回天特別攻撃隊
訓練中に殉職した隊員
黒木 博司 大尉・海機51期
. 昭和19年 9月 7日 大津島/訓練中、海底に突入して行方不明
遺詠
人など誰かかりそめに命捨てんと望まんや
小塚原に散る露は止むに己まれぬ大和魂
忘れめや君斃れなば吾が継ぎ 我斃れなば君継ぎくるを
大君を思う赤子のまめごころ など父母を思はざるべき
父思い母思いて猶更に 皇を思うは日の本の道
. 男子やも我が夢ならず朽ちぬとも 留め置かまし大和魂
. 国を思い死ぬに死なれぬ益良雄が 友々よびつ死してゆくらん
. 死せんとす益良男子のかなしみは 留め護らん魂の空しき
樋口 孝 大尉・海兵70期
. 昭和19年 9月 7日 大津島/訓練中、海底に突入して行方不明
中島 健太郎 中尉・海兵72期
. 昭和20年 1月14日 大津島/訓練中、悪天候のため行方不明
宮沢 一信 中尉・海機54期
. 昭和20年 1月14日 大津島/訓練中、悪天候のため行方不明
矢嶋 美仁 二飛曹・甲飛13期
. 昭和20年 3月16日 光 /訓練中、整備不良による一酸化中毒
三好 守 中尉・海兵73期
. 昭和20年 3月20日 光 /訓練中、目標船に激突し浸水
ご尊父ご詠歌
回天の思ひは深し光る海 果にし沖の浪静かなれ
阪本 宣道 二飛曹・甲飛13期
. 昭和20年 4月 7日 光 /訓練中、小水無瀬の岩礁に衝突
遺詠
散りにけり今葦原の若人は 御跡慕いて我も続かん
空蝉のかろき命と思えども 父母君の悩み悲しも
今日よりは神に誓うてあだ討たん くやしみ死にしますらおのため
大空へたぎる心の早瀬にも 只誠心は常に流るる
十川 一 少尉・予備 3期/慶応大学
. 昭和20年 4月25日 平生 /訓練中、航行船舶に衝突
入江 雷太 一飛曹・甲飛13期
. 昭和20年 5月17日 大津島/訓練中、目標船に衝突
池淵信夫海軍少佐より/轟隊(伊36潜)
君が殉職を仇にはなさじ君の英霊 いだきて共に征くぞ安かれ
坂本 豊治 一飛曹・甲飛13期
. 昭和20年 5月17日 大津島/訓練中、目標船に衝突
楢原 武男 一飛曹・甲飛13期
. 昭和20年 5月17日 平生 /訓練中、曳航船が米機雷に触雷した衝撃でハッチが開き浸水
. 昭和20年 5月17日 平生 /訓練中、曳航船が米機雷に触雷した衝撃でハッチが開き浸水
山本 孟 少尉・海兵74期
. 昭和20年 7月 4日 大津島/訓練中、航行中の船底に衝突
和田 稔 少尉・予備 4期/東京大学
. 昭和20年 7月25日 光 /訓練中、海底に突入して行方不明
遺詠
玉の緒をつなぎとめ得て今日の日を 醜の御楯と生きるうれしさ
ご令妹ご詠歌
回天出撃目前の兄と知らざれば 海に石投げともにたはむれぬ
浮上し得ぬ回天をめぐる海底の 沈黙無限兄は死にゆく
海底の回天に窒息死せる兄よ 食糧尽きて一字残さず
. 兄の乗りし回天行方知れざれば 敗れて十日公報は来ぬ
. 傷つきしけものの如くうづくまり 公報に泣きし父を忘れず
. 瀬戸内に島数あれど亡き兄の 回天着きし浜はただひとつ
. 海底に二ヶ月を経し回天の 兄の死顔静かなりしと
小林 好久 少尉・予備 4期/長岡工専
. 昭和20年 7月31日 大津島/訓練中、米機雷が爆発した衝撃でハッチが開き浸水
記録
. 小灘利春(兵72、第二回天隊長、元全国回天会々長)
. 黒木博司の事蹟
奥津城
黒木博司/岐阜県益田郡下呂町 下呂楠公社、温泉寺
中島健太郎/長野県飯田市 大雄寺 宮沢 一信/長野県更埴市 清浄院
三好 守/東京都府中市 多磨霊園 阪本 宣道/兵庫県尼崎市 如来院
入江 雷太/東京都港区 善福寺 共に出撃する筈だった入江上飛曹 の遺骨を胸に出撃する池淵大尉(右端)/轟隊(伊36潜)
平成16年11月 7日 平生回天碑・遷座記念慰霊祭における海上献花式
. 左:十川 一海軍中尉 殉職海域 右:楢原武男海軍上飛曹、北村鉄郎海軍上飛曹殉職海域
山本 孟/神奈川県横須賀市 馬門山墓地 和田 稔/静岡県沼津市 永明寺 .
小林 好久/新潟県長岡市 本善寺
白井田港
山口県熊毛郡上関町
回天特別攻撃隊員 和田稔記念碑
建立の経緯
太平洋戦争修繕直前の一九四五年七月、特攻兵器回天の搭乗員和田稔少尉(東京帝国大学在学中・
当時二十三才)が光基地から発信し行方不明となりましたが、同年九月の枕崎台風により白井田の
高瀬の岩礁に漂着しました。
学徒出陣の前に記した「私の棺の前に唱えられるものは、私の青春の挽歌ではなく、私の青春の頌
歌(讃歌)であってほしい」という一節など、多くの貴重な手記を残しています。
こうした事実から優れたドキュメンタリーテレビ番組が制作されたり、二〇〇六年には原作横山秀
夫の映画「出口のない海」が(中略)映画化されました。
上関在住の原田博之氏は、和田稔氏の末の妹である西原若葉さん(千葉県在住)を一九八一年漂着
現場に案内して以来、三十年間親交があり、記念碑を作りたいという想いを長く胸に秘めてきまし
た。その熱く誠実な心に賛同した有志で二〇一〇年の発起人会を発足し、上関町や白井田地区の協
力を得て、記念碑設置の夢が叶いました。
この記念碑で、戦争の実態を振り返り、戦争の無残さと平和の尊さを後世に受け継いで欲しいと願
っています。
二〇一一年八月二十八日 設置者 原田博之
更新日:2013/04/21