アケメネスの壷
それを初めて目にしたのは、まだ僕が大学の心理学研究室で、 海外の文献ばかりを読み漁っていた頃のことだった。 ある日、下宿に祖父が訪ねてきた。研究室から遅く帰ると、 路地の入り口で、桐の箱を抱えて待っていたのだ。突然のこと に僕は驚き、喜んだ。僕にとって祖父は特別な存在だったから だ。 祖父は、旧家の三男坊として生まれ、金銭的には何不自由な く暮らしてきたらしい。若い頃には、欧州に渡り、さらにトル コ、アラビア、印度と気ままに旅をしたこともある。未踏の密 林に迷い込んで二ヶ月も音信不通となり、実家で葬式の準備を した頃、ひょっこり帰ってきたという。それが兄二人が次々に 亡くなって、当主に祭上げられてしまったのだ。そんな生き方 が、僕にはとても羨ましかった。 「時間がない。これを受取ってくれ」そう言って、箱から取り 出したのは、澄んだ碧色をした壷だった。「ペルシアで手に入 れたものだ。アケメネス朝のものだというが、そんなことはど うでもいい」 もし、本物なら信じられないほど高価な物だとは思えたが、 具体的にどれほどのものなのか、想像もできない。 「いいんだ、おまえに貰って欲しいとずっと思っていた」 祖父は用件だけを言うと、さっさと駅に向かって歩き出した。 下宿に戻ってすぐに、電報が届いた。祖父の死を告げるもの だ。それ以来、壷は僕の元にある。 しばらく僕は研究室に行かなかった。毎日毎日、電車に乗り、 一度も訪れたことのない街で降りると、多くの人と出会った。 悩みや、苦しみや、野心や、孤独を多く見てきた。それは、そ の街の人々のそれであり、もちろん、僕のものでもある。 アケメネスの壷は、今も僕の部屋にある。壷は、食器になる でもなく、何かが入っているでもなく、一度も役に立ったこと がない。僕の学問と、同じようなものだ。でも僕は、壷を捨て ないし、売ろうとも思わない。この壷が、それでも大切に思え るのだ。きっと祖父も同じ気持ちだったのだと、僕は根拠もな く信じている。 |