。東京都に出向した時は警察庁の先触れとして警察の代弁者的に振る舞わざるを得ず表現規制へと向かったし、副知事時代もそれが引き継がれた。

 そしていよいよ都知事という立場になって、果たして警察の下で言うことを聞くのか、逆に警視庁より上に立って自分の思いを実現へと向かわせるのか。問題はそうした“自分”っていうものが見えないことなんだよなあ、それが官僚という組織の中で立場に従い前例を踏襲しながら動く人種の特徴でもあるんだけれど。果たしてどう転ぶのか。そもそも出馬はあるのか。いったい誰が出てくるのか。そんな関心を引きつつ待たれる告示。いつだっけ。

 どっちから読んで良いのか分からなかったけれど、通し番号順でJA1233の「僕が愛したすべての君へ」から読み続いてJA1234「君を愛したひとりの僕へ」を読むのが良いのかもとそうした乙野四方字さんの新刊2冊。ずっと滞りなく一直線に続いているように思われがちな人生という奴だけれど、実は平行世界が存在していて誰もがちょっとづつそうした世界線をズレながら人生を送っていたことが判明する。そんな現象の渦中にあった少年が、少女“たち”と出会う物語。それがこの2冊に共通して言えることかもしれない。

 主人公は高崎暦という男子で、まず「僕が愛したすべての君へ」の中で瀧川和音という少女と出会う。最初はクラスメートとして接し、まるで接点がなかったものが相手の身の上に起こったことを解き明かすといった口実で、徐々に関係を深めていく中で問題が発声する。いつしかつきあうように暦と和音だけれど、目の前にいる和音が昨日自分が告白した和音ではなく、ズレて別の世界から来た和音だったとしても自分は彼女を好きでいられるのか。その間にはパンを食べるかご飯を食べるかの違いしかない平行世界だけれど、それでも人は同じと言えるのか。気にしなければ済みそうで、気にするととてつもなく深く刺さってくる。

 平行世界が存在するなんて知らなければ起こらなかった問題だけれど、僕たちは知ってしまった。それを認識するようになってしまった。だからこそ起こる懊悩が高崎暦を捉え逡巡させた果てに、まさしく「僕が愛したすべての君へ」といったタイトルにふさわしい解決の道が示される。さらにもうひとつ、大きく離てズレも大きくなる平行世界で起こった事態が暦を迷わせる。それは我が事なのか無関係なのか。例えどこかで自分が、あるいは最愛の誰かが悲劇に見舞われていても、それに同情するべきなのか違うのか。平行世界が存在する世界だからこそ起こりえる種々の問題を噛みしめつつ、自分ならどうしたのかを考えよう。

 そんな展開から平行世界の存在を知り、遠く離れれば何が起こるかも知った上で読むことになる「君を愛したひとりの僕へ」は、どちらかといえばハッピーな展開に彩られていた「僕が愛したすべての君へ」とは正反対にちょっぴり暗鬱とした展開が繰り広げられる。そこで同じ高崎暦が歩む人生は「僕が愛したすべての君へ」とはまるで違っている。まず和音は出てこない。違う少女が出てきてそして、彼女に絡んで暦が背負うことになった後悔を晴らすために、すべてをかけて挑む様子が綴られる。そこにあるのは平行世界という存在を移動するだけでなく、過去に戻って後悔の根を断とうとするための方策を探る展開。科学的設定によって時空を超える可能性が示される所がSFとしての味になっている。

 興味深いのは、暦が全人生をかけて取り組んだことが果たして有効なのか否かといったこと。ひとりを愛しようとした高崎暦の人生につきあわせた誰かもまた幸せだったのか。狂気と紙一重の執着が無駄に終わらなかった可能性にホッとする。そして読み終えて見えてくる、2つの物語の重なり。交差点に言った老人の暦を待っていたのは。その彼に起こったことは。読む順が逆ならそれを分かった上で起こる出来事を追体験することになる訳で、それで得られる感動はどうなんだろうかとちょっと思った。同じようなタイトルの2冊がセットになった作品なら入間人間さんの「『昨日は彼女も恋してた」と「明日も彼女は恋をする」があってこれもパラドックスの問題に挑むSFだけれど、順不同なところはタイプがちょっと違うかな。並べ読んでみるとライトノベル作家の語り口と物語力の凄さが分かって良いかも。

 強いなあドイツ。EURO016でスロヴァキアを相手に決勝トーナメントの1回戦を戦って3対0で撃破してベスト8へ。シュバインシュタイガーとかポドルスキーといったかつて知ったる名前の選手を出さずとも、エジル選手にボアテング選手にマリオ・ゴメス選手トニ・クロース選手とそして2010年のワールドカップ南アフリカ大会得点王のトーマス・ミュラー選手といったあたりを並べゴールをポジション自在のノイアー選手が守って完璧な得点と完璧な守備を誇って見せた。相手がゴール前を固めてもちゃんと崩して得点する。動き出しが良く誰もが走ってボールを受け取ろうとするその連動を見ているとサッカーって本当に頭のスポーツなんだって思えて来る。出して走って受けて出して。そんな試合が多い日本とは大違い。それが通用してしまう場所から出ないと未来、ないような気がするんだけれど果たして。

 終わった「ハイスクール・フリート」はクライマックスに武蔵戦を持ってきてドンパチの楽しみを味わわせてくれたから良かったと言えば良かったけれど、通じてみればあの得体の知れない病原体はどこから生まれて誰がはびこらせたのかといった辺りがちょっと分からず、世界的な謀略といったものに発展する可能性を見せつつ見せないまま終わってやや消化不良。日本近郊で生まれたのだとしてもその過程が不明だし、世界のどこかに伝播していないとも限らない中で話しを丸く収めて良いのか。そこに今も迷ってる。ただ地域限定で見るなら主人公たちに試練を与え成長もさせつつ幾つものイベントも見せて毎週をしっかり愉しませてくれた。その上で総力戦。決断もあって見せ場もあってちゃんとまとまったと言えるかも。録画はしても見ないアニメが多い中で毎週ちゃんと見た作品。それだけ楽しかったのかなあ。続きはあるのかなあ。


【6月26日】 「ガールズ&パンツァー」のテレビシリーズ一挙上映を観て改めて気付いたのは、西住みほのお姉ちゃんのまほが例えみほと再会しても、非難がましいことを何も言っていなかったなあってこと。脇にいる逸見エリカが全国大会の予選の後とかでみほと出逢って悪態をついたり、いろいろな場面で悪口を言ってもそれにうなずきもしなければ相づちも打たずに無言でやり過ごす。母親のしほから問われても擁護に回って自分は自分だがみほはみほだと言い、プラウダ戦の途中で立とうとしたしほをまだ終わっていないと諭す。

 そういうところを見るとまほは、本当に妹が大好きなんだと分かるけど、それに気付かずみほに対して悪口を言いまくって、まほの心証をどんどんと悪くしていくスパイラルにハマっていくエリカが、傍目で見ていてちょっと可哀相な気がしてきた。それが出たのが劇場版でのみほが提案した作戦名とか、みほが打ち出したチームワークとかについて悪態をついた時に直接すぐさままほ否定されてしまったシーン。しょぼんとなるエリカが不憫でならなかったけど、最後に頼られエンディングでは一緒に笑顔。その大好きが報われたかな。いつかそんなエリカが率いる黒森峰とみほの大洗学園との戦いを見てみたいなあ。

 こんなアニメーションが見たかったという願望を最大公約数で満たすとき、それはこんあアニメーションが面白いと思ってきたという記憶が再現され凝縮されたものとなる。そりゃそうだ、人はまったくのまっさらな中から格好良さなんて作り出せない。生きてきた中で経験した作品なり体験から自分なりの格好良さを記憶して並べていく。そして自分が思う格好良さを表現する時に、そうした記憶がサンプリングされて蘇ってくる。

 だから「僕たちの見たいメカアニメ」なんてタイトルで企画が募られ意見が求められ作品が作られた時、そこに現れるものが既視感に彩られていて何の不思議もない。「新世紀エヴァンゲリオン」であったり「ラーゼフォン」であったり「創聖のアクエリオン」であったり「蒼?のファフナー」であったりといった人類が得体の知れない敵に迫られ絶望的な状況に陥った時に、資質を持ったパイロットが現れ普通では動かせないロボットを操縦して世界を救うといったストーリー。もちろんそれぞれにひねりがあって設定も異なりキャラクターも多彩で作品として独立してはいるけれど、それは10数話あり20数話といったストーリーの中で描かれ形作られていった世界観があるからだろう。

 これが単体で20数分のアニメーションとしてこうした作品群の持つテーマ性を詰め込まれてしまうと、エッセンスだけが残ってそれが他の作品のエッセンスと重ねって既視感を生む。フジテレビジョンとDeNA、そしてエブリスタが参画して企画した「僕たちの見たいメカアニメ」として完成して放送された「RS計画−Rebirth Storageー」はその意味で僕たちが見て嬉しかったメカアニメーションにはなっていたけれど、本当に僕たちが見たいのか、って問われると悩むところ。これなら他のを見ていれば良いって話しになうるから。

 ただキャラクターに魅力はあって記憶と引き替えにしている部分もありがちだけれど面白い。そうした設定を伸ばしつつ世界観を構築し物語を添えることで既視感から抜け出すことも可能かも知れない。そういう展開があるのかどうか。分からないけれどもこれ単体ではやりとげたという達成感しか生まず未来に繋がらないので、企画者たちは大きく広げるために何か、打ち出していってほしいもの。映像が無理なら小説でも漫画でも。でもメカアニメのための企画だし、やっぱりアニメーションにして欲しいなあ。長編の。あるいはシリーズの。

 気がつくとJリーグの第1ステージが終わって鹿島アントラーズが優勝を飾っていたけれど、そんな大きなニュースが世間的にまるで話題になておらずイチロー選手の3000本安打達成に遠く及ばない認知度に落ちてしまっている感すらあって気分も萎える。どこぞのJリーグの偉い人たちが、ステージを分ければその都度優勝争いがあってメディアの注目も集まって、取り上げられてテレビ中継なんかも行われて盛り上がるとかホザいていたけど結果はこのていたらく。優勝を争う試合の地上波でのテレビ中継はなく代わりにラグビーのテストマッチと陸上の日本選手権が放送されていた。

 地上波とJリーグとがどういう契約になっているかは知らず、もしかしたらスカパーがメインになっていて既に地上波での放送が不可能になっているのかもしれないけれど、それで一般の人が気軽にサッカーの試合を見られる機会を減らしているにもかかわらず、2ステージ制によってJリーグを盛り上げるとか、いったいどの口がいうのか。ACLでの低迷に対してチームを叱咤する割に日程の変更とかをせず、金も出さず根性を出せとだけ言ってハードなスケジュールで稼働させ、疲弊させ敗退させるような真似をしでかす集団だから、こういう状況になっても不思議はないけれど、分からないのはそんな愚策ぶりをメディアがまるで報じようとしないこと、だったりする。

 どこぞの集団が放映権を高く買ってくれるから、それで外国人選手を呼べば盛り上がるって胸算用をする偉いさんの言葉は伝えているけど、その試合が人目に触れる場所で放送されないでいったいどう盛り上がる? 有名選手を呼ぶなら補助をするって仕組みはビッグクラブの優遇にしかならず不公平感が色濃く問題もある。なんて突っ込むかと思ったら、一緒になって浮かれているスポーツメディアに未来はなさそうだけれど、それでサッカーまで衰えていっては困るから、ファンは頑張ってスタジアムに脚を運ぶなり、放送されるチャネルを頑張って見て盛り上げていこう。でないと2020年を過ぎて日本代表が世界の檜舞台に立てなくなることもあり得るから。すでに若い世代では立てなくなっているしなあ。

 1度、試写ではみているけれどもより大きなスクリーンで見たくて新宿ピカデリーへと出向いて「機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY」を鑑賞、なるほど菊地成孔さんが話していたようにいわゆる劇伴って奴が鳴らず音楽はジャズだったりアメリカンポップスといった楽曲に限られていて、それが戦闘シーンに鳴るんだけれども高揚感だったり焦燥感だったりといったものを表していて、映像の邪魔にならずそれでいて引っ込まないで一体感を持った作品として見ていけた。アメリカンポップスとかが鳴る宇宙空間がラジオからアメリカンポップスが流れる場所へと繋がるあたりは、そうした劇伴を使わない決めごとを映像としてどう表現すればベストになるかを考えての演出なんだろうなあ。そういった部分も含めて新しさのある作品。なおかつ戦闘は派手で美女たちもどこか肉感的。大人の雰囲気を味わえるガンダム、っていったところか。もう1度くらい観に行くか。その前にBD、届きそうだけど。


【6月25日】 1986年の日本選手権大会で室伏重信選手は70メートル20センチを投げて優勝。その年のアジア競技大会でも優勝して5連覇を成し遂げた時の年齢が41歳だから今の室伏広治選手と替わらない訳だけれど、その室伏広治選手がリオデジャネイロ五輪への出場権を争う日本選手権大会に出場したものの記録は64メートル74センチと振るわず、4投目以降に進める上位8人に入れず、ここで五輪への連続出場の記録は断たれてしまった。あるいはしっかりと練習を重ねていけばもっと記録は出たのかもしれないけれど、JOCなりの仕事もあって多忙の中で練習期間は3カ月。これではいかな鉄人といえども身体を造れなかったのかもしれない。

 室伏重信さんが現役の頃は、今の息子さんほど複数の仕事を掛け持ちするようなこともなかっただろうし、注目も今ほど高くはなかったからじっくりと練習に励めたのかも。とはいえ軽く80メートル台をたたき出していた全盛期の面影はなく、77メートルという五輪標準記録にも遠く及ばないとなるとやっぱり体力の限界という奴を感じているのかも知れない。そして室伏広治選手の引退表明。愛知県と絡みがあるアスリートとしてはトップクラスの実力と知名度を持っていた人だけに寂しいけれどもそれも人生。願うなら次の世代を育てて再び日本の陸上に、それも投擲競技で金メダルをもたらして欲しいもの。今までご苦労様でした。

 なんというか。世界史すら動かしかねない英国での国民投票によるるEUからの離脱支持派勝利という大事にあたって、新聞各紙は知性と名文を持った記者が筆を振るう1面下のコラムでもって取り扱い、その意味を世間に問うている。朝日新聞の「天声人語」は星新一さんのショートショート「マイ国家」を枕に引きながら自由であることに酔う男を上げつつ「国家の『誇り』を取り戻す代わりに英国と欧州、そして世界にもたらされる混乱。それを考えると、めまいがする」と書き、毎日新聞の「余禄」はEU本部にある土産物屋に置いてある、各国人の気質をあげつらった絵はがきを枕に「2度の大戦を経て築かれた物や金、人が自由に行き来する国際秩序が草の根の不満の標的となる今日である。政治はこれに対処できるのか」と懸念する。

 日本経済新聞の「春秋」は経済紙でありながらも「世界史のなかでナチスほど『民意』をよく問うた政権はなかった」と歴史を引いて国民投票という、情動に流されやすい手段を選んで勝とうと思って勝てなかったキャメロン首相の手腕を問い、「魔物のような『民意』を恨んでも遅い」と書く。憲法改正の国民投票という事態も見えて来た日本にとっては聞き捨てならない指摘。そうした関連性を持ってあるいはポジティブに語ることも出来たにもかかわらず、モノを言う新聞を標榜する自称全国紙の1面コラムは英国によるEU離脱支持派勝利という事態にまるで触れずに、公示から何日も経った参院選の状勢を書いている。

 さすがはオバマ大統領の広島訪問という歴史的な事態を完全にスルーし、オバマ大統領が伊勢神宮に遅刻したことをあげつらったコラムだけのことはある。それもひとつの矜持かもしれないけれど、ジャーナリズムとしてはやっぱりどこかズレている。それとも書くだけのネタがなかったか。分からないけれどもこの違いが経営の違いとなって現れないことを願いたいもの。いやもう既に現れまくっているんだけれど。ちなみに中日新聞の「中日春秋」もしっかりと英国のEU離脱について触れ「EUからの離脱と、国内の分断。『英国人は何をしたのか、闇の中に入ってしまったか』。そう自問する英国人も多かろう」と書いている。ブロック紙でもちゃんと書くくらいの事態。それを……。やれやれだ。

 早起きをして幕張メッセへと行って、「次世代ワールドホビーフェア’16 Summer」をさっと見物。ポケモンがあり任天堂がありレベルファイブがいてバンダイとかタカラトミーもいるんだけれど、どこか祭りって気分が足りてないのは今、まさにこれが旬といったタイトルが見えづらくなっているからだろうか。なるほど「妖怪ウォッチ」は今もって人気で、最新版が遊べるブースは開幕と同時に整理券がなくなるくらいの賑わいを見せている。でも、前と比べて熱気が伝わってこないと言うか、誰もが知っているタイトルから過ぎて、誰もが知っていたタイトルになりつつあるような印象。もちろん人気は続いていくんだろうけれど、社会現象となり国民的とまで言われた2年くらい前にまた、戻れるかというとちょっと分からない。

 「ポケットモンスター」も同様に人気はずっと続いているけど、1990年代末から2000年代初頭のあの興奮はどこへ。定番からちょっと上になってはいても社会を巻き込むムーブメントは過ぎている。それはつまり空気としてあるのが普通になっただけなのかもしれないし、実際に売り上げだってちゃんと立ってはいるけれど、社会を牽引するくらいのムーブメントを起こしてくれるタイトルがないと、次の時代がちょっと寂しくなるような、そんな気がしている。まあそれでも「ベイブレード」は新シリーズが人気のようだし「デュエルマスターズ」も大きなブースに人がいっぱい群がっていた。

 どちらも10年を超える定番。けれどもちゃんと保たれる人気をこそ、尊ぶのがこの少子化の時代にふさわしい玩具メーカーのあり方なのかも。そういう意味ではバンダイの存在感が薄いような。戦隊とライダーとプリキュアの玩具は毎年のように出ているけれど、そうした最新を追いかけるのに子供も親も疲れているというか、少子化も進む中で経る市場にすがりすぎているというか。いやいや、頭にねじをぶちこむとしゃべりねじを変えるとしゃべりも代わる「DXヘボット」は面白かったし、アイデアはまだまだ枯渇していない。これをメディア展開にも乗せて広めていくことで、次なる“定番”も生まれてくるのかも。あとはしっかり地道に長く育てる努力かなあ。バンダイはそこんところがいつも気になるんだよなあ。

 1時間くらいで会場を出てから歩いてイオンモール幕張新都心へと回ってテレビ版「ガールズ&パンツァー」の一挙上映を見物。全12話もあるし何度も観ているけれどもまるで飽きずに観られるこの面白さって何だろう。予定調和であってもそこに至る過程にドラマがあってアクションもあってそれを繰り返し感じたい、味わいたい、立ち会いたいって思わされるからなのかも。オープニングですら12回見ても見飽きないもんなあ。前半は眼鏡をかけていないねこにゃーの顔に焦点を当てて後半はぴよたんの巨大な胸に注目。そういう瞬間のきらめきを感じ取るためにまた見ようって気になるんだ。エンディングもちょっとづつ変わっているし新たな発見もあるし。アヒルさんチームの89式、乗ってる1人の胸が揺れてるように見えたよ今日は。大きなスクリーンだとそういう発見がある。また見たいなあ。機会があれば。

 家族の病気を明かし子供や家族のプライバシーに配慮して取材しないようにしてくださいよとお願いした歌舞伎役者の市川海老蔵さんによる要請に、そんなこと言われたって良いときには取材してくれと言うのに悪いときには取材するなと求めるのは間違っているし、読者の求めがあるから俺たちは取材しているんであって、それに文句があるなら読んだり観なきゃいいと言った週刊誌側の事情を忖度して紹介したジャーナリストがいて、あちらこちらから集中砲火を浴びている。もちろん原則として取材自粛要請があろうがなかろうが、必要なら取材するのがジャーナリズムって奴で、そういう根性を根っこに持ってたとえ鉄砲玉が飛んできたって突き進むという覚悟があるなら否定はしない。

 その上で、やっぱり病気の人やその家族にストレスをかけるて事態を悪化させては拙いと、塩梅を整えることもあるんだ理想を語ってくれているなら、同意の言葉も集まっただろうけれどもこの場合、そうした正常化に向けた意見が最後の方に綴られているだけで、ひたすらに週刊誌側のプライバシー上等といった声に荷担しているように思われていて損をしている感じ。なおかつそうは言っても現実に、ジャニーズ事務所であるとかAKB48であるとか能年玲奈さんであるとかいった、触れがたい対象についても取材するなよオーラを突破して突っ込んでいっては、芸能界の矛盾を暴こうとしている感じが業界にないから、誰もがそれは勝手が過ぎるだろうと憤る。そこに気付いていないのだとしたら、それが芸能界に負けずメディアが衰退している理由なのかもしれない。どうなんだろう。。


【6月24日】 せっかくだからと「第24回3D&バーチャルリアリティ展」を見に東京ビッグサイトへ。といってもお台場にあるVR ZONEみたいに最新のVRコンテンツが並んで体験できてヒャッハーってことはなく、3Dデータをどうやって作るかってところで立体物のスキャンに優れた装置なんかを並べたり、モーションキャプチャをどう行うかを実演を交えて紹介したりといった展示。目的も生産だとか管理といったところでエンターテインメント的な要素はなし。それでも最新の技術がどういう分野に適用できるかってのが分かって勉強にはなった

 。視線を追いかけてそれを可視化するアイトラッキングとかゲームにも使えるし、人間の意識と行動の分析に使える。それをどうサービスに取り入れるか、ってあたりが勝負になってくるんだろう。OculusRiftみたなVRヘッドセットも幾つか出ていたけれどもスマートフォンを挟み込む簡易版で、英国生まれの品がなかなかにクールで使い心地がよさそうだった。顔にあたる部分のクッションもヘッドフォンのパッドみたいでふかふか。それで価格は1万円程度だから玩具メーカーから出てくるものより良いかも。

 ただコンテンツは汎用のものでコントローラーに対応しているものも少ないんで、使用できる範囲は限られそう。仕様を共通化すれば済むんだろうけど、ここまで乱立するとまとまるよりは淘汰ってことになるんだろう。別の会社はあのZEISSが手がけたヘッドセットを出していた。値段は3万とか2万円とかちょっとお高めだけれど、そこはZEISSだけあって周辺までくっきり歪まず見えていた。光学器機メーカーの本気が出たVRヘッドマウントディスプレイってのがこれからトレンドになるのかな。

 死体が見えるとして、それは普通の人には見えなくて、そしていつか本当に誰にでも見えるようになるもので、そんな未来の死体が見える少女にとって、人生は果たして面白いのか辛いのか。見知らぬ誰かが遠からず死体となって、そこに転がるだけだと割り切れば、単純に未来を先取りしているだけだと思えるかもしれない。けれども、そんな見知らぬ誰かだって、さっきまで生きていた人間であって、それが死体になって転がって人生が断たれてしまうことに、何の感情も浮かばないという人間はなかなかいない。もしかしたら止められるかもしれない。そう思って頑張ってみたくなる。

 ましてや見知った人間が、死体となって転がることが分かっていて、どうして止めずにいられよう。けれども止めようとして死体になって転がる場所に行くのを止めようとして止められず、見たままに死体となってしまう経験を何度も何度も積み重ねていった心はきっと、痛みにボロボロになって流す涙すら涸れ果ててしまうんじゃなかろうか。半田畔さんによる「風見夜子の死体見聞」(富士見L文庫)はそんな死体が見える異能を持って育った少女と、彼女の幼なじみともいえる少年の物語。まだ幼い頃に2人は知り合って友達になったけれど、幼い夜子の口から出てくる死体の話におののいたのか、凪野陽太はだんだんと離れていってそして高校で同じクラスになって“再会”を果たす。

 いや、もうずっと陽太の家が経営する食堂にやって来ては親子丼の大盛りなんかを平らげていた夜子という少女。そこに注文を取りにいって注文された品を運ぶことはしていても、会話が弾むようなことはなかった。けれどもそんな陽太自身が死体となって転がる可能性を夜子が告げたことから、2人の時間は再び重なるようになる。交差点に行くな。鳥を潰してそこで死ぬ。そんな“予言”を信じないようにして、けれども引きずられるようにして現場に行ってしまう陽太。あるいは“予言”そのものが死を引き寄せ運命を確定づけるような雰囲気すらあるけれど、だからといって告げなければきっと何も知らずに交差点に行って陽太は死んでいただろう。

 それくらいに強烈な夜子の死体視。何度も止めようとして止められなかったのもよく分かる。それに心をぼろぼろにされたことも。けれども陽太は守りたかった。だから告げて信じてもらえなくても運命を変えようとあがいて初めて、陽太を死体にしなくて済んだ。そこから2人は仲直り、はしないけれども運命を救われたこともあって陽太は夜子が誰かの死体になる運命を変える手伝いをするようになる。とはいえ美少女でも口は悪く陽太に向かって童貞だの包茎だのと口走る夜子。その悪口に耐えつつ彼女が幼い兄妹の死体になる運命を変えるためだと自分の家に2人を監禁する無茶も犯罪者にならないように交わしながら頑張る先に謎の男が。運命を変えようとする2人に先んじて死体になる未来を引き寄せ続ける。

 いったい何者? 最初は常に死体を見つける夜子が死神だと言われていた。けれども彼女は居合わせてしまっただけだった。すると本当の死神が? そんなオカルトめいた設定があるのかそれとも単なる偶然か。分からない設定を抱きつつ2人による救済と、そして運命との闘いはまだまだ続きそう。監禁して安心させようとしてもその監禁場所で着せている服に未来の死体が替わっていたりするくらい、運命は頑固で変えづらい。そこをどうやって凌いでいくのかもひとつの読みどころ。あとはやっぱり夜子って少女が口走る悪口か。それは酷いものだけれど言われているうちに快感も走ってくるから不思議というか。そんな物語。

 21世紀という時代から、さらに1000年の後にまで残る選択なのか、それとも一時の熱狂に過ぎないまま習練していくのか。英国で行われたEUからの離脱の可否を問う国民投票で離脱を望む人が過半数を超えたみたいで、残留のための材料としようと目論んでいたキャメロン首相を愕然とさせ、辞任を決断させてしまった。当人は辞めて済む話だけれど、英国にとっては未来を左右しかねない話だし、欧州のみならず世界だって揺るがしかねない問題を見切り発車でやってしまった責任は重く、これで世界が滅亡でもしたらその原因をつくった人間として、閻魔帳に名を刻まれて永遠に地獄で釜ゆでにされ続けることになるだろう。英国人にとっての地獄に釜ゆでや血の池地獄があるかは知らないけれど。針の山くらいはあるかな。

 しかし問題は、そこまでEUに所属し続けることが英国の人にとって苦痛だったということで、経済とか労働とか流動化して便利なこともあったように思えたけれど、どこか上から目線がつきまとう国だけに、自分たちの身の回りの悪化を他国のせいにして、そうでなければもっと良かったという願望が広まり、それが離脱を選択させたのかもしれない。そして離脱してみても経済は良くならず、流動化は阻害されてさらに悪くなった時、責任をどこに押しつけるのかってあたりが気になるところ。一部の人たちにとっては難民が押し寄せず求人にも余裕が生まれて潤った気分が漂うかもしれないけれど、限られた経済の中で回したところでいずれ滞る。そんな時に向かう矛先が海外だった時、植民とそこからの簒奪なんてことになるのかどうか。そういう時代ではないとはいえ、背に腹は代えられなくなった時に人は容易に暴走する。そうならないために必要なことは何か。考えたいけど思い浮かばない。困ったなあ。

 71年目にして実は違っていたんだって明らかにされるのって、遺族にとっても辛いことだろうけれど当人にとってはずっとそれを黙って英雄として生きてきたことが、果たして辛かったんだろうかそれとも当人としては自分も参加していたといった記憶にすっかり染まってしまっていたんだろうか。太平洋戦争の激戦地となった硫黄島で、摺鉢山の頂上に星条旗を立てた6人が戦中戦後に英雄とされて語り継がれたけれど、そのうちの1人ではない別の誰かが参加していたことが分かってちょっとした騒動になっている。

 その人は英雄と呼ばれないまま20年ほど前に没していたけれど、それをどういう気持ちでいたかがちょっと気になる。黙っていたのは言える環境ではなかったか、それともあの戦闘に参加した者の全員が英雄だという矜持があったのか。実際、6人のうちの3人は戦死した激戦を、戦ったすべてが硫黄島の英雄。なのに旗を立てた6人だけが偶像のように語られることに忸怩たる思いを抱いていた兵士もいたんじゃなかろうか。こうやって改めて取りざたされることで、偶像が落ちるのではなく逆に全員が頑張ったことを指摘され、なおかつああいった激戦地が生まれてしまった戦争という災禍について考え直すきっかけになれば、誰もが浮かばれると思うのだけれど、果たして。


【6月23日】 ロジャー・スミスでスティーブン・A・スターフェイズだなあ、とまずは思った「文豪ストレイドッグス」での森鴎外。飄々としてロリコンっぽさも見せつつ、時々放たれる殺気の正体はポートマフィアの首領だったってことで、中島敦を追いかけてきた泉鏡花をその雰囲気だけで圧倒していたけれど中島敦はそれにまるで気付かず。鈍感なのか。ポートマフィアにいたことがある泉鏡花に気配が感じられたのは、顔を見たことがあったのか、気配だけでも漂っていたのか。とはいえ別に隠れている訳ではなさそうで、潜入してきた組合(ギルド)のメンバーを返り討ちにしたメンバーの元に戻って労をねぎらっていた。そして横浜を血に沈めるといった宣言から始まる戦いの行方は? まずは組合vs武装探偵社ってことで、ちょっと楽しみ。

 マジック・マジャールと恐れられた時代は半世紀以上も前に過ぎ去って、長く停滞の時期にあったサッカーのハンガリー代表がEURO2016の場に登場しては快進撃を続けている様子。グループリーグの最終戦があって相手はあのクリスチアーノ・ロナウド選手を擁するポルトガルだったけれど、スピードで負けずテクニックでも同等以上、そしてパワフルなシュートで1点また1点をもぎ取っていってはポルトガルを寄せ付けない。とはいえそこはクリスチアーノ・ロナウド選手だけあって2点目3点目を返して最終的に引き分けで試合を終えてグループリーグ突破を成し遂げた。ここから本調子を挙げて優勝を狙うのか。それとも復活したマジック・マジャールが勝ち続けるのか。イングランドの陰に隠れていたウェールズが悲願を果たすのか。いろいろと興味深い展開にしばらくEUROから目が離せない。地上波の放送、とどれだけあるかなあ。

 ここしばらくは「彼と彼女のゲーム戦争」の人としてゲームがテーマになったライトノベルを書いていたけど元々のデビュー作は弁護士が主人公となった「タクティカル・ジャッジメント」だという師走トオルさんが、原点に戻って書いたといった感じの「無法の弁護人」は、新米で正義感が強い弁護士の本多信繁が、それゆえに車上荒らしの容疑で捕まった女性の弁護をうまく行えず、どうしようかといってたどり着いたのが「悪魔の弁護人」との異名を取る阿武隈譲という中年男。会った来た彼は嘘が見抜ける異能の持ち主だとうそぶきつつ、冤罪らしい事件の真相を法廷で暴いて検察をやりこめる。とても有能。ただしそうした真実の探求のために時折、違法なことをしでかすため正義感の強い本多は1つの事件で大逆転という弁護人としていの栄冠を得たものの、二度と会わずにいようと決める。

 けれども第2巻となる「無法の弁護人2 正しい警察との最低な戦い方」で本多は、大学が同期で1年先に検事になった井上という女性の弟が起こしたという殺人事件の弁護を引き受けるにあたって、事務所の所長の助言も入れつつ阿武隈と再びタッグを組んで法廷にのぞむ。屋上から清掃会社の社長が転落死して、その背中を井上の弟という前科持ちの男が押したらしいというのが事件のあらまし。そうだと警察で自供していた容疑者だったけれど、阿武隈や本多の接見を経つつ阿武隈によるちょっとした細工も功を奏して、検事をやっている姉の身分を人質にされるように自供してしまったことを明かし、本当は無実でむしろ社長の背中を引っ張り落ちるのを止めようとしていたことすら明らかにする。

 問題は防犯カメラに残された、容疑者が被害者の背中を押しているようにも見える映像で、これを容疑者は違う引っ張り上げようとしているところだと主張したものの、映像には押しているようにも見えるため判断が難しい。この鉄壁の証拠を壊すのはほぼ困難。それでも阿武隈と本多は証言者を揺さぶり、過去に実刑を食らっていたから殺人くらいやりかねないという固定観念をはぎ取っていき、そして一気に真犯人にまで迫っていこうとする。その過程での法廷戦術が実に鮮やかというか、相手が繰り出してくる言葉の裏を付くようにして容疑者に裁判員たちの同意が向くようにしたり、調査の先でちょっとした仕込みを行い、法廷でボロが出るように画策したりと、証拠品を並べ書類をながめて法廷で喋るだけの弁護士とは違った、信じた者のために邁進する弁護人としての姿がそこに描き出される。

 そうもうまく転ぶのか、って疑問も浮かんで、それは小説だからといった答えも出そうだけれど、そうした段取りの良さも含めて読んでスリリングな物語をテンポ良くスッと読んでいけるのが良い。青柳碧人さんの「判決はCMのあとで ストロベリー・マーキュリー殺人事件」のように裁判員裁判がショー化されてしまった社会で起こる事態を描いている訳ではなく、こちらは陪審員制度が導入された日本の裁判を描いたパロディ筒井康隆さんの「12人の浮かれる男」的な風刺性もないけれど、それでも裁判員裁判でどういう手練手管を使うことで、裁判員たちをグッと引きつけられるのかといった提案もあって面白い。

 どうせ犯人は容疑者だろうといった思い込みをひっくり返し、実はといった具合に裁判員たちを驚かせるような阿武隈の話しの持って行き方や証拠の見せ方なんかは、確かにそうされれば驚き気持ちも流れるかもって思わされる。プレゼンテーションのテクニックとしても使えそう。エンターテインメントであり、弁護人という仕事におけるマニュアルであり、裁判員が何を求めているかを感じさせる作品。1つの事件だけを引っ張って1冊にしてしまってユルみもないところが凄いけど、次はもうちょっと入り組んだ展開の中に1つの裁判が別の裁判なり、主人公たちの人生を揺るがすような奥深さがあっても良いかもしれない。だからこそ続きを期待。

 「小説家になろう」もそうだし「カクヨム」も同様で、いわゆる小説投稿サイトって奴をほとんどチェックしておらず、そこでどんな人が人気になっているのか分からないままどこかでデビューして大人気となって、そうしたところ出身だったと気付く程度の知識しかないんだけれど、それでも存在くらいは知っていて、一般小説の新人賞が高年齢化しつつあり、そしてライトノベルの新人賞もなかなか売れなくなっている時代に、最初からユーザー層を持っているこうした小説投稿サイトが持つ役割が、大人たちの見えないところでグングンと高まっているって認識はある。

 「E★エブリスタ」も同様で、「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」がアニメーション化されて大人気にもなったりした小説投稿サイトとしてじっくりと活動を続けて早6年。それを記念するイベントがあってのぞいたけれども集まっている人たちは総じて若くて、書き手として、あるいは読み手として大人たちが勝ったり読んだりしている小説とは違ったところでしっかりと、カテゴリーを作って市場にもなりつつあることを感じさせられる。異世界ファンタジーが跋扈し過ぎて今からだと読むのも大変そうな「小説家になろう」とは違って、恋愛小説とか一般性を持った小説も多く投稿されている感じで、ティーンはもとよりライトノベルを卒業はしたけどいきなり大人のミステリーだの時代小説にはいかない人たちの支持を得て、広がっていきそう。

 そんな「E★エブリスタ」が協力する形で新しいレーベルが立ちあがるみたいで、買う側にとってはまた新レーベルかお小遣い大丈夫かって不安もするけど、異世界転生ファンタジーばかりが積み上げられつつある中にあってミステリーを中心としたキャラノベで固めるような雰囲気があって、ちょっと期待してしまう。三交社ってところから9月9日に「SKYHIGH文庫」として創刊、ってことは今流行の四六のソフトカバーではなく文庫ってことか。作家陣にすぐ知っているって名前はないけれど、本としてまとまるからには読んでおかないと時代から取り残されるかもしれないし。そうでないかもしれないけれど。あと「E★エブリスタ」ではアニメーションの企画も動かしていて、「メカつく 僕たちが見たいメカアニメ」ってプロジェクトから生まれた作品が6月25日の深夜に放送されるみたい。こういうオリジナルの企画が生まれ広がっていくことで、ジャンルが豊穣になればいいけど競争激化の果てに希薄化して購入意欲を萎えさせては逆効果。そうならないためにも関心を惹くような企画を是非に打ち出していって欲しいなあ。


【6月22日】 祖父が内閣総理大臣を務めた鳩山一郎さんで、兄の鳩山由紀夫さんも総理大臣になっている血筋の良さとそれから東京大学法学部卒という頭の良さ、いろいろと寄り道もしたけれどだいたいにおいて党人派として与党の自由民主党に所属していた立ち位置の良さからもうちょっと、大物政治家として活躍しては内閣総理大臣の座を射止めても不思議が無いような雰囲気だったにもかかわらず、担ったのは法務大臣に労働大臣総務大臣文部大臣といったところで外務経産財務といった主要なポストには就かず、総理大臣のレースからはずっと外れていたような感じがする鳩山邦夫さんが死去。67歳とはなかなかに若い。

 あるいは政党をあちらこちら渡り歩いた経歴が厭われたのかもしれなず、タイミングをどこか外してしまっていたのかもしれない。渡辺美智雄さんとかもそんな感じで総理大臣の椅子には座れず、河野洋平さん谷垣禎一さんは共に自民党が野党に甘んじていた時の総裁を任されやっぱり総理大臣にはなれなかった。振り返れば父親の鳩山威一郎さんも総理大臣にはなれなかったけれど、大蔵省で事務次官まで務めた大物官僚で政治家に転身しても参議院議員だったから総理大臣になるという思いは最初からなかったのかもしれない。それでも外務大臣にはなっている。一族でもトップクラスの優秀者を見せながら、それでもトップには立てなかった一方で、学歴的に今ひとつの総理大臣が今の政治を仕切っていたりする状況にどんな思いを抱いていたのか。そこがちょっとだけ知りたいかも。合掌。

 そんな今の総理大臣の厄介なメンタリティがまたひとつ明らかに。朝日新聞が書いただけならまだネガティブな印象を醸し出そうとした誘導かもって思われるかも知れないけれど、共同通信も配信したりしてよほど目に余る行状だったんだろう「報道ステーション」での収録に関する安倍総理の振るまいは。党首たちによる討論があった模様だけれどその途中に散々っぱら自分の言葉を投げて途中に誰かの発言に被せるようなこともした様子だけれど、それで話がまとまらず野党の方からまだ時間が欲しいねえ、なんて話しになったとところで約束の収録時間が過ぎているのにとぶち切れたからたまらない。

 いったいどれだけ押したんだ、10分が、15分かと思ったらわずかに1分。歩くところを早足にすれば取り戻せそうな時間であるにも関わらず、飛行機に乗り遅れるんだとか言って声を荒げたそうで、それを見ていた政治記者たちもこれはちょっと目に余ると思ったんだろう。だから記事にした。それが今後の収録の中で自分を拘束しようとする振る舞いをあらかじめ牽制しておくための策だったら、まだ意味も分かるけれども普段の行状から単純に、自分の思い通りにならないことには腹が立って、ついつい感情が出てしまう性向が、ここでも出てしまったって考えた方が良いんだろう。

 国会でも時々見せるキレっぷり。感情を抑えられずに声を荒げたり、ヤジを飛ばしたりといった行状をたびたび批判され、その都度謝りながらも繰り返すところに何か心理的な穴みたいなものを感じないではいられない。そんな不安定なマインドを持った総理大臣にこの国を任せておいて大丈夫か、って意味も込めての報道なんだろうけれど、親派は大総理様の貴重な時間を1分たりとも奪うとはと擁護に回っているからこれまた厄介。いつかはがれるその化けの皮、って思いながら終わらないその政権でいったい何がこれから行われるんだろう。考えると夜、練られなくなっちゃう。ユーロ2016見るから寝ないけど。

 「生存賭博」(新潮文庫NEX)が出たばかりの吉上亮さんがこちらでも新刊を。「磁極告解録 殺戮の帝都」は説明するなら超電磁バトルアクションといった感じ。関東大震災からしばらくたった復興途上の昭和の帝都に跋扈するテロリストと戦う組織の暴走を抑える組織が財閥にあって3人が所属。“磁律”という新技術というか、一種の異能を繰り出してテロリストとも戦っていたと。ところが、そんな“磁律”を軍事力として発展させながら行方不明になった軍人が、再び現れ悪を成そうと暗躍して、彼に見いだされ捨てられ、悪事に手を染めていたが今は特検群と呼ばれる組織に所属する仁祈生がその謀略に立ち向かう。

 この“磁律”というのがなかなかに多彩で、戦いの最中に損傷した祈生の腕を補い形にして動かせるようにもできるし、フィールドのように展開して守りとか攻めとかに使ったりも出来る。あるいは機械を動かすようなことも。ただ、生来のものだったはうzの“磁律”を人工的に人に与える技術が生み出されたことで、統制下にあった“磁律”使いが外にも広がり、それを使ってテロが横行し、暗殺も起こって帝都は混乱に陥る。そんな状況に心情では反権力でも今は財閥に与して戦っている祈生は、旧敵を追い詰めるために帝都を書けて自らの“磁律”を振るう。

 小林多喜二への拷問めいたものが行われそうになりながら、救出されたりする一方で井上準之助が暗殺され、三井財閥総帥の団琢磨も暗殺されるといった具合に歴史の上で起こった出来事が違う形でなぞられ進んで、昭和という時代を現実の昭和のように軍国めいた方向、そして大東亜での覇権狙いといった方向へと進めていく。そんな状況下で傀儡国家として立ち上げられた満州に追いやられることになった祈生たち特検群と主人ともいえるお嬢様は、これからどんな戦いを繰り広げるのか。歴史に従えば崩壊へと向かう帝国の歴史の中で“磁律”といったものがどう使われていくのかに興味。だからこそ続きが書かれて欲しい。

 キャラクターでは関東大震災の時に弟を救えなかった嘆きも抱え、無法者に肩入れしていたものが、今は財閥に買われている祈生という存在がなかなかに奥深そう。彼を慕う少女の正体とその力の行方がこれからの展開の大きく関わってくるのかな。同じ特検群に所属する男装の麗人にして磁律使いの虎徹もがなかなに格好いいけど、その肉体の秘密を知ると見る目も迷うかもしれない。「風の谷のナウシカ」のクシャナみたく「我が夫となるものはさらにおぞましきものを見るだろう」的な。どうしてそこまでして生きるのか? もう1人の仲間のアメリカ人も意外な正体があってあの時代の昭和史がてんこ盛り。戦後が舞台の峰守ひろかずさん伊藤ヒロさんによる「S20−2/戦後トウキョウ退魔録」ともどもお読みあれ。

 改正風営法の施行を前に、マナー向上を呼びかけるキャンペーン「PLAYCOOL」の発表会見が道玄坂であってのぞくと「クラブとクラブカルチャーを守る会」会長のDJでヒップホップMCでもあるZeebraさんらが登壇。文化的な面からも経済的な面からも夜通しクラブでダンスが可能になることの意義深さを語った一方で、マナーを守ってクールに遊ぼうと呼びかけていた。 改正風営法の施行で夜が広がり遊べる場所も増えて文化が盛り上がり経済も広がるけど、酔客が増えゴミのポイ捨てが横行して居づらくなっては意味がないの。そこをどうするか、ってところが折角の改正を意味のあるものにするのだから。

 もっとも、上から目線であれれするな、これしちゃダメでってやっても世の中はなかなか動いてくれない。むしろ反発すら食らうかもしれない。そういう意識を誰もが若い頃は持ちがちなものだから。なんでZeebraさんや他に出席した飲食店の運営者、クラブの運営者といった人たちは、そうした振る舞いがカッコ悪いものなんだといったマインドを広めていこうって話してた。粋に憩うぜ。だからPLAYCOOL。そういうこと。でもって格好いいアニキ(たぶんアネキも)の姿を見せていこうってことで、ナイトアンバサダーが任命され、DJたちによるによる朝の清掃も行われ、そんな彼ら彼女らの「背中で教える」言動によって渋谷を昼も夜も粋な街にしていこうとしている。

 それは世間におもねることでもないし大勢に媚びることでもない。自分たちがめいっぱいに楽しめる場所を守るために必要なこと。権力の強引な介入ですべてが取り締まられることを避けるための方策。そう思えば誰もがやろうって気になる。だからうまくいって欲しいし、他の地域や他のジャンルにも広がって欲しい。例えばアニソンのライブとか。そう言う場所に現れた厄介さんたちの問題が最近クローズアップされた。周囲の迷惑を顧みないで暴れ、出演者すら困らせることもある厄介な振る舞いが、当人たちにはCOOLと思われている節がある。そんな思考の捻れを解し、実はカッコ悪いことだって感じてもらうためにどうするか。粋なアニキの背中を見せるか。考えたけれどアニソンイベントのクールなアニキやアネキってどういう風貌かがちょっと想像ができないのだった。やっぱりモラルを説くしかないのかなあ。


【6月21日】 ここでは優勝できないからって感じに地元のクリーブランド・キャバリアーズを出てマイアミ・ヒートへと移って念願のNBL優勝を成し遂げ連覇も果たしてこれならずっとそこにいたって良かったものを、やっぱり地元に栄冠をとキャバリアーズにで戻ったレブロン・ジェームズはやっぱり男気のある奴なのか。ずっと出たままでは引退した時に帰りづらいって判断もあったかもしれないけれど、それだってプロの世界だから気にしなければそれで済む。

 でも戻った。生まれ育ったオクラホマ州がやっぱり空きなのかなあ。ミキサー車とか走ってそうだし。いやそれは違うミキサーだ。とはいえキャリアの全盛期を地元だからとキャバリアーズに戻ったところで、プレーオフにも出られないような弱小チームだったら当人にとって利益がない。そこをちゃんと勝てるチームにしてあったところがレブロン・ジェームズを今一度振り向かせたことに繋がったのかもしれないし、だからこそ2年連続のファイナル進出、そして去年の雪辱を果たしての優勝という栄冠に繋がったんだろう。

 こうなるとマイアミ・ヒート時代も果たせなかった3連覇に興味が移るけれどもシカゴ・ブルズがマイケル・ジョーダンを擁して2度成し遂げ、最近ではシャッキール・オニールを擁したロサンゼルス・レイカーズが成し遂げてからこっち、成し遂げたチームは無くコービー・ブライアントがいたレイカーズと、そしてレブロン・ジェームズ自身によるマイアミ・ヒートの連覇が最高だったからなかなか大変そう。レブロン・ジェームズは6年連続でファイナルに立った訳だけれど、連覇がやっとで優勝は3回と結果は半々。歳も歳だし来年どうなるか分からないけれど、楽しみだけは引っ張ってくれそうなんで来年もNBAへの関心を抱いていこう。

 「ハンドレッド」でいよいよ敵のボスともいえるヴィタリーがリトルガーデンに潜入し、大破壊をを繰り広げるかと思ったら倒し損ねたアンドロイドのメイメイによってボディガード代わりの3人の人工ヴァリアントから引き離され、単身でリザのところまで言ったら待ち構えていたジュダルによって銃で撃たれてハイさようなら。なんという雑魚感。あそこで自分自身を人工ヴァリアントにしてすべてを破壊するくらいの大技を見せるのが悪役ってものだけれど、元カレに騙されていたと分かってキレて返り討ちに遭っただけという、そんな計画性の皆無な人にリトルガーデンも脅かされていたと思うとちょっと寂しい。まあヴィタリーには原作だと再度の出番もあるようなんで、それで救われたってことにしておくか。あんまり救われてないけれど。あの貴重なおっぱいも無くなってしまったみたいだし。

 「ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」の人ってよりは個人的には「戦国スナイパー」の人といった感じの柳内たくみさんが、ファンタジーではなくSFに挑んだ「IOTA 戦術機巧歩兵 彼女は危険な戦闘兵器」(宝島社)が登場。ストレートの銀髪をもったホットパンツみたいに脚を剥き出しにした美少女とかが描かれている表紙絵にまず惹かれ、そして読み始めてその美少女のどこか達観していて苛烈な運命にありながらも減らず口を叩きながら戦うスタイルにグッと惹かれる。

 名をリブというらしい美少女は人間ではない。いや、もしかしたら人間かもしれないけれどもそれは脳だけで、身体は自衛隊が密かに開発していた戦術機巧歩兵(IOTA)の最新実証機。近未来、東京湾岸の埋立地に出現した無法地帯で起こる犯罪を捜査し突入する仕事を請け負っている。そして向かった先で現れた美女との戦いでボロボロになりながらも脱出したリブは、意識を薄くさせたままで高いビルの上から廃棄された工場へと落下する。そこにいたのがまだ年若い北機壮士という名の技術者。リブを拾い調べそして使われてる技術に気付いてひとつの行動に出る。

 そんな幕開けから始まるストーリーは、機械の身体をバラバラにされて売り払われてしまい、そして残された脳まで廃棄されるんじゃないかと怯えながらも手足を持たずどうしようもない状況に焦燥するリブの心理が綴られ、いっしょになって焦り慌ててしまうけれどもそれではヒロインは務まらないとフィクション的に安心しつつ、壮士がいったい何を知っているのかといったところから辿って、彼が少年の頃に天才的な技術者として生み出したある技術が、リブに使われていて彼女を動かしつつ、その命を限りあるものにしているのだと知って引き込まれる。

 脳と機械を結びつけるようなその技術が実用化されていれば、人は永遠の快楽をも身に得て生き続けられるようになる。ただその技術には欠陥があって異常蛋白が脳にたまってアポトーシスを引き起こすことが分かった。だからいったんは葬られた技術が、それでも使われていたリブはいつか自分の命が止まる前に、自分の唯一の生体である脳がいったいどこから来たのか、親はいるのかを探ろうとしてる。けれどもそんな脳ですら、人工的に作り出されたものかもしれないという可能性、あるいはうっすらと刻まれた記憶すら、誰かのものを転写されたかもしれない可能性が浮かんでリブを迷わせる。生きていくことに絶望感すら与えてしまう。

 それでも、少しの希望をもって戦いの場に戻り、再び現れた人工生命で倒しても簡単に再生してくる美女と少女を相手にした戦いを繰り広げながら、警察内部で繰り広げられていた謀略を退け進んでいく。そのスピーディーでスタイリッシュな戦いの描写がなかなか。武器や魔法が飛び交うファンタジーや剣と鉄砲がメインの時代物とは違った、SFならではのサイボーグと生体アンドロイドとのバトルを楽しめる。いったいどうして敵はあそこまで再生力が強いのか。その意識はどうなっているのか。いろいろと関心が浮かぶ。そもそも誰に作られたのか。その謎がラストに明らかになる。

 人工冬眠の装置から現れた女性。MIT時代に壮士と関わりがあって彼が作り出した技術を大きく育てようとしつつ失脚したはずの彼女がどうしてそこにいるのか。どうして人工生命体を従えて犯罪組織を率いているのか。その体内に仕込まれている爆弾のようなテクノロジーが、ブレイクスルーを迎えることはリブの限られた生命を未来に繋げる意味も持っている。そんな状況が浮かび上がって、ずっと引きこもっていた壮士が戦いの場に復帰し、そしてリブは運命を切り開くための戦いに邁進していく。そんな続きが描かれるだろうと思っているけれども、果たして。

 六本木ヒルズで開催中の「六本木クロッシング2016展:僕の進退、あなたの声」ってのをちょっと見て、もうちょっと身体性をえぐり出すような展示があると思ったら、メーンの展示として紹介されていた片山真理さんって両足が義足になっている女性アーティストの作品が、目立ってあったくらいであとはどちらかといえばメッセージ性を作品に載せて語るといったものが多かった印象。木村伊兵衛賞を受賞した石川竜一さんによる沖縄のポートレート集もそこに移っているのは身体だし、発せられているのは声だけれども全体としてはやっぱりポートレート集。沖縄という地に生きる今の標準といったものを総体として見せているといった感じ。

 野村和弘さんの「笑う祭壇」は自分でカップにボタンをすくって投げてオブジェの上に載せられたら勝ちみたいなゲーム性があったけれど、そこに自分の身体性を見いだすというより観客を借りて作品を彩らせるといったインタラクション。結果は参加を経て積み重ねられたボタンの山として表現されて、そこに過程としての身体の関わりはあっても表現としての身体は見えていない。あるいは声も聞こえてこない。まあ何かしらタイトルは付けつつ今が旬のアーティストを見せる展覧会って考えれば、それはそれで面白かったって言えそう。

 文化庁メディア芸術祭にも参加していた長谷川愛さんによる、同性でも子供が持てる可能性を遺伝子的に考えビジュアルで表現して、それがもたらす影響なりを考えていく作品は、倫理や科学や文化といった方面からのリアクションを受けてどこに向かうかいろいろ想像させられる。ユニークだったのが志村信裕さんによる「見島牛」で、1950年代とかの離れ小島に暮らす人々の生活を撮ったものかと思ったら、バリバリ現在の島を8ミリカメラで撮ったものでザラついた映像と山口の方言が時代感を後退させて時間を融解させて不思議な気分にさせられた。あと牛が可愛かった。他にどんな映像を撮っている人なんだろう。ちょっと注目。


【6月20日】 虎の尾を踏んだと言ったところか。親友の急な死という不幸に直面した小玉だけど、いつまでも哀しんでいる暇はなさそう。その原因となった人物が、影で誰かに操られていたかもしれないといった懸念から調査に乗り出した夫で皇帝の文林が、調べた帳簿から怪しい地域を割り出しそこに小玉を派遣する。といっても、皇后の身では身動きがとれなくなるからと、身代わりを立ててそのお付きの者として現地に入って街に出て調べ始めると、どうにも妙な空気が漂っていた。母親といっしょではない娘がどうにも不安げな様子で歩いている。そして戦闘訓練に参加している子供たちには女の子の姿が見当たらない。

 何かある。そうは思いつつ決定的な何かをつかめずにいた小玉だったけれど、前にちょっとしたことで知り合い、今は小玉が率いる軍隊にいる3人娘の1人が行方不明になる事態が発生し、それを理由に小玉は軍隊を動かし、土地を治める役人を絞りつつ真相へと近づいていく。そして分かったのは、経済や軍事といったものではなく、母性愛的な感情で惹かれ引き合っている集団の存在。それはどこか宗教にも似て狂信的なところもあって、小玉を襲い人々を圧迫しつつ特定の勢力の崇拝を集めてじわじわと広がろうとしていた。そんな展開の雪村花菜さん「紅霞後宮物語 第四幕」(富士見L文庫)。

 親のいない女子をさらおうとしていた理由。そして子供たちに女の子が見当たらない理由。相手にとっての筋はあっても、一般から見れば狂信に過ぎないその見解を邪悪と見て小玉は討ち排除する。そのことが、功利ではなく思慕であり信心で結びついていた者にとっては仇も同然の存在として小玉を認識させた。以後、そんな小玉を狙った復讐が幕をあけるだろう。それらと戦い勝ったからこそ後々まで、強い皇后として歴史に名前を残すんだろうけれど、そうなるまでのおそらくは陰謀があって、血で血を洗うような陰惨な出来事もあってと、小玉をいろいろと惑わせそう。それを打破して突き進んでいく戦いが今後、描かれることになるのかな。どこか天然で純粋な小玉の猪突猛進の裏側で、策を巡らせる文林の苦衷にも触れて差し上げて欲しいかな。憎まれ役となって泥を被る彼のそれが小玉への愛なのだから。

 9巻も出ている「週刊少年ジャンプ」連載の漫画がアニメーション化されて1クールで終わるってことはないと思いたいし、クオリティの高さとストーリーの面白さではこのシーズンで群を抜いていたって思いもあるから、きっと続きが放送されると信じているけれど、7月からは「アルスラーン戦記」の第2期がスタートすることになっているんで、日曜日の午後5時代からちょっとだけ「僕のヒーローアカデミア」はいったん終了。生徒たちの実習場面にヴィランたちが現れ、オールマイトを誘い出してはやっつけようとしたけれど、そこはオールマイトだけあってどうにかこうにか返り討ちに。でも当人はそろそろ時間切れで正体がバレそうになっている。いったいどうなる?

 ってあたりが次週の展開になるのか。そこで露見してしまっては後が続かないから、隠して漫画といっしょの展開を、2期以降でやってくれると思っているけれど、そうでないならこれで終わりって可能性も。「食戟のソーマ」も「ハイキュー!!」も、第1期をTBSで放送しながら第2期が違う局になってしまってたりして、あんまりアニメを大事にする感じがしないからなあ。あるいは「僕のヒーローアカデミア」も違う局で再スタートって可能性もあるのかな。生徒たちではようやく梅雨ちゃんの活躍が見られ始めたけれど、、これでいったんの見納めになるのはちょっと寂しい。胸とか柔らかそうだったし、もうちょっと活躍の場を与えて欲しいもの。伏して願いつつ来週の最終回を待とう。

 厄介としか言い様がないというか。チネチッタ川崎で「ラブライブ! The School Idol Movie」の応援上映が開かれたんだけれど、そこに集まった一部の人間が、アニメーションの展開とは無関係な歌を歌い、不届きな写真も持ち込んだりしたことで、劇場がこれは次にやっても同じように暴れる奴らが出てくると感じ、それで他の観客が嫌な思いをしてしまうのは遺憾だと、予定していた応援上映を中止にしていしまった。さっそくメディアなんかが、応援上映を行って収益を伸ばしている「KING OF PRISM by PrettyRhythm」なkなを例に挙げ、応援上映という形式が問題を招きやすいような論調を繰り広げ始めているけど、それはちょっと違うんじゃなかろーか。

 なるほど「キンプリ」の応援上映にも、場内の統率感を高めようといった考えなのか、自由な応援をしづらい雰囲気を作り出し、団長の指揮下でもって応援団的な統率感をもった応援上映が行われ、もうちょっと自分のペースで自分なりの発声で応援したかった人を戸惑わせていたりする。キャラクターへの偏愛が講じてネガティブな言葉も発せられるようなこともあるらしいけれど、それが上映中止といった事態を引き起こすようなことにまでには至っていなかった。なぜなら参加者たちは自分たちが騒ぎたいがために応援上映に行くのでは無く、一緒になって作品を盛り上げ一体感の中に喜びを味わおうとする共通音意識が通っていて、ひとり悪目立ちして騒ぐような真似を、状況として許していなかったから。

 やってやれないこともなかっただろうけれど、それをやって起こるリアクションの怖さを思えば突出はできない。何より作品を愛する心、その場を求め続けたい願望が将来を壊すような真似を許さなかった。きっとラブライバーと呼ばれる「ラブライブ!」のファンたちも、自分たちの喜びを最大限に発揮しつつも、そうした場が壊されることを嫌って騒動を起こすような真似はしていなかっただろう。作品を愛する気持ちがあるなら、作品が壊され集う場が壊されるような振る舞いなんて出来るはずがない。そう思うとチネチッタ川崎で起こった騒動は、応援上映という形式に問題がある訳でもないし、そこに参加するファンが悪い訳でもない。ラブライバーがイコールで悪だなんてことは絶対にない。

 問題の所在は、ひたすらに場を壊そうとする厄介な存在にあって、自分たちが楽しければ他のことはどうでもいいといった心理にあって、そこを諫めるなり排除できるシステムを整えていきさえすれば、応援上映という素晴らしい試みは、興業の世界にひとつの新しい収益基盤をもたらし、エンターテイン面の楽しみ方に新しい道をもたらす。だからこそ、そうした可能性を潰すような存在を許してはいけない。Jリーグのチームはヘイトな発言をした者を引っ張り出して態度を改めるように促し、自分たちの将来が奪われる懸念から、周囲がそうした振る舞いを許さないように自治的な振る舞いをしていく。それと同じような動きが起これば、厄介も消えていってくれると思うんだけれど、そういった自浄がなかなか働かないんだよなあ。サッカーならチームの勝ち点剥奪なり罰金といった罰則が、自分たちの愛するチームを損なうとしてファンが立ち上がるけれど、映画ではそうした仕組みが働きづらいし。どうなることか。

 自分たちの心地よさが、場といったものを守り育んでいこうとする意識を上回って発露される、これもひとつの例なんだろうか。フジロックフェスティバルに政治的な活動をする人たちが出ることに、そういうのは止めてといった声が起こったけれど、ロックなんてもとより反体制で政治的なメッセージも含んだカテゴリーだし、フジロックだって反原発ちったメッセージを打ち出して世間をアジって来た歴史がある。もともとがそういう場であったにも関わらず、自分たちが心地よい音楽に浸りたいのにノイズを混ぜるのは止めてというのはやっぱり自分優先、アニメを楽しむより自分たちが騒げてハッピーな厄介と重なるところがある。どこかピントが外れた政治的なメッセージを持ち込まれることへの異論はあって当然。そういう批判もあって良いけれど、政治性など不要といった言説をさすがに退けるあたりに、まだまだ自浄への意識がありそう。そこがちょっと羨ましいかも。


【6月19日】 入学したばかりとはいえ艦長として任じられたならその職務に精勤すべきなんじゃないかと思うけれど、ここまで厳しい戦闘もあって船が傷つきけが人も出たりするとやっぱり上に立つ者として逡巡もしてしまうものなんだろう。これが普通の軍隊だったら上に立つ者は下から順を追って偉くなる過程で部下を使い時には命を捨てろと命じる覚悟も育んでいる。そうでなければ戦闘なんで出来はしないと知っている。行き過ぎればそれが兵の命を命と思わない采配となって全滅の憂き目に遭うんだけれど、勝つためには時に犠牲も必要だという心理はやっぱり必要だろう、士官には。

 だからただの入学時の成績でもって士官だ兵卒だと分けてしまって良いのかって気がしてならない「ハイスクール・フリート」は、いよいよ艦影が見えた武蔵に向かってブルーマーメイドが攻撃を仕掛ける中で、砲門を積んだ戦闘可能な艦船として近くにいた晴風に武蔵を追尾するよう指令が下るけれども近くに寄って大砲でもくらって仲間に負傷者が出たらどうしようって岬明乃がポンコツ化。そこで叱咤すべき副長の宗谷ましろもそれなりな付き合いの中で教条的に振る舞うことができず、武蔵に明乃の親友の知名もえかが艦長として乗っていることも分かっていっしょに逡巡してたりする。その間に食らう攻撃。下らない指令に船は立ち往生…。

 するかというとそこはそれぞれが自主性を持って動いているだけあって、ポンコツな艦長の心理を組みつついっしょに事態に当たろうという気概も状勢されている様子。どうにか団結も計られ次はいよいよ武蔵戦。艦橋に立てこもっているもえからを助けつつ操られているだけの乗員たちも助けることができるのか。何しろ武蔵だからなあ、大戦艦の、超重力砲もデカいのを積んでる、ってそれは別のムサシだった。一方でましろの母親の真雪も動き始めて本格的な戦闘の指揮を執る様子。いったいどんな戦いが繰り広げられるのか。そもそもあの人を操るウイルスってどこから来て誰が持ち込み何を目的にしているのか。そういうデカい設定が背後に隠れているのが気になるなあ。ただの自然現象? まあそれでも良いけれど。

 「境界線上のホライゾン」シリーズを読んでいれば別に分厚くもないとは思うけれどもライトノベルにしてみればやっぱり厚いかもしれないオキシタケヒコさんの「筺底のエルピス4 −未来廃棄−」(ガガガ文庫)。前の第3巻「絶滅前夜」で言葉通りに絶滅前夜まで追い詰められて「門部」と呼ばれる日本在住で鬼を狩ってる一党の面々が、現れた敵対勢力でもトップクラスの実力者によって次から次へと倒されていって、もはや絶体絶命といったところでどうにかこうにか数人だけが抜け出して、向かったところが女医さんの故郷だったというとある島。そこで立て直しを図るものの敵もさるもの、ローマを火の海に変えるくらいの非道を平気で繰り出しては拠点を掴んで攻めてきた。

 それでもローマが落ちたなら次はといった想像から、対策も立ててどうにかこうにか最小メンバーだけは抜け出したものの途中で主要な面々が次から次へと命を落としていくという展開。これで誰も生き残らなかったら話も終わってしまうけれど、そんな「デビルマン」みたいな破滅エンドで満足させるはずもないから誰かが生き残るだろうと思っていたら、ちょっと意外な人間だけが最終的な目標へとたどり着いてひとつ時間を巻き戻し、さあリスタートだってことになった。とはいえ進んでしまった時間は厳然としてそこにあって、時系列から切り離されても消滅することはなく続いていく。その過程で起こったさまざまな哀しみもそこに生き続ける者たちによって引き継がれていく。

 とても哀しくて痛ましい状況。なおかつそれを主観として知り、抱えて過去へと戻った者はたとえ目の前に巻き戻された時間があったとしても、切り離された時間での記憶と経験はずっと残り続け、引きずり続ける。そんな痛みを抱えるくらいならどこかで終えてしまっても良いんじゃ無いか。なんて思えたりもするけれど、そこはそこで生きている者たちがいる場所。捨てることも諦めることも許されないなら戦うしないってことを、感じて再び戦いの場へと戻っていくことになるのかな、それとも後は任せたと引き下がるのか。たとえ“身内”どうしの見解の相違から生まれた抗争は終わったとしても、鬼という存在を滅ぼさなければいつか人類は滅びてしまう。その方策は果たして手に出来たのか。インターネットという情報と共に憎悪をも拡散させ蔓延させる装置の存在を確認してなお留める手段は見つけ出せるのか。あらたに生まれた問題にどう挑むのかがこれからの注目ポイント。どうなる人類。読み続けるしかなさそうだ。

 なでりこリーグカップが始まっていてフクダ電子アリーナでジェフユナイテッド市原・千葉レディースとINAC神戸レオネッサが戦うみたいなんで観に行こうかと家を出て、とりあえずレナウンのバーゲンが開かれている幕張メッセに寄ったら何かライブがるみたいで参加者たちがちらりほらり。1つはPerfumeでもうひとつは韓国の人気アイドルグループか。どちらも数万といった人が来そうでそんな流れに巻き込まれる前に退散しようと服を買い、ベルトを買って会場を出て海浜幕張駅まで来たら蘇我方面へと行くはずの京葉線が止まっていた。どこかで信号機故障があったみたいですぐに動く気配はない。これは困った。

 仕方が無いので早速長蛇の列ができはじめていたバスで幕張本郷まで出たれど、外房線だかも止まっていて電車が千葉までしかいってないようなんでフクダ電子アリーナに行くのは諦めいったん帰宅。昼寝をしてからまた起きて、夕方に開かれるよていの「アルケミアストーリー」ってゲームの声優オーディション最終選考会を見物に行く。会場は蒲田。いつも同人誌即売会が開かれている建物の上まで行って成り行きを見物。30人ほど集まった最終オーディションの参加者を見ると、それぞれが声優なりナレーターなりレースクイーンなり司会なりといった分野で活動している人たちで、話す声も格好良ければ演技も達者。それでもやっぱり大役を掴もうとして頑張ってオーディションに臨んできた。

 集まっている観客の投票も影響するとあってアピールするのは声だけじゃなくそのキャラクター性も。詩吟をうなるわ縄跳びを跳ぶわコロッケを作は鹿児島弁で話すはと様々な個性を見せてくれた中で、最終的には大人からだんだんと子供に化けていった人とかRPGの頭文字をお題にセリフを喋った人、イケメン声も出そうだけれどももっぱら老人声で勝負した人、そして謎解き体験型イベントの司会なんかをしている人が通った感じ。人気というよりも芸達者なところが通ったのかな。まあ前々からずっと行われていたオーディションだけにファンもついていたんだろう。それなら証明写真のモデルになている美女とか通りそうなものだけれど、そうじゃなのが顔より声の世界ってことか。

 ゲーム自体はMMO+JRPGってことでジャパニーズなRPGならではの取っつきやすさを目指しているらしい。テスト版が遊べたんで試してみたけど美麗なグラフィックで表現された広いフィールドをずんずんと旅して行けそうな感じ。キャラクターも自分で顔立ちから髪型から体型から年齢までを選べて設定できるんで、自分好みのキャラクターを作ってフィールドへと送り出せそう。太らせたり胸を大きくさせたりしてムッチリ好みの人でも安全。もちろんスレンダーな幼女も。ちょっとだけ試したけれども簡単操作でさくさく進められてなおかつ奥も深そう。出てくるキャラクターも可愛いし、これはちょっと遊んでみようかなあ。年内にはリリースできるかな。それまでに手持ちのスマートフォン環境を整えておくか。iPadもいい加減古くなってきたし。


【6月18日】 「ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない」ではいよいよレッドホットチリペッパーズとの戦いが佳境を迎えて、ずっと姿を見せなかった本人が登場したらこれがなかなかのギター弾き。アニメーションとしても弾いていたけどそのライトハンド奏法を、担当しているのはいったい誰なんだろうかとちょっと気になった。レッチリのメンバーって事はさすがにないだろうし。ギターで人の声を表現するところは誰か喋ったのをギター風に加工したのか、それとも本当にギターで出していたのか。今だとギター入力のボーカロイドエフェクターを使えば喋らせることも出来るしなあ。それだと声、初音ミクになっちゃうけれど。

 そして戦いは海にスタンドを落とした丞助の勝ちかとおもったらしつこく生き残っていた音石明の船室進入。けれども莫迦で鳴る億泰がどっちかでもなくどっちもぶっとばす意気込みで倒してジョセフ・ジョースターは無事、丞助と体面を果たす。老いているようだけれどジョセフ、この後活躍とかしたっけ。すっかり原作忘れてる。そして話はいよいよ吉良吉影の登場へ。重ちーとか仲間の死とかも乗り越えながら成長していく康一とかの姿を見守ろう。しかし本当にこの第4部、実写化するのかなあ。誰がやってもあの雰囲気は出せないと思うんだけれどなあ。

 長谷敏司さんが帰ってきた、ってどこに行った訳じゃないけど最近ちょっとSF方面で活躍し過ぎてライトノベルといったカテゴリーに属するレーベルでの活動が、ちょっと観られていなかっただけに小学館のガガガ文庫で「ストライクフォール」(611円)を発表し、それこそ「円環少女」シリーズ最終巻以来のライトノベルレーベル帰還を果たしてくれた。同じ長谷さんだけに何が違うってことではないけれど、ティーンという読者層をある程度は視野に入れたカテゴリーだけに、物語はストレートに分かりやすくなっていて、そして未来ある少年少女をワクワクとさせるような設定に溢れていて読むと心も浮き立ってくる。

 「宇宙の王」を名乗る異邦人、おそらくは異星からの客人がもたらした万能の泥なる物質によって人類は、文明を大きくリフトアップされることになって宇宙への進出を果たした。得たそのテクノロジーを使って人類は最初、やっぱり争いごとを起こすようになるけれどもハタと気付いたか何かして、争うのを止め代わって得たテクノロジーを使ってスケールの大きなスポーツを行うようになった。それがストライクフォール。搭乗者を包み込むような安全装置のその上からストライクシェルと呼ばれる人型のロボットのようなものをまとって戦う競技で、15対15に分かれて相手のフラッグ車を……じゃなかったリーダー機をクラッシュさせるべくバトルを繰り広げる。

 そんなストライクフォールの地球代表チームに若くして入った天才少年の鷹森英俊を弟に持つ鷹森雄星は、地球に残ってプロを目指しながら鍛錬を重ねていた。そこに帰国して1軍入りを報告に来た弟の英俊。せっかくだからと手合わせをしたけれどもまったく歯が立たない。やっぱり弟は天才で自分は凡才。でもそこで諦めたりすねたりもせずにいつか高みに近づき一緒に宇宙で戦うことを夢見ていた雄星の身にとてつもない自体が降りかかる。英俊の1軍デビューを見に上がった宇宙。試合前に新鋭機のテストを始めた英俊につきあっていた雄星に、ちょっとだけ巡ってきた希望が絶望へと転じ、そして雄星は英俊との願望をかなえるために宇宙へ出る。

 どん底からの這い上がりと、凡才の覚醒を描いた青春ストーリーを軸にしつつ、宇宙で繰り広げられるスピーディーでスリリングなロボットどうしの格闘戦を楽しめる作品。映像で見れば一目瞭然かもしれないバトルを言葉で追っていくのは大変だけれど、その辺りも分かりやすく綴ってあるから今がどういう状況で、誰が何をしようとしているかは分かる。そうでなくても重要なポイントを抑えておけば大状況はつかめるから大丈夫。そして訪れるクライマックスで、雄星が発動させる「王の御手(ハンズ・オブ・ア・モナーク)」という特殊な装備がもたらす異質のビジョンを感じつつ、それと引き替えの生命の危機を勘案しつつ勝利までの薄氷を渡るようなプロセスを、噛みしめていけるだろう。

 どういう意図で異邦人が万能の泥を介してチル・ウェポンを人類へともたらしたのか。これが鷹見一幸さんの「宇宙軍士官学校−前哨−」シリーズならばリフトアップは人類を付け狙う粛正者への対抗勢力を増やすためで、いずれ訪れる恐怖の侵攻と戦うためでもあったし、庄司卓さんの「銀河女子中学生ダイアリー1 お嬢様ひろいました」の場合だと、確か地球圏との交易のためでもあったけれども「ストライクフォール」は戦争のための技術を磨くことがあるいは目的で、いずれ遠からず現れた異邦人が強くなった人類に娯楽のための戦いを挑んでくるのか、それとも他の何かと戦う列に加わるように求めてくるのか。そこが気になる。

 ライトノベルは宇宙が熱いといった呼びかけにも答えて書かれたらしいこのシリーズが積み重なっていった暁には、リフトアップされた技術を使って宇宙で少年少女がレースに勤しむ「銀河女子中学生ダイアリー」も途切れている2巻以降が刊行されるなり、別のところからシリーズごと再起動されるなりして欲しいもの。宇宙も舞台になっているロボットどうしの格闘戦といった意味合いでは佐島勤さんの「ドウルマスターズ」シリーズもあるし、電撃文庫にはあと長月渋一さん「アウトロー×レイヴン」というスペースオペラも存在する。続きが出てないけれど。ライトノベル出身の鷹見さんによる「宇宙軍士官学校」はいよいよ人類の存亡をかけた大戦争が始まりつつある。そんな宇宙のムーブメントを加速させる意味でも売れて欲しい「ストライクフォール」だけれど、さて。

 デマを裏付け取材もせずに拡散しては大恥をかいたメディアもメディアなら、デマを頭から信じ込んで発言しては批判されて平謝りする国会議員も国会議員というか。常に真実を探求して正義のために振る舞わなければ体面が保てないはずのセクターが、誰かを貶めるためにはデマでも嘘でも引っ張り出し、時には捏造だって平気でやるようになってしまった。教育の衰退とかいったものよりそうした風潮の方がよほど怖いし、明らかなデマであっても何かを非難したいためには必要だといわんばかりの言説を見せる人たちの、デマ有理的ニュアンスがじわじわとにじみ出していることも恐ろしい。

 どこかで誰かがそれは違うと言わなくちゃいけないんだけれど、そんな影響力を持った人なんてもういない。だったら司法がお灸を据えなくちゃいけないんだけれど、それすらも気にせず開き直って相変わらずデマを拡散し続けている人間が、偉くなれるメディアが存在するから困ったものというか。そういえばそのメディアでは、大統領が大きな事故が起こったときに、官邸に詰めたまま連絡がとれなくなったことを挙げて、証券街の噂とやらを引っ張ってきてセクハラまがいの中傷をして、特派員が名誉毀損で訴えられたことがあったっけ。

 それが大統領の権力をふるえる範囲を超えていたといった判断から、裁判では無罪となって刑事罰は下らなかったものの、判決では噂自体は虚偽であってそれを裏付ける取材をしなかったことを非難された。特派員もそうした指摘を含めて判決を受け入れた。その特派員だった人は今、帰国しては権力と戦って勝利したと言って講演に勤しんでいるけれど、ペンタゴンペーパーとかウォーターゲート事件のような権力の基盤を揺るがす報道をとがめられた訳ではなく、嘘だったセクハラまがいの噂をそのまま書いていただけってことを勘案するなら、もうちょっと身の処し方を考えた方が良いし、上も考えさせた方が良いんじゃないかって気がしないでもない。

 嘘でも貶めたい相手を貶められる情報ならば、書きとばして省みない態度がオッケーとなってしまった時、メディアは真実を報道するという最低限にして最上級の使命を忘れて扇情的な情報の垂れ流しに走ってしまう。だってその方がアクセスが稼げるから。だから勝訴は勝訴として事の推移を吟味すべきだったものが、それを怠った結果、今また誰かを誹謗するような噂を、本当かどうかも確かめもしないでそういう噂がありますと報じて、結果として誹謗の拡散に荷担してしまった。

 謝ったから良いとか取り消したから良いなんて話じゃない。嘘を嘘だと喝破することなく拡散してしまったこと、それ自体がもはや真実を報じるというメディアとしての本分を大きく逸脱してしまっている。信頼を貶めたとも言える。同じメディア業界を標榜する者たちは、業界にそうした虚偽でも拡散上等な存在がいて暴れ回っていることを、もっと真剣に考えないといずれ競争が厳しくなった時、あそこがやっていたからと安きに流れ扇情に走るところが出て、我も我もとなって全体の評判を落とし信頼を失って、そして共に滅びていくことになりかねない。止めるなら今だけど、どこにも緊張感はなく危機感もない。やれやれだ。


【6月17日】 禁止されている場所でフラッシュモブのようなパフォーマンスをしたから問題になって止められて、それが表現を狭めることになっていると訴えたのだとしたら、もうちょっと行政も融通を利かせてパフォーマンスを誘致して、街を豊かにしたって良いじゃないのと思ったけれどもそのフラッシュモブと“自称”するパフォーマンスが、マネキンのように止まって手に安倍政権を批判するプラカードを持っていたとなると、それは一種政治的なデモンストレーションであって、その場所で禁止されている行為に該当するからと、止められ排除されてもそれはそれで仕方が無いんじゃないかって気がしてきた。

 デモンストレーションなら別にやれる場所はあるし、そうしたメッセージ性を持ったデモンストレーションを敢えてフラッシュモブとしてやる必要もない。それともフラッシュモブ的にやることによって評判になり、広く浸透できるとでも言うんだろうか。それだって政治的なデモンストレーションな訳で認め始めると切りが無い。だから禁じた。逆にフラッシュモブ的なパフォーマンスだったら認められていると行って、それに政治的メッセージを載せたのだとしたら、隙間を狙う根性は買えても堂々の主張とは言いがたく、どこかに後ろめたさが漂ってしまう。いったいあの場所では一般のフラッシュモブ的なパフォーマンスは禁止されていたのかいなかったのか。そこに触れられていないんだよなあ、新聞報道。どっちいしたって堂々と。それが1番。

 「問題解決をデザインするアイデア」ってのを求めるジェームズダイソンアワードってのがあって、画期的でスタイリッシュな掃除機だとか羽根のない扇風機だとかを世に送り出したダイソンの創業者が、若い人たちの情熱を形にする手助けみたいなことをしているアワードで、前にとても格好いい筋電義手のexiiiが応募して世界で第2位になったこともあって、そこからビジネス化が始まったことを考えると、起業を目指していたりプロダクトの開発を考えている人には、とても意義のある試みってことになる。その最新の募集が7月19日まで実施されていて、今応募を考えている学生さんたちや、応募が可能な卒業4年目までの人とかが集まって、どう応募したら良いのかってことをexiiiの人に相談できる会合があったんで見物に。

 すでにプロダクトにしている人もあれば、アイデアをスケッチしたのを見せる人もいて様々だったけれど、若い時からモノ作りの情熱に燃えている姿が見えてまだまだニッポン、捨てたものではないのかもと思えてきた。とはいえそうした画期的な試みをすくい上げ、商品として世に送り出せる仕組みが今の起業にはないのが残念というか。だからこそクラウドファンディングのような仕組みが立ち上がって、あちらこちらで画期的な製品を世に送り出しているんだけれど、その段階へと至る途中にあるのがジェームズダイソンアワードへの応募者。だからどこか製品として曖昧だったりする。

 日本での審査員をしているITジャーナリストの林信行さんが、アメリカ帰りの体を運んでその辺りを説明してくれて、応募を考えている人の中には技術はあるけれども肝心の、問題解決の課題をそこに乗せ切れてないものがあるって指摘してた。たとえ技術は画期的でも、それが自分たちの課題解決に繋がらなければ意味がない。もちろん技術を生み出した以上は、それが今までなかったことによる物足りなさを感じていたんだろうけれど、それが具体的にどういうプロダクトになれば問題解決につながるか、ってところまでは考えが及ばない。そういう場合は、周りの人とかに見てもらい何が出来るか言ってもらうのも良いってことを林さんは話してた。

 何かに使えると確信している技術でも、どう使うかって案外に難しいし。林さんが例としてあげたのは、スマホで音声を発する機能で、当初は酒場のようなやかましい場所で自分の声を張り上げるのが面倒といった思考から生まれた技術だけれど、それが咽頭がんで声を失った人に便利だと指摘してくれた医師がいた。そして製品化が進み実験に使われ始めているという。そういう出逢いが話すことによって来たできる。僕個人的には技術よりもまず問題解決という設定があって、そこに技術を当てはめていく流れが好ましいけれど、理想家は技術に疎く技術者は夢想しないもの。そうなると間を結んでパッケージにまとめあげ、プレゼンする役割も必要なのかも。そんなチームが機能するとexiiiみたいな格好いい筋電義手が出来るんだろう。今年はいったい何が来るか。日本から夢の世界一は出るか。見守りたい。

 リャンンハン乗ったとかどうとかいった言葉でもって、新聞なんかの世界で記事に注文がつけられたり、バリューが変わったりするケースが昔からあったりする。それは犬が人が噛んでもニュースにはならないけれど、人が犬を噛んだら大ニュースだといった類のものとはちょっと違って、そのままでは取るに足らないニュースであっても、当事者が有名人であったり、何か因縁があるような舞台だったりした場合に、バリューを引き上げ場合によっては大ニュースとして取り上げ報じたりするといったもの。ただの街ダネに過ぎない、ベタにすらならないニュースであっても、そうしてリャンハン乗せることによって社会面アタマとあ、あるいは1面トップになるようなこともあるから、名を売りたい記者が頑張ってリャンハン乗せようとしたり、デスクが記者にリャンハン乗せろと求めたりする。

 それが事実に即したものだったら仕方が無い。でも時として無理にリャンハン乗せようとして事実をねじ曲げたり、事実を捏造したりして記事を作って世に出して、それがバレて大変な目に遭ってしまう。新橋でテレビのインタビューに答えて次の東京都知事に誰が良いかを聞かれてニュースで答えた女性が、熊本でピースボートの仕事をしていてテレビに登場した女性と同一人物かもしれないという噂を、こともあろうに全国紙の看板を背負ったメディアが、ネットで報じて大騒ぎになっているように。この場合、発端としては新橋でインタビューに答えていた女性が、TBSと日本テレビの番組に登場して同じようなことを言っていたことがある。服装も顔も背景も一緒だって話題になったようだけれど、それも当然、だって同じ場所で同じ人間が答えているようなんだから。

 それがヤラセというかといとちょっと違う。たとえばイベントなんかに参加している人を取材する場合、話してくれそうな人のところに取材陣が殺到して囲むようにして話を聞くことがある。だから同じ人のコメントが違う新聞に載ったりする。別に不思議ではない。そりゃああそこがあの人を出すなら、うちは別の人を出そうっていうのがブンヤの魂かもしれないけれど、コメントの取りやすさに走ってしまうこと、それ自体は否定できない。テレビの場合はなおさらで、顔もさらしつつ聞き応えのあるキャッチーなコメントをしてくれる人に群がりがち。それが同じ時間帯、同じ場所で取材していたのなら同じ人に向かって不思議は無いだろう。それでもあえて外すとなると、現場も結構大変。そうした労力をかけなくなったことがテレビの衰退に繋がっているという話があるとして、一方にそれも仕方が無いといった理解はできる。

 2つのテレビ局が示し合わせて同じ人間を引っ張り出しては、現政権に反発を持っている人を推薦するような人を仕込んでインタビューしてもらった、なんて噂はあっても現実にはそうした手間なんてかけるはずもない。現場で見かけた、女性で見栄えも良さそうで弁も立つ人に群がった、そのやり方自体にヤラセだといったニュース性なんてまるでない。ただ、そこにリャンハンが乗った。新橋で答えていた人とよくにた女性が、TBSの別の番組でピースボートという団体に所属して熊本で活動していたのを捉え、放送していたという話が出た。こうなると受ける側も違ってくる。世間的に反安倍政権的とされ、人によっては反日とまで誹る団体のメンバーが、TBSという番組に続けざまに出演していた。これは仕込みだ絶対に。そんな勘ぐりがネットを駆け巡り、それに全国紙を標榜するメディアが乗って、関連があるかのような印象を醸し出す記事に仕立て上げた。

 その仕立て上げ方がまたふるっていて、熊本にいた女性と新橋にいた女性が似ているといった趣旨であるにも関わらず、熊本の方の女性は写真で乗せず新橋でインタビューに答えていた女性のTBSと日本テレビのそれぞれに出ていた画像を切り取って並べて乗せていた。そりゃあそっくりだ。きっと同一人物だから。でも見出しから引かれ冒頭だけ読んで写真を見た人は、そのそっくりぶりを熊本と新橋がそっくりだったと受け止め、ほらやっぱりピースボートの女性はTBSと結託して新橋でもインタビューに出ていたなと思うだろう。そう思わせるような雰囲気が意図のあるなしに関係なく存在していた。

 でも違ってた。熊本で活動している人はずっと熊本にいて新橋には存在しなかった。新橋でテレビに出ていた人は特定の層にネガティブな印象でもってヒットするピースボートの人ではなかった。そうした批判的な文脈で盛り上げようとした記事は根底から否定された。リャンハンは乗らなかった。問題は、そこでどうして全国紙を標榜するメディアが記事を作るときに、噂が本当なのかを当のピースボートに確認しなかったこと。聞けばそれが同一人物かすぐに分かったはずだけれど、そこで分かってしまってはリャンハンが乗らず記事に出来ず、ピースボートの批判が出来ない。だから聞かなかったのか。噂を報じることによって全国紙を標榜するメディアがかねてから批判しているピースボートに対するネガティブな印象、TBSなどテレビと結託して人を融通しているじゃないのかといったニュアンスを蔓延させる、それが目的だと思っていたのか。

 いろいろと想像はできるけれど、でも結果としてそうでないことは露見した。そこで謝ればいいものを、報じた余蘊合うわさがあったことは事実だといった感じで逃げることも考えられたもののとりあえず、事実ではなかったことは認めた様子。ただここでもうひとつ、問題として起こってくるのは、ピースボートの人と同じではないかと見なされた、新橋でインタビューに答えていた女性にいらぬ“嫌疑”がかかったこと。ピースボート自体が良いとか悪いという訳ではなく、それを悪く言う人が結構いたりする世間の中で、自分の心情とは違うプロフィルを一瞬とはいえ被せられたことに、当人はどう思っているのか。怒っているならまずはその女性に謝らなくてはいけないのに、そうした態度が前々見えないところに、問題の所在への理解の乏しさが感じられる。このままだとまた、リャンハンを無理矢理乗せた針小棒大な記事が、アクセス稼ぎのために捻り出されて掲載されることになるだろう。そして突っ込まれ逃げていって逃げる繰り返しが、なけなしの信頼をも失わせてそして後は野となれ、山となれ。やれやれ。


【6月16日】 そして目覚めるとイチロー選手がが4256本目と4257本目のヒットを打ってとりあえず、日米通算ながらもピート・ローズが持っていた大リーグでの通算安打記録4256本を上回って“条件付き”ながら世界一になっていた。日本では大喜びだけれど世界のメディアも讃えたい一方でやっぱり大リーグだけの記録ではないことを理由院「条件付き」って意味で「With an Asterisk」って言葉を添えて報じている。なんかちょっと格好いいので商談の席で「ウィズ・アン・アスタリスクでアグリーです」って言えば相手を圧倒できるかな。意味不明な奴だと呆れられるかな。

 困っているのはやっぱり当のイチロー選手で、自分が積み重ねてきた安打の本数、それ自体には絶対の自身を持ちながらも記録として問われると、ピート・ローズが認めてない以上はやっぱり手放しで喜んで良い物では無いといった認識。たとえ賞賛はもらっても大リーグ記録ではないという意味から逡巡は持ち続けるんだろう。だからこそ達成したい3000本安打。この大台を突破すればさしものピート・ローズだって“仲間”と言ってくれるんじゃなかろーか。

 一方でアメリカのメディアでも意固地なピート・ローズを窘める声も。イチロー選手が重ねている練習の多さを見てその実力を認識しつつ、賭博問題で永久追放にあるピート・ローズが歩み寄ることで、彼自身の復権にも繋がると。殿堂入りだってもはや無理だと言われているその境遇を、変えていくためにもここは人間として懐の広いところを見せようといった感じか。そんな誘いに乗らず自分は自分、その記録に絶対のプライドを持っているからこそ、曲げずに主張し続けるのもまたピート・ローズってところなんだけれど。そんなローズを非難するなら張本勲さんはイチロー選手が通算で自分の日本での安打記録を抜いたことを、手放しで賞賛すべきだよなあ。してたっけ。

 泉鏡花も加わって賑やかになった武装探偵社。一方でポートマフィアの側では最強に近いはずの芥川龍之介が中島敦のワンパンチ(虎だけど)によって全身打撲で虫の息となって入院しているところをさらわれて、樋口一葉と仲間たちの奮闘もあって助け出されたもののしばらくは療養中のところを、海外勢の進行も激しくなってこれからいろいろ大変そう。太宰治は元気そうだけれども大きく役になっている感じは無し。江戸川乱歩は推理はしてもそれが仕事だから武闘には向かない中でいったいどんなバトルが繰り広げられていくか、ってたりがこれからしばらくの「文豪ストレイドッグス」か。もう元の文豪のスタイルとか関係なしにその名前がキャラと一体化しているよなあ。これで今更爺さんの乱歩とか泉鏡花とか見せられたって誰これってなもんだ。

 しかしいっぱい出てくる文豪たちの、その名前ごとにいろいろと文学賞が存在しているのはこの国が結構文学において豊穣ってことか。太宰治賞の授賞式があったばかりでまた1人、受賞者が誕生したみたいだし来月には芥川龍之介賞と直木三十五賞の発表がある。先月は三島由紀夫賞賞と山本周五郎賞の発表があったばかり。泉鏡花賞の谷崎潤一郎賞、樋口一葉やまなし文学賞に江戸川乱歩賞に吉川英治文学賞等々があって新人が生まれたりベテランが懸賞されたりしている、そんな賞の受賞者たちが徒党を組んで闘って、いったいどの賞のチームが最強になるんだろう。武闘家とか空手の有段者とか抱えていそうなのは乱歩賞か直木賞か。でも最強はやっぱりアニメでも主役の中島敦の名を冠した歿後五十年中島敦記念賞かなあ。なにしろ受賞者は1人でそれが酒見賢一さん。強そうだろ?

 電車で移動して中吊りを見られる生活だと気づけるけれども普通の人だとあんまり気づいていないようだった「週刊文春」への萩尾望都さんの登場。といってもスキャンダルとかセンテンススプリング砲の類いではなく「ポーの一族」が久々に描かれてそれが話題となって掲載された月刊誌が完売増刷となったことを受けてのもの。どういう漫画かって紹介はファンには不要だしそれがBLの起源と言われてしまうとその間にある認識なりフォーマットなりの変化をすっ飛ばして良いのかって気にもなるけれど、どうして今、この「ポーの一族」が復活したのかって話はとても知りたいところだったんで、それが夢枕獏さんのアプローチによるもだと分かって納得した。

 「作家の夢枕獏さん(65)にお会いすると、いつも『「ポーの一族」の続きを読みたいなあ」と言われるのですが、二年ほどまえにもニコニコしながらそう仰ったのです」というのが「ポーの一族」の続編を執筆したきっかけ。そして「その笑顔にお応えしたいなあという気持ちが芽生えました」。そういうものなのか。お2人の接触というと遠い昔、まだロフトプラスワンが別の場所にあったころに2人が登場するイベントがあってのぞいて親密さを感じてはいたけれど、その後もいやがられない顔つきで、ニコニコと依頼を続けた夢枕さんい感謝。そんな夢枕さん自身が続きの途絶えた作品をいっぱい持っていることも知られているだけに、ここは毎日、鏡に向かって自分の作品をつぶやき「読みたいなあ」と言い続けていってもらえれば。何の効果もないだろうなあ。そういうものだ。人間って。

 ってんで最先端のライブ演出テクノロジーを実地に見るためにPerfumeの幕張メッセへ。1から3ホールを使ってのライブはアリーナ級のキャパなんだけれどそれを一部椅子席を設けながらもほぼほぼスタンディングでやってしまうという快挙。あるいは怪虚。本人たちはずっとずっとやりたかったらしいけれど、フェスなんかでスタンディングでやってもそれはワンマンじゃないから全体が一体といった感じにはならず、最前に次の出待ちしている人もいたりで雰囲気が違う。全員がPerfumeを待っていて、そして全員がスタンディングといったワンマンフェスの雰囲気を味わえる場として今回、幕張メッセをその実験的ライブの会場に選んだという。

 でも実際のところ椅子があっても立つんだから一緒じゃ無いかという話もあるけれど、それだと場所は限られ見る方向もほぼほぼ前向き。左右を見渡し前後に移動するなんてことは無理。それがスタンディングでは可能になる。なおかつスタンディングならではの配置もできるってことでやってみたセットは四角いホールの中央に円形のステージを置いて左右に延びる花道を作り時々移動しつつ1回くらいは突端のステージで背景にビジョンを置いたパフォーマンスも見せつつほぼほぼ中央で、3人が入れ替わりつつ3方を見渡しながら歌うといった感じで、それを四方八方から見つめる上で、椅子の無いスタンディングに意味があったといった感じ。

 とはいえ3人が並んでこそのパフォーマンスってこともあるんでほぼほぼGエリア側、邦楽表示では南を向いて歌っていた感じ。そんなGエリアを当ててほぼほぼ真正面から見られたPerfumeはただただ可愛かったというか。脚がきれいだたというか。あーちゃんの広島弁が炸裂していたというか。何言ってるか時々分からなくなるくらいに広島弁が濃く出てた。でも可愛かった。かしゆかも髪がつやつやでのっちもボブな髪型がキュートで三者三様の雰囲気を味わわせてくれたけれど、それでも引っ張るのはあーちゃんだなあ。とりまとめて盛り上げてあおって落ち着かせ先に進める。天然でもちゃんと計ってる。そこが才能なんだろうなあ。

 演出については公演が続くので相変わらず凝ったものが見られたといった程度に留めておく。中央に置かれた円形のステージだと背景が使えないんだけれどそこはヘキサゴンなパネルを立てて映したり引き上げたりといったところ。どこまでがバーチャルでリアルなのかはライブ中だと分からなかったから、いつかパッケージでも出たら確かめよう。セットリストはほぼほぼ新譜からってことになるのかな。ただ今回は、おおそらく今回に限ってだけど「ジェニーはご機嫌ななめ」「ポリリズム」「チョコレイト・ディスコ」という古いファンにはたまらない楽曲が並んで心爆発。生で聴けて幸せだった。今年の運も使い果たしたと言ったところか。明日もこれが聴けるとは限らないのが演出ってことで。その際のメンバーのやりとりにも注目。ドキュメンタリー映画でも観られたライブ作り、楽曲の流れへの検討会を生で見られる感じだから。


【6月15日】 101キロかあ、って投球スピードの話。神スイングで知られるモデルの稲村亜美さんは、投げる方でも結構な腕前でプロ野球の始球式なんかに呼ばれては、その長身から繰り出すダイナミックなフォームでもって女性にしては、そしてタレントにしてはと言うのももったいないくらいの速球を投げ込んでみせている。それが100キロ超。プロの投手からみればまるでスローボールだけれど、普通の人は男性でも100キロに達するのはなかなか難しく、ましてや女性で、それが仕事でもないタレントが投げられる速度では無い。でも稲村亜美さんは投げてしまう。凄い。そして素晴らしい。

 9年ほどの野球の経験があるからといっても、いつまでも体力を維持できるものではないけれど、それが看板となった今は、バッティングセンターに通いキャッチボールおして、元の体調を取り戻しては維持しているんだろう。もしも稲村さんを超える投球を見せる美女が出てきたら、その立場も危ういだけに。ってこともあってか、テレビ番組が探したタレントさんたちが、稲村さんに挑む企画が放送されていたけれど、80キロ超えといったそれはそれで凄い球を投げる人たちを上回って、稲村さんが101キロを達成して優勝した。フォームがきれい。そしてコントロールも抜群。そのまま女子野球にだって行ける? プロはもうちょっと投げるかな。でもやっぱり凄い。来年は140試合に始球式で登板とか、やって欲しいなあ。もはやプロじゃん、始球式の。

 そんな稲村亜美さんも登場する発表会があったんで渋谷へ。バンダイナムコエンターテインメントが誇る3D対戦格闘ゲームの代表的な作品「鉄拳」の最新作のアーケード版が7月5日から稼働するって発表で、稲村さんとそれから美女ボクサーとして有名な高野人母美さんが登場してコスプレ姿でアクションを繰り広げた。キックボクシングもやってたってだけあって、高野さんの脚の上がること。稲村さんも軽くステップを踏んで登場したりとスポーツが得意そうな雰囲気を漂わせていた。そして稲村さんは登壇した「鉄拳」のプレーヤーとして世界ナンバーワンに輝いた人からのたってのたのみで、あの神スイングを披露。手にしたバットをブンと振ると、音が鳴って周囲の人たちを愕かせていた。当たれば飛びそうなスイングだけど、バッティングそのものはどうだったっけ。

 「鉄拳」については深く遊んだといった記憶はなくて、「バーチャファイター3」をドリームキャストで遊んでいたのが3D対戦格闘ゲームのだいたいかなあといったところだけれど、アーケード版として間もなく稼働する「鉄拳7 FATED RETRIBUTION」は映像もクリアで迫力もたっぷり。なおかつ「ウルトラストリートファイター4」から豪鬼っていう凄いパワフルなキャラクターも参戦していて、そっちのファンにも遊んで楽しい作品になっている。2D対戦格闘の「ストリートファイター」のキャラが3Dになって操作性も雰囲気も変わっていそうだけれど、豪鬼使いとして知られるプレイヤーの人は新しさもあるし、2Dへのリスペクトもあって楽しいと話していたから、そっちに慣れた人でも試して面白いゲームになっていそう。春麗とか来ないかな。逆に鉄拳のキャラが2Dになって「ストリートファイター」に参戦とかってあるのかな。今後に期待。

 政治というよりむしろ、メディアに絶望的にならざるを得ない状況。メディアといっても幅は広くて、新興のネットメディアもあれば新聞雑誌のような旧来からのメディアもあるけれど、ここで絶望的なまでの醜態をさらしているのはもっぱらテレビと雑誌、そして新聞か。朝のワイドショーから昼のバラエティを経て夕方のニュースに至るまで、東京都だなんて首都ではあっても全国的にはローカルの自治体を率いる知事が、賄賂をもらった訳でも金ぴかの御殿を建てたわけでもなく、ちょっとした財布の使い間違いを挙げて法律面で違反をしている訳でもないのに責任を問い続け、全力で批判して辞職へと追い込んだ。

 見渡せば、企業から金をもらってそのことを明確に否定できなかった大臣が、そのポジションこそ手放したものの国会議員という職には残って、不起訴になったのをこれ幸いと国政に舞い戻ろうとしている。現時点では法的な責任を問えないといったところだろうけれど、その胡散臭さは東京都知事の金遣いに比べてはるかに強い。なおかつ議員という立場、大臣という地位を何かしらに使って見返りをもらったかもしれないという“雰囲気”が漂っている状況は、李下に冠を正さずの言葉にも例えられるとおり、罪深さを認めて退くべきだおる。にも関わらず、メディアの矛先は前の大臣には向かわず、連日連夜に電波を使って非難を浴びせることもなく、家族を追いかけ回すようなこともしない。

 このあまりに非対称な状況を、作り出しているのがテレビを中心としたメディアであることを誰もが感じ取っていて、ネットという場でその異常さに憤り、嘆き、呆れ憐れんでいる。あるいはそれがテレビでありメディアなんだという了解のもので、背を向けて違う場所へと目を向けようとしているんだけれど、そのことに当のメディアは、テレビは気付いているのかいないのか。たぶん分かっているだろうし、出てくるコメンテーターの中にも少しはそうした非対称ぶりを批判する人もいるけれど、大勢とはならず別の言葉にかき消されて全面的なバッシングの渦に巻かれ消えてしまう。分かっているのに止められない。止めようともしない。

 どうして? たぶん怖いんだろう。他の何かを報じることによって遅れをとって視聴率が下がり、責任を問われることに怯えているんだろう。だから、他が扱う題材を同じような角度から伝えては、同じような視聴率を取れてそこで安心している。何を伝えるべきか、どう伝えるべきかなんて判断はそこにはない。結果、どこのテレビ局も同じようなテーマで同じような角度からの放送がなされ、そこに限定された空気を作り出す。それにまだ、テレビを情報源の最たる存在にしている大勢も流され、その方向で落ち着いてしまう。何が正しくて何が間違っているかという判断をする暇も無く、材料も与えられないまま。そんなことがまかり通ってしまうこの国が将来、どこに向かっていくのか。考えるのも怖いけれど、それを変えるだけの力はまだ、ネットにはないんだよなあ。参った。本当に参った。

 しかしそうはいっても辞職してしまった舛添要一東京都知事に代わる新しい都知事を選ぶ選挙が否応なく始まる。そして立候補者がこれから続々と出てきては、その有象無象っぷりを見せつけてくれることになる。誰が出て来たとしても、まっとうに政治の道をひた走り行政に通じて鋭く都政を回しつつ、金銭にきれいで性格も良好な人が出てきたとして、そうした人が当選する状況にないのが今の都知事選。見渡しても石原信雄さんという官僚の鏡のような人が候補になったものの青島幸男さんに敗れてそれ以降、東京都知事選は行政手腕というより一種の人気投票めいた様相を呈するようになって今に至っている。

 石原慎太郎さんだって東京国際アニメフェアを立ち上げてくれたりと嬉しい施策は出してくれていたし、新銀行で莫大な損失を出しながらも都政をどん底に陥れたようなことはなかった。猪瀬直樹さんは任期が短かったから判然とはしないけれど、都政にとって悪いことはしなかったように思う。けれどもそれでも辞めさせられ、さらにまっとうな施策をとっていたはずの舛添都知事も辞める寸前。そして次、来るのはさらなる人気投票選挙ってことで想定される元弁護士で都構想の主だのお笑い軍団のメンバーで元県知事だのといったところが並び知名度を競いあい、当選した暁にはトンデモな施策を打ち出して都政を泥沼化させてしまうんだろう。どうなってしまうんだろう東京都政。まあ千葉県民には関係ないんだけれど。行政手腕を評価されてる熊谷俊人千葉市長とか引っこ抜いたりするのかなあ。


【6月14日】 新国立競技場のコンペのやり直しでいったいどれだけの無駄金が発生したのかをまず考え、そしてシンボルマークの選び直しでこれまたどれだけの無駄が発生したのかを考えた時に、2020年の東京オリンピック/パラリンピックに関連したこうした事業に携わっている人たちは、全員が頭を丸めて身代を差し出し、勢い余って腹まで切ってようやく世間に申し開きが立つというもの。何億円何十億円といったレベルで発生した無駄は、それが産業を潤すような生きた無駄にはなっておらず、違約金として海外の建築家に渡って海を越えたり、物品となって廃棄されて資源の消耗を引き起こしたりして誰のところにも戻ってこない。

 そんな悲惨な状況を生み出しながらも、いったい誰が責任をとったのか。腹をかっさばいたのか。頭を丸めた人はいたけど、それだって病気との関連も言われる中での坊主頭。なおかつその地位を降りてもおらずに今もってトップに君臨しては、あれこれ言い訳めいたご託を並べていたりする。ほかにも得体の知れない何億円ものお金が海外へと流れては、招致のための賄賂に使われたといった話も。これが本格的に捜査され、摘発でもされたらオリンピックは開催できず、さらに何十億円何百億円といった無駄が発生する。そうなって誰がどんな責任をとったところで何の役にもたたない。それでも溜飲を下げる意味で求めるだろう。その首を。

 けれどもどこのメディアのチャンネルを回しても、もはや五輪の招致に絡んだこうしたごたごたを追求しているところはカケラもない。忘れてしまったのか、最初からなかったのか。いずれにしてもメディアの上で報じられることはない。そしてそんなメディアでは、私利ではあっても私欲ではなく行政においてほとんど影響の乏しい、迷惑など被っていない舛添要一東京都知事のちょっとした金遣いについて、こぞって追求しては連日のように罵詈雑言をぶつけている。過去により激しく使い込んでは開き直っていた都知事がいたにも関わらず、一切の追求をしなかったメディアが、今回は手のひらを返して追い詰める。相手を見て拳を使い分けるみっともなさが漂うし、どうでもいいことに必死になる面倒さも窺える。

 相手が取材拒否のような強硬な手段に打って出てこないこともあるだろう。叩いてもメディア自体の人気が落ちるようなこともない。だから全力で叩くんだけれど、そうしたメディアの思惑の外で、世間はいったいどうしてそこまで激しく罵詈雑言の類いをぶつけられるのか、といった疑問もそろそろ浮かび始めている。朝のワイドショーがフロリダ州で起こった全米史上で最悪の犠牲者を出した乱射事件にまるで触れず、悼みもしないその態度にやれやれと呆れ、大赤字を出した博覧会の責任をとることなしに姿勢を投げ出した前横浜市長の発言に、お前が言える立場かと憤っている。でも、肝心のメディアがそうした世間の嫌気に気付かず、正義のふりを見せれば見せるほど、世間との乖離が生まれて見捨てられていくだけだろう。分かっているとは思うけれど、止めたら落ちるという恐怖が止めさせない。そんなチキンレースの行く先は? 真っ逆さまに奈落の底、なんだろうなあ。やれやれ。

 あと1本でピート・ローズが持つプロ野球の安打記録4256本に、日米通算ながらイチロー選手が並ぶとか。日本で打ててもメジャーでは打てないから日本でのヒット記録なんて意味ないよとピート・ローズあたりは言ってたりするけれど、イチロー選手の場合はそんな日本で打ったヒット数よりも、すでにメジャーで打ったヒット数の方が上回っているし、年間最多安打という記録まで持っていたりするから、日本もメジャーも関係なしに打てる人は打てるだけって言えば言える。逆にメジャーで打てても日本では散々だった助っ人も大勢いる。そのレベルの違いをだから、言って悪くは無いけれど言いつのるのもちょっと難しい。

 だからあと1本、打ってピート・ローズと並んだ時に世間はイチロー選手を賞賛するだろう。それを世界一と認めるかどうか、ってあたりは迷うし少なくともメジャーリグの最多安打ではないことは確かだけれど、こき下ろすことはなくてひとつの到達点として評価するだろう。この年齢でここまで打って走っているアスリートのプレーに対して、認めないなんて選択肢は存在しない。それがフェアだってことをたぶん、メジャリーグの関係者もファンも感じていると思いたい。とはいえ、やっぱり浮かぶ異論をねじ伏せる意味でも、3000本安打というこれも殿堂入りに匹敵する記録を成し遂げて、その名を改めてとどろかせて欲しいもの。こちらはあと23本。行くだろうなあ、確実に。

 誰かと顔をつきあわせている子供の頃なら出来たけど、大きくなって時間がなくて場所がなくて相手がいなくてトレーディングカードゲームを止めてしまう人もいたりする中で、ネット化すればそうした不満もなくなるんじゃないかと言われてはや幾年月。「マジック:ザ・ギャザリング」のネット版とかも登場したし、他にもさまざまなオンラインでの対戦型カードゲームが生まれてはいたけれど、日本人の遊びに合っていなかったかであんまり普及はしていなかった。そんな状況を打破しようとタカラトミーが送り出すのが「WAR OB BRAINS」というデジタルカードゲーム。スマートフォンとかタブレットを使って遊ぶアプリだけれど、超を付けて本格的カードゲームと言っているからには、トレーディングカードゲームならではの対戦の面白さがきっとしっかり再現されているんだろう。

 残念ながら、そうしたトレーディングカードゲームにあまり浸ってない身として、ゲーム性そのものを評価することはできないけれど、世界観がちょっと面白かったので、これは触れてみたい気が。戦争やら紛争が相次いで疲弊した世界は、国連めいた「国際電子裁判所」なんてものを作って、そこで「模擬戦」を行うことで紛争の勝敗を決めている。銃弾ではなくデータの戦いってことになるけれど、そうした「模擬戦」の結果に謎のIT会社が立ち上げたゲーム「WAR OF BRAINS」の結果が絡んでいるようだといった噂が出回るようになり、そこで勝つためにいろいろな国が予算を投じるようになった挙げ句、レアカードめいたものには莫大な価値が生まれて闇の通貨のように扱われていくという。

 そんな近未来の社会を映したSF的な設定の上で、プレーするゲームの名前も「WAR OF BRAINS」と来れば、プレーヤーは自分が世界の紛争を解決するような大勝負に関わっているのかも、なんて気分を抱きそう。ゲームへと向かうモチベーションも高まる上に、デッキの組み方次第で勝負の結果も変わるような本格的なゲーム性もあって、かつてトレーディングカードゲームで遊んだ人たちを、これなら自分も出来そうだって引っ張り込んでいきそう。声優さんも田村ゆかりさんがいて上坂すみれさんがいて、悠木碧さんがいて内田真礼さんがいて佐倉綾音さんがいたりと豪華きわまりない。いろいろな面から楽しめそうなゲームなだけに、ちょっと試してみたいけれどもネットを介してとはいえ、誰かと対戦することに慣れていない身に大丈夫かってのが目下の悩みか。でも早く始めればそれだけ強くなれるしなあ。要検討。


【6月13日】 2007年にバージニア工科大学で発生した乱射事件で亡くなった人が33人。1999年のコロンバイン高校での乱射事件や、1966年のテキサスタワー乱射事件の15人を大きく上回ってアメリカ史上でも最大にして最悪の犠牲者を出した無差別乱射事件になったけれど、それを遙かに宇和間って50人もの犠牲者を出す事件がフロリダ州のオーランドで発生して世界中が驚きと哀しみに包まれている。性的マイノリティと呼ばれる人たちが良く集まっていたナイトクラブに押し入った男が、銃というよりおそらくは自動小銃を、300人くらい集まっていた観客に向けて乱射したようで、逃げ場も無い中で次々と撃たれ倒れていってしまったのだろう。

 フランスの劇場で起こった乱射事件とも似た光景。だからこそ防げなかったのかとも悔やまれるけれど、移民の問題が長くあって軋轢もあったフランス社会で新聞社襲撃事件も起こって厳重に警備もされていながら、事件を起こされたことを思うなら個人がふと思い立って起こしたようなフロリダでの事件に完全な対処なんて出来るはずもない。銃器を手に入れやすいアメリカだからこその事件と言えば言えるけれど、そこで観客なりナイトクラブの用心棒なりが銃で武装していたらすぐに反撃できただろう? だから銃器は禁止したらいけないんだというような言説に、対抗するのもなかなかに悩ましいという状況を突きつけられている。

 でもそれは違う。事件を起こす銃がなければ、事件から身を守る銃もいらないんだという根本への理解がなければ、いつまでも対抗手段としての銃器保有が公然となり続けてしまう。そこをどう変えるのか、せめて所持の部分で大きく制約を設けられないかって話に、史上最悪の事件を受けてなっていくものだけれど、そこはやっぱり“自由の国”だけあって、既得権を縛るような方向にはやっぱりなかなか向かわないんだろうなあ。なおかつ今は、事件の背景にいらぬ移民問題やら、宗教問題を見いだして煽る大統領候補もいたりする。その扇動に乗せられてアメリカが、とんでもない方向に向かわなければ良いんだけれど。いろいろヤバい感じ。

 しかしこれほどまでの事件が起こっていながら、朝のワイドショーは日本テレビ放送網の「スッキリ!」が冒頭から伝えていたいほかは、だいたいが舛添要一東京都知事の問題についてあれやれこやと糾弾。全国的に見ればローカルに過ぎない東京都知事の、収賄とかいった政治的に厄介な話でもない個人的なミスをあげつらって罵詈雑言を浴びせる番組を朝から見せられて、地方に住んでいる人たちはいったい何を思うだろう。それだったらもっと生活に役に立つ情報を教えて欲しいって思いそう。以前だったら「花まるマーケット」があったけれども今はNHKの「あさイチ」くらい。なるほど視聴率がそっちに向くはずだ。だったらと民放だって追従したいだろうけれど、それで視聴率が下がったらと思うと踏み切れない。だから横並びで舛添問題。そうやってだんだんと失っていく信頼を、取り戻すすべなど無いというのに。

 JR山手線の原宿駅がいよいよ立て替えってことになっているらしく、あの風情のある駅舎を取り壊してまで建て替えるべきか、仮にホームを違う場所に作るとしても駅舎自体は残すべきなんじゃないかって話が浮上している。第二次世界大戦でも焼夷弾とか落とされながら不発で燃えなかったとう伝説を持つ駅舎であり、大正のモダンでロマンチックな雰囲気を今に伝える木造建築でもある以上は、保存しておくのが文化を世界に訴える日本として当然の振る舞いといえるだろうけれど、こうした商業施設の場合はやっぱりビジネスという側面もあって判断が難しい。そのままでは損になるなら排除したい。企業がそう思うのも仕方が無い。

 だからこそ国であり行政なんかが出張って保存のための予算を組むとかするべきなんだけれど、一企業の施設にそうした国庫を振る舞えないというのなら、やっぱり民間でなんとかするしかない。ってことでやっぱり浮上する明治村。大正の建築だからちょっと無理なんじゃって話も出そうだけれど、それをいうならフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルは大正11年から12年にかけての竣工・完成。つまりは明治の建物が今も玄関だけではあっても明治村にあるなら大正13年の原宿駅だって明治村にあって悪い話ではない。鉄道も走っていることだし、その駅舎として置いてみてはいかが。移設費用については国が持つってことで。無理かなあ。

 立て替えといえば銀座にあるソニービルにも立て替えの話が。芦原義重さん設計による日本のモダニズム建築の代表作で、中が階段を使ったらせん状にフロアが作られていて回りながら上っていくという特異な設計はアメリカにあるこれもフランク・ロイド・ライト設計のグッゲンハイム美術館からヒントを得たというから貴重である上に革新的で、是非に残して日本にもこんな小粋な建物があったんだってことを、世界に感じさせて欲しいんだけれど商業の論理は文化の思いを簡単に打ち砕く。さらに古くてアールデコ様式を持った三信ビルを保存もしないであっさり取り壊して長く更地にしていた日本に、建築を大切にする風土なんてない。ソニービルも解体されては思い出の中にぐるぐる回って上ったビルだった、って残るんだろう。寂しい話。

 今が最高! って最後に誰もが心の中で叫んだだろうなあ。「ラブライブ!」の劇場版「ラブライブ! The School Idol Movie」の公開から1年を記念した特別上映が新宿ピカデリーであって、チケットの争奪戦にどうにか勝利して最前列のやや上手側から巨大なスクリーンを見上げる感じで鑑賞。映し出される「Angelic Angel」でのえりちの巨大な顔からのウインクにもう心はバクバクで、そして曲の終わりにえりちがターンを決めながらセンスを2度ほど手のひらにぱちぱちとやる仕草に脳天メロメロなって、やっぱり大スクリーンで見るべき映画なんだろいうことを確信する。

 実を言うとテレビシリーズの一切を知らず、映画もとりあえずμ’sのファイナルライブに取材に行くんで見ておかなくてはと、東京アニメアワードフェスティバル2016でコンペティションへのノミネート作品として上映されたの見たのが初だったけれど、そこに繰り広げられた歌と踊りと、そして青春の限りある時間をかけて精一杯に取り組む素晴らしさに感動して、いっぺんに大好きになった。これならもっと早くから劇場に足を運んで、「ガールズ&パンツァー劇場版」みたいに繰り返し見るべきだったと思ったけれども後の祭り。もう見る機会も無いんだろうかと諦めていたところに今回の特別上映がやって来て、これは行かねばとネットにアクセスし、瞬殺されたチケットが決済の手続きが滞って再浮上してくるタイミングにうまくアクセスして購入し、2度目を見えることができた。

 そのまま活動を続ければ、スクールはつかないけれどもアイドルとしてやっていけただろうμ’sだったけれど、自分たちはスクールアイドルでありたいと決意した気持ちは固くて崩せず、そうした思いをスクールアイドルとして受け継いでいって欲しいと行ったラストライブに、全国から集まったスクールアイドルたちも、自分たちがμ’s解散の引き立て役にさせられるんじゃなく、スクールアイドルとしての思いを受け継ぎ、大きく羽ばたくための後押しをしてくれているんだと分かって、一緒に秋葉原の路上に経って歌い踊った。そんな心意気が伝わってきて、お金じゃなく名誉でもない、今という時間を最高にしようという思いを貫く尊さが感じられて涙が出てきた。最高の今を積み重ねていくことで、最高の明日があって、来年があって、永遠があるのだ。

 そんな映画を観てμ’sというアニメーションに出てくるグループの終わりが認識できて、だからμ’sという声優さんたちが演じて歌うグループのファイナルライブも理解できた。絶好調で紅白歌合戦にまで出てどうして? って誰もが思っただろうけれど、それで大きな騒ぎが起こらなかったのは、誰もがこの映画を観てμ’sの今を最高にしようと心に決めていたから、なんだろう。そんな映画だけにファイナルライブも終わった今、繰り返して見ることの後ろめたさもないでもないけれど、活動としてのμ’sは終わっていても記録としての音楽は残っているし、映画もこうやって残っている。その余韻を嗅ぎつつ改めて、最高の今を作り続ける必要性を思い返すという意味で、時を見ながら上映するってこともありなんじゃないかなあ。また来年にでも。是非に。


【6月12日】 ハンバーグを作り、リンゴの花摘みをやってそれだけで終わるアニメーションなんてものが存在する、この日本はやっぱりとてつもなく幸せな国なのかもしれない。そんな「ふらいんぐうぃっち」は前半が調理実習で、料理が下手ななおがハンバーグ作りなんて大役を任されおそるおそる包丁を使ってタマネギをみじん切りにして、肉をこねて丸めて焼いてソースをかけてはい完成。やってみれば何てことはない工程だけれど、前に失敗しているとどこかで繰り返すんじゃないかと気持ちが怯えてしまうものなんだろう。

 圭の方はあっさりとカレーを作り真琴はサラダを完成。そしてご飯にしようとジャーをあけたら炊けていませんでしたというオチ。そういや誰も頼まれていなかった。粗忽。周囲でわいわいとやっていれば気付きそうなものだけれど、それで気付いてはお話にならないから仕方が無い。そんな家庭科の調理実習を受け持っていた先生も若干の青森弁というか津軽弁だったけれど、圭の父親の方はさらに濃くて、花摘みに連れてこられてどうやるかを説明されたものの、真琴あたりではついていくのがまだ不可能だったみたい。

 とはいえ作品を見ていた側として、今日のはなんとなく分かった気がしたのは、それをやるだろう作業の説明だったから。そう思い聞けば何となく通じるってことは、現場で周囲も含めて観察しながら聞けば何をしたいか、何を言っているか、何をさせようとしているかも分かるものなのかもしれない。英語だって教科書の上じゃ無く実地で覚えた方が圧倒的に早くそして濃く覚える。そういう意味でも学校教育は小学校の1年間を英語の国に送るか英語しか使えない状況に追いやるかすれば、もっと英語が話せるようになるんじゃなかろうか。そんな教育をする国でもないけれど。

 前兆があったのか分からないから同じような経緯だったかは分からないけれど、アメリカのフロリダでYouTubeなんかでの楽曲が認められオーディション番組での活躍なんかもあって有名になりつつあった女性シンガーのクリスティーナ・グリミーさんが、ライブの後でサイン会をしていたら寄ってきた男に射殺されてしまうという痛ましい事件が起こった。ちょっと前に日本の立川でもあった、女性シンガーソングライターがライブハウスに入るところを襲われ全身を差された事件とも重なるアーティストへの襲撃事件。何か関連があるんだろうかなんて思いも浮かぶ。影響されたとか。

 ネットを介しての偏愛がだんだんとこじれて憎悪へと向かって爆発した日本のようにアメリカでも、前々からのアプローチがあったのを放置していたら捻れて襲撃へと繋がったのか、単純に何かで見て有名らしいからと襲っただけなのか。そこがまだ見えていないけれど、いずれにしてもネットが人を“有名”にしやすくなった一方で、そんなちょっとした“有名”をネットが探し見つけてアプローチしやすくした。結果世界で相次ぐ似たような事件。1つが連鎖を呼びかねいだけに今後が心配。兆候があるなら早めの対策を。そしてファンはアーティスト本人よりも作品に関心を向ける心の訓練を。

 出かけるついでに渋谷に寄ってパルコの地下1階でシシヤマザキさんの展覧会。「Ya−ne−SEN a Go GO」の原画なんかが飾られていたり売られていたりして、値段によっては手を伸ばしたくなったけれども大昔に観た時と違ってYUKIさんとのコラボレーションもしたり、ファレル・ウィリアムズのPVでロトスコープを受け持ったりして世界的なクリエイターになっていることもあって値段も結構上がってた。でもまだ変えない値段じゃないんでボーナス入ったら考えるか。ってかボーナス出るのか。出てもたいしたことないよなあ。100万円のボーナスなんてもう一生、もらえることもないんだろうなあ。そんな時代が来るとは。責任者出てこい。

 パルコを出て代々木公園へと回ってベトナムフェスティバルへ。似た催しだとタイフェスというのがあってとてつもない人間が集まって一帯が歩けないくらいの混雑ぶりを見せるんだけれど、ベトナムフェスの方は歩ける上にご飯も食べるスペースが残っていて屋台に並ぶ列も少なく、それでいてちゃんと美味しい東南アジアのご飯が食べられる。行くならむしろこっち。時東ぁみさんのライブもあるし、ってそれは時間の都合で見られなかったけれど、たぶんベトナムから来ている人たちがやってる店でブンチャーってビーフンに焼き肉を載せサラダも添えて酢みたいなドレッシングをかけたものを1枚と、あとこれはタイの料理だけれど別の店で出してたパッタイを食べてアジア気分を満喫する。シンハーでも飲んで極楽気分となりたかったけれど、1人でそれをやってもつまらないので食べるだけで退散。来年もやっていたらまた行こう。

 京都市役所に入った新米の女性公務員が面接で潔癖なまでの仕事への熱意を見せたら配属されたのが表向きは「いきいき生活安全課」を名乗る「陰陽課」。京都に住まう古い妖怪の類が今は「異人」として把握され、人間に混じって生きている中で起こる「異人」関係のごたごたを扱う部署で、そこには先輩がいたけれどもどうやら人間ではなく古く安倍晴明の時代から使役されていた式神らしい。でもっていろいろあって新米公務員の火乃宮祈理が上司にして式神でもある五行の主となるまでが描かれた第1巻に続く峰守ひろかずさん「お世話になっております。陰陽課です2」(メディアワークス文庫)は、夜中に動き回る獣のような妖怪の正体を突き止める話があり、独学で陰陽道を勉強して二代目蘆屋道満を名乗る人物と対峙する話があり、以津真天という危険を告げる妖怪が現れる話がああってとそれぞれに「異人」が絡む事件に祈理と五行が関わっていく。

 怪談のように伝えられる事件の裏をそれなりの知識を持って占いの能力も高い五行が突き止める展開があり、つい悪さをしてしまったり粋すぎてしまう人や妖怪を生真面目だけれど純真さもある祈理が諭して進んでいく連作は、それぞれにちりばめられたピースが最後に1つまとまって、京都の町の裏で進んでいたちょっとした陰謀へとたどり着く。その主が突き止められてのち、もたらされた運命を思うと人は、というより妖怪も見た目で判断してはいけないってことで。そのことを五行は知っていたんだろうか。古さでは負けない五行ならあるいは。個人的には根は生真面目な以津真天の人間ビジュアルと見たいところ。あとミズチも。「絶対城先輩の妖怪学講座」みたいに漫画化とかされないかなあ。こっちも。

 21世紀も10余年が過ぎた現在に森口博子さんの「水の星へ愛をこめて」とそして「ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜」をご本人の歌唱で、胸元も谷間がくっきりとして美しいその姿態を見ながら聴けるこの幸せに勝るものなどあるだろうか。なんて思ったパシフィコ横浜での「ガンダムLIVE EXPO 〜ジオンの世紀」の公演は、ミネバ・ラオ・ザビあるいはオードリー・バーンの独白によって振り返られる宇宙世紀の半ばより立ち上がって宇宙を席巻しつつ燃えさかりそして滅していった「ジオン」という存在。その理念が半ば潰えつつザビ家へ、あるいはキャスバル変じてシャアへと受け継がれていった傲慢であり憎悪といったものがぶつかり合って起こる戦乱を、さまざまな作品から浮かび上がらせていく。

 「機動戦士ガンダム」であり「機動戦士Zガンダム」であり「機動戦士ガンダム 第08小隊」であり『機動戦士ガンダムF91」であり「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」でありそして「機動戦士ガンダムUC」といった宇、宙世紀に連なる作品群の映像を流し、シャア・アズナブルでありフル・フロンタルでもある池田秀一さんと、セイラ・マスを演じる潘めぐみさんが変わりゆく内心と、そして離れてしまった母への、消えてしまった兄への思いを語るスタイルで進んでいく、そんな合間に挟まられるそれぞれの作品からの楽曲では、先週も「スーパーロボット大戦」の25周年記念イベントで聞いた米倉千尋さんによる「嵐の中で輝いて」が歌われ石田匠さんによる「THE ORIGIN」からの『風よ 0074」が歌われた。

 さらに「聖戦士ダンバイン」の主題歌が個人的には心に残るMIOさん変じてMIQさんによる「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」からの「MEN OF DESTINY」が歌われそして森口さんの「水の星へ愛をこめて」が歌われと言った具合に、さまざまなシンガーによる時代を超えて残る歌が奏でられて「ガンダム」というシリーズが持つ息の長さであり、時々にしっかりと心に残る楽曲を選び伝えている凄さに感じ入る。中でも圧巻だったのは「機動戦士ガンダムUC」のラスト2作品で歌唱したAimerさんで、ステージではスポットを当てず抜きの映像もぼかして表情を見せない中で、「RE:I AM」とそして「StarRingChild」を披露する。

 声量があってよく響く声が奏でる澤野弘之さんの独特の旋律は国立音楽ホールをアニメーションのイベントでありながらも、ちょっとした歌曲のコンサート場へと変幻させる。こういう人を起用して来るところが「ガンダム」というシリーズの懐の深さであり、また冒険できるだけのしっかりとした存在感ってことなんだろう。それは「機動戦士ガンダム サンダーボルト」であの菊地成孔さんを音楽に起用したことでも明白というか、当人はクールジャパンをジャパンクールと言ってしまうくらいにアニメーションにも漫画にもゲームにも疎いミュージシャンだけれどジャズが必要なんだろうという依頼からの推察でもって圧巻のジャズとそしてポップスを作り上げて貼り付けた。

 配信版の第1話では監督の松尾衡さんが張ったもののジャズを知らない身ではどうにもと菊地さんに依頼し第2話から菊地さんがおおよそを担当。そして劇伴といったものがない、ジャズとポップスの音楽だけが画面に響くという他にない映像に仕上がった。過去の栄光にすがっていても存分に受け入れられる作品でありながら、新しいチャレンジをして取り入れては、次なるトレンドとして送り出してしまう。そんな温故知新であり新規開拓のスピリッツが、「ガンダム」という作品を廃れず古びないものにしている。ちなみに菊地さんの音楽の凄さは劇場上映される「機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY」でさらにソリッドさが高まっている感じで、もう菊地さんのミュージックビデオに「ガンダム」の映像が使われているかのような錯覚を起こさせるくらいに、全編にわたって響き渡るフリージャズでありオールディズな音楽があふれかえっている。

 その背後でつづられる戦争というものの残酷さ。これは必見。サントラみたいな音楽集も出るそうだけれどなぜかイベント会場では見せちゃダメって言われていたそうで、それでも見せた菊地さん。どういう理屈だったんだろう。ともあれ、そんな盛りだくさんの内容をやっぱりしめた森口さんの「ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中に〜」で心洗われる気分になったイベントは、次の「THE ORIGIN」のプロモーション出使われるらしい「ジーク・ジオン!」の大合唱を収録して終了。2時間ちょっとの中に宇宙世紀のとりわけジョンという鬼子のような存在が、生まれ出ざるを得なかった事情が描かれ滅びざるを得なかった哀しみが綴られつつ人間の傲慢といったものが感じられた。そんなイベントになっていた。最高だった。


【6月11日】 ジャガーさんだジャガーさんだ。千葉の英雄にして全宇宙で最高のロックミュージシャンことジャガーさんが東京おもちゃショー2016に来場するってんで東京ビッグサイトへ。昨日までのビジネスデートはうって変わって子供たちをメーンとした展示になっていて、どこのブースも展示物を下げつつ子供たちが遊べるようなコーナーを用意したり、物販を行ったりして来場者に楽しんでもらっていた。一時、日本の玩具メーカーの元気がなくなって。おもちゃショーも衰退気味となって開催が滞り、一般公開が行われなかったりパシフィコ横浜が会場になったりと迷走していたけれど、やっぱりおもちゃは子供に遊んでもらってこそっていう感覚が戻ってきたのか、2006年から一般公開が再開され、中身の方もだんだんと充実が図られてきたって感じ。

 一時の衰退を少子化のせいにしていた雰囲気もあったけれど、今の方がよほど少子化も進んで人口減少も進みつつあるにも関わらず、東京おもちゃショー自体はとても元気に見えるのは、やっぱりおもちゃを遊ぶって子供がちゃんと存在してることを確信して、そうした子供たちに向けたおもちゃを作ってきているからなんだろう。パズルにしたってブロックにしたって人形にしたってぬいぐるみにしたって遊具にしたって、それらを一切遊ばないで育つ子供はいない。ただ、そうした遊びのシーンにピタリをはまるような玩具を作っていたかというと、どこか旧態依然としたスタイルであったりシーンに合わせた提案が出来ていなかったんじゃなかろーか。

 そこをキャラクターで埋めようとして、あれやこれやメディアミックスを展開したけど死屍累々。「美少女戦士セーラームーン」の夢よ今一度とはならないなかで、ニンテンドーDSのようなゲーム機を中心とした遊びへとシフトしてしまって、玩具への関心がそれてしまったといったところ。だから、そうした玩具を作るのは作るとして、どうやって遊ぶのか、どうやって競い合うと面白いのかを文脈に乗せて語り興味を引いていった。あるいは、ゲームの要素も取り入れながら玩具としても遊べるものを作っていった。そうした流れがだんだんと、玩具への関心を呼び戻していった、なんて適当に語っているけど個別の商品をそこに位置づけられないのは勉強不足なんで、そうした流れを踏まえつつ、この10年くらいのの玩具の浮き沈みを調べてみるのも面白いかも。

 さてジャガーさんだ。千葉県民にはチバテレビでの「ハロー・ジャガー」でおなじみのロックミュージシャンにして実業家。自分のお金で番組枠を買って自分のライブを流したりするスタイルが、どこか笑いを持って語られていたところもあったけれども、そうした活動の中で次代のロックミュージシャンを送り出したことや、どこまでも真剣にそしてスタイリッシュに「ジャガーさん」を“演じ”続けてきたスピリッツに感銘を受け、これを本物と言わずして何を言うのかといった気持ちも高まり、だんだんと英雄になっていった。そして千葉テレビでの「ファイト!ファイト!ちば」の放送が、その楽曲をヘビーローテーション気味に流して誰の耳にも残るロックミュージシャンへと押し上げた。もはや千葉県で知らぬ者はなく、そして宇宙に名をとどろかせる偉大な存在と言えるだろう。言えるかな。

 そんなジャガーさんが、いったい東京おもちゃショー2016だなんて子供たちがいっぱいの場所に出てきて何をしたかというと、タカラトミーから登場するTシャツやキーチェーンのPR。キーチェーンはジャガーさんのの衣装というか体の一部も含めて立体化されていてぐわっとしたあの表情ともども実によく再現されている。買えば金運とかいただけそう。Tシャツは一般向けにジャガーさんが描かれたものや、ジャガー号がプリントされたものがあったけれど、白眉はジャガーさんのロックミュージシャンとしての格好良さが炸裂したフルグラフィックTシャツ。これには自身が1枚1枚、手書きでサインをいれてくれるそうで千葉県民ならマストバイ、そうでなくてもロックミュージシャンなら着てその偉大さに敬意を示すべきなんじゃなかろーか。受付期間はしばらくあるけど、ジャガーさんの手も大変なんで枚数は限られるとか。早めの注文が吉。急げ「e組」サイトへ。

センシャラウンドって言葉を聞いたのは、渋谷にある試写室で「ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦」の上映を観たときで、プロデューサーの杉山潔さんが音響に工夫を凝らしてあるって話してた。その時が確か4.1chで、センタースピーカーに音声を振り向けあとは効果音とかをさまざまなスピーカーから出したりして臨場感を出すってことを聞いたような記憶があるけれど、そんなセンシャラウンドもいよいよ9.1chまで来たそうで、いったいどのスピーカーにどんな音が割り振られているのか、分からないなりになんか凄いってことだけは感じられた。

 もしかしたら4.1chに背後からの音響もつけた5.1chとして残る4つのうち2つは、戦車が出てくるたびに右の耳元で解説する秋山優花里のつぶやきと、そして左の耳元でことわざについて講釈するダージリンのささやきに割り振ってあって、あとはよく分からないけど耳に聞こえない超高音と重低音なんかが出ていたりするのかも、って冗談も思いついたけれど、いずれにしても聞いてみないことには分からないんで東京ビッグサイトからイオンシネマ幕張新都心へと回ってセンシャラウンド9.1ch仕様での「ガールズ&パンツァー劇場版」および「ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦」の2本立てを見る。久しぶりだなあ劇場で「アンツィオ戦」見るの。

 アマゾンのプライムビデオに上がってるしテレビでも放送されたんで見ようと思えばいつでも見られるけれどもやっぱり、あの大きなスクリーンでテレビ版のオープニングを見られるのが嬉しいところ。ねこにゃーの眼鏡を外している美人顔とかがアップになって見られるし、強そうで悪そうな黒森峰学園がバーンと写るところとか実に最高。あそこを突破して今がある、なんて振り返るだけで心が熱くなる。そんな「アンツィオ戦」を見て面白さを堪能してさて劇場版。なるほど砲塔が回る音にクローラーがアスファルトを噛むおとに砲弾が当たる音にカップが置かれる音等々、こだわりぬかれた音響があるときは激しく、ある時はクリアに響いて耳に届く。そこが戦場であり戦車の中であり学校でありといった気分にさせられる。

 一方でしっかりとセリフも響いてきて、効果音とかに負けない力で物語を紡いでいく。隅々までクリアな声を聞いてダーさま愛してますとかまほ姉やっぱりみほに愛情いっぱいだなあとか思ったりしていたのも途中まで。大学選抜との試合で追い詰められた大洗女子学園の混成チームが遊園地跡へと向かう途中、逸見エリカが「急造チームでチームワーク?」と混ぜっ返すあたりから急に音声がくぐもり始め、途中回復したりくぐもたりを繰り返しながら最後は完全にくぐもった状況になってしまった。セリフはよく聞こえずエンディングの歌でもボーカルがぼけぼけ。これでくぐもったり直ったりなら納得も出来たけれど、クライマックスとも言えるシーンとエピローグのシーンが完全にダメになっていた。

 これはさすがに許せんなあと思ったら向こうもそう感じたようで無料チケットを1枚くれた。2本立て特別興行で3000円の割増料金を取った上映で普通の無料券くれてもなあと思わないでもないけれど、アンツィオ戦についてはちゃんと見られたんでまあいいか。あるいは9.1chだなんて壮大な実験に挑む過程で起こる試行錯誤にも触れられたってことで、これを踏み台にして完成へと近づいていく段階を、改めて追っていけると思えば勉強にもなったかも。とりあえず音響が直ったらまた言って耳を澄ましてあらゆる音を聞こう。どこまで聞こえるか。どこまで聞かせているか。そんな挑戦が4DXとはまた違った、音響面での映画という体験のアップデートに繋がるから。うん。

 参ったなあ。とりあえず全国紙を標榜していて、関連している会社は社会化の教科書なんかも出していたりして、教育の再生なんかを訴えていたりもする新聞が、生活の党と山本太郎と仲間たちって政党の小沢一郎代表が、新潟県の長岡市で演説したことを取り上げて、「小沢氏は田中元首相の弟子を自任しながら、北陸地方ではない新潟県を『北陸で最大の県』と発言する基本的なミスを犯すありさまだった」なんて書いてしまった。おいおい。越後に佐渡は北陸道の頃から北陸だぞ。今だって北陸四県とされているんだぜ。

 なるほど、国の行政区分的には関東甲信越の役所が管轄している場合が多いけれども、気象庁だと新潟は北陸に入っているし、国土交通省でも北陸の管轄となっている。県民の意識は関東に向いているかもしれないけれど、北陸であるというのは基本的なミスでもないし、決定的な間違いでもない。それをあたかも決定的な勘違いのように指摘して、言った公党の党首をあげつらってはさすがに拙くはないか。もはや悪口のための悪口であって、それこそ名誉毀損による訴訟だって起こされて不思議は無い。事実でないことでもって人間性を批判している訳だから。

 そんな声もわんさか寄せられ、ライバル会社(向こうはそうは思ってないだろうけれど)の記者からも誤りを指摘されて大騒ぎになっているこの一件、書いた側が気付いていないはずもないから早く直せばいいのに、記事が出てからもう3日、直す気配がないのは開き直っているからなのか、それとも本当に気付いていないのか。ちょっとよくが分からない。それとも田中角栄さん自身は新潟を北陸に入れてくれるなと存命中から訴えていたのか? それを弟子が知らないのはおかしいとでも言いたかったのか。そんな記述は添えられていないしなあ。だから勘違いだろう。書いた側の。

 ただ、勘違いなら勘違いとして訂正すれば良いんだけれど、この場合は決定的でもないミスをミスだと言いつのり、それを元にして相手の人間性を批判していることがちょっと怖い。ここん家は前々から、悪口を言いたいがためにいろいろな材料を並べるんだけれどそこに誤解もあれば間違っているとされた言説を、我関知せずと並べて悪口へと持っていくことが割とある。悪口さえ言えれば、それが広まりさえすれば勝利という感じはネットでもよくあることだけど、それを公器と呼ばれる媒体がやってしまっては拙いだろう。自分たちと支持者はそれで溜飲が下がっても、世間は何言ってんだと思うはず。だから離れていってしまうんだけれど、それに気付いているのかどうか。気付いていてももう止められないんだろうなあ。やれやれ。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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