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1.坂下あたると、しじょうの宇宙 2.ほんのこども 3.生活 |
1. | |
「坂下あたると、しじょうの宇宙 Ataru Sakashita and Literature」 ★★ |
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2023年03月
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町屋良平作品は、本作が初読み。 そんな訳で少々手探りしながら読み進んだのですが、途中やたら難解(?)と思われる展開になってきて、思わず両手をあげたくなった箇所もありました。 題名に「坂下あたる」とありますが、主人公は坂下あたるではなく彼と友人の佐藤毅(つよし)。そして「しじょう」とは、どうやら詩情のことのようです。 高校の同級生である坂下あたるは、クラスで孤立した存在。そのあたると毅は、文学的な繋がり。 雑誌「現代詩篇」に自作の詩を投稿、選外佳作に選ばれ大興奮しますが、あたるは既に数回掲載されており、さらに小説では新人賞候補に2回も残っているという格上の存在。おまけに、毅の片想い相手である浦川さとかの「彼氏」にもなっている。 その毅とあたるが見ている新興の小説サイト「Plenty of SPACE」(プラスペ)に、「坂下あたるα」という投稿者が出現し、あたるが書き進めていた小説「つちにつもるこえ」とそっくりで、それより出来の良い小説「ほしにつもるこえ」が投稿され始めます。 一体誰が・・・・と思えば、その犯人はAI? 一体何故? 毅とあたるの友情を問うような展開へ。しかし、変わり者の男子生徒は、同時に不器用極まりなく、素直になれない性格。 要は不器用な男子高校生2人それぞれの、覚悟を問うような青春ストーリィ。 表現力に自信を失い言葉まで失ってしまったあたるを救うため、毅はどう行動するのか。 その決着も極めて文学的、と言うべきでしょう。 毅とあたるの間に立って、2人の関係を修復、そしてあたるを立ち直らせようとする女子高生=浦川さとかとその友人である京王蕾の2人の、小悪魔的で破壊的な言動が面白み。 どうもこうした場面になると、男子より女子の方が強いですね。 AIまで登場し、判ったようでよく判らず、納得できたのか確信持てないままながらも無事決着し、ホッとしたという展開。 でも、その中で強く感じさせられたことは、人に向けて発信する言葉の大切さです。 |
2. | |
「ほんのこども」 ★☆ 野間文芸新人賞 |
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中江有里さんが新聞書評で高く評価されていたので、迷う処もありましたが読んだ次第です。 しかし、読み進むのに苦労し、作品の意味を理解するのが難しかった一冊。 作品としての意味・価値は高いからといって、面白く読めるかどうかとは別の問題、という典型例のように感じます。 主人公は、それなりに実力ある作家らしい。 その作家が私小説を書いてみようと思い立ち、いろいろ考えを巡らすのですが、どんどん輻輳していきます。 小学校の時、父親が母親を殺したというアベくんという同級生が登場するのですが、作家がいろいろ語るうちに「私」と「アベくん」の区別が次第につかなくなり、さらに「彼」まで登場してくる。 この私小説を書いているのは「私」なのか、それともアベくんなのか。そしてアベくんの物語は何度も繰り返され、次第に具体化を深めていく。 作家が小説を書こうとして構想を巡らす、すると登場人物が勝手に動き出し、時に分裂し、それぞれの物語を作り上げていく、そんな経緯を小説に仕立て上げた、そんな印象を受けます。 終盤、主人公である作家は、某賞を受賞してデビューし、「1R1分34秒」という作品で芥川賞を受賞したと明かされるのですから、何をか況や。してやられた、と思わず感じたところ。 |
3. | |
「生 活」 ★★ |
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主人公の田中椿は20歳、フリーアルバイター。 雑誌編集者の母親は若い恋人と暮らすといって家を出て行ったばかりのところで、小説家の父親と二人暮らしに。 その椿、関心があるのは服ばかりで、稼いだバイト代のほぼすべてを服に。バイト先の店長(別に恋人あり)がセフレ。 社会的にも精神的にも自立しようなどとは一切思っていないという、些か問題ある青年。 その椿と対照的な存在として登場するのが、椿の母親の恋人である玉崎佳(25歳)、その双子の弟である庭の恋人である佐藤桜、美大生。 ストーリー全体を通して、椿は「つばくん」「かれ」と呼ばれ、桜は「彼女」「さくちゃん」と呼ばれます。 正直なところ、これといったストーリーは無いようでいて、いやあるようでもあり、何を軸として読んでいけばいいのか掴み切れず、 400頁を越える本長篇を読むのはシンドかったです。 ストーリーは二部構成。前半は<服>が中心となって人との関係が描かれ、椿が右脚を怪我した後半は<身体の動き>が中心となって人との関係が描かれます。 人の感情といった問題は後回しになっている気配。 “生活”とは何なのか? 結局、人との関りから逃げているばかりではだめで、積極的に人と関わっていく姿勢ができなければ、“生活”といえる実態は生まれないのではないか、と感じるのですけどどうでしょう。 ※なお、最後の二人のやりとり、愉快でした。 |