1980年代、京都大学教養部(現在の総合人間学部)において、1人の学生が、過去問を収集し情報発信することに情熱を傾けていました。それが私です。インターネットなんてものがまだゆりかごの中にあった当時、不特定多数の学生に対して情報発信する手段は、「後期試験の直前に吉田グラウンド横の学生用掲示板に過去問を貼り出す」というものでした。中国文化大革命の壁新聞さながらのこの手段で、掲示板の前には学生が群がりました。そして皆、過去問を一生懸命に書き写していたのです。
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A号館西側テラスから撮影 | 掲示した過去問(模造紙2枚) |
私の過去問の収集方法は、所属していたサークルの先輩後輩から問題用紙をもらったり、問題用紙が回収されてしまう試験の場合は受験者に思い出させて聞き取ったりするものでした。
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A号館西側テラスから撮影 | 掲示した過去問(模造紙2枚) |
ところで、試験問題の著作権って、どういう扱いなんでしょうね? 当時は考えたこともなかったけど、大学教官と同じ年齢になってみて思うのですが、自分が苦労して作成した試験問題が自分の手の届かないところで流布されたり有料で販売されたりしていることを知ったら、やっぱり心穏やかではいられないかも。
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A号館西側テラスから撮影 | 掲示した過去問(模造紙4枚) |
このころになると過去問の蓄積ができて、掲示も模造紙4枚に増強されました。しかしまたこのころから、本活動に対する闇の妨害が頻発し始めました。夜中に掲示をひっぺがしていくのです。犯人は、情報を独占しようというセコい奴ではなく、当時、某団体が過去問を有料で印刷販売して活動資金としていたことから、本掲示が結果的に営業妨害になっていたことを恨んでの犯行だったと思われます。また、過去問ごときに血眼になって社会問題に関心を示さない学生たちを苦々しく思う学生運動家による妨害もありました。
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掲示した過去問(模造紙4枚) |
卒業を控えていたこの年、この過去問掲示を見た読売新聞の記者が私のところに取材に来ました。また、2人の学生が私の跡を継ぎたいといって現われたため、手持ちの全情報を引き継ぎました。しかし新聞に載ったという話は聞かず、また卒業後、同様な過去問掲示がなされたという噂も耳にしませんでした。
私の活動は、やがて京大から忘れ去られていきました....
さて現代は....
デジタル化された情報は不特定多数者に瞬時に正確に伝わり、劣化することなく蓄積されていきます。
便利な時代に生きる現役学生さんたちをつくづくうらやましく思います。
【誤】滝沢さんは京大生時代の1982年から6年間....
【正】滝沢さんは京大生時代の1982年から5年間....
(2回生から修士2回生までの5年間です。留年したわけじゃないよ〜)【誤】友人の協力で入手した情報をわら半紙2枚にまとめて....
【正】友人の協力で入手した情報を模造紙2枚にまとめて....
(わら半紙2枚ではいくらなんでも小さすぎまっせ)
製作:滝沢修![]() |