よれよれのレインコートは刑事のトレードマーク

 「この物語はフィクションであり、登場する人物、団体などの名称はすべて架空のものです」と断るのが、ドラマでは当り前なのに、「このドラマは事実に基づいて構成され、資料はすべて警視庁、警察庁、全国警察から寄せられたものです」という、驚くべきナレーションではじまるのが『ダイヤル110番』だった。
   
 『ダイヤル110番』は、1957年9月にスタートした本格的な“捜査もの”の草分け的番組で、現実の事件をリアルに再現していた。生放送の時代に、ドラマの半分近くをフィルムで撮っている。フィルムによるロケのリアリティーと生放送という構成が、ドキュメンタリータッチのドラマとしての緊迫感をうみ、人気があったのだ。
 刑事役には、松村達雄、中谷一郎、鈴木瑞穂、加藤武といった、今でこそ名前が
知られているが、当時はまったく無名だった俳優が起用されたことも、ドキュメンタ
リータッチとマッチしていた。

 57年といえば、緊急電話が110番に統一されたばかりの頃。その告知に功労があったということで、58年6月には、警察庁長官の感謝状が、スポンサーの三菱重工に贈られたとのこと。警察の全面協力番組だったんですね。

 
 日本で最初の本格的刑事ドラマとなると、警視庁捜査一課の七人の刑事の捜査活動を描いた『七人の刑事』だろうね。
 赤木主任の堀雄二、沢田部長刑事の芦田伸介、杉山刑事の菅原謙二、南刑事の佐藤英夫、中島刑事の城所英夫、小西刑
事の美川陽一郎、久保田刑事の天田敏明の七人だ。
 61年から1話完結の1時間番組として開始されたのだが、その前は菅原謙二と城所英夫を除く5人のレギュラーで『刑事物語』として、2回完結の30分番組として放送されていた。

 七人の刑事の中で、最も存在感があったのが、芦田伸介の沢田部長刑事だった。
 よれよれのレインコートにハンチング。レインコートの前のボタンをはずして、コートのすそを風になびかせて歩く。ドスのきいたボソボソと押しつぶしたような声に、傷痕を残す面構えは、まさしくこれぞ刑事といった感じだった。
 よれよれのレインコートがトレードマークの刑事コロンボより、芦田伸介が10年も前にスタイルを確立してるんだよ。

   
 『七人の刑事』は、たんに犯人を捕まえるだけのドラマでなく、日本復帰前の沖縄問題とか、在日朝鮮人問題とかいった社会的背景や、犯人に対する刑事の人間性、社会的矛盾から発生する犯罪に対する刑事の葛藤など、シリアスな内容となっていた。
 桜田門界隈の遠景から、旧警視庁の建物がアップになるタイトルバックに流れるZ・デチネの哀愁を帯びたハミング。ドラマと相まって、今でも耳に残っているよ。

 

 

 

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