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年表−第2期後半
last updated: 2001.2.3

年表概説

I.ソレルチンスキーの死−1944.2.11

op 作曲 初演
67 ピアノ三重奏曲第2番 1944 1944
68 弦楽四重奏曲第2番 1944 1944
69 子供の練習帳 1945 1945

1945

  • 2月、ヤルタ会談。5月、ドイツ無条件降伏。
70

交響曲第9番 −当局の期待を裏切ったため、交響曲第五番で危機を切り抜け第七番で得た地位が、これ以降しだいに怪しくなる。

1945

1945

71

映画音楽「普通の人々」− 映画は批判され公開は10年後。

1945 1956
72 劇音楽「勝利の春」 1945 1946
1946
  • 40歳の誕生日に レーニン勲章。スターリン賞第二席(ピアノ三重奏曲第2番)
  • 8月、「ジダーノフ批判」開始(党中央委員会、アフマートヴァ、ソーシチェンコら作家同盟を除名)
73 弦楽四重奏曲第3番 1946 1946
74 カンタータ「祖国の詩」− 十月革命30周年のために書いたが、演奏されず。 1946 1956
96

祝典序曲−37周年のために書いたとされるが、実際には30周年のために作曲。

1947 1954

1947

  • 2月、ロシア共和国最高会議代議員。レニングラード作曲家同盟理事会議長
  • 「プラハの春」音楽祭に参加
75 映画音楽「若き親衛隊」 1947 1948
76 映画音楽「ピロゴーフ」 1947 1947
77 ヴァイオリン協奏曲第1番 1947 1955

ジダーノフ批判 1948年1月(41才)、ニ度めの窮地に立たされる。

  • 2月、党中央委員会「ムラデーリのオペラ『偉大な友情』に関する決議」
  • 3月、訪米(ソ連の科学文化使節団)。ロシヤ共和国人民芸術家。ソヴィエト平和擁護委員会委員。
  • 9月、音楽院教授を辞任。

ジダーノフ批判直前のヴァイオリン協奏曲第1番からスターリンの死までの曲は、“生活のため”書いた映画音楽を除くと、初演の時期により2つの系列に分かれる。すぐ初演された曲は、極めて抽象的で何を描いたものかを想像することが難しいと思われる「24の前奏曲とフーガ」を除けば、すべて表面的には体制を賛美する内容の曲である。(但し、ジャンルとしてオラトリオやカンタータを選んだのは強烈な皮肉だと思われるが。) 残りの曲は全てスターリンの死後初演されることとなる。


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