甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会
関西甲飛十三期会 公認ホームページ
甲飛十三期殉國之碑記念公園 若桜友苑
若桜友苑の造成
「殉国の碑」が建立され慰霊祭が毎年執行されるに伴い、参列する参加者の「慰霊碑の周辺を整備
して欲しい」という要望の高まりに応え、昭和52年 5月に「慰霊碑周辺整備計画と募金計画」の検討
を開始し同年7月募金呼びかけの書状一万通を発送して、3ヶ月後には同期生1678名・他関係者
多数から2千万円を超える浄財が寄せられた。
同年12月、「若桜友苑」の建設に着手し、翌53年 3月19日に無事竣工した。この工事によって碑
の周辺は見事な慰霊公園として生まれ変わった。「若桜友苑」の揮毫は橿原神宮・長尾宮司の麗筆
によるものである。
このページの解説は、関西甲飛13期・原 恒生元事務局長の助言を得て作成された、故奥野敏夫
氏のHP「若桜友苑/別冊」を参考にしました。
橿原神宮・長尾宮司揮毫 「甲飛十三期殉國之碑記念公園 若桜友苑」碑
碑文
この公園には、過ぎし太平洋戦争の、国家存亡の秋、自ら学業を投げうって、海軍の飛行機搭乗員となり、
花の蕾を散らした、甲飛予科練十三期生の、戦没者1千余名の英霊の殉國之碑が建立されています。
碑の建立五周年を記念して、全国の同期の生存者が、力を合わせ、又遺族の方々、及び、関係者より寄せ
られました浄財を以って、周辺の環境整備を行い、四千五百uに及ぶ、桜の園、若桜友苑として開園された
公園です。
祖国の安泰を信じ、両親に先立つ不幸を詫び乍ら、黙って、死んで征った紅顔可憐な、十七、八才の純情は
咲き薫る、若桜にも似て、人の心を打つものであります。
この公園が、四季折々に咲く花のように、多くの人々から愛され、親しまれるとき、若き殉國者の栄光は、
ここ畝傍山麓に、永遠に、とどめられる事でしょう。
昭和五十三年四月九日 甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会
更新日:2007/11/03