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▲年表概説 | ||||
ジダーノフ批判 1948年1月(41才)、ニ度めの窮地に立たされる。
ジダーノフ批判直前のヴァイオリン協奏曲第1番からスターリンの死までの曲は、“生活のため”書いた映画音楽を除くと、初演の時期により2つの系列に分かれる。すぐ初演された曲は、極めて抽象的で何を描いたものかを想像することが難しいと思われる「24の前奏曲とフーガ」を除けば、すべて表面的には体制を賛美する内容の曲である。(但し、ジャンルとしてオラトリオやカンタータを選んだのは強烈な皮肉だと思われるが。) 残りの曲は全てスターリンの死後初演されることとなる。 |
op | 曲 | 作曲 | 初演 |
78 |
映画音楽「ミチューリン」 |
1948 |
1949 |
79 |
ユダヤの民族詩より |
1948 | 1955 |
80 | 映画音楽「エルベ河での出会い」 | 1948 | 1949 |
** | ラヨーク− 憂さ晴らし | 1948 | 1989 |
81 |
オラトリオ「森の歌」− この成功で表面的には一息ついたように見えるが、何の保証にもならないことを自覚していたと思われる。 |
1949 | 1949 |
82 | 映画音楽「ベルリン陥落」 | 1949 | 1950 |
1949
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83 | 弦楽四重奏曲第四番 | 1949 | 1953 |
84 | M.レールモントフの詩による2つの歌曲 | 1950 | 1984 |
85 | 映画音楽「ベリーンスキイ」 | 1950 | 1953 |
86 | E.ドルマトーフスキイの詩による4つの歌曲 | 1950 | 1961 |
87 | 24の前奏曲とフーガ | 1950 | 1951 |
88 | 革命詩人による10の詩 | 1951 | 1951 |
89 | 映画音楽「忘れがたい1919年」 | 1951 | 1952 |
1952
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90 | カンタータ「我が祖国に太陽は輝く」 | 1952 | 1952 |
91 | プーシキンの詩による4つのモノローグ−交響曲第五番の理解の鍵が、直前に書かれた「プーシキンの詩による4つの歌曲」にあったことを思うと、次の弦楽四重奏曲第五番や交響曲第10番となんらかの関係があると思われる。 | 1952 | 不明 |
92 | 弦楽四重奏曲第五番 | 1952 | 1953 |
スターリン死去 1953年3月。12月、ベリヤ前副首相ら反国家活動の罪で銃殺。 |
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