2001.7
福祉サービス利用者の権利擁護の現状と課題
このことについては、大学院のレポートで述べているので詳細はそれを参照のこと。
・権利擁護としての地域福祉権利擁護事業と成年後見制度については以下のページ
houkenkyu2.html
・社会福祉法と契約社会について
seisakkadai2.html
あるいは、最近のもので、田山輝明「成年後見制度の現状と課題」『社会福祉研究』(第91号,2004.10)(鉄道弘済会)などがある。
この他有意だと思った言説では、
鳥海房枝「拘束ゼロの時代を迎えて」
自分の身内を案して託せる施設の条件について
- 生活習慣を変えない(酒・タバコ自由)
- 食事がまずかったら出前が取れる。
- 面会時間に制限を設けない。
- 家族などが持ち込む食べ物を、入居者が一緒に食べれる。
- 排泄はオムツではなく便器へ誘導して。
- 風呂はいつでも入れる。
- 子供じみた遊びをアクティビティと称して強制しない。などである。
また、知らず知らずのうちに介護と称して拘束しているようなことはないか。車椅子のベルトはずり落ちなどの予防のためといわれる。しかし、一律の起床時間によって覚醒もおぼつかないのに座らせる。あるいは起こされた後は疲れても横になれないと行った対応をしていないだろうか…など
清水建夫「働く障害者をとりまく権利擁護の現状と課題」
これは、いろいろ月刊福祉を読んできた中で読み応えのある論文であった。作者は弁護士であり、さすがだなと思った。メッセージ性が違うのである。是非全文読んでほしい論文である。
近いところでは、田中幹夫「サン・グループ事件と社会福祉」『社会福祉研究』(第91号,2004.10)(鉄道弘済会)などがある。常に差別や偏見に関する論文を読むとそのメッセージ性の強さに考えさせられることが多い。
大企業は中小企業の事件性のあるような差別はないが、陰に籠もった有形無形の差別がある。これらの事例についてはいちいち述べないが…
各機関の無責任ぶりや見ない振りが大手を振っている様がよく分かる。労働者の権利を守る労働基準監督署や労働組合すら…また、途中で障害者になってしまった人にとっても同様である。いやそれだからこそ差別されるのかもしれない。最後の方で作者は引用を含みこう訴える。
…障害は障害者その人に属するのではなく、障害者と環境の間にある。「社会は、一般的な物理的環境、社会保健事業、教育、労働の機会、それからまたスポーツを含む文化的・社会的生活全体が障害者にとって利用しやすいように整える義務を負っているのである。これは単に障害者のみならず、社会全体にとっても利益となるものである。ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他のものと異なったニーズを持つ特別な集団と考えるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである」(国連)
障害者いじめの片方の当事者を係長・課長・支店長などの中間管理職がになわされていることが少なくない。人生の最も充実して時期に、これら中間管理職の人たちがこのような役割を演じなければならないことは、その人にとってもこの社会にとっても実に不幸なことである。…障害者にとって働きやすい職場・住み易い社会は、障害を持たないものにとっても働きやすい職場・住み易い社会である。私たちはいま改めて自己の果たしている客観的役割を冷静に見つめ直す必要がある。自分では真面目に生きているつもりでも、客観的には上記の中間管理職と同様の役割を果たしている可能性が多分にある。